長編連載ファンタジー
イルファーラン物語・番外編
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ところで、リーナ君といえば、アルファード君が私に打ち明けてくれた話には驚いた。
彼は、魔王を斃した後、北の荒野で、リーナ君にちょっとした儀式のまねごとをして見せて、『君の中にタナート神を封印した』と、ハッタリを打っておいたというのだ。
彼が、そんなハッタリが利くタイプとは思わなかった。あんな実直一辺倒のような顔をして、なかなかどうして、一筋縄では行かない男である。
が、それもまた、なかなか心楽しいことではないか。たとえハッタリでも、リーナ君がアルファード君を信じているかぎり、彼の施した封印は、彼女に対して実際に効力を持ち続けるだろう。
気づいてみると、そういえば私は、さっきから、『心楽しい』とばかり、何度も書いている。
どうやら、こうしてみると、世の中というのは、けっこう心楽しいところなのだ。
世の中には、不思議なことや知らないこと、自分には見えないことがたくさんある。そして、時々、ふと新しいことが見えてくる。それが楽しくて、私は学者をやっているし、また、それが楽しくて生きているのだと思う。
私は、これまで、酒色に溺れることもなく、金銭にもさほど執着することなく、権勢も求めず、世俗の名誉も追わず、ひたすら学究の徒として、ひっそりと地味に生きてきた。今でこそ、どういう巡り合わせか、<長老>などというものをやっているが、それは今現在たまたまそういう職についているというだけで、その職にあるかぎり、もちろん全力を尽くしはするが、私の本分は学者であり、任期が終われば、また、一学究に戻ることに、まったくためらいはない。
かつて、現世の欲望の何にもさほど拘泥せず、辛気くさい顔で(自分ではそんなつもりはなくても、人からは、そう見えていたらしい)かび臭い書物に埋もれて過ごす私は、よく、そんなふうで何が楽しくて生きているのだろうというようなことを言われたものだ。(今は、<長老>という要職についてもおり、酒を飲むととんでもない笑い上戸になることが友人知人を通して広く世間に知れ渡りもしたので、あまりそんなことは言われなくなったようだが)
が、実は、私は、今も昔もずっと、いろんなことをひそかに面白がって、常に心楽しく生きてきたし、これからもそうだと思う。
この一年、私は本当に不思議な経験をした。『別の世界』からやってきた二人の<マレビト>がこの国を救うという不思議な物語を、かたわらで見守らせてもらってきた。そのことを、私は、幸せに思う。
そう、リーナ君は、きっと、本当に女神だったのだ。なにはともあれ、たとえ彼女がどんなに平凡な、凡庸な少女であろうとも、少なくともアルファード君にとって彼女が唯一無二の聖なる女神であったということは、疑いようがない。
魔王の城で、一度は死の淵に呑まれかけた彼をこの世に立ち戻らせたのは、リーナ君だったという。母なる女神の腕の中で、その愛によって蘇った女神の息子ユールレンのように、彼は、リーナ君の呼び声に導かれて蘇り、生まれ変わったのだ。これが女神の御技でなくて何であろう。
彼らは、一年がかりで神話を演じて去っていった。この一年、この国は、実は神話の世界だったのだ。いや、アルファード君が現れた十数年前から、すでに神話は始まっていたのかもしれない。
そのことを、ほとんどの人は知らずに過ごしたが、私は、幸運な巡り合わせによって、たまたま知ることができた。私は神話に――しばし地上に復活した再びの神代に、立ち会うことを得たのだ。冥加なことだ。
ところで、私の途方も無い発見は、生贄の儀式の存在だけではない。
信じられないような話であるが、私は、司祭の家で、方法どころかその存在すら忘れられていた召喚の秘法らしきものが文書の形で残されているのを見つけたのだ。
それは、どのような魔法の助けがあろうと形を保って残っているのが信じられないほど古い古い古文書である。司祭の家の祭壇の下の櫃に納められていた膨大な古文書の中でも、一冊だけ際立って古いものだ。が、不思議なことに、それは、何の整理もされていない古い文書の山の下の方に埋もれていたのではなく、その一冊だけがまるで最近まで使われていたとでもいうように、別の場所に取り置かれていたのである。
