長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語・番外編 


<『幕間まくあい〜ユーリオンの手記〜』>
(第五章と終章の間に位置する『幕間』です。第五章読了後推奨)

!ご注意!
この番外編(特にこの回)は、非常に残酷な内容を扱っています。
また、エロチックな要素は皆無ですが、性的な単語を含んでいます。
神話・伝説の類、民俗学や文化人類学等の本には普通にあるレベルと思いますし、
直接的な描写は一切無く、扇情的な書き方もしていませんが、苦手な方はご注意ください。
また、12歳未満の方は読まないで下さい。
(番外編ですので、読まなくても、本編に差し障りはありません)


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 ところで、母親のもとから引き取られた<神の子>たちは、どうなったのか。
 彼らは、村が用意した特別な神聖な家に移されて、司祭の監督のもと、村の女たちに交代で世話される。祭りの期間中の<マレビト>がそうされたように何不自由なく世話されて、大切に育てられるが、特定の養育係は決して置かれない。乳飲み子の間でさえ、決まった乳母ではなく、産みの母を含めてその時乳が出る状態だった女たち全員が交代で乳をやるのだ。<神の子>は、特定の誰かと特別に深い絆を持つことを許されないからである。彼らは、誰のものでもない、村全体への授かりものと見なされるのだ。
 彼らは、そのまま、村人たちの喜捨によって他の子供たちとは一線を画した手厚い特別待遇で育てられ、恭しく祭り上げられて、村の労働に参加することもなく半ば隔離されて生き、男でも女でも一生結婚することなく、<おさな子>と呼ばれ続ける。彼らは、実年齢にかかわらず常に『子供』と見なされる決まりだったのだ。
(ちなみに、<マレビト>の子供は、当然のことながら男である場合も女の場合もあり、どちらでも等しく<神の子>として扱われたが、たまたま女の<おさな子>を擁していた時代のものはおそらく別としても、村人たちの心の中では、<おさな子>は一般的に少年としてイメージされるものだったようで、古文書の中でも、彼らはしばしば『女神の息子』と表現されている)
 そんな彼らは、一生涯『子供』と見なされながらも実際には普通に年をとって、多くの者は、そのまま大切にされながら普通に死んでゆくのだが、しかし、その存命中にたまたま何か大きな凶事があった場合は生贄に供される運命であったらしい。実際に生贄にされる日が来るかどうかは別として、彼らはすべて、『いざという時には生贄となるもの』という役割を担って生きてゆくものだったのだ。
 生贄と言えば彼らの父である<マレビト>もそうだったのだが、<マレビト>の場合と彼らの場合とでは、その意味あいは全く違った。彼らは、世界の罪穢れの蓄積をその一身に引き受けて世界の代理として殺されることで世界を清める、そういう特別な適性を持つ神聖な子供と考えられていたのである。
 彼らは、人の世の日々の営為の中から少しづつ、けれど避けがたく発生し続けて徐々にこの世に蓄積してしまった罪業・汚濁・歪みのすべてを磁石のようにその身に引きつけて、死ぬ時にはそれらをすべて我が身と一緒に携えて天の向こう側へ、世界の果てのその向こうへと持ち去ってくれる――、そうすることで置き土産のように世界を浄化し、人間の罪業の蓄積と、それがもたらす世界の歪み・穢れ、そしてそれらが限界を超えた結果として村を襲った禍事《まがごと》どもを退《しりぞ》けていってくれるという、聖なる装置だった。
 その聖なる機能は彼らの死によって完結するものであり、もしもその存命中に特に何事もなければ、彼らには、なるべく長生きして、なるべく長年の分の罪穢れを吸着して持ち去ってもらうのがよいとされていたが、たまたまそれまでの間に世界の汚濁が限界に達して大きな禍いが発生してしまった時は、その段階で寿命を待たずに『死による浄化』の機能を果たしてもらう必要が生じ、生贄の儀式が行われたわけだ。
 彼らは、神が地上に遣わした聖なる御子であり、やがては天に帰るべき地上の客分だった。そんな彼らを村に迎え、育むことができるのは、村の誉れであり、誇りであり、地上にいる間の彼らは高貴な預かり子として村を挙げて大切にされ、恭しく厚遇されるが(彼らは、たっぷりもてなせばもてなすほど、それに報いるべく、良く機能してくれるものと思われていた)、どの家の子供でもなく、地上に家族を持つことはない。
 神は、彼らを、地上の悪を清めるために下界に派遣する。そして彼らは、その尊い役割を、自らの死によって果たす。彼らは、自らの命と引き替えに世界を救うものなのだ。それが彼らの役割であり、宿命だった。
 彼らのうちで運よく生贄になる必要なく一生を終えたものたちの、おそらくは他の村人より格段に豊かで安逸なものであっただろうその人生が果たして幸せだったのか――、あるいは、生贄となったものたちがその運命をどう感じて死んでいったのか――、その心の内は、現代に生きる私たちには、とうてい計り知ることはできまい。

