ABO FAN


Red_Ball12.gif (916 バイト)No.1049 Jさんから H17.3.31 1:06

1.面白いですか?

とっても(^O^)

3.血液型と性格の関係は?

どちらともいえない

4.メッセージ:

えっと、「ABO FANの判断基準と論理構成」を読んで思ったんですけど
 >私がやりたいのは、今までに明らかになっているデータを相互に
 >矛盾なく説明できる仮説を皆さんに評価してもらうことです。
こーゆう事は単なる予備実験とか先行研究とかと同じですよね。
科学的検証をする前に「現在までのデータを相互に矛盾なく説明できる仮説」を立てるのは、なにもこんなに大仰に提示するものでもなく、ごくごくあたりまえの手続きでしたよね。
だって、現在までのデータと比較して既に矛盾する仮説は検証する必要もなく却下されるんだもん。
学部生が指導教官に教えを仰ぐならいざ知らず、仮説の時点で普通評価は求めませんよね。
普通、評価を求めるなら、仮説についてあなたがキチンと手続きを踏んで科学的検証をした”結果”の方であるべきじゃないんですか?

まぁ評価しろ、っていうんなら指導教官のつもりで評価しますが
「ABO式血液型と性格の関係は確かにある」!?
これ、仮説じゃなくて、単なる信念じゃないですか。
「確かにあるかどうか分からない」からこそ、仮説を立てて検証するんでしょ?
単なる決意表明は、仮説の外でやるべきではないですか?
それとももしかして、あなたの学んだ大学では、
「仮説にはぜひともあなたの思い入れの強さを盛り込んでください」
とでも教えているんですか??

「回答率の差は10〜20%であまり大きくはない」
何これ!?
そもそも、どんな現象を性格ととらえ、具体的にはどのように計測したものを性格とするのかが抜けているし、何者を対象に、どのような事を調べると、回答率の差が10〜20%出るのかという必要不可欠な要素が抜けてますよ。
「いつかどこかで地震が起こる」という予言レベルですね。

正直、この仮説を評価しろ、とい言うのなら、仮説の体裁が全くなっていないので0点ですね(マイナスでもいいや)。
これで「ほぼ満足できるものができた」と言うんなら、ホント大学戻って科学関係の授業受けなおしなさいって感じです。

そもそも、データを相互に矛盾なく説明できるようにするのに、ここまで漠然とした表現をするしかなかったってことは、結局のところデータからは血液型と性格の関係性は、明確にはつかめない曖昧模糊としたものだった、って事を暗に示すことになりますよね。
どれだけデータを見たか知りませんが、その結果この程度の仮説しか作れないなら、「血液型と性格の関係は不明である」ってした方が早くないですか?

そして、「さらに、データの再現性がはっきりしました。」ってところが非常に謎なのですが。
なんで、仮説を評価してくれ、ってところから、こんな結論めいた発言に飛ぶんでしょう?
再現性って事は、この仮説(?)に基いて規定の条件を設定した上でデータ取りして、再現性がある事を客観的に確認したわけですよね。
...うーん、信じられない。
こんな漠然とした仮説とも言えない仮説では、実験計画もままならないでしょ。
それとも...それとも...もしかして、ABOFANさん、科学的検証における再現性の確認の仕方とかについて大いなる勘違いをしたまま突っ走っていませんか?

念のため申し上げておきますが、集めた複数のデータを眺めていたらその中の似たような項目に似たような結果を発見した、っていうのは、単に類似性・共通性の発見であって、科学的検証において必要な「再現性」じゃないですからね(その時点では、その類似性・共通性が偶然か必然か不明なわけですから)。
認められた類似性・共通性を踏まえて、次にデータを取った際にどのような結果が得られるかをあらかじめ予測した上で、再度データを取り、予測どおりの結果が得られるというのが、いわゆる「再現性」のはずでしたよね。
でも、あのヘンテこな仮説は、科学的検証の前段階にも値しないわけですから、こういう手続きが踏めるはずがないんですけど....

あのー、よくABOFANさんは自分を”理系”と称しますが、もしかして工学とか数学とかの分野の人で、科学分野、というか科学的検証法についてはド素人なんですか?
どうも、本来の「科学」との大きなすれ違いを感じるのですが...

というわけで、評価して、ということなので評価してみました。
私の言いぶりは気に食わなかいかもしれませんが、何も示さず「ダメ。話にならない」と言うよりかはマシかと...
「これでいいはずです」とか根拠の無い虚勢をはらないでね。
もう一度正しく「科学的」であるために必要な事をもうちょっとマシな本で勉強しなおしてください。

この仮説を書いたのは7年くらい前ですか?その間にABOFANさんも成長されたと思います。
もしかすると、他のページではちゃんとした仮説立案と検証ができているかもしれませんね。
(残念ながら、膨大すぎていまだ発見しておりません。でも、最近のどなたかとの論争で『定義』に対する理解の甘さを露呈してたから、まだまだなんでしょうね...)
まぁ、「ABO FANの判断基準と論理構成」という大仰なタイトルのページに、こんな稚拙な仮説(?)が堂々と掲載されているのはどうかな、と思いました。

ケチばかりつけてしまって、黙殺されてしまったら悲しいですが
ABO FANさんの場合、科学に必要な決まり事を十分理解されてないせいですれ違いが生じてしまい、論争とは形ばかりで、結局単なる屁理屈や主観的な解釈の言い合いに終始していませんか?
そのせいで肝心の「血液型と性格の関係」を確かめるベクトルにはほとんど進展が無いように見受けられます。

すごい熱意を持った方なんでしょうから、ちゃんと科学的検証を勉強して正しいデータの扱い方や研究論文の理解の仕方を身に付ければ鬼に金棒のはず。
そうなればきっと、「血液型と性格の関係は疑似科学だ」なんて誰にも言われないような理論が組み上げられるのではないかなぁ、と期待しています。
(疑似科学としていつまでゴネ続けられるかが本当の目的ならば、期待する私がバカですが)
文章の長さは、その期待の大きさと解釈していただければ幸いです

長文のメールをありがとうございます。

 予備実験や先行研究でも、とりあえず公開しておく(あるいは意図的に非公開にする)ことはあると思いますが…。それは、その研究者の考え方ではないでしょうか?

> 「ABO式血液型と性格の関係は確かにある」!?
> これ、仮説じゃなくて、単なる信念じゃないですか。
 [中略]
> でも、あのヘンテこな仮説は、科学的検証の前段階にも値しないわけですから、こういう手続きが踏め
> るはずがないんですけど....

 ??? 大村さんも同じ結論のようですが?

> この仮説を書いたのは7年くらい前ですか?その間にABOFANさんも成長されたと思います。
> もしかすると、他のページではちゃんとした仮説立案と検証ができているかもしれませんね。

 ぜひ大村さんのページをご覧ください。

 また、申し訳ありませんが抽象的な質問には回答しようがありませんので、次回にメールをいただけるなら、お手数ですがぜひ具体的な質問をお願いいたします。m(._.)m

メール(その2) H17.4.3 23:12

まずは、あっさりとしたお返事ありがとうございます。
先のメールの内容から発展的な事を書く必要もないようですので、ささっと返事書いちゃいます。

えっと、私べつにABOFANさんに抽象的な質問をしたつもりは全く無くて、単にABOFANさんが仮説と言っているモノがほんとに仮説として成り立つのか、チクチクいやみを交えながら(笑)具体的に不備を指摘して「評価」をしただけなんですけど、それを「質問」と受け取るなんて...
うーん、やっぱり科学的方法論について素人でいらっしゃるという嫌な予想が当っちゃいましたか?

ていうか、むしろ私の「批評」に対しABOFANさんの方が「何がいけないんですか?さっぱり分かりません」と逆に質問しているように見受けられましたがどうでしょう?
(もしそうであるならば、科学的方法論の理解をご自分で深めるのが先決と私は思います)
でも、「大村さん...大村さん...」では、どの辺が理解不足なのか分かりにくいですねぇ(よほど大村さんがお気に入りなんですね)。
申し訳ありませんが抽象的な質問には回答しようがありません(笑)

...なんて意地悪はおいておいて
とりあえずは、どこまでABOFANさんの理解が届いてくれるか分かりませんが、一応ご質問の部分にはお答えします。

>予備実験や先行研究でも、とりあえず公開しておく(あるいは意図的に非公開にする)ことはある
>と思いますが…。それは、その研究者の考え方ではないでしょうか?

確かに公開するか否かは自由ですよ。基本的には先行研究や予備実験はあくまで本実験の準備という位置付けですから、本実験さえきちんと遂行してれば別に言及する必要はありません(でも、せっかく自分でやった事ですから、記述しておくに損はありませんが)。ただし、少なくとも科学的検証という土台では(よほど倫理に反する予備実験でもしない限り)「あえて隠す」という事は無意味ですよね。
このあたりを理解していれば「意図的に非公開にする」という注釈が蛇足であり不適切である事が分かるはずなのですが、何故こんな語句を入れたのか謎です。...まぁ、深く考えてもしょうがないか。

そもそも、私は別に「予備実験や先行研究をいちいち掲載するなよぉ」とは言ってませんよね。ただ、予備実験や先行研究で矛盾の無い仮説を立てるのはごくあたりまえの手続きですよ、と言った上で、学部生とかのよほどの素人さんで無い限り、予備実験や先行研究で立てた仮説に対し「評価」は求めません(評価を求めるべきは、仮説検証の「結果」では?)、と言っただけです(理論物理学あたりは仮説段階で評価を求める事もあるかもしれませんが、少なくともABOFANさんのようなあいまいな仮説をそれになぞらえる事はできません)。

でも、そこであえて指導教官のつもりになって「仮説」に対し私が評価した結果が、「仮説なのに変な思い入れ入っている、そして変なところに詳細なくせに肝心の対象が明確でなく検証不能」と言う点で不十分と言う事を述べただけです。

> ??? 大村さんも同じ結論のようですが?

だ・か・ら、大村さんのは「結論」なのかもしれないけど
ABOFANさんがあそこに掲げているのはあくまで「仮説」でしたよね。
仮説ならば、「ABO式血液型と性格の関係は”確かに”ある」ではなく
「ABO式血液型と性格の関係はある」とすべきなのではないですか?
このような表現のおかしさに気付かないあたり、「仮説」の理解足りなさすぎです。
「仮説」に必要な事・不要な事を分かっていれば、ABOFANさんの仮説(?)の変なとこは少なくとも指摘があれば気付くはずですし、「大村さん」の名前を出す必要なんて全く無いですよ。

あえて大村さんの名前を出しているのは、ABOFANさんの仮説を大村さんが代わりに検証してくれたとでも思っているからかもしれませんが、そういう事は、もっとマシな「検証可能な」仮説を立てた人が言うべき事ですね。

ああ、もうホントイライラするぅ。
「仮説」の段階で、すでにここまで理解が足りない(というか科学的方法論とリンクしていない)のに科学的科学的とおっしゃるのが不思議でなりません。このままほおっておくと、「科学的方法論」の概論まで説明させられそうで怖いです(それが必要なほど素人とは信じたくありません)。

あえて具体的に”質問”するとすれば、
ABOFANさんは自然科学における科学的検証法について(あくまで自然科学ですよ)、きちんと指導を受けましたか?あるいは系統だった勉強をされましたか?
もし、知っていると言うのなら、血液型の話の上では、あえてそのルールを無視しているのでしょうか???
あ、あと、指摘した「再現性」について勘違いしているのでは?という私の危惧は当たっていましたか(具体的には前回説明してますよね)?

あれれ、あんまりつっこむとまたあっさりスルーされちゃうかも。
がんばって科学的方法論の勉強をしてくださいね(はぁと)

たびたび長文のメールをありがとうございます。

> 確かに公開するか否かは自由ですよ。

 ありがとうございます。

>> ??? 大村さんも同じ結論のようですが?

> だ・か・ら、大村さんのは「結論」なのかもしれないけど
> ABOFANさんがあそこに掲げているのはあくまで「仮説」でしたよね。

 実質的には同じことかと思いますが…。

> 仮説ならば、「ABO式血液型と性格の関係は”確かに”ある」ではなく
> 「ABO式血液型と性格の関係はある」とすべきなのではないですか?

 はい、そう解釈していただいて結構です。

> あえて大村さんの名前を出しているのは、ABOFANさんの仮説を大村さんが代わりに検証してくれ
> たとでも思っているからかもしれませんが、

 そうではなく、最初に関係を認めていなかった人が“転向”して、関係を認めるようになったということですが…。つまり、私と同じ意見になったということです。

> ABOFANさんは自然科学における科学的検証法について(あくまで自然科学ですよ)、きちんと指導を
> 受けましたか?あるいは系統だった勉強をされましたか?

 きちんとかどうかはともかく(苦笑)、一応の基礎は理解しているつもりです。

メール(その3) H17.5.20 23:55

たびたび短文の返信どうもありがとうございます。
確かに、多くを語らない方がボロが出にくいとは思いますが、それでも隠し切れない理解の浅さが、なんだか見ていてせつないです。

>> だ・か・ら、大村さんのは「結論」なのかもしれないけど
>> ABOFANさんがあそこに掲げているのはあくまで「仮説」でしたよね。
>実質的には同じことかと思いますが…。

・「仮説」=こうではないのだろうかという予測を立てる
・「結論」=予測を確かめてみたらそうだった
この両者を「実質的に同じ」と捉えるABOFANさんのバックボーンはいったい何ですか?(「宝くじが当たるかもと思う」事と、「宝くじが当たった」事は実質的に同じ???)