幼い現司祭の話によると、それは、最近まで女神の祠に古い短剣とともに箱に入れられて大切に納められていたもので、先代司祭が、二年ほど前に祠から家に持ち出してきたのだという。
ということは、亡くなった先代司祭は、この文書に何が書かれているかを知っていたのだろうか。だとしたら、実に不思議なことである。というのは、私も以前会ったことのある先代司祭は、古代エレオドラ語の祈りの言葉のいくつかは口伝で知ってはいたが、古代エレオドラ文字の読み書きは、ほとんどできなかったはずなのだ。
しかも、この文書は、実は、古代エレオドラ語より更に古いらしい、いわば原エレオドラ語とでもいうべき未知の言語で書かれていたのである。あるいは、あの言語は、古代においても実際に実用的に使われていた言語ではなく、宗教上でだけ使われた特別な神聖言語か、あるいは何らかの暗号のようなものなのかもしれない。それほど、今の言葉とも、古代エレオドラ語とも、かなりかけ離れた言葉である。
もちろん、私は、古代エレオドラ語とは文字も文法もまったく違うこの言語を、全く読むことができない。文書に記されているのが召喚の秘法らしいとわかるのは、後年書き加えられたらしい古代エレオドラ語の表題と注釈があったためだ。それがなければ、いったい何が書かれたものかすら、見当がつかなかっただろう。
他にも、同じ言語で書かれた資料があるにはあるのだが、それらもみな何についての文書であるかさえ不明であるため、この言語の解読には、並大抵でない時間がかかることだろう。とても、<長老>の激務の片手間にできることではない。
というわけで、これらの文書を、学問の世界の共有財産として上級学校に預け、若き学究らの手に解読を委ねよう。
が、召喚の秘法が書かれている一冊だけは、公にせず、自分の手元に保管しておくつもりだ。学者としての独占欲などではなく、文書の内容が、この世界にとってあまりにも危険なものである可能性があるからだ。
別世界からの召喚が自由になるなどと知れたら、それをどんな風に悪用しようと考えるものがでるか、わからないではないか。
何しろ、<マレビト>は<本物の魔法使い>である。キャテルニーカ君が言うところによれば、この世のあらゆる法則に従う必要のない、この世の理を超越した力――つまり、神々と等しい力を持つ者たちである。それを何人も集めて味方につければ、あっという間に世界を制圧するほどの無敵の軍隊でも何でも出来てしまうのである。いわば神々の軍隊だ。
いや、別に何人も集めなくても、彼らはたぶん、ただ一人で世界を破壊しつくすことだってできるのだろう。
そんな、あまりにも強力な力を呼び出した挙げ句に背かれでもした場合、せっかく救われたこの世界が、今度こそは根本的に破滅することになりかねない。まさに諸刃の剣、危険過ぎて使ってはならない究極の最終兵器である。この世に存在してはならない、危険な力だ。
きっと、リーナ君は、自分がそのような危険な存在であるのことに気づいていて、それで、自らこの世界を立ち去ることにしたのだろう。
たぶん、<本物の魔法>の力を取り戻したアルファード君よりも、最後まで<普通の魔法>さえ使えなかったリーナ君のほうが、より危険な存在だったのだ。
彼女の力は、最後まで潜在したままで、目に見えない力、我々の理解の及ばない未知の力であり続けた。
北の荒野で、彼女は、大地に眠っていた古い種子たちを目覚めさせ、荒野に緑を甦らせたのだという。これは、まさしく、神の御技以外の何物でもない。生命を司どる力は、あきらかに神の領域に属する力なのだ。が、イルベッザに帰ってきた彼女は、別に、花壇に蒔いてある種を自由自在に芽生えさせられたり、枯れ枝を芽吹かせられたりするわけではなかった。それどころか、結局、最後まで、できることといえば魔法を消すことだけで、<普通の魔法>さえ使えないままだった。
彼女によると、彼女の力は、自分の望む時に自由に使えるというわけではないのだそうだ。それは、その力自身が望む時に身内から自然に浮かび上がって、用が済むと、水底から浮上してきた魚がまた水底に戻っていくように、彼女の中のどこか深いところに再び潜っていってしまうのだという。
キャテルニーカ嬢も言っていたが、<普通の魔法>が使えないということは、それだけ彼女の力が、この世の理から外れていたということだ。アルファード君は自分の力をこの世に適応させて解放することができたが、彼女には、最後まで、それができなかった。たぶん、その力があまりに強いので、この世界の枠の中では発動させることが不可能だったのだ。
