昔の六甲道
街並み再現
プロジェクト
(昭和30・40年代)
阪急六甲駅周辺の街並みを再現します。
説明文をスクロールして下さい。
- 神戸大学の農・文・理学部辺りは六甲ハイツ(『散歩なう』の40枚目の写真)といって、進駐軍の家族の住宅だったのが1958年に返還されたようで、だだっ広い所に所々あった四角いマンホール様の穴に入ったり、崖の際に残った空き家の探検をしたことがあります。
1948年の航空写真(国土地理院ウェブサイトより)では、進駐軍の家族の住宅群が見えています。
- 神戸大学工学部の北端にある大学の馬術部の馬場は昭和11年からあったそうで、工学部がまだ無かった頃にも存在を良く知られており、周辺に虫取りに行ったことがあります。
- 一王山十善寺の北側は山になっていましたが、昭和43年に神戸大学の教養部が出来て、八十八カ所霊場から北側がすっかり開けてしまって、ちょっとがっかりした記憶があります。ただ、現在は木が茂ってきて少し昔の雰囲気に近づいてきているようです。
- 現在の親和中学校・女子高等学校のある場所には以前、神戸市立外国語大学がありました。昭和61年に学園都市に移転したそうです。
- 北向き地蔵があり、一王山十禅寺にお詣りに行く時には、ここにもお詣りして行っていました。
- 威風堂々の六甲小学校校舎。昔の小学校の校舎は重厚で立派でしたね。中は暗かったですけどね。
- バレエ教室の島村好子バレエ研究所は今も昔と同じ佇まいですね。小学校の時、同級生の女子たちが何人か習っていました。
- 六甲八幡神社の境内にあるお稲荷さんの祠の横の鬱蒼とした森の中に小さな沼があって、いつも不気味に思っていましたが、いつのまにか枯れてしまいました。
- 昭和40年代の後半頃、駅のすぐ南に紅茶専門喫茶の紅茶文庫があり、珍しくて何度か行きました。
- 阪急六甲駅の南の道の真ん中近くに大きな木があって、切ろうとすると災いが起こるということで、今もそのまま立っています。
- 駅舎の中の改札近くにスタンド席のチェーンの喫茶水中翼船があり、よくトーストとゆで卵とコーヒーのセットを注文しました。
- 同じ駅舎の中の北端に喫茶店HOTがあって、よく昔ながらのナポリタンスパゲッティを食べました。
- 駅舎の斜め向かいのビルの角には喫茶フローレンスがあり、よく友達らと長時間ダベッテいました。また、フローレンスの上の2、3階には中華料理店の六甲苑があり、よく友達と行き、中華定食を食べました。
- 洋菓子「アルハンブラ」が人気の洋菓子店ハイジがありました。また、その西隣にはパン屋のポエムがありました。
- 喫茶店のヴィオレッタがありました。いつも混んでいて、あまり利用できませんでした。
- ここにエクランという昭和9年からの古い食堂・喫茶があり、学生コンパでよく使われていたようです。私も2階の座敷で、友人たちとすき焼き鍋を囲んだことがありました。
- ここに洋館風の六甲会館という建物があり、良く目につきました。カトリックのザビエル育英会の運営する学生寮だったそうです。
- ここにあった若竹英数塾は灘区では有名だった中・高生向けの塾でした。
- 学校給食の牛乳はここの六甲牧場のものでした。なぜ町の中に牧場があるのだろうと不思議に思っていましたが。なお、六甲牧場は震災で廃業し、今は神戸六甲牧場という中央区の会社が事業を引き継いでいます。
- 主婦の店ダイエー灘店の南隣に灘製菓の工場がありました。学校給食のパンやクラッカーはここのものでした。