>> 仮説ならば、「ABO式血液型と性格の関係は”確かに”ある」ではなく
>> 「ABO式血液型と性格の関係はある」とすべきなのではないですか?
> はい、そう解釈していただいて結構です。

残念ながら「解釈」云々で言い訳できるような話ではありません。
「仮説」とは、検証の必要があるもの(だから、“仮”の説なんですよね)。つまり、 「実際にそうであるか」保証が無いからこその仮説なんですよ。
そのために、その「仮説」が正しいか否か(実際にそうであるか否か)を、仮説に沿った検証で確認する必要があるわけで、その結果として、「仮説が正しいという確実性が高い」あるいは「仮説が正しい事を裏付ける結果では無かった」という『結論』を得るわけです。
 言葉を変えれば、「確か」だったらそれはもう仮説ではないわけです。

「(科学的方法論の)一応の基礎は理解しているつもり」なんて言っているABOFANさんに、基礎中の基礎である『仮説』のレクチャーの必要があるなんて、なんだか変ですが、仮説の中で『確かに』なんて強調表現をする事が、『解釈』云々の問題ではなく、『仮説』の持つ意味を覆すような大間違いである事、理解できたでしょうか。

 ついでに言えば、科学的という方法論においては、『仮説』は客観的な検証により評価されるわけですが、その『仮説』を立てた人が構成概念の定義を明確にしないと検証できません。
なのに「回答率の差は10〜20%であまり大きくはない」なんて漠然としたものを「仮説」とされても、客観的な検証をやりようが無い、と言うことも批評しました(詳細は一通目のメール)。さらには、そのように「客観的な検証をやりようが無い」仮説のはずなのに、「さらに、データの再現性がはっきりしました。」とあたかも結論が得られたような謎の発言が付随しているのも非常に謎でした。ついでに、ABOFANさんの「再現性」の解釈がおかしいのでは?、とも指摘しました。
 しかし、このあたりは完全スルーでしたね。
 答えようにも答えられない?いや、モチロン、ABOFANさんには他からも多くのメールが寄せられているわけですから、私の問いに全て答えるべきだなんて身勝手な要求はしませんけどね。あ、でも、こういう時は「再現性の解釈についてつっこんだところ、何故かABOFANさんは黙ってしまいました(^^;;)」って、お得意のフレーズを拝借してもいいのカナ?

 まぁ、嫌味はともかく、重箱のスミをつつくような話を長々としてみましたが(でも、全体的な話をしようとしても、どうせ「それは何を指しているのか具体的に指摘していただかないと、答えられません」なんて言うんでしょ?)、ほんのこれっぽっちの部分を見ただけでも、ABOFANさんが言っていることと「科学的」の間の大きな温度差が見て取れるのは、かなり深刻ですね。

ABOFANさんの立てた『仮説』なるものを見ていると、(仮説に『確かに』を入れてしまう間違いは、科学的か否かというよりは日本語の理解と用法の問題と言えますが)、ABOFANさん流の『仮説』は科学的とは違うものと感じられました。

 ABOFANさんの血液型に対するアプローチは、科学的と言うよりもむしろ歴史・文学研究的方法に近いと思われます。『歴史・文学』の批評・推測に使われる方法論を思い浮かべていただければ結構です。
歴史や文学の研究においては、過去の人が残した書物等のデータを観察する対象とします、その中から任意に情報を取捨選択し、そのピックアップした情報から対象像を再構築し、『可能性』の範囲で「仮説」を立てます。
ここまでは科学と一緒ですが、「歴史・文学研究的方法」においては、『正解』というのが基本的にありません(歴史の正解はタイムマシンでもなければ分からないし、文学に至っては正解があるかどうかも疑わしいですね)。また、すでに起こった事が研究対象なのですから、「仮説の予測力」は必要なく、単に「妥当性の高い推測」のみが求められるわけです。
よって、仮説はある意味『結論』として扱われ、その評価は仮説が「事実か否か」ではなく、「書物の解釈としてつじつまがあっているか」でおこなわれます(一方、科学においては、『仮説』の評価はそれに沿って改めて取った客観的なデータにより、「事実か否か」を評価して初めて科学的と言えます)。

どうです?ABOFANのHPでやっている事というのは、「歴史・文学の研究的方法」に酷似していませんか(統計や科学の文献を使いさえすれば「科学的」になるわけではありませんよ)。
となると、ABOFANさんがしきりに“理系”を自称しますが、やっている事はいわゆる文系(そもそも“理系”とか“文系”の区別に意味があるとは思えませんが)に属する学問の方法の範疇を出ていないという皮肉な事になりますね。
少なくとも、ABOFANさんがたびたび自称する“理系”というキャッチフレーズは、「科学的方法論を尊重する」ということを意味するわけでは無いのでしょう。

正直なところ、そんな人が「(科学的方法論の)一応の基礎は理解しているつもり」と言っていても、『思うのは勝手だけどね』って感じですね...
モチロン、本当は理解しているけど、あえてHP上の血液型の話に関しては、無知なフリをしている可能性も無いとは言えませんケド。でも、「歴史・文学研究的方法」でのアプローチしかしていないにもかかわらず、「科学的」と喧伝するのもどうなのかな、と思います。

色々言ってまいりましたが、「仮説」レクチャーはこのぐらいでいいでしょうか?
ということで「仮説」ネタと「再現性」ネタのABOFANさんの食いつきが悪いようなら(さらにヘンテコな言い訳をして傷口をあえて広げるつもりがないなら)、この話はこの辺で終わってあげますが、どうしましょうか?

長文のメールをありがとうございます。

> 言葉を変えれば、「確か」だったらそれはもう仮説ではないわけです。

 ???

 厳密に言うと、「確か」である科学的理論なんてどこにもないでしょう。科学的に正しいとされている理論は、まだ間違っていることが証明されていない「仮説」ですが…。

 従って、科学的には「確かな結論」はないはずです。

 なお、メールのやりとりは、終わっていただいても続けていただいても結構です。

メール(その4) H17.5.26 22:42

またまた短い返信ありがとうございます。

もしかしたら、「Jさんのページ」でもできちゃうかしら、ってちょっと期待してたけど、ABOFANさんからまともな反論が返ってこない現状では、「議論」のページにはなりませんね(おかげで、自分の投稿を探すのが大変!)。
まぁ、血液型に関する直接的な話でないから、と言われればそれまでですけど、「科学的」を標榜している人の「科学的」の認識に対する批評なんですから、ひいてはABOFANさんの血液型への“科学的アプローチ”なるものがまっとうかという根本に迫る内容で、大切な議論とは思うんですけどねぇ。
 まぁ、その辺の判断は主催者の裁量なんで、ぼやく以外にありませんが。

という前置きはさておき、今回の返信は正直短いくせにおかしなとこてんこ盛りでしたね。
まず、あらかじめ述べておきますが、私は「科学理論は確かだ」と主張しているわけでもないし、私の批評の主なテーマはABOFANさんの“仮説”のおかしさに絞ってお話をしてきたわけで、「科学的理論は確かなのか」という話なんてしていなかったはずです。
なのに、ここでABOFANさんが『科学的には「確かな結論」はない』云々を述べている事に非常に違和感を感じます。
もしかすると、『「確か」だったらそれはもう仮説ではない』という一文から“誤った”推論法〔「Aはxではない」かつ「BはAではない」よって「Bはxである」〕により、『(仮説で無い)結論は「確か」だ』と言っていると解釈してしまっているとすれば、それは非論理的です。

では、仮に「Jは、“結論”を『確か』と思っているかどうなのか」と聞かれた場合どう答えるかというと、2つの見地から2つの答えが導き出す事になります。
まず、『確か=信頼性の高さ』とするならば、少なくとも科学で規定された水準での検証をパスしたものは、『科学的』というカテゴリー内では『確か』であると言えます。これは、科学的方法論の枠組み内部での考え方となります。
一方、『科学的というカテゴリー内では『確か』である、というのは100%(絶対真理)なのか』、つまり科学的方法論を対象としたメタレベルの立場で考えるならば、現在、科学で支持されている理論というのは、いわば「暫定王者」であり、未来永劫正しくあることを保障されたものではないという事は事実ですので、『100%(絶対真理)ではない』と答える事になります。
ということで、『確か=100%』という定義の上で、メタレベルの論議をするならば、ABOFANさんの『「確か」である科学的理論なんてどこにもない』には同意できます。ただし、それまでの話題が科学的方法論上の話だったか、それとも科学的方法論をメタレベルで論じていたのかで答えるべき答えが変わるという事は忘れてはなりません。モチロン、「科学的方法論」の意味を正しく理解するのにメタレベルで考えるのは有効ですが、ABOFANさんが「言い分」として今回メタレベルの話題を持ち出したのは、(「神秘主義者」の多くがそうであるように)「科学的方法論」の理解を“投げ出す”ための極論を提示しているだけに思えます。
そもそも、本来のテーマは、ABOFANさんの「仮説」の考え方が科学的というカテゴリーにおける「仮説」という概念になじまない、ということだったはずなのに、突然メタレベルの主張が出てくるのがどうにも解せません。
「正しい科学的方法論なのか」と「科学的方法論は正しいか」では、議論のベクトルが全く違いますよね。これでは単なる『話題のすり替え』でしかありませんね。

ちなみに、以降の段落の文章はあいまいすぎるので(表現がコロコロ変わり、何と何が対応しているのか不明瞭。これが理系の文章ですか?)あえて解釈も批判もしませんが、対象レベルとメタレベルが混同してしまっている印象を受けました。もし、メタレベルでの議論がどうしてもしたいというのであれば深く掘り下げ述べてあげても結構ですが…。

で、『単なる話題のすり替えだ!』で終わってもいいのですが、面白い事が判明しましたので、もう少し話を続けます。

『科学的理論は「確か」ではない』というABOFANさんの主張を認めるとするならば(こちらはメタレベルの観点で認めるのにやぶさかではないですが)、ABOFANさんにとって非常に不利であり、矛盾まで生じてしまうのですが、大丈夫でしょうか?

第一に、『科学的理論は「確か」ではない』のならば、理論を導くために立てた“仮説”なんてものはますます「確か」ではない事になります(当然ですよね)。つまり、『科学的結論は「確か」ではないなら、仮説はもっと「確か」ではない』事になります。となれば、やっぱりABOFANさんが仮説に「確かに」を付けるのはおかしい事になります。
もしかして、自分が間違っていた事を認めるために、この発言をしたのかしら?

第二に、『仮説は確かではない』が成り立つなら、その対偶つまり『確かなものは仮説ではない』が成り立つわけですが、この対偶、どこかで聞いた事ありませんか?そう、私が言った『「確か」だったらそれはもう仮説ではない』と同じです。つまり、今回ABOFANさんが言った『科学的結論は「確か」ではない』と言う主張と、私の『「確か」だったらそれはもう仮説ではない』と言う主張の間には何ら矛盾は無いのです。
しかし、ABOFANさんは私の『「確か」だったらそれはもう仮説ではない』という一文を引用して、わざわざクエスチョンを付けています。ABOFANさんの意見と矛盾しないのに、何故クエスチョンをつけたのか方がクエスチョンであると言える、論理構造的な矛盾が発生しているのです。

総評して言えば、今回のABOFANさんのコメントは、私の意見に反論しているのか、自分の主張を擁護しているのか、逆に自分の間違いを認めているのか、それとも全く関係ない話をしているのか、よくわからない上に、論理的にも崩壊したものでしたね。

今回のABOFANさんの発言のような内容は、『科学絶対主義』みたいな立場の人には有効な反論となる定型文みたいなものです(ただ、ABOFANさんのそれは、まるで単なる聞きかじりで言っているような内容の曖昧さが見て取れますが)。しかし、内容と相手を吟味せず生半可な理解のまま振り回すと墓穴を掘ってしまういい例でした。

>メールのやりとりは、終わっていただいても続けていただいても結構です。
あれあれ、私は「この話はこの辺で終わってあげますが」とは言いましたが、「メールのやりとりを終わる」とは言ってませんよ。だって、他にもネタはあるんだもの。
なんだか答えに窮したABOFANさんが、都合が悪い私の存在を早く消したそうに見えて嫌だなぁ。

そもそも、実際はABOFANさんのまともな反応が無いわけですから「メールのやりとり」としては既に終わっちゃっていますよね。その、事実上終わらせている張本人が「終わっていただいても続けていただいても結構です。」とこちらの裁量にまかせようとしても困ってしまいます。
ABOFANさんがきちんと反論したいのであれば話を続けるし、理由はどうあれ、ABOFANさんが「黙ってしまう」のならば、話を変えて、別のおかしな部分を突き崩してあげるだけです。
ですから、お聞きしたいのは、ABOFANさんが「やりとり」と言うに足る意味のある反論なり同意・訂正を本件について提示する事ができるのか、できないのか、するのか、しないのかって事ですね。
どうしたものでしょう

毎回長文のメールをありがとうございます。 ご要望ですので、このページをオープンしました。

> そもそも、本来のテーマは、ABOFANさんの「仮説」の考え方が科学的というカテゴリーにおける「仮説」
> という概念になじまない、ということだったはずなのに、

 誤解があるようですので、再度ここで確認させていただきます。

 私の論理は、基本的には性格心理学によるものです。つまり、性格心理学によって「血液型と性格は関係ある」と結論付けられるデータを示しているだけです(詳しくはこちら)。従って、「仮説」云々の話になるなら、性格心理学がおかしいのであって、私とは直接の関係があるはずがありません。

#つまり、私の論理が間違っているということなら、具体的なデータなり私の分析方法に対して反論することになるはずです…。

> ですから、お聞きしたいのは、ABOFANさんが「やりとり」と言うに足る意味のある反論なり同意・訂正を
> 本件について提示する事ができるのか、できないのか、するのか、しないのかって事ですね。

 ですから、単に議論の前提が違っているだけだと思いますが、違うのでしょうか?