 一方、女神の代理である娘との交合――すなわち、大地との聖婚――を終えた<マレビト>のほうは、畑の中央に据えられたテーブル状の祭壇の上で殺害され、その亡骸は、頭部と四肢、胴体、男根の七つの部分に切り離されて、それら、ばらばらに切り離された肉体は、それぞれ、その畑の、占いによって定められた方位に埋められる。
 そうやって大地の上に流された<マレビト>の血と精液と、土に鋤き込まれたその骨と肉とが、翌年の豊饒の礎となるのである。
 現代の我々の感覚で言えば、これはとんでもない残虐行為であるが、当時の村人たちには、残酷という意識は、おそらく、全く無かったのだろう。彼らは、招きに応じて訪れてくれた<マレビト>を、礼を尽くして歓待し、選りすぐりの美しい乙女を花嫁として差し出して、その、異界からのみもたらされうる強く新しい生命力を真摯に乞い願って分かち与えてもらった後は、敬虔な祈りを念入りに捧げて、深い感謝と共に彼らを異界に『送り返して』いたのだから。実際には殺された彼らがもとの世界に戻れることはなかったのだろうが、当時の人々は、『彼らは、古い肉体をこの地への贈りものとして置き遺してくれた上で、祈りの言葉に送られて元の世界に帰り、翌年にはまた、新しく甦った別の姿で、新しい恵みを携えて村を訪れてくれる』と信じていたようなのだ。
 が、あの素朴で善良な村人たちにとっては、そのような古代人の思想をいくら説明しても、自分たちの先祖のこの行いは、途方もない蛮行としか思えないだろう。自分たちの先祖がこのような野蛮で非人道的な残虐行為をなしていたと知った彼らが如何ばかりショックを受けることだろうと思うと、私は、これを、とても彼らには告げられない。

 さて、その後、長い年月の間に、<マレビト>召喚の秘儀は、偶然に失われたのか、それとも村人たちが生贄行為の残虐さに気づいて<マレビト>の殺害だけでなく召喚自体を放棄したのか、その理由やきっかけは定かでないが、いつのころからか行われなくなり、祭りには、それまでも<マレビト>の召喚に失敗した年には行われていたように、<マレビト>の代わりに雄羊が屠《ほふ》られるようになった。
 年代を追って資料を解読していくと、最初は、雄羊は、あきらかに生贄として屠られ、かつて<マレビト>がそうされていたようにばらばらに切り刻まれて畑に埋められていたが、時代が下るにつれて、屠られた羊は畑を肥やすかわりに祭りのごちそうとして村人たちの血肉となり、残った骨だけが畑に埋められるようになって、長年そうしているうちに、祭りに羊を屠ることのもともとの意味も次第に忘れられていったらしいことがわかる。
 今でも祭りには羊を屠ることが恒例になっているというが、おそらく村の人々はみな、それがかつての生贄の儀式の名残りだなどとは思わず、羊はただ祭りのご馳走としてつぶされるのだとしか思っていないだろう。ただ、祭りの宴で食べた羊の骨は各自が一片づつ縁起物として持ち帰り、豊作を祈願して自分の畑の片すみに埋めるというこの村独特の風習だけが、かつて羊たちが果たしていた役割をわずかにほのめかしているが、それも、今では誰も由来を知らず、ただ『古くから伝わる豊作祈願のおまじない』という程度の認識で、深い考えもなく漫然と繰り返しているちょっとした行事のひとつに過ぎなくなっているようだ。

