昔の六甲道
街並み再現
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(昭和30・40年代)
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ギャラリー1 六甲道周辺での画像
六甲道駅が高架前になる前の様子
この頃のお母さん方は皆、植物の蔓で編んだような買い物かごを持っていました。後ろには駅西の踏切の警手さんが見えます。(1957.05.17)
この頃のゴミ箱は皆、リンゴ箱で蓋に取っ手を付けたものでした。後ろにポンプ井戸も見えます。(1959年8月)
トコナミと呼んでいた六甲模型店のショーウィンドウ。毎年お年玉でプラモデルを買いに来ていました。(1965.01)
琵琶町から六甲道駅を望む(1965.05)
国鉄電車(昔は省線電車と言っていました)が発車しました。(1965.05)
六甲道駅ホームより東灘区の山火事を望む(1965.10.03)
琵琶町1丁目と2丁目の境の通り(1966.01.02)
雪の舞う路地(1966.02)
駅東の永手町にあった六甲ドレスメーカー女学院(横田学園)(1957頃の写真)
六甲ドレメは1976から神戸服装専門学校となりましたが、震災後なくなったようです。(1971頃の写真)
六甲道駅周辺高架化工事の様子
六甲道駅南口の仮設駅舎。ホームは既に完成してるようです。(1976.07)
踏切跡の立体交差化工事です。(1976.07以降)
(1976.07以降)
(1976.07以降)
駅すぐ西の踏切の立体交差化が完成しているようです。奥の人が歩いてくる後ろに、駅へ続く線路沿いの細い路地がまだ残っています。(1976.07以降)
駅すぐ西の踏切の立体交差。南北が六甲新道商店街になっています。(1976.07以降)
六甲道駅北口の仮設駅舎です。(1976.07以降)
六甲道駅南口の仮設駅舎です。(1977.03)
(1977.03)
将軍通り線の立体交差化工事です。(1977.09.16)
京田踏切では、将軍通り線が下にもぐり込む形になります。(1977.09.16)
京田踏切は撤去されることになります。(1977.09.16)
阪急六甲駅周辺の様子
元日の六甲八幡神社参道(1965.01.01)
一王山十善寺の上より灘区の街並み。右端に現在の県道95号線(神戸三田線)と高羽交差点辺りが見えています。(1965.03)
灘区篠原北町にあった洋館「六甲会館」(1965.05)
建設中の神戸大学の教養部と中央から左に伸びて見える県道95号線(神戸三田線)(1965.09.12)
阪急電車と山陽宇電車の衝突事故(1979.05.05)
阪急電車と山陽電車の衝突事故(1979.05.05)