 そういえば、No.1049のJさんには過去にもメールをいただいたような感じもしますが、気のせいなのでしょうね。たぶん。

メール(その5) H17.6.20 22:58

まずは、ページを作ってくださりありがとうございます。
あと、せっかく作っていただいたのに、追加投稿が遅くなってごめんなさい。
実は、前回のABOFANさんのからのコメントは、遠くない将来私が本題にしようとしていたテーマにかかわる話でした。
本来の予定としては段階的に話を進めて最終的にそこにいくつもりだったのですが、いきなり核心の話をしなくてはならなくなってしまったので、ちょっとまとめる時間が必要になってしまったのです。

まず、そのテーマに入る前に中国の故事をひとつ紹介します。

ある美人な女性がいて、彼女の憂いをおびた表情がこれまた評判になりました。それを聞いた不美人な女性達が、異性の歓心を得るためこぞってその表情をまねしようとしました。でも、ただでさえ不美人なのにしかめっつらをしているものだから、ますます男性が寄ってこなくなったそうです。

ここからは私のつけたしですが、何が本質的に必要なのかを知らず、ただ自分の思い込みだけで「同じはずだ」と思い込み、かえって醜くなってしまった彼女らについて、皆さんはどうお感じになるでしょう?そして仮に、この不美人達がそういった自分の失敗について「私達は(美人な)彼女の真似をしているはずだから、もしもてないとしたら(美人な)彼女のせいだ」と言い始めたら...。


本題です。前回のメールでABOFANさんは『私の論理は、基本的には性格心理学によるものです。つまり、性格心理学によって「血液型と性格は関係ある」と結論付けられるデータを示しているだけです。従って、「仮説」云々の話になるなら、性格心理学がおかしいのであって、私とは直接の関係があるはずがありません。』とおっしゃりました。
しかし、結論から先に申し上げますと、それは単なるABOFANさんの事実誤認です。
「何を証拠に!」とお思いでしょうが、ABOFANさんはついぞ気付かなかったようですが、私の1〜3通目のメールこそ「事実誤認を示す根拠」の一例でした。

「性格心理学(人格心理学?)」を含め、心理学(ちなみに、ここでは心理学と精神分析やカウンセリング技法は分けて考えます)のバックボーンは基本的に「科学性の担保」です。モチロン、心理学の科学性について色々な批判もあるのも承知していますが、「腐っても鯛」として扱うべきでしょう。何故なら、最初から科学性を放棄した学問体系なのであれば、「科学性」について批判されるはずもないからです。
このあたりは、ABOFANさんもご同意いただけるかと思います。
となると、「心理学」の方法論なりを踏襲するには(そして、もしも批判するにしても)、「科学的方法論」について十分理解している事が必要なのは当然でしょう。でないと、「なんでそうすべきか」「どこに着目すべきか」が分からないまま、見当違いの”猿真似”をする危険性が大だからです。

ですから、本当に「心理学」と同じようにやるには、表層的に他の心理学者の研究方法を自分勝手に“解釈”するだけではダメです。まずバックボーンにある「科学的方法論」を正しく理解したうえで、「心理学」は「科学的方法論」を充足させようとどう工夫しているか、という観点で理解しなくてはなりません。
逆に言えば、いくら当人が「心理学」と同じと思い込もうとも、その方法が「科学的方法論」に外れていれば、それが単なる思い違いである事を示す証拠となります。

私の1〜3通目のメールは、「科学的方法論」において重視すべき「仮説検証法」の考え方や、「論理性」に関するABOFANさんの欠陥、つまり、ABOFANさん自身が「科学的方法論」を(おそらくは)正しくは理解していないあるいは運用していない事を指摘したつもりでした。

そんな事を言われているというのに、満足な反論もできないまま平気で『私の論理は、基本的には性格心理学によるもの』と言い切っちゃうんですから、やっぱり「性格心理学」の方法論の根源について理解してないんだなと思う外にありません。はては、自分の解釈上の勘違いを「性格心理学がおかしいのであって、私とは直接の関係があるはずがありません。」とまで言い張るに到っては、呆れるほかありません。

むしろ、「性格心理学」の前提なり方法論なりを正しく理解していないからこそ、「性格心理学」と違う事をしていても平気で「性格心理学と同じ」と言い張り、さらには自分の誤りすら「性格心理学」のせいにしてしまうといった暴挙が可能になるのでしょう。
この悪循環は果たして断ち切れるのでしょうか?

ABOFANさんは多分、独学で勉強した量は多いのでしょうが、肝心なバックボーンがしっかりしていないからこそ(あるいは工学分野という統制レベルの高い分野でのみ成立する科学性を、人間という統制が困難な分野にも同様に適用可能と誤解しているのかも)自分の都合のいいような解釈に流れてしまい、ちゃんと理解できていない、という私の予想は外れているでしょうか?

 同様の問題点は最近のNo.1074 B型男性のこもすけさんも
>(心理学者から)「何も分かっていない」と評価されているABOFANさんが、
>(ABOFANさん自身の評価によれば)「良く分かっていない」心理学者の言説を根拠に、
>(心理学は専門外のruruさんを相手にして)「あなたの間違いの原因は心理学への理解不足
>にある。心理学の入門書でも読んでください。」と言っておられるわけです。極めて興味深い
>構造ですね。
と言っている背景には、私と同じ疑念があると考えられます。こもすけ氏の言葉を借りれば
(心理学者から)「何も分かっていない」と評価されているABOFANさんが、
「私の論理は、基本的には性格心理学による」と主張しているわけですから、
この両者の矛盾をどう解消しているのか、その思考も極めて興味深い構造と言えるでしょう。
(もしかして、「行動心理学者は認めてくれないが、性格心理学者は認めてくれるはず」とでも解釈しているのでしょうか?)

さて、具体的な話を簡潔にしていきましょう
ABOFANさんは性格心理学で「血液型と性格は関係ある」と結論付けられるようなデータを示していると自称していますが、果たして本当にそうでしょうか?
むろん全ての性格心理学の研究がそうであるとは言いませんが、基本的には仮説検証法、つまり仮説を立て、その仮説に沿って実験計画とその結果の予測を立て、新たなデータを取って予測と照らし合わせる事により仮説を検証するというプロセスを経て結論を導いているはずです。
しかし、ABOFANさんは他人のデータを“引用”し都合のいい「解釈」は示して仮説を立ててはいるけど、その仮説に基づいた実験計画によって検証を行っているわけではないですよね(まぁ、仮説検証法の検証の意味合いをよく理解していなければ、自分がきちんとした検証をしていない事すら気付かないとは思いますが...)。
となると実際問題として性格心理学で「血液型と性格は関係ある」と結論付けられるような成果をABOFANさんが提出しているわけではありません。

 こういう事を言うと、「でも○○という研究者は自分でデータを取らずに結論を出している」って絶対言いそうですね。
 でも、ちょっと待って。それを根拠に自分が『性格心理学で認められるはずの方法でやっている』と主張するには、その例示した研究が性格心理学全体の中でどういう位置づけなのか、学部生レベルの稚拙な研究なのか、素人の手慰みか、科学的な結論として支持されているのか、未検証の仮説として述べているだけか、単に調査結果を示しただけか、読者へのリップサービスなのか、単に肩書きが「性格心理学者」の人の研究なのか、「性格(人格)心理学」という分野に即した研究なのかetc...こういった事をきちんと判断した上で「だから性格心理学と同じ」と言っているのでしょうか。
ついでに最も重要なのは、そもそもABOFANさんはそういった違いをきちんと判断できる程度の科学に対する理解があるのか、妥当な解釈ができているかが示せる必要があるでしょう。

これって面倒とは思いますよ。でもABOFANさんはあくまで『性格心理学』という狭い分野での方法論を踏襲していると言い張っているんだから、それを示すのにそれぐらいできなければお話になりませんよね。
正直なところ、そんな自分でも正確に把握できるか明示できないような「性格心理学と同じ論理である事」を自己の正当性として示すよりも、もっとシンプルに「性格心理学がどうだろうが、自分は科学的という基準で検証している」と言った方が基準が明確になると思いますが、何故そうしないんでしょう???(まぁ、そう言うためには『科学的』と言う事に関する理解をもっともっと深める必要がABOFANさんにはありそうですが....)。

そもそも、ABOFANさんの仮説のように、「確かにある」といった結論めいた表現をしたり、数値は具体的なのに対象が不明瞭なものを提示する、といった私が指摘した過ちは、性格心理学研究を真似したせいとおっしゃるならば。つまり、性格心理学でも同様の誤りを犯しているって事になりますよね。しかし、そんな事少なくとも私が知る限りは知りませんよ。
自分の責任を逃れ、他者に責任転嫁したいのであれば、少なくとも、同様の過ちを犯している性格心理学のそういった研究事例を明示し、しかもそれが「性格心理学」の研究法のスタンダードである事を示す必要があるでしょうね(おっと、多分こう言うと、ABOFANさんが証拠と“思い込んでいる”ものを引用してくると思いますが、その前に、さっき私が述べたような『それが性格心理学でのスタンダードである根拠』を示してね)。
もちろん、「そんなこといちいちする義務は無い」と言われればそれまでですが、となれば「ABOFANさんは根拠無く自分のミスを他人のせいにしている」と言われても仕方が無いということになりますね。

具体的なデータに対する反論って表現もなんだかなぁ...。
データはデータ、それに何を反論するの?「なんでお前はこんなデータになったんだ!」とか「このデータはでっち上げだ!」とでも言えって事?問題なのは、データの扱いの適正さでしょ。
なんだかこの辺にも、科学的方法論とかを理解せず、データをいじる事“だけ”しかできないデータ至上主義の薄っぺらさを感じてしまうのは私の勘ぐり過ぎでしょうか?
分析方法に対しての反論?山ほどあるけど、他の人が十分やっていまからね。ただ、見ていると、適切な反論なのにABOFANさんが間違いを認識できていないと見てますよ。
馬の耳に念仏では、議論が成り立たちません。
 というか、ABOFANさんの論理の間違いを指摘するのに、なんでストレートにそれを指摘していけないのか、その考え方の方が理解不明です。単にそれは、自分の最も苦手なウイークポイントから話題をそらしたいという利己的な理由からの要求ではないでしょうか。

>そういえば、No.1049のJさんには過去にもメールをいただいたような感じもしますが、
>気のせいなのでしょうね。たぶん。
あ、お得意の“話題とは関係ない揺さぶり”をかけてきましたね。どういう意図でしょう?
いったい誰と重ね合わせようとしているのか楽しみです。


ということで、ABOFANさん以外の方にも問題の所在が分かるようずらずら書いてみました。
まとめると、ABOFANさんは、「科学的方法論」の妥当性は関係無いといったスタンスを暗に取りつつ「性格心理学と同じ論理」でやるという、分かる人間から見れば非常に矛盾した事を、自己の正当性として述べ、そして当人はその矛盾に全く気付かないで、自分の歪んだ解釈を「性格心理学」のせいにするという域まで達していると捉えざるを得ません。

 正直なところ、ここまできたらABOFANさんも後には引けず、どんどん道を外れていく可能性も大です。面倒なのはその道の踏み外し方が一筋縄ではいかず、複数の間違いが複雑に絡み合っているところでしょうか?
ほんの少しの踏み外しであれば、そこを指摘すればいいのでしょうが、ある意味何もかもおかしいとなると、そうしている人に正しく理解させるために、まず何から指摘していいのか難しいですね。て大枠で間違いを指摘しても「具体性が無い」と突っぱねられ、部分的に間違いを指摘してもダブルスタンダードを持ち出してうやむやにしようとする、非常にやっかいな病巣です。

 そういった部分をひとつひとつ丁寧に解き明かせれば面白いと思います。
(よろしければ)今後もがんばりますね。

 ただ、本来膨大になるべき文章をかなり端折って説明したので、説明が不十分な点もあるとは思います。むろん、私の方の事実誤認で、ABOFANさんは「科学的方法論」をキチンと理解していると言うことも、もしかしたらあるやもしれません。それと、つれづれなるままに文章書いてますから、書き間違いもあるかもしれません。
そんな、ご不明の点、反論、ご指摘等ありましたら遠慮なく言ってください(あんまり無口にならずにね)。そうしていただければ、部分的になるべく細かく説明していくつもりです(私は、「相互主義に基づきABOFANさんが私の質問に回答するまで、私への質問にはお答えしません」なんてチャチな時間稼ぎはいたしませんヨ)。
ただし、根拠の無いような主張を無理矢理押し付けようとしたりするのはかんべんしてね。

今回も長文のメールをありがとうございます。

 率直に申し上げて、具体的な指摘がないので反論しようがありません…。(T_T)

> 具体的なデータに対する反論って表現もなんだかなぁ...。
> データはデータ、それに何を反論するの?「なんでお前はこんなデータになったんだ!」とか
> 「このデータはでっち上げだ!」とでも言えって事?

 おっしゃるとおりです。分析がでっち上げでも、論理が無茶苦茶でも何でも結構です。

 どちらが科学的かとか正しいかということは、読者が決めればいいことで、自分たちで決めることではないと思います。

 とりあえずメールをそのま掲載しておきますのでご容赦ください。

メール(その6) H17.6.23 22:58

議論が進行中です(笑)

いやー、今までの議論のページでは異色じゃないかしら。
こんなに批判されてそれでも無口なABOFANさんはなかなか他では見れませんよ。

せめて、私が言っている事に対する素直な疑問でも言ってくだされば、
それはそれで説明してあげる張り合いがでるんですけどね。
だけど、おそらくプライドのお高いABOFANさんは、
自分が「答え(と思っているもの)」を既に知っている事についてしか
相手に質問しない癖があるようにお見受けするので、期待できないのかなぁ。

まぁ、どう対応しようとABOFANさんの勝手ですしね。
仕方が無いので相変わらず短いお返事からつついていきましょう。

> 率直に申し上げて、具体的な指摘がないので反論しようがありません…。(T_T)

前回、「反論が出せない」事を「反論をする必要が無い」とすり替えようとしてたから
「あなたは科学的でもないし、性格心理学と同じ事をしていない」
と言う事を極力“具体的に”説明したつもりなんですが...
というより、送ってから1時間ぐらいでの素早い返事はすごいけど
そんな短時間で私の長文メールを理解して返信するってのは無理なんでしょうね。

それに、1〜3通目は具体的に指摘してたはずだけど、ろくな反論しなかったですよね。
結局、具体的であろうがなかろうが、私からの批評には反論しないってことなのかな?
なら、具体的云々なんてつまらない言い訳をしないで初めからそう言えばいいのにぃ。
あ、もしかして『黙ってしまった』って言われたくないから言い訳しているの?
まぁ、『具体的な指摘が無い』ってフレーズは、ABOFANさんが反論したくない時の逃げ口上と受け取っておきますね。


>> 具体的なデータに対する反論って表現もなんだかなぁ...。
>> データはデータ、それに何を反論するの?「なんでお前はこんなデータになったんだ!」
>> とか「このデータはでっち上げだ!」とでも言えって事?
> おっしゃるとおりです。分析がでっち上げでも、論理が無茶苦茶でも何でも結構です。

「おっしゃるとおり」ですって!!
これを皮肉と受け取れないあたり、やっぱり薄っぺらなデータ至上主義だわ。
というより、やっぱり私のメールの文脈をろくに読み込んでない事が見え見え...(T_T) 
私は、「データそのものに対する反論」って言い回しがおかしいというニュアンスで言っているだけなのに。

そもそも、データっていうのは単に現象の断片しか無いわけで、
そんな断片から意味を見出そうとすると主観が入りやすいから、それを防ぐために『どういう方法で切り取ったか』、『どういう扱い』で『どういう論法に組み込まれているか』の方が重要なはずです。
統計を計算式だけで考えてはいけないんですよね。
多分一番肝心で、かつABOFANさんがキチンと理解していない部分が「検定」って何を目的にした行為なのかという所だと思われます。
検定は英語で「test」、意味はそのままです。テストはあらかじめ「解答」を作っておいて、「答案」は「解答」とすり合わせる事で評価しますよね。検定も同様です。
でも、ABOFANさんの「データいじり」っていうのは、まず「答案(データ)」があって、その答案を様々な角度で検討して、答案がいい得点になるような「解答」を後から作っているのようなものです。

No.1023さんへの返事でABOFANさんはこんな引用を挙げています
>親愛なる読者諸君、科学の発見の中から選り好みをし、私の尊大な気まぐれのままに、
>あるいは受け入れ、あるいは捨てる自由を認めさせてもらえるなら、
>諸君が証明したいことを何でも証明してお目にかけよう。
>−アイザック・アジモフ

なかなかいい言葉ですね。
しかし、ABOFANさんがこの言葉の持つ警告をちゃんと理解しているでしょうか?
何故なら統計だって同じ事なんです。

どのデータを使うか、そのデータのどの部分にどんな統計をかけるか、あるいは項目同士を加算したり、差を求めたり、無視したりする自由を認めるなら、証明したいことを何でも統計で証明してお目にかける事ができます。

だからこそ、検定も(計算方法のほかにもある)「適正な基準」に従っておこなわなくてはならないのです。果たして、ABOFANさんは、この「適正な基準」をご存知なのでしょうか?

もし、ご存知であれば、それが『科学的方法論』と切っても切れない関係にあるのは理解しているはずです。となると、『具体的なデータなり私の分析方法に対して反論』よりも、『科学的方法論』の理解の程度についての批判の方こそ放置しておけない問題指摘である事は分かるはずです。

もし、ご存知でないというのであれば、このセリフをNo.1023さんの代わりにお返しします。
『検定の「適正な基準」をABOFANさんが恣意的に決められるというなら、それは理系...いや、統計の議論とは思えません。』

〜〜余談〜〜
人には「具体的」としきりに要求するABOFANさんが、『理系』っていう極めてあいまいな表現を好んで使うのが不思議です。
実際『理系』って言ってもいろいろいますし(深刻なオカルトさんには「工学博士」の肩書きを持つ人がけっこういますよね)、論理学は哲学つまり『文系』分野になります。
正直なところ理系だ文系だなんて騒ぐのは、高校生の大学受験。それも、思考傾向が云々って高尚な問題ではなく、数学が得意か国語が得意か、社会が得意か理科系が得意かぐらいの話でしょう。

ではなぜABOFANさんがあえてそんなあやふやな『理系』って表現にこだわるのか(すがるのか)?その理由を考えて見ました。
それは、自分が『科学的』である自信は無いけども、『科学的』と他人には思わせたい、という葛藤により逃げ道の多い表現に走っているだけではないのかなということです。
もうひとつは、科学でない人だからこそ持つ「科学への憧れ」のため、なんとか共通項を探そうとする行為の現われ。つまり、例えば何の取りえも無い人が「オレ、芸能人の○○と同じ出身高校なんだぜ」と威張るのと同じくらいの意味の薄い虚勢、って事ですかね。

ああ、あんまりABOFANさんが冷たいから、暇つぶしに心理分析しちゃった。
〜〜余談終〜〜

>どちらが科学的かとか正しいかということは、読者が決めればいいことで、
>自分たちで決めることではないと思います。

なんだかなぁ。
ちゃんと科学を理解して、かつちゃんと科学的にやっている人は決して言わないセリフですね。
えっと、あの、ここでは科学的か否かって科学の基準に照らし合わせるんじゃなくて、『読者』が決めるんですね。はぁそうですか。これも“理系的”考え方なんでしょうか???

それに、こんな事を言うって事は
ABOFANさん自身も、自分がやっている事が科学的であるか分かっていないって事ですね。
ほぉ、ついに白状しましたね。偉い偉い

で、そもそも私も『読者』なわけですから、私が『決めて』もいいわけですよね。

では遠慮なく。
『科学』という考え方に照らし合わせた上での事実として、
ABOFANさんはちっとも科学的ではありません。

ハイ、決まりました。
では、今後はその前提で、科学の素人にも分かりやすく具体的に懇切丁寧に
話をすすめていきたいと思います。
その方がいいでしょ。

まずは、手垢がつきまくった統計の話かな?

今回も長文のメールをありがとうございます。

 正直、今回のメールにも反論しようがありません。(^^;;

#個人の印象には反論できませんから…。

 それでも申し訳ないので、少し感想を書いておきます。

> 深刻なオカルトさんには「工学博士」の肩書きを持つ人がけっこういますよ

 理系の人間は、実際に現象が(仮にインチキでも)観測されてしまうと信じてしまうことが多いようです。特に、超能力などのオカルトを頭から否定していた人に多いと言われています。ファンダメンタリストの否定論者が極端なオカルト信者になってしまうことは、決して珍しいことではありません。

 オ○ム真理教などが典型で、信者には優秀な理系の人間も多かったようです。

 もっとも、私のようなサイトを読んで、いろいろな見方があることを理解した人ならそんなことはないと思いますが(笑)。

>>どちらが科学的かとか正しいかということは、読者が決めればいいことで、
>>自分たちで決めることではないと思います。

>なんだかなぁ。
>ちゃんと科学を理解して、かつちゃんと科学的にやっている人は決して言わないセリフですね。
>えっと、あの、ここでは科学的か否かって科学の基準に照らし合わせるんじゃなくて、『読者』が決めるんですね。はぁそうですか。
>これも“理系的”考え方なんでしょうか???

 たぶん、理系とはあまり関係ないと思います(笑)。

> で、そもそも私も『読者』なわけですから、私が『決めて』もいいわけですよね。

 いえ、Jさんは「当事者」ですから「読者」ではありません(笑)。

メール(その7) H17.6.25 0:55

今回の返信はなかなか面白かったので、それについて。

>正直、今回のメールにも反論しようがありません。(^^;;
>#個人の印象には反論できませんから…。

はいはい。例の逃げ口上のバリエーションですね。
具体的の次は個人的印象ですか。
次回あたりは、「いちいち相手にする義務は無い」
「私はそうではないと思いますが、説明すると長いのでもういいです」あたりかな

まぁね、私の話のどっからどこまでを「個人の印象」と扱いたいのか知りませんが、それが本当に個人的意見なのか事実なのか検討するという考えは「理系」には備わっていないのでしょうか?

実は、「読者が決める」ネタを使おうと思った時、ABOFANさんは必ず「個人的意見」あるいは「主観的判断」って切り返しをするだろうなーと思って(いわゆる「想定の範囲内」という奴です)
最後の方のコメントは、あえてそういうツッコミを入れさせないように

>『科学』という考え方に照らし合わせた上での事実として、
>ABOFANさんはちっとも科学的ではありません。

とあえて「事実」と表現しておいたんですよ。
でも、そういった深い裏読みも、きちんと読めてない人には無駄でしたねぇ

私は今まである程度、科学の原則に則って批判し、その根拠も説明してきたつもりです。
もちろんそれを、「事実」ではなく、それはJ個人の印象だ、とお考えなのかもしれませんが、その考えこそABOFANさんの個人の印象じゃないのか考えてみませんか?

そうでないとどうしても言いたいならば、私が具体的に指摘してきた、様々な「科学的・論理的ではない」と批評した点について
「それは事実誤認で、私は科学的(論理的)である。何故なら....」あるいは
「Jさんの理解する科学の原則の方がおかしい。何故なら...」
って反論できなければおかしいのでは?

それとも、自分に都合の悪い意見や、反論できるほどの知識が無いものは、みんな「個人の印象」や「具体的でない」で片付けちゃおうとしてます?
便利なことですね。それが理系の議論ってやつなのかな。

> それでも申し訳ないので、少し感想を書いておきます。

お気遣いありがとうございます。感謝感謝(本気で嬉しい)
せっかくですから、話題にを広げましょう。

>>深刻なオカルトさんには「工学博士」の肩書きを持つ人がけっこういますよ
>理系の人間は、実際に現象が(仮にインチキでも)観測されてしまうと信じてしまうことが多いようです。

実際には、どんなインチキでも現象は現象で「ひとつの事実」な訳で、問題は、その事実を客観的に見つめられない事。つまり、観測結果に対し、主観的に下した理由付けに引っ張られやすい事でしょうかね。
(まぁ、それは理系文系関係ない人間が陥りやすい過ちですが)

「スプーンが曲がった」という現象はあくまでも事実。
ただし、曲げた方法は、実際にはインチキの可能性がであるにもかかわらず、そのあたりの検証はすっ飛ばして、超能力って可能性に引っ張られ、不利な証拠はなんだかんだ理由をつけて却下し(観察者効果とかね)、「超能力説」に有利(と自分では思っている)証拠だけあげつらって、それをして「超能力は事実だ」と証明したと勘違いしてしまう工学のセンセイがいたりします。

これは今だ推測の域を出ないのですが、
理系と言うよりも「工学」系の人にそのような傾向がある(ように私には見える)のは、工学の人は客観的事実の追及よりも「夢」にかける傾向があるのではないのかなぁと。

「スプーン曲げがインチキか超能力か」という判断を下す事には興味が無く
「スプーン曲げが超能力だったら素晴らしい」という夢を選択してまう、って感じで。

いや、これは工学批判ではなく、そうだからこそ、不可能と思われる事を短期間で可能にして、今の我々の暮らしを豊かにする素晴らしい製品の数々が生れてきたのだとも思います。

ただし、気をつけなくてはいけないのは、そういう思考パターンは
「当たっていればショートカット、外れていれば永遠に堂堂巡り」って事ですね。
「信じていれば必ず適う」わけではなく「信じていても大間違い」って事もあるって事です。
(輝かしい功績は目立ちますが、実際にはその影に無駄な失敗例が何十倍も隠れているでしょう)

物理学者ファインマンは、巷で「科学」と呼ばれている(思われている)ものを以下の3つに分けています。
1 ものごとを突き止めるための、特殊な方法
2 いままで突き止めたことを積み重ねた知識の集成
3 何かを突き止めた結果できるようになる新しいこと、あるいはその新しいことの実行そのもの

2番はいわゆる教科書などで紹介される科学的知識
1番は科学的知識を作り出す科学的方法論
3番は科学的知識の応用である科学技術
になります。

工学系の人のお家芸はまさに3番の「科学技術」であり、
そのために必要としているのは2番の「科学的知識」ですが、
ではそれを生み出した1番の「科学的方法論」についてはというと、
あまり関心が無い(必要が無い)のが実情ではないでしょうか?

いわば、おいしいステーキを作る人にとっておいしい牛肉は必要だけど、おいしい牛肉の牛を育てる方法を知る必要が無いのと同じです。

となると「関心が無い」ために科学的方法論には無知である事も十分ありえるのではないでしょうか。

まぁ、この予測については単なる「個人的意見」なんですけどね

でも、工学博士が熱弁を振るうトンデモ本を読んだりすると、工学の権威と言われる人でも、科学的方法論の疎さが見て取れる事は多いですよ。

で、このHPを見る限りにおいては、まさに「科学的知識」は豊富で、そこから応用的な考え方への発展というのもなかなかの出来ですが
「じゃぁ果たして本当に血液型と性格の関係はあるのか無いのか」
という「客観的な判断」が必要な箇所、つまり科学的方法論をちゃんと効かさなければならない部分がダメダメ、
といった「(私の思う)工学系」なテイストがプンプン香ります。
(今までのメールでの批判はその氷山の一角です)。

そう言えば、私の一通目のメールで
>よくABOFANさんは自分を”理系”と称しますが、もしかして工学とか数学とかの分野の人で、
>科学分野、というか科学的検証法についてはド素人なんですか?
と予測をしておりましたが、私のメールその3の返事で論理性の欠如が露見したところから見ると
数学系というよりかは、工学系じゃないですか?当たってます?

> もっとも、私のようなサイトを読んで、いろいろな見方があることを理解した人ならそんなことはな
>いと思いますが(笑)。

まぁ、「主催者が典型的な反面教師」と言われないように、
ABOFANさんもしっかり客観的な見方や科学的方法論を理解しましょうね(笑)。

>>で、そもそも私も『読者』なわけですから、私が『決めて』もいいわけですよね。
>いえ、Jさんは「当事者」ですから「読者」ではありません(笑)。

あはは、苦しい苦しい。
自分から「読者が決める」って言っておいて、いざ決められちゃうと「当事者」だからダメですか。

私はれっきとした「読者」ですよね。
まぁ、少なからず投稿をしているわけですから、この議論(?)においては確かに『当事者』なのかもしれませんが、それも『読者』の観点から参加しているわけです。
ですから、あえて「当事者」という言葉を使うとしても、私は『読者かつ当事者』であるというのが事実でしょう。この2つは重複可能です。
それを、「当事者」であるから「読者」ではない、なんて無茶苦茶な論理を振り回すABOFANさん....
また、論理性の欠如を暴露してしまったようですね(笑)。

お得意の辞書引用でもしますか?
『読者【どくしゃ】 その対象を読んでいる人物。ただし、それを読んだ上で議論している者は決して含まれない』
とでも書いてある辞書を見つけたらぜひとも教えてね。

ABOFANさんの悪い所はここなんですね。
ruruさんが指摘された「部分より全体に及ぼす誤り」も結構多いんですが
重複可能な要因を都合のいいように無理矢理一方のみの要因のみに決め付けるというのも、HP上でチラホラ見られます(具体例を挙げろというなら、とりあえず今回の『「当事者」であるから「読者」ではない』を挙げときますね)。
こういうのも、論理的思考とは言えません。それともこれが「理系的思考」?(←しつこい?)

「適正な基準」を恣意的に決められるというなら、それは理系の議論とは思えないんじゃなかったんですか。

という事で、支離滅裂な言い訳はあきらめて
自分が言い出した「読者が決める」という事を守って私の読者としての決定を快諾しますか?
それとも、「読者が決める」のはやめて、科学的方法論に沿っているか否かという観点でキッチリ決めますか?

私はどっちでも結構ですよ(というか、それが本来したかった事だし)。
ただ、そういうお話はどうやらABOFANさんは乗り気じゃ無いみたいだし(反応薄いし)
だったら、ABOFANさん自らが言及した『読者権限』を使わせてもらい「科学的ではない」という前提を決定した上で
面倒な科学談義は省かせてもらいますね(そのほうが楽だし)。

もし、それを「個人の印象」としたいなら、どうかその前に、
私の以前のメールで述べた批評に対し、論理的な反論でもしてからにしてくださいな。

さぁ、次はどんな議論(笑)に発展するのでしょうか?

今回は、質問(と思われる)部分にだけ回答します。ご了承ください。

>>>で、そもそも私も『読者』なわけですから、私が『決めて』もいいわけですよね。
>>いえ、Jさんは「当事者」ですから「読者」ではありません(笑)。

> あはは、苦しい苦しい。
> 自分から「読者が決める」って言っておいて、いざ決められちゃうと「当事者」だからダメですか。

> 私はれっきとした「読者」ですよね。

 私は、論争に関する第三者という意味で「読者」を使っているつもりです。従って、基本的にこのページ以外では「読者」になります。しかし、このページでは「当事者」です。よろしいでしょうか?

> 数学系というよりかは、工学系じゃないですか?当たってます?

 はい、出身は工学系です。ですから、半分は当たっているというところでしょうか。

#論理学の基礎は勉強しましたので念のため。

 なお、議論についてはこちらを参考にされてはいかがですか?

メール(その8) H17.8.11 1:48

前回も簡素なお返事ありがとうございます。
そして、相変わらずの短いお返事なのに、しっかりABOFANさんの論理性・整合性の欠如を表現していただいてありがとうございます。

ある意味凄い才能かも。ちょっぴり笑って、だいぶあきれてしまいました。
もしかして、私のために突っ込みどころをあえて作ってくださっているとか?

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まずは、前回のお返事へのお返事。

>私は、論争に関する第三者という意味で「読者」を使っているつもりです。
>従って、基本的にこのページ以外では「読者」になります。
>しかし、このページでは「当事者」です。よろしいでしょうか?

お得意の辞書引用は使わなかったところを見ると、この「読者」の意味が一般的でなく、ABOFANさんが“恣意的に決めた”事である自覚はあるんでしょうね。
そんな意味を私に押し付けようとするのは、『「基準」を恣意的に決めてしまうのは理系の論争とは言えない』という自分自身の主張と矛盾しませんか?

そもそもABOFANさんは『どちらが科学的かとか正しいかということは、読者が決めればいい』と言った事が発端ですけど、これって『自分(ABOFANさん)では自分が科学的とか正しいかとかいう事に対し論争するつもりはない』という意思表明に他なりませんよね。
ですから私は『読者』の立場で決めさせていただいたわけですが、すると今度は、「(Jは)『論争の当事者だから』を『読者』ではない」とおっしゃいました。

....ちょっと待ってください。
論争は普通一人ではできません。でも、ABOFANさんは『それについては読者が決めればいい』と論争を放棄しているとなると、『ABOFANさんが科学的か否か』と言う事についての、私の論争の相手は誰なんでしょう???

もし、私を『論争の当事者』にしたいなら、『どちらが科学的かとか正しいかということは、読者が決めればいい』という当初の主張を撤回して、『どちらが科学的か』について実際に私と論争する必要があります(メール(その7)でも言いましたが、私はそれでいいです)。
でも、当初の主張どおり『どちらが科学的か』についての論争はしないのであれば、私は『論争の当事者』ではないはずですから、『読者』として扱うべきであり、私の「ABOFANさんが科学的ではない」という判断を受け入れなくてはなりません(メール(その7)でも言いましたが、もちろん、私はそれでもいいです)。

私のメール(その7)に対する反論のつもりだったのかもしれませんが、結局のところ状況は変わらないどころか、ABOFANさんが論理的整合性を保てない人であることを念押しするような、蛇足な反論(?)でしたね。
『論理学の基礎は勉強しましたので念のため。』のセリフが泣きますよ
(まぁ、「勉強した=理解した=思考に論理性が保証される」ではないですけどね)。

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それで、実際は他にはたいしたネタもなかったんで、ABOFANさんが紹介された「立証責任って何?」のページのおかしなところを微に入り細に入り批評していたのですが、気が変わったので割愛しちゃいました(よかったですね)。
というのも、「ランダムサンプリングは必要ですか?」という素敵なページが開設されていたからです。

メール(その6)の最後に、統計の話をするような前フリを入れていましたが、実は統計の話をする場合突っ込もうと思っていたネタのひとつは「ABOFANさんのランダムサンプリングの理解の稚拙さ」だったんですよ(誰かとのメールのやりとりの中で、ABOFANさんが変な理屈を持ち出して「ランダムサンプリングは実質不可能だ!」なんて言ってましたよね)。

そしたら、そんな私の心情を察したかのように、そのあたりについてわざわざ改めて解説するようなページができていました(おかげで該当するやりとりを探す手間が省けました)!

まず、全体的な印象を述べれば、私が漠然とつかんでいた「ABOFANさんのランダムサンプリングの理解の稚拙さ」の印象を明確に裏付けるような内容でした。
統計や近代科学における科学的方法論を理解している人であれば、間違っても言わないような事を、堂々とさも正しいかのように主張する無謀さは、あきれを通り越して感心いたしました。
さらには、自分に都合の悪い事を否定する事だけにご熱心なおかげで、肝心の自分の主張したい事についての矛盾を生じさせてしまっているところも相変わらずでしたね。

さらに、統計のみならず、(以前から私は申し上げていましたが)ABOFANさんが『科学的方法論が理解できていない』事もさらに明確になったようです。

前置きが長くなってしまいましたね。さっそく批評していきましょう。
内容があまりにも分かりやすい間違いだらけですので、もしかすると、既に沢山の人から突っ込みメールが来て重複している部分もあるかもしれません。その点は、ご勘弁を。

-----------------------------------------------------------------------------------------------

まずは、ABOFANさんの理解がどれだけぶっとんでいるか理解するには、基本的な事を知っている必要があると思いますので、読者の方のために簡単に解説しておきます。

 まず、統計の目的は何であるか、ちゃんととらえておきましょう。
それは、現況(過去も含む)の把握ですし、それ以上の意味(例えば未来予測や正誤の判断)は持ちません。統計は単なる道具です。それを上手く使いこなせるかもてあますかは、統計自信の性質というよりも、使う人の理解にかかっています。
まずそれを忘れないでください。
 
それと、(近代の)科学的方法論について本来のやり方と意味を簡単に説明しておきましょう。
 科学的方法論では、まず今までの観測履歴から見出される法則性を仮説として立てることから始まります。
ここで忘れてはならないのは『人間は、空間的時間的に出来事すべてを正確に観測する事はできない』という事です。どんなに一生懸命観測しても、その観測結果は“観測できなかった事”と比較できないほど狭い範囲であり、その中に見られた法則性が果たして全体に通じるかなんて分かりません。そもそも、(本来は法則性が無いのに)たまたま法則性があるように偏ってしまったという特殊な事情により、人間の目にとまったにすぎない、と考える事もできます。
では、その仮説が本当に存在する法則性か判断するにはどうすればよいでしょう?
ここで、そもそも科学で知りたいのは「普遍的に成り立つ法則」という前提がある事に着目しましょう。つまり、この前提がフルイの目の役目を果たすのです。
この前提にたてば、その仮説が「普遍的に成り立つ法則」である場合、過去の観測履歴のみならず、少なくとも“今後の観測”にも同様に現れる事になります。逆に、「普遍的に成り立つ法則」ではなく単なる偶然であれば、“今後の観測”では消失する可能性が大きいです。
こういった観点で、その「仮説」が、(少なくとも)次にも成り立つかを“新たな観測”により確かめるのが検証となります。そして、この検証をパスすることで初めて暫定的な「普遍的に成り立つ法則」とするわけです。

なお、この中での統計の果たす役割は、「取ったデータ(現状)」状態の中に、仮説どおりの状況が含まれるといえるかどうか確率的に表現する事です。
結局混同されがちですが、『データを取った結果がこうであるから、仮説は正しかった』と言う判断を下すのは、統計の役目ではなく科学的方法論の役目であり、統計結果は客観的な判断材料のひとつにすぎません。
また、別な見方をすれば、“検定”という手法は、科学的方法論による検証プロセスの中でこそ意味を持つものであり、独立したものではない、つまり明確な仮説も無く検定だけやるというのは無意味であるとも言えます。

さてさて、ABOFANさんのランダムサンプリングの解釈には、このような必要な知識がちゃんと前提になっているのでしょうか?

皆さんも一緒に考えてみませんか。

では、スタート!

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>あまり教科書に書いていない知識を紹介しましょう。

教科書に書いていないなら、いったいどこで仕入れた「知識」なんでしょう?
果たしてちゃんとしたものなんでしょうか?勝手な思い込みでは???

>ランダムサンプリングが必要でない場合ってあるんでしょうか?
>もちろんあります!
>例えば、母集団を全て調査できる場合です

これは正解。
実はこれ、笑うところではなく、極めて重要な事なのです。
ランダムサンプリングという方法論は、『全数調査』の代用って事をちゃんと把握していないと、何の『全数調査』の代用なのか分からないようなデータを持ち出して検定するという誤りを犯してしまうのですよ。

>もう一つ考えられるのは、必ずしも「標本として選び出される確率(抽出確率)が,
>母集団を構成するすべての個体に対してわかっている」と言えない場合です。

「考えられるのは」って言っちゃいましたね....
やっぱり“思い込み”であって『知識』じゃないじゃないですか(笑)

さて、以後ABOFANさん的思考方法を顕著に示すような愕然とする展開がなされます。

>ランダムサンプリングが不可能な場合ってあるの?
>これは、多くの教科書には載っていません。
>では、「標本として選び出される確率(抽出確率)が,母集団を構成するすべての個体に
>対してわかっている」と言えない場合ってあるのでしょうか。
>手元の教科書を探してみたのですが、残念ながら見つかりませんでした。
>実は、かなりあります。
>ランダムサンプリングが可能な場合の方が例外ということになるのかもしれません。

教科書と言う裏付けが無いにもかかわらず、『ある』と断定しているのです(では、いったいどっからきた『知識』なのでしょう???)。しかもしかも、むしろ「教科書に書いてある事の方が」例外かもしれない、とまで言っています。
これは並のお莫迦さんにはできない芸当です。
自分の理解が足りないために、そう(自分だけには)見えているにすぎないのでは?といった事はつゆほども疑っていないのでしょう。

>それは母集団が無限である場合です。

いきなりあっちの世界に行ってしまわれました。
無限な母集団って一体なんでしょう???
モチロン、無限な母集団は統計できませんよ。ですが、それは統計の能力不足というよりも、そもそも無限な母集団は現実世界では確認されていません。そう、無いものは計れないだけです。

 統計は何に対しておこなうかと言うと、実際に観察される現象に対して。つまり、現実世界の計量に使用するのが統計なんです。なのに、形而上的とも言える「無限な母集団」を持ち出すあたりから、既にABOFANさんの独善的な解釈の歪みが見て取れます。

 ∞というのは形而上的な概念であり、現実世界においては、実際にそれが∞であるか否か人間は認知できないため、存在が確認されていません(人知では捉えきれない程の膨大な対象に便宜上∞という表現を使う事はありますが)。時間ですら∞であると確定しているわけではありません(「物理法則では、母集団は宇宙の全ての場所と時間です。つまり、無限です」、なんて言っちゃっている幼稚な理解の方もいるようですが)。

 そもそも、仮に無限母集団が存在するとしても、それを統計などで計測する必要性は全くありません。何故なら統計値が使い物にならないからです。
例えば母集団の平均値を考えてみましょうか?∞個の対象の特定のパラメータについての総計は当然∞。∞/∞はどうなるんでしたっけ?
 つまり、もし仮に無限母集団なるものが実存しているとしても、それはもう人知では扱えない認識の範囲外の対象となるわけです。
 「血液型と性格」の対象が無限母集団だ、なんて壮大な事を述べるのはいいのですが、本当にそうなら、「血液型と性格」は人間の認識の範囲外であり、それについて何を言おうと『オカルト』になる、と言っているようなものになりますよ。
 
「無限母集団」というへんてこりんな解釈を持ち出した上に、さらに追い討ちをかけます。

>しかし、無限と言っても、範囲が有限に決められている場合があります。
>例えば、0〜1までの間の連続量についてランダムサンプリングをすることは可能です。

まさにABOFANさん自身がおっしゃるように、こんなランダムサンプリングには意味は無いです(というよりそもそも形而上的な概念に対するランダムサンプリングという仮定を持ち出す事自体がおかしいです)。
しかも、仮に百歩譲歩してその仮定を受け入れて考えた場合においても、「ランダムサンプリングができる」という判断は間違っています。

 まず、範囲が有限であっても構成要員が∞であるならば、母集団の実際の平均は∞/∞の障壁に阻まれます。この時点で既にアウト(なんでこんな単純な事に気がつかないかなぁ)。
ついでに言えば、ABOFANさん自身「標本として選び出される確率(抽出確率)が,母集団を構成するすべての個体に対してわかっていることが必要である.」と何度も引用している事から当然理解していなければならないはずですが、ランダムサンプリングする以上、含まれる無限の数それぞれが選ばれる確率は均等でなくてはいけないのです。
命題はこう変えられます「0〜1の間の数を全て網羅するには小数点以下何桁の乱数が必要か?」。
はい、ABOFANさんの「できる」という主張の欠陥がもう分かりましたね。
例え10000桁あろうが、小数点以下10001桁ある数は『抽出の機会が与えられない』事になります。そもそも、無理数は桁が無限です。
「無限と有限を対応させる方法があるかどうか」については、まさにABOFANさんの方こそちゃんと考えてほしいですね。

 こんな、前提がおかしい上にしかも結局判断が的外れな事をわざわざ主張する理由が良く分かりません。
まぁ、こっちとしてはABOFANさんの頭の中の『間違ったランダムサンプリング像』がより鮮明に分かるのでありがたいんですが...。

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 さらに、読み進めると、どうやらABOFANさんは、「血液型と性格」研究の対象とするべきデータの母集団を「現在過去未来、存在した・存在する・存在するだろうすべての人」を想定しているようです。
確かにそういった想定の上では、(厳密には∞とはいえないものの)現実的にはそのデータのランダムサンプリングは不可能なのは間違いありません(でも、最初からこのように言えばいいのに、なんでわざわざ『無限母集団』なんていう自分の無知をひけらかすような話をあえて詳細に述べてしまうのでしょうか?)