 一方、<マレビト>の訪れ自体は、儀式によって召喚されることがなくなってもすぐに完全に途絶えたわけでななく、つい数百年前まで、秋の祭りの時期になるとしばしば<マレビト>が現れていたというのは、史実として記録されているとおりである。
 が、村人たちは、かつて自分たちが彼らを自ら召喚していたことも、彼らが殺される運命であったことも忘れ、ただ、長い年月の間に、『<マレビト>は村に恵みをもたらす』という信仰と、それに基づく『<マレビト>は必ず歓待すべし』という約束事だけが村人の心の中に残り、やがて<マレビト>の訪れ自体がしだいに間遠になって、現在に至っているわけだ。

 ところで、なぜ、<マレビト>は、殺されなくてはならなかったのか。
 これはまったくの想像なのだが、村人たちは<マレビト>に、『死んでは蘇る女神の恋人』の面影を重ねていたのではないだろうか。
 この、『死んでは蘇る女神の恋人』に関する神話・伝説は、全国各地に伝わっている。これらの物語から枝葉を取り払ってしまうと、結局のところ、『土地によって女神の愛人とも息子とも伝えられるうら若い美青年たちが殺害されて蘇る』というのが、その骨子である。青年たちの名前も、女神との続柄も、彼らが死に至る理由も、土地によってそれぞれ違った風に伝えられているが、彼らが大地の上で殺されて血を流し、そののちに何らかの形で再生することは共通しているのだ。
 これら、女神の恋人たちの死と再生の物語は、その中で最も有名な伝説『ユールレンの復活』にちなんで『ユールレン型物語群』と呼ばれるが、私は、以前から、この『ユールレン』伝説は、有名ではあるが実は典型的なものではなく、これらの中ではむしろ例外的な、変則的なものだと考えている。
 『女神と人間の男との間に生まれた心清らかな美少年ユールレンが、いわれなき讒言《ざんげん》を発端に無実の罪で処刑されるが、それを悲しんで地上に降りてきた女神の腕に抱かれ、その涙を注がれて奇跡の復活を遂げる』という『ユールレンの復活』伝説に非常に人気があるのは、この物語が他のこの種の伝説ほど不条理でも野蛮でも血腥くもなく、物語としての形が小奇麗に整っているので近代人にも親しみやすかったためもあろうし、また、『無垢な少年が人の心の醜さ愚かさのゆえに死に追いやられる』という悲劇性の魅力と、『罪なき少年は傷ひとつない姿で蘇り、奇跡を目の当たりにして涙ながらに改悛した迫害者たちは分け隔てなく許される』という心優しく麗しいハッピーエンドの魅力を兼ね備えていること、そしてなによりも、『母の至高の愛による奇跡』という要素が非常にわかりやすく、万人に共感されやすく、かつ美しく感動的で、人の心に強く訴える力を持つものだったためだろう。
 実際、『息子の亡骸をかき抱いて涙に暮れる女神』というドラマティックな図像が理屈抜きで大衆の心を動かさずにはおかない、何かしら根源的な魅力を持っていることは、この場面が宗教的な絵画のモティーフの中で最もありふれた典型的なものとなって何百年も愛され続け、今でも無数に描かれ続けてあちこちの家に普及している現実から見て、疑いようのないことである。この物語は、おそらく、誰もが心に秘め続けている『母の愛は何よりも強く偉大で尊く神聖である(あるいは、そうあって欲しい)』という母性への憧憬と崇拝の念――いわば聖母幻想――を掻き立ててやまないのだろう。
 そうした普遍性の強い魅力のために、もとは一地方の伝説だったその物語が、最初はおそらく各地を放浪する吟遊詩人たちの心を魅きつけて他の地方でも語られるようになり、さらにそれを聞いたものたちによって絵画に描かれたり芝居として演じられたり詩に歌われたりすることでますます一般的に知れ渡り、ついには全国的な人気を獲得していったのだ。
 が、そうした知名度の高さにもかかわらず、私の研究によれば、この物語は、本来は、分布から見ると決して主流とはいえない、かなり稀なタイプのものだと思われる。
 というのは、ここでは、女神の息子は、女神の愛の奇跡によって人間の姿で復活を遂げているが、それが起こるのは、実は、この物語の他には、ほんの数例だけなのである。
 実は、『ユールレン』型の伝説は、たいていは、何らかの植物・作物(多くの場合は麦)の起源の物語として語られており、そうした物語の中では、殺された若者たちは、ばらばらに切り刻まれ、大地に埋められたりあるいは撒かれたりした後に、人間の姿でではなく、植物として生まれ変わっているのだ。いわく、その血の流された大地に、翌年、真っ赤な芥子の花が咲いた。あるいは、そこには世界で最初の麦が生えた、それが麦の起源である、と。七つに切り刻まれた身体の一片づつから、それぞれ違う七種類の草木や作物が生じたという話もある。
 さらに、ある地方では、その若者を殺した凶器は『鎌であった』と伝えられてもいる。
 つまり、彼ら――女神の愛人であったり息子であったり、要するに女神に付随し、女神と対をなす存在である男性の神あるいは半神たち――は、おそらく、もともと、植物・作物の精霊なのである。永遠不変の母なる大地に対して、その上で年ごとに栄枯盛衰を繰り返す自然の生命力を象徴するのが、彼らなのだ。だからこそ、彼らは必ず、伸びゆく力に満ちあふれた若い麦のような成長期の若者の姿でこの世に現れていたのだろう。彼らは、年ごとに咲いては散る花であり、母なる大地に育まれてまっすぐに伸び、秋には鎌で刈られていったんは地に倒れ、春にはまた蘇る麦であったのだ。
 イルゼールには、こうした『ユールレン』型の物語は伝わっていないが、おそらく、もっと古い時代には語られていて、その思い出が、あの村にだけ現れる<マレビト>に投影されたのではないか。それが、私の推測である。きっと、それで<マレビト>は、『麦畑で』殺されなければならず、また、『ばらばらに切り刻まれて大地に埋められ』なければならなかったのだ。<マレビト>の解体は、決して、気紛れに行われた残酷な見せ物などではなく、彼らの切り刻まれた肉体が麦になると信じる彼らにとっては、いたって必然的な、欠かすべからざる、順当で適正な手続きだったのだろう。

