元グリコのおもちゃデザイナー
祭りを描き続けた画家

宮本順三の世界

宮本順三 1915〜2004(大正4〜平成16年)
宮本順三さん
  こどもの頃、だれもが手にした小さなおもちゃ
 ―お菓子のおまけ。
  そのおもちゃ作りに生涯をかけた“おまけ博士”
  こと宮本順三(1915-2004)

 宮本順三は大阪に生まれ、幼い頃よりおもちゃと絵を描くことが大好きでした。彦根高等商業学校(現滋賀大学)時代には、美術部をつくり、中之島洋画研究所へ通うなど、絵画制作に励みました。また下宿の部屋は、滋賀県の小幡人形など集めた郷土玩具でいっぱいでした。

〜それぞれの時代のこどもたちに
夢をとどけた小さなおもちゃ〜

 1935年、20歳でグリコ株式会社に入社。念願の”おまけ係”となりました。こども達を審査員に選び、日本と世界の玩具を参考に約3000種のおもちゃをデザインしました。
 小さなおもちゃからは、戦前・戦後、高度経済成長の世の中の移り変わりが伝わります。
 1960年頃から、画家として諸民族の「祭りと踊り」をテーマに描き、多くの作品を遺しました。
 絵画作品は、大阪城ホール・国立文楽劇場・国立民族学博物館など各地の公共施設に寄贈、たくさんの人に観ていただいております。

 豆玩舎(おまけや)ZUNZOでは、宮本順三の作品(グリコのおもちゃと絵画)と世界中を旅して集めた人形・玩具・仮面などの民族文化コレクションを展示しています。
 宮本順三は「おもちゃを通してこども達をゆったり育てたい。」と願っていました。
 その思いを受け継ぎたい支援者の協力によってこの館は支えられています。


懐かしいグリコの引替賞品(双眼鏡・磁石など)
グリコのおまけ展示の一部
「地球の古生代、巨体の恐竜やマンモスが滅亡した。人類にとってだんだん世界は狭くなっていく。
 食糧問題、環境問題、地球をとりまくさまざまの問題解決法として、グローバルに人類こぞって小さくなる運動を展開することを提案する。全人類の豆つぶ化に成功したら、ちりめんじゃこのお頭でお祝い、グリコのおまけの飛行機で飛び回る。そうなったら、地球の資源は無限となり、耕地も宅地もありあまるだろう。
(広告課オマケ係時代・順三語録より)


 小さなネズミがうんと大きくなると子どもは喜びますが、大きな象が豆粒になるともっと喜びます。上等のおもちゃなら百貨店やオモチャ屋にいくらでも売っています。金では買えない小さなおもちゃを造ろうと思うたんです。小さいけれどもちいさいものはかわいいし子どもは元来、ちいさなものに味方します。それに次々集めていくことを喜ぶんです。
(広告課オマケ係時代・順三語録より)