彼女自身にも、自分の中にあることは知っているその力が、どのようなものか全く分からず、おおよその輪郭さえ見えず、ただぼんやりと、『奥の方に眠っている』のを感じるだけだという。それは、例えて言えば、『何か正体のわからない、ものすごく巨大な生き物が、広い海原の下のどこか知らない深い海溝の底に潜んでいるらしい』というような感じで、それがどんなものなのかは一切わからず、その生き物が自分の言うことを聞くのかどうか、それどころか自分と意思の疎通ができるものかどうかさえ定かでないのだという。
無自覚な、制御できない力ほど危険なものはない。一見、何の力もなく、台風の目のように静かであり続けたリーナ君は、そういう、とてつもない力を秘めていたのだ。
そういう点で、彼女は、よく考えてみると、とんでもなく恐ろしい娘さんだったのである。そういえば、私は、そんなお嬢さんに気安く軽口をきくなどと、よく考えてみれば、我ながらずいぶん恐れ知らずなことをしていたものである。
ただ、彼女の埋もれた力は、この世界の生成に関わるものであり、この世界にあっては想像もつかないほど影響力が大きいものだが、他の世界にはほとんど影響を及ぼさないはずのものなのだそうだ。つまり、元の世界に戻れば、彼女は、何の力もない普通の少女として生ることになるだろうと言うのだ。
彼女が勇気を持って自ら選び取った普通の女性としての人生が実り多いものとなることを、私は、遠くから祈っていよう。苦難も悲しみも多々あるだろうその人生に、彼女は、きっと、力強く立ち向かって行くだろう。
彼女の、そしてアルファード君の、私の知ることのない見知らぬ世界でのそれぞれの人生に、乗り越えるべき苦難や悲しみに見合って余りある喜びと幸せがあらんことを、私はここから祈っていよう。
話は戻って、召喚の秘法の悪用の恐れについてであるが、もしかすると、私が心配しなくても、<マレビト>を己の野望のために利用しようなどという野心を持つものは、出ないかもしれない。というのは、たとえ古代のイルゼールで実際に召喚が行われていたことを公にしたとしても、、誰も本気にしないだろうからだ。
その場合、私がそんな怪しげな召喚の秘法などというものを本気で研究していると知れたら、今度は私自身が頭のおかしい危険人物だと思われてしまうのがオチだろう。
そんなわけで、どう考えても、そのような危険な資料の存在を公にするわけにはいくまい。
だから、召喚の秘法が書かれたあの文書は、誰にも見せず、その解読は退官後の楽しみにとっておこうと思う。その頃には、たぶん、上級学校で、あの言語の解読も進んでおり、私は、その成果を、ちゃっかり利用させてもらえることだろう。もしそうであれば、非常に幸運だ。
そして、私は、ひとりでこっそり、召喚の秘法を研究するのだ。いつか、立派な大人になったアルファード君やリーナ君とひとときの再会を密かに果たし、あの不思議な一年の思い出を語り合うことを夢見て。そして、彼らを帰した後は、危険な召喚の秘法を、再び破棄するのだ。
誰も知らない古代の秘法を、自分だけのために人知れず復活させ、ただ一度実行した後は自らの手で再びそれを葬り去る――。誰にも言えない、私の秘密の夢だ。
そんな秘密の夢を、こっそり暖めて生きる人生は、きっと、なんとも心楽しいものだろう。何しろ、世界征服さえ出来るような究極の力を手にしながら、旧友との再会以外にはそれを使わず、誰もが欲しがるはずのその力を、誰にも知られぬまま、ひとり密かに闇に葬るのだ。こんな壮大な、贅沢な夢が、またとあろうか。
今、そのことを考えただけで、あまりの愉快さに、私は思わず含み笑いを漏らしてしまった。それどころか、危うく声を上げて笑いだしそうになった。
が、いくら誰も見ていない部屋の中とは言え、ここで私が、一人で唐突に高笑いを始めたら、相当に異様な、危ない人間に見えると思うので、そこはひとつ我慢して、含み笑いにとどめよう。が、しかし、考えれば考えるほど、何とも愉快痛快である。
私は、しみじみ思う。ああ、人生はなんと楽しいのだろう!
統一歴百六十九年青の光月、ユーリオン記す
(── 『イルファーラン物語』番外編『幕間〜ユーリオンの手記』・完 ──)
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