ただし、タネを明かせば、これは「『血液型と性格』に統計的なアプローチするのにランダムサンプリングは使えない」事を示す根拠にはなっていません。
ABOFANさんは、本来必要無いような条件を加える事で、わざと「ランダムサンプリングは使えない」状況を作り出してしまったにすぎません。

そもそも、統計が現況の把握である事を理解していれば、少なくとも「“未来の人”がサンプリングできない」事を理由にできるはずがありません(と言うよりも、現時点で入手できない情報は「データ」にはならない事に気付いていません)。
 また、科学的方法論的見地に立てば、統計をかける状況下で見たいのは「今もそうなっているか」であるわけですから、「過去の全てのデータ」の必要性は別にありません。
 こんな不必要な条件をくっつけた事により「ランダムサンプリングが無理な状況」となってしまうのは、ランダムサンプリングが悪いのでしょうか?それとも、ABOFANさんの理解不足が悪いのでしょうか??
 
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科学的方法論に対するABOFANさんの理解の足りなさが顕著に見られる部分を抜粋します

>仮に、現在生きている人だけに成り立てば、全ての人類に成り立つと言えるとすると、
>過去と未来は現在と同じ状態であることになります。しかし、社会経済の環境や、
>年齢構成、地域による人口分布は、過去でも未来でも現在と同じはずがありません

「社会経済の環境云々」により変わるような法則性(?)は、科学の求める「普遍的に成り立つ法則」の探求という前提とまるっきり反します(ただし、『特定の要因により“常に”同じ変化をする』と言うのなら科学の俎上にのります)。

もし、『人間という生物ができて、現在から過去まで人体と血液は一貫して共存してきたという前提により、血液が性格へ作用するのであれば、その作用形態の中には一貫するものがあるはずだ』という立場で考えるならば、それは科学で扱えるテーマになります。その場合そもそも「社会経済の環境云々」の中でも変動しないもの(あるいは特定の条件下で変動しないもの)を探求していなくてはなりません。

逆に、『「血液型と性格」の関係が全て「社会経済の環境云々」等により不測の変動をする』という前提で考えるならば、人間と血液の関係の一貫性と反するわけですから、そもそもそんな事を科学的に扱おうとする時点でおかしいのです。

つまり、「社会経済の環境云々」により変わってしまうじゃないか、というABOFANさんの主張は、科学という観点においては言い訳にすらならず、むしろ自分が考えている「血液型と性格」の関係が科学的見地に立った者では無い事を白状しているのと同じなのです。

>従って、現在のランダムサンプリングによって得られた結果が、過去も未来も成り
>立つとは必ずしも言えないでしょう。

人間に可能な視野で、暫定的に「正しい法則」を追求するのが科学的方法論ですし、ランダムサンプリングはその道具に過ぎない事は前述しました。
ABOFANさんの考え方は、ハードルを下げる代わりに、見出された法則を確定的なものではなく暫定的と捉える科学の考え方とはまるっきりそぐわないものです。

どんな手法で求めた結果であれ、(神様でもない以上)絶対「過去も未来も成り立つとは必ずしも言えない」はずです。
抜粋したABOFANさんの否定の論理は、どんな手法でも否定できる代わりに、それを主張する人はどんな手法も認める事ができなくなってしまう、という事を理解した上で言っているのかはなはだ疑問です。
 
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さらに驚くべき事に、ここまで科学的方法論の無知をさらけ出しておきながら、科学的方法論の大御所『物理法則』についてまで語っています。

>物理法則の場合は、「普遍的に成り立つ」という前提があります。

この発言にものすごい違和感があります。
「場合は」と言っていますが、科学的方法論を使用する分野で『普遍的には成り立たない』事を前提とした研究をしていものがありましたっけ?そもそも、科学的方法論は「普遍的に成り立つ」法則を探すためにある事を十分理解していないのではないのでしょうか?
 心理学だって、『環境等の法則性以外の要因により現象の発現状態に変動はあるが、その中には一貫した法則性の影響が内在されている』といった前提でその法則性を探っているのですよ(そうでなければ、科学的方法論を使用する意味も無い)。

>従って、現在までに得られているデータを矛盾なく説明できれば、その物理法則は
>正しい(正確には、現在まで間違いが証明されていない)とされます。

このページで一番びっくりしたのがここでした。
堂々とウソ言うなー!!!(いや、正確にはウソじゃなくて思い違いなんでしょうけど)

「現在までに得られているデータを矛盾なく説明できれば」なんてのは、素朴な『経験論』以外の何者でもありません。
 いったいABOFANさんは、いつの時代の法則の求め方の話をしているのでしょうか???(『天動説』はまさにこの立場。今までを説明できればいい、という見方で、観測結果とそれまでの法則とのズレが生じた場合には場当たり的に複雑な数式を追加し、常に「現在までに得られているデータを矛盾なく説明」し続け、『天動説』自体を放棄する事がありませんでした)
こういった『経験論』的見地は、「自分の見た事は自然界の全てで有り、自分の判断した事は常に真理だ」といった“自分が人間である事”を忘れた、増長した考え方なので戒めなくてはなりません。
正しくは(前述してあるので簡潔に述べますが)
現在までに得られているデータを矛盾なく説明できる仮説が、新たなデータにも全く同様に適用できる事が判明した場合、正しいとされます(正確には、間違い、あるいはより上位の法則性が確認されるまでの暫定として)。

>「血液型と性格」も同じではないのでしょうか?  皆さんはどう思いますか? 

結局はこれが言いたかったのかと思いますが、そもそも、ABOFANさんの物理法則の追求方法の理解からして間違っているわけですから「根本的に違う」としか言えません。

 ちなみに、物理法則の証明にランダムサンプリングが使われない場合があるのは、決して「対象が無限母集団だからランダムサンプリングが使えない」なんていったABOFANさんの空想上の理由によるものではなく、単に『条件の統制が厳密にでき、その効果のみを効率的に取り出せる状況が構築できる場合』においてはランダムサンプリングする必要が無いにすぎません。逆に条件の統制が十分にできない心理学分野や生物・医学分野では、他の分野よりもランダムサンプリングが必要になる頻度が高いにすぎません。
このあたりが分かってないから、物理法則が『経験論的手法』で導き出されているなんて大きな勘違いを生じさせているんでしょうね。

ABOFANさんの理解不足を顕著に知らしめてしまったこの〔蛇足1〕はまさに蛇足と言わざるを得ませんですね。

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 [蛇足2]については、おそらくruruさん宛のものだと思いますし、「メイキング」や「非回収誤差」といった突っ込んだ話はruruさんの方がお詳しいでしょうから深くは触れませんが、一つだけ念押しを。

 「非回収誤差」がある場合は、いくら事前にランダムサンプリングをしても「厳密に言えば統計学の誤った適用と言わざるを得ない」と言う事は正しいです。では、何故誤っているかは理解してますか?「本に書いてあったから」では不十分ですよ。
例えば、住民に対する意識調査をしようと、住宅地図を使ってランダムサンプリングし、訪問調査したとしましょう。ただし、役場の勤務時間におこなうため、平日日中の調査となります。
この場合、日中自宅にいない人(学生や勤め人・入院中の人等)の調査結果は回収できない事になります。すると、本来住民全体という母集団に対する調査だったつもりであっても、実際に調査している母集団は『住民の中で日中自宅にいる人』になります。つまり、本来求めた母集団と実際に調査している母集団では“ズレ”が生じてしまうのです。
すると結果として『住民全体』とは多少異なる母集団を対象にしてしまったわけですからその統計結果を『住民全体』に当てはめるのは『厳密に言えば』誤りになります。
ただし、調査内容が『日中自宅にいる人』と『日中自宅にいない人』での回答の差は小さいと予想される場合や、仮に違うおそれがあったとしても、非回収の割合が調査できた人と比較して非常に小さい場合、その影響も小さくなりますから結果は『非回収が無い場合』の結果とそう変わりない事が予測されます。
一方、例えば検定に有意抽出データを使用したり、なんの母集団だか分からないような標本を勝手に都合のいい母集団に設定してしまうような『厳密に言わなくても誤り』の場合、根本原則から離れすぎているために、信頼性はまるでありません。
統計手法を『厳密な観点で』批評するというなら、こういった違いはちゃんと把握しておいてくださいね。

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ABOFANさんの主張に科学や統計の理解の間違いが多く含まれている(というかほとんど?)のは確かに問題ですが、それでも思考の論理性さえ保たれていれば正しい理解に向かう可能性はあるといえます。
しかし、深刻な問題は、ABOFAN式考察法の中で、その論理性が破綻してしまっている事ではないでしょうか。

例えば、ABOFANさんが「現在のランダムサンプリングによって得られた結果が、過去も未来も成り立つとは必ずしも言えない」事を根拠にランダムサンプリングを否定する立場を取るのなら、「無数に存在する事象の中でのほんの一部分のデータを矛盾なく説明できたとしても、それが過去も未来も成り立つとは必ずしも言えない」わけですからこれも同様に否定されるべきです(でもむしろ容認しています)。

また、ランダムサンプリング無用論の中では、過去のデータを全て入手できない事を理由の一つに挙げていますが、それを言うのなら、「現在までに得られているデータ」を全て入手する事はできない事を理由に「それを矛盾なく説明」する事も不可能とすべきでしょう(でもむしろ容認しています)。

 自分に都合の悪い事を批判したい場合は無理矢理高いハードルを設け、その一方で自分に都合のいい事は(否定した手法よりも粗悪であっても)ハードルを滅茶苦茶下げてしまうといった思考法はおよそ論理性からかけはなれたものですよね。

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さてさて、非常に長くなってしまいましたが、要約すれば

「ランダムサンプリングは必要ですか?」に書いてある内容はあたかも妥当な知識のように述べていますが、実際は、本来の統計概念や科学的方法論とは外れた出鱈目な考え方であって、しかも主張内容に一貫性が無いといった無茶苦茶なものです。
これは、ABOFANさんの統計や科学に対する足りない理解と、さらにその不足部分を自分勝手な解釈を加えてしまった結果であり、さらにその際に論理的整合性を一顧だにしなかった事が如実に現れたものです。

さぁ、反論はありますか?
指摘と同時に、それが間違っている理由をより具体的に書いたつもりですよ(それでも具体的でないから反論できないというのなら、ABOFANさんの読解能力から疑う事にします)。

なんだか、更新までの間ちょっと休んでいただけなのに、ちゃんと継続して出していないと「議論が進行中→」からすぐ外されてしまうことが判明したので急いで書き上げました。
(それとも、自分が議論できていない事の自覚のあらわれ!?)
乱文・誤字、説明不足の点がごさいましたらご容赦ください。

長文のメールありがとうございます。

 今回も質問(と思われる)部分にだけ回答します。ご了承ください。

> そもそもABOFANさんは『どちらが科学的かとか正しいかということは、読者が決めればいい』
> と言った事が発端ですけど、これって『自分(ABOFANさん)では自分が科学的とか正しいかとか
> いう事に対し論争するつもりはない』という意思表明に他なりませんよね。

 それをしないと、毎回私自身が正しい、と書けば論争が終わりになってしまいます(笑)。

> まず、統計の目的は何であるか、ちゃんととらえておきましょう。
> それは、現況(過去も含む)の把握ですし、それ以上の意味(例えば未来予測や正誤の判断)は持ちません。

 はぁ、統計力学は未来を予想できないのですか…。

> モチロン、無限な母集団は統計できませんよ。

 はぁ、できますが?

> ∞/∞はどうなるんでしたっけ?

 アレフ0とアレフ1では結果が違いますが?

> もし、『人間という生物ができて、現在から過去まで人体と血液は一貫して共存してきたという前
> 提により、血液が性格へ作用するのであれば、その作用形態の中には一貫するものがあるはず
> だ』という立場で考えるならば、

 それなら、ランダムサンプリングは不要では?

> 心理学だって、『環境等の法則性以外の要因により現象の発現状態に変動はあるが、その中には
> 一貫した法則性の影響が内在されている』といった前提でその法則性を探っているのですよ

 行動心理学は違うと思いますが。

> 単に『条件の統制が厳密にでき、その効果のみを効率的に取り出せる状況が構築できる場合』にお
> いてはランダムサンプリングする必要が無いにすぎません。

 では、進化論や天文学ではランダムサンプリングが必要になるのでしょうか?

> 更新までの間ちょっと休んでいただけなのに、ちゃんと継続して出していないと「議論が進行中→」か
> らすぐ外されてしまうことが判明したので急いで書き上げました。

 どうもありがとうございます。例外もありますが、トピックスは1〜2か月ぐらいで変更するようにしています。

 ただ、それだけ固執するというのには、何か特別な理由や属性を思い浮かべてしまいます。(^^;;

メール(その9) H17.10.4 22:06

長らくご無沙汰しておりました。
まぁ、何もせずにただただ呆れていたわけではなく、コツコツと長いお返事書き溜めていましたよ。で、大型さんのところでなんか触れられていたので、ちょっと内容を切り上げて投稿しておきます(誤字脱字はご容赦を)。

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前回、「議論が進行中→」からすぐ外されたことについて述べたら。
『それだけ固執するというのには、何か特別な理由や属性を思い浮かべてしまいます。』
なーんて言われちゃいました。そんなぁ、いつも反応薄いから拗ねてみただけよ(涙)。
 でもまぁ、さすがに一ヶ月空けちゃったら、拗ねることもできませんね(笑)

だけど、ちょいと気になったんですが、「ABOFANさんのHP上でトピックスに残る事に固執する」必要があるような、『“何か特別な”理由や属性』っていったい何でしょう???
「自己顕示欲」っていうありきたりな理由しか思いつかない私に、ぜひとも教えて欲しいなぁ。それとも、なんかの被害妄想?

それはさておき、まずは、前回のお返事に対するお返事を書きましょうか。
>今回も質問(と思われる)部分にだけ回答します。ご了承ください。
ですって!私のどんな『質問』に対し、どんな『回答』がくるのかワクワクしますね!!
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>> ...これって『自分(ABOFANさん)では自分が科学的とか正しいかとか
>> いう事に対し論争するつもりはない』という意思表明に他なりませんよね。
> それをしないと、毎回私自身が正しい、と書けば論争が終わりになってしまいます(笑)。

え???
相手が「正しい」と主張する事を論理的に突き崩していくのが『論争』じゃなかったでしたっけ?
自分が正しいと言えば論争が終わるなんて、なんとまぁ、素敵な考え方ですこと....。

...ん?え??あれ??あれぇ????この件に関してはこれで終わり!?
肝心の「ABOFANさんが論争を放棄しているのに、私を『論争』の当事者として扱う矛盾」についての言い訳は無いのぉ?
少なくとも「私の論争の相手は誰なんでしょう」というコメントは質問の体をなしていますよね。
それに対する回答は無しですかぁ....がっかり

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>>まず、統計の目的は何であるか、ちゃんととらえておきましょう。
>>それは、現況(過去も含む)の把握ですし、それ以上の意味(例えば未来予測や正誤
>>の判断)は持ちません。
>はぁ、統計力学は未来を予想できないのですか…。

んー、これは、質問ではなかったし『回答』でもなような...
というより、単に『私に対する質問』ですね。

でさぁ、もしかして統計力学=統計の一種と勘違いしていませんか?
別に「力学」が未来を予測できないとは言っていないし、「力学」が科学的方法論で未来を予測できる事と、その道具としての統計が未来の予測力を持たない事は矛盾しませんよ。
はぁ…. まだ、科学的方法論と統計という道具の役割分担が理解できていないのかな。

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>> モチロン、無限な母集団は統計できませんよ。
> はぁ、できますが?

...これも、質問ではなかったから『回答』ではないのでしょう。
でも、できない事について『できるんだからできるんだもん』では、子供並ですねぇ。
 まぁ、何を根拠にそんな事主張しているか知りませんが...それ以前の問題としてちょっとつっこませて!

これの元の私のコメントってさぁ

>ランダムサンプリングが不可能な場合ってあるの?
>(中略)それは母集団が無限である場合です。

という『ABOFANさん自身の発言』に対し、私が“同意”したわけですよねぇ。
それを否定するんですから「確かに私はそう考えてましたが、実はそれが間違いだった事が分かりました」ぐらい言えないのかなぁ(勝手に転向しておいて、相手に対し挑発的な態度を取るなんて...)
そ の変わり身の早さと、節操の無さに思わず笑っちゃいました。

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>> ∞/∞はどうなるんでしたっけ?
>アレフ0とアレフ1では結果が違いますが?

まぁ...これは...『回答』...かな?うーん
結果が違うと言うのなら、その違う結果について具体的に述べるとこまでが回答じゃないのかなぁ。沢山あるならともかく、アレフ0とアレフ1でたった2ケースのみなんだからさぁ。
あと、『そもそも、原理的に(0〜1までの間の連続量であっても)無限母集団からランダムサンプリングができない』という私の説明についての反論は無しですか?一番大事なところなのにねぇ。
ふーん。へぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
 
ま、アレフに関しては、あとでゆっくりと述べましょうか。

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>もし、『人間という生物ができて、現在から過去まで人体と血液は一貫して共存してきた
>という前提により、血液が性格へ作用するのであれば、その作用形態の中には一貫する
>ものがあるはずだ』という立場で考えるならば、
>>それなら、ランダムサンプリングは不要では?

んと...また、『質問に対する回答』ではなく、『私に対する質問』ですか。はぁ
というか、何でそこで『ランダムサンプリングは不要』という話が飛び出すのか、論理的繋がりが全く不明です。もしかして、一貫した作用(=法則)があるならば、人間はそれを一貫して観察できるはずだ、なんて甘い考え方してます?

一貫した作用(=法則)があっても、常に変動するその他の要因による作用によって一貫しては観察できないし、その変動要因を全て分離する事はできないから、確率・統計的にその作用の内在を検討する必要があるんですけどね。

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>心理学だって、『環境等の法則性以外の要因により現象の発現状態に変動はあるが、その>中には一貫した法則性の影響が内在されている』といった前提でその法則性を探ってい>るのですよ
>>行動心理学は違うと思いますが。

「思いますが」って...今度は単なる『感想』ですか。
で...しかも全く根拠が述べられないあなたの感想が、この話にいったいどんな関係が?

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>単に『条件の統制が厳密にでき、その効果のみを効率的に取り出せる状況が構築できる>場合』においてはランダムサンプリングする必要が無いにすぎません。
>>では、進化論や天文学ではランダムサンプリングが必要になるのでしょうか?

はいはい、またまた、『質問に対する回答』ではなく、『私に対する質問』ですね。ふぅ

まず、『進化論』。
これってそもそも、『今まで生物はどうなっていったか』という事に対する考察であり、未検証かつ検証困難な仮説でしょ(そのため、科学的方法論の考察においては、科学か否か際どいボーダーライン上の理論として遡上に挙げられやすいテーマであり、検証が極めて困難だからこそ、アメリカの一部の州ではもっと検証困難なかなりトンデモ臭のする別な論と並列して教えるなんておかしな話にもなっている)。
もちろん、仮に検証するとすれば、その再現性の確認において、統制条件次第で統計的な見地が必要になるならランダムサンプリングが必要ですし、統計は必要ない場合もあるでしょうね(この辺まだ分かってないんだろうなぁ)。

次に、『天文学』。
仮に、『全ての天体(あるいはある範囲の天体全て)に一貫して現れる法則性』の仮説を立てた場合、かつその全数調査が物理的に不可能な場合はランダムサンプリングが有効。
ただし、特定の天体に対する動きの仮説については、見れば分かるのですから(望遠鏡が不規則に誤差を生じるのでは無い限り)別にランダムサンプリングをする必要は無く、継時的に観察して特定の天体が仮説どうりの動きをするかを検証すればいい話でしょう。
 結局、どちらもやっぱり『条件の統制が厳密にでき、その効果のみを効率的に取り出せる状況が構築できる場合』においてはランダムサンプリングする必要が無いのは変わりないわけですね。
 
んー、何で「進化論」や「天文学」をあえて持ち出したのか、よく分かりません。
ついでに言っとくけど、分かるために必要な事ができないのであれば、それは「分からない」と言うしかないわけであり、必要な事ができない事を理由に、必要な事をやらないで「分った事にする」なんてはできないんですよ。

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さーーーーーーて、結果発表!

お返事の冒頭では「今回も質問(と思われる)部分にだけ回答します。ご了承ください。」と言ってたABOFANさんでしたが、なんなんですかコレ?
まぁ、私が書いた文章で何が質問で何がそうでないかはなんては、ABOFANさんの文章読解力に頼らざるを得ないのですが、果たして『回答』だったかどうか、っていう点についてはどうでしょう。

結局「質問に対する回答」らしきものは『論争をしない理由』と『∞/∞について』、あとは『議論が進行中から外す基準』ぐらいですか。でも、前の2つは「回答」って言うには肝心な事には触れず、しかも尻切れトンボでお粗末すぎじゃない?

というか、『回答します』って言っているわりに質問の方が多かったみたいね。
その『質問』にしても、やっぱり1行のみで、どういう意図でその質問をするのかが良く分からない上に、的外れとしか捉えようの無いものだったなぁ(つきあってはあげましたが)。長く話すとボロが出てしまう事を今までの経緯で学習したんでしょうか?(でもボロ出まくり)

念のため、ABOFANさんにちゃんと『質問』しておきましょう。
↓質問コーナー↓
問:統計自体に未来の予想力が無いという話題に対し、統計力学の話を持ってきた意味は?
問:『血液の性格に対する影響の一貫性』があれば何でランダムサンプリングは不要なの?
問:進化論や天文学ではどんな研究方法であってもランダムサンプリングが不要なの?
問:アレフ0の場合とアレフ1の場合について「∞/∞」のそれぞれの結果を
(結果が違う事が分かっていると言うことは、結果を既に知っているってことですよね)
あと、余力があったら、「行動心理学は一貫した法則性を探っているわけではない」と“思う”理由でも教えてください。

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さてさて、ABOFANさんを十分いたぶったところで、今回の本題に入りましょう。
テーマは、ランダムサンプリング・アレフ・ベルヌーイ試行・科学的方法論です。

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 まず、アレフという概念についてきちんと整理してみましょうか。
難しい話ははしょっちゃいますが、アレフは同じ無限であっても、濃度(密度)に差がある事を示す概念です(範囲を定めるが定めないの違いを示すものではありません。念のため)。同じ無限でも、自然数(整数+有理数)の無限の場合と、実数(自然数+無理数)の無限の場合では、その集合状態(密度)に違いが有るって事です。前者は隙間が開いた分布で、後者は隙間が無い分布と理解するのが分りやすいでしょう。例えれば、無限に大きなスポンジと無限に大きな粘土の違い、みたいなもんです。

ではこの「アレフ」がサンプリングどう関わってくるのでしょうか。
確かに、(人間の存在する世が無限に続くと仮定すれば)「人間の数」はアレフ0の無限となります、一方、「時系列」は連続しているため、「アレフ1」の密度を持つと考える事はできるかもしれませんね。
でも、まず、そういった当てはめをする前に、「そもそも『無限なもの』をランダムサンプリングできるのか?」を考える必要があるんじゃないかな?アレフ0にせよアレフ1にせよ、どっちにしろ無限である限りランダムサンプリングできないなら、わざわざ統計に「アレフ」という概念を持ち込む必要は全く無いよね。

まぁ、どうやらABOFANさんは「できる」と考えているらすぃ。
でも、その理由を知ろうと読み進めて見ても、「はず」と「思う」ばかりで、論理的理由を述べないどころか、ABOFANさんの主張には、『矛盾』というよりも『支離滅裂』なところが出てきてしまっていますね。

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まず、「ランダムサンプリングは必要ですか?」のページでこう言っています

>例えば、0〜1までの間の連続量についてランダムサンプリングをすることは可能です。
>0〜1までには無限の数(有理数と無理数)がありますが、範囲そのものは有限だから
>です。

無理数を含む数は「実数」ですから、これは「アレフ1」になります(ABOFANさん自身『実数は「アレフ・ゼロ」ではありません』と言っているから分っているはずですが...)。となると、この一文で、ABOFANさんは「『アレフ1』の無限集団はランダムサンプリング可能」と言っている事になっちゃいます。
でも、ruruさんとのやりとりを見ていると、

>統計学の無限母集団は、普通は「アレフ・ゼロ」だと思います。「アレフ・ワン」以上は、
>ランダムサンプリングができないのではないでしょうか?

と述べちゃっています。オイ!主張が180度変わってるよー(笑)。

....ねぇ、ABOFANさん、『全数調査の代用品であるランダムサンプリングなんだから、全数調査ができない(全数を調べようにも限りが無いから無理)対象を、ランダムサンプリングできるわけがない』という基本をきちんと理解しましょうよ。
そもそも、ABOFANさん自身だって、「ランダムサンプリングは必要ですか?」のページで、無限母集団からランダムサンプリングできない理由として『証明は省略しますが、無限と有限を対応させる方法があるかどうか考てみてください。』と述べているじゃぁないですか。
なのに、ruruさんに対しては、『母集団が自然数的無限大(アレフ・ゼロ)なら、ランダムサンプリングできる』と言っちゃうわけですから、無茶苦茶です。
論理的整合性の「ろ」の字もありませんね(笑)。

そもそも、ABOFANさんが一番したかった主張は、『血液型と性格の研究の対象となる人間のサンプル数は自然数的な無限母集団だから、ランダムサンプリングは原理的に不可能』だったんじゃないの?その一方で、『自然数的な無限母集団は、ランダムサンプリング可能』という主張をする事に、自分で矛盾は感じてないのかしら。

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次に、ベルヌーイ試行の件について。
これは別名「独立試行」と呼ばれ、以下の3つがその条件ですよね。
@ 実験の試行結果が成功か失敗のいずれか
A 成功の確率は実験の間中一定
B 各試行は独立,すなわち他の試行結果によって成功の確率は影響を受けない。

つまり、「ベルヌーイ試行」という概念は、試行回数という要因は含まないわけです。
ただ、ベルヌーイ試行を無限回繰り返せば、本来の成功確率と一致する、という理論がいわゆる「大数の法則」になる、ってのが統計の根幹。
でも、ABOFANさんはどうやら無限回試行する事もベルヌーイ試行の条件に加えちゃってませんか?(具体的には、『例えば、ベルヌーイ試行の無限は「アレフ・ゼロ」ですよね?』との発言が挙げられます。あと、『JNNのデータは、「アレフ・ゼロ」かどうか確認しているだけです。#つまり、ベルヌーイ試行の条件かどうか、ということです』に至っては全然意味が通りません)。

 そもそも、ベルヌーイ試行という行為はランダムサンプリングなのかな?
母集団からのサンプリング、と言うならばサンプリング前に既に母集団が存在していなければ理屈に合いませんけど、サイコロの場合、むしろその試行を行った結果を蓄積する事で母集団が構成されるのですから、母集団からサンプリングするという表現はおかしい事になりますね。

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結局、ABOFANさんは、ランダムサンプリングの話なのに、「アレフ」やら「ベルヌーイ試行」やら、直接の関係性は無いような用語を持ち出すわりに、その用語の理解が十分でなく、おまけに「ランダムサンプリングとは何か」という最も肝心な所が分っていなかった、というオチになりますね。

ただ単に、「アレフ」とか「ベルヌーイ」とか言葉がかっこよさそうだから使っていただけじゃない?正直なところ。

 ランダムサンプリングなんて概念はもっと単純なんですよ。
推測統計や検定というのは、あくまで全数調査の代用であって、前提として、母集団は(少なくても理論的には)全数調査が可能なものでなくてはならないのよ。だけど、物理的には調査不可能な場合、構成員の一部を抜き出して推定しようとするわけ。

 でも、ただ思いつきのまま抽出しようとすると、調査者要因により歪んじゃうから、そういった危険性を排除して、あくまで確率的な視点のみで推測できるよう、標本をランダムに抽出するという方法がランダムサンプリングね。
じゃぁ、どのような母集団を設定してランダムサンプリングすべきかと言う事に関しては、統計の方法論には無関係で、それは研究方法にかかわってくるんです。

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で、科学的方法論ではどう考えているか、を説明しようと思っていたんだけど、ruruさんのページに、ABOFANさんが核心を突くコメントをしてるじゃないの!(そこから先をもっと熟考していれば、今みたいなトンチンカンな理解にはならなかったのに...)。せっかくですから、引用してあげましょう。

>自然数的無限大(アレフ・ゼロ)なら、統計的検定はできるはずですが…。
>例えば、過去から未来の日本人の母集団は一応はアレフ・ゼロになるはずです。
>血液型分布が過去も未来もずっと同じだと仮定して(この仮定が現実的かどうかは
>別ですが…f(^^;;)、現実のサンプルに統計的検定を施すことは可能でしょう。

ホントに惜しい!すぐ側まで来ているのに、なぜもうちょっと頑張らない!
 ABOFANさんのこの主張は、2つの大切な事を含んでいるんです。
ひとつは、(現在過去未来の)無限母集団から(現在の)有限母集団を切り出せる事
もうひとつは、その有限母集団に対しては、統計的検定を施せると言うことです。

おそらく、ABOFANさんが見落としているのは、(現在の)有限母集団は(現在過去未来の)無限母集団から抽出されたものだけど、だからといって、有限母集団に対するランダムサンプリングが、イコール無限母集団からランダムサンプリングされた事にはならないという点でしょうね。
統計的検定は、無限母集団ではなく、あくまで有限母集団に対する結果なんですよ。

 でも、ABOFANさんが言うとおり、科学の対象はあくまで、今一時の「現在」ではなく、いわゆる無限母集団(私は「限りが無い」と言うより「限りが不明」と言う意味を込めて『不明限母集団』って表現する方が妥当だと思うけど)なんですよね。しかし、その無限母集団を全部調査できるかというと、それは人間にはできない。できない事を前提に考えても意味がなーい。

人間にできるのは、ランダムサンプリングにせよ、その他の方法にせよ、実際に調べられるのは基本的に「現在」のみなんです。

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 え、じゃぁどうやって科学は法則を見つけているのかって?
では、科学で発見しようとしている“法則”はいったいどんなものが、と言うところから考えてみましょう。
簡単に言えば「ある条件を満たす限りにおいて、いつでもどこでも同じ現象が生じる」事ですね。でも、『本当にいつでもどこでも同じ現象が生じた&生じるか』はさっき言ったとおり確認できません。

 一方、確実にそれが“法則で無い”事が分かる場合があります。それは、「ある条件を満たしているのに、異なる現象が生じる」場合ですね。
 
 そこでこう考えてみましょう。
「今自分が思いついた(仮の)法則が本物であれば、(過去や未来は確かめようがないが)少なくとも今調べてみてもその法則が確認できるはずだ(確認できなければ、法則ではない事になる)」

この論法により、無限母集団にわたって成立する法則であるか否か(厳密には「法則であることが否定されるか」)を、有限母集団からの結果によって判断するのですよ。

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 ここまで理解した上で、一番注意してほしいのは(ABOFANさんも踏み外しがちなのは)、「既に起こった事を法則ととらえる」のと、「ある法則が成立すると予測してそれが当たる」のは全く違うと言うこと。
 こう考えてみてよ

A サイコロを振り1の目が出たのを見て『1の目が出ることになっていた』と言う
B サイコロを振る前の『次は1の目が出ることになっている』という予測が当たる

この2つが持つ意味合いは全然違いますよね。そして、科学的方法論で求められるのは、当然後者なんです。

「○型と×型の調査結果で△の性格の項目に差が出た」というのはまさしくAと同じ、「今までのデータを説明する」っていうのも実際はAと同じ。
本当に必要なのは「○型と×型で調査したら△の性格の項目に差が出るだろう」と予測した上で調査したらその通りになったという確認なんです(予測と一致するデータを探すのもまた違いますよ。それは、『次は1の目が出ることになっている』と言いながら1の目が出るまで振り続けるのと同じです)。

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この方法論は、別に統計を使う分野だけでなく、物理法則だってそうですよ。
「ランダムサンプリングは必要ですか?」のページでこう言っていますが、正直ヘンです。

>[蛇足1]物理法則には、ランダムサンプリングが必要なの?
>以上のことから、物理法則を証明するには、ランダムサンプリングが使えないことがわ
>かったかと思います。それなら、物理法則なんて普遍的に成り立つはずがないからナン>センス、と思う人がいるかもしれません。
>実はそうではないのです!
> 物理法則の場合は、「普遍的に成り立つ」という前提があります。地球上で成り立つ物
>理法則は、太陽の真ん中でも、宇宙の果てでも、過去でも、未来でも…普遍的に成り立>つと仮定しているのです。
> 従って、現在までに得られているデータを矛盾なく説明できれば、その物理法則は正
>しい(正確には、現在まで間違いが証明されていない)とされます。
 
物理法則にせよ、心理学にせよ、それが「(正確には「ある一定の条件下で」)普遍的に成り立つ」事を証明する事はできません。
んで、物理法則は「今も成り立つ」事を理由に、「普遍的に成り立つ」前提条件を満たしているものとして、暫定的に法則として扱います。そして、同様の理屈を心理学も持っているんです。別に物理法則だけの特権じゃないんですよ。ただ、「今も成り立つ」事を調べるのに、統計を使うだけなんです。
わざわざ物理法則に限定して持ち出す話ではありませんね。

『現在までに得られているデータを矛盾なく説明できれば、その物理法則は正しい』
なんて考え方は、天動説の時代のもの(考え方が尋常でなく古すぎるので笑っちゃいます)。必要なのは「現在それが成り立っているか」を改めて確認する事なんです。

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結局のところ、確かに「現在過去未来に存在する全ての人間を対象にランダムサンプリング」はできないが、そもそも科学的方法論ではそれを必要としていない、って事ね。

 科学的方法論さえ、まずちゃんと理解していれば、こんな基本的な事でウダウダ説明を受ける必要も無く、かかなくてもいい恥をかくことも無かったんですけどね。はぁ

『はず』、『思う』、『例外』、『ケースバイケース』、このような個人的であいまいな基準で、統計、あるいは形而上学的な無限の世界、はたまた客観性を要する科学について語ろうとする意識自体が間違っていたのではないでしょうか、と私は思いますよ。

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【追記】
10月3日の更新で大型さんからこんなコメントがありました

>Jさんのメールに対するいつものお返事,「質問(と思われる)部分にだけ回答します。
>ご了承ください。」はとっても不誠実だと思いますよ。

それはいいんです別に。
私は素人よりたちの悪い「エセ玄人」にレクチャーしているつもりですから、誠実さははなから求めていません(こういう人たちは、不誠実になる事で相手のやる気をそいでアイデンティティを死守しようとしますからね)。
...あ、もちろんABOFANさんが「エセ玄人」だって言うことじゃなくて、単に私がそのつもりでやっている、ってだけですよぉ(とってつけたように)。

それより問題なのは、本質的で自分に都合の悪い質問は無視し、具体性に欠ける『回答』らしきもの(人には具体性をしきりに要求するくせにね)が散見される程度で、ほとんどが『質問』になってしまっているものなのに、「質問(と思われる)部分にだけ回答します。」と称する『不正確さ』の方ですね。
まぁ、質問ばかり、という点については、ABOFANさんの質問には、それこそ一語一句に『理解の浅さ』が滲み出てしまっているので、それを読み解いていくのは楽しいですけどね(でも、その質問すら、他の人と比べて少ないのが寂しいわ)。
 とにかく、投稿しなくて久しいのに、記憶に留めておいてくれてるO型さんに感謝!

ちなみに、ABOFANはこう言ってます。

> ところで、Jさんからはしばらく回答がないようですが、それは私の質問に
>「グウの音も出ないからとても触れられない,ということでしょうか?」。

「グウの音も」のくだりは、大型さんに対する意趣返しでしょうからいいとして(返答が無いのは「グウの音も出ない」の他に「呆れて物が言えない」の可能性もある事は当然ご存知でしょうからね)、回答が遅れる件についての言い訳。

 ABOFANさんは「私が“思う”に1+1=3でいい“はず”だ、なんで3じゃダメなんだ」と質問されたら、どう答えます?(ちなみに「そう決まっているから」と答えても、「具体性が無い、説明不足だ」と言って突っぱねるような人です)。
同様に、あまりにも基本的なところでつまづいていて、しかも勝手な解釈を正しいと思っている人に対して説明するのは大変なんですよぉ。知識の無い人にも分るように噛み砕いて話すのは結構難しいし、しかもあえて人の話を歪曲する性質があるような人に対しては慎重さも必要です。
それが、回答が遅れる原因と解釈していただければ幸いです。

またまた長文のメールありがとうございます。回答と掲載が遅れて申し訳ありません。

 今回も質問(と思われる)部分にだけ回答します。ご了承ください。

> 相手が「正しい」と主張する事を論理的に突き崩していくのが『論争』じゃなかったでしたっけ?
> 自分が正しいと言えば論争が終わるなんて、なんとまぁ、素敵な考え方ですこと....。

 「正しい」基準を自分が恣意的(?)に決められる、と思っている人がたまにいるようですので…。

> でさぁ、もしかして統計力学=統計の一種と勘違いしていませんか?
> 別に「力学」が未来を予測できないとは言っていないし、「力学」が科学的方法論で未来を予測できる事と、その道具としての統計が未来の予測力を持たない事は矛盾しませんよ。

 ちなみに、手元のマイクロソフト『エンカルタ2005』ではこうなっています。

統計力学 とうけいりきがく Statistical Mechanics ひじょうに多数の粒子からなる系の平均的な性質を予測しようとする学問分野。統計力学においては、粒子の運動を予測し、記述するのに、統計学の原理を応用する。

 ということは、Jさんの主張は、統計はあくまで補助科学ということになるのでしょうか。それなら統計の定義のしかたですから…。

>>> モチロン、無限な母集団は統計できませんよ。
>> はぁ、できますが?

>...これも、質問ではなかったから『回答』ではないのでしょう。
>でも、できない事について『できるんだからできるんだもん』では、子供並ですねぇ。

 無限母集団でも統計量は計算できる場合があるというruruさんの主張のとおりです。

> 『そもそも、原理的に(0〜1までの間の連続量であっても)無限母集団からランダムサンプリングができない』

 できる場合とできない場合があるでしょう。

>>もし、『人間という生物ができて、現在から過去まで人体と血液は一貫して共存してきた
>>という前提により、血液が性格へ作用するのであれば、その作用形態の中には一貫する
>>ものがあるはずだ』という立場で考えるならば、
>>>それなら、ランダムサンプリングは不要では?

>一貫した作用(=法則)があっても、常に変動するその他の要因による作用によって一貫し
>ては観察できないし、その変動要因を全て分離する事はできないから、確率・統計的にそ
> の作用の内在を検討する必要があるんですけどね。

 まず、血液が性格に作用するという前提が必ずしも正しいわけではありません(遺伝子連鎖など)。また、すべてが確率・統計的に検証が行われるわけでもありません。

>>心理学だって、『環境等の法則性以外の要因により現象の発現状態に変動はあるが、その
>>中には一貫した法則性の影響が内在されている』といった前提でその法則性を探ってい
>>るのですよ
>>>行動心理学は違うと思いますが。

>「思いますが」って...今度は単なる『感想』ですか。

 ぜひ、行動心理学の入門書をご覧ください。

> まず、『進化論』。
[中略]
> 検証が極めて困難だからこそ、アメリカの一部の州ではもっと検証困難なかなりトンデモ臭のする
> 別な論と並列して教えるなんておかしな話にもなっている。

 これは、主に宗教的な理由によるもので、必ずしも科学的な見地からではないはずですが。

> もちろん、仮に検証するとすれば、その再現性の確認において、統制条件次第で統計的な見地が
> 必要になるならランダムサンプリングが必要ですし、統計は必要ない場合もあるでしょうね(この辺
> まだ分かってないんだろうなぁ)。

 でも、血液型は必ず「確率・統計的にその作用の内在を検討する必要がある」ということですね?

> 仮に、『全ての天体(あるいはある範囲の天体全て)に一貫して現れる法則性』の仮説を立てた場
> 合、かつその全数調査が物理的に不可能な場合はランダムサンプリングが有効。

 ???

 ケプラーの法則でも、チャンドラセカールの限界でもなんでもいいのですが、ランダムサンプリングなんかしてないはずですが?

> 問:統計自体に未来の予想力が無いという話題に対し、統計力学の話を持ってきた意味は?

 Jさんが、統計はあくまでも補助科学である、と思っているとは考えていなかったからです。

> 問:『血液の性格に対する影響の一貫性』があれば何でランダムサンプリングは不要なの?

 物理学は必ずしもランダムサンプリングは不要です。

> 問:進化論や天文学ではどんな研究方法であってもランダムサンプリングが不要なの?

 具体例を挙げていただかないと、答えようがありません…。

> 問:アレフ0の場合とアレフ1の場合について「∞/∞」のそれぞれの結果を
> (結果が違