 と、ここまで書いて思ったのだが、あるいは逆に、イルゼール村に『ユールレン』型の物語が伝わっていないのは、イルゼール村こそがそうした物語たちの発祥の地であるからだという想像もできる。
 『女神の恋人たち』の伝説が<マレビト>に投影されたのではなく、逆に、この村での<マレビト>たちの実話が外に漏れ伝わったものが、世界各地で女神の恋人たちの死と再生の伝説に姿を変えていったのだ。
 そう考えると、他のあらゆる神話や伝説がどこよりも豊かに伝わっているあの村に、他の地方ではごく一般的なものである『ユールレン』型の物語だけがぽっかり抜け落ちたように全く伝わっていないという不自然な現象が、目から鱗が落ちたようにすっきりと解明できる。『ユールレン型物語群』の、空白の中心地というわけだ。
 これが本当だとすると、すごい発見である。
 が、これは、もし本当だとすると、『ユールレン型物語群』を読み解く場合のみならず、神話伝説全般を研究するに当たっての根本的な発想の転換の契機となるやもしれぬ、あまりに重大な問題であり、思いつきだけで軽々しく踏み入って良い領域とは思われないので、このことについては、ここでこれ以上立ち入るのはとりあえずやめておいて、今後、もっといろいろと調べた上で、ゆっくりと良く考えていきたいと思う。

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この作品の著作権は著者冬木洋子(メールはこちらから)に帰属しています。
掲載サイト:カノープス通信
http://www17.plala.or.jp/canopustusin/index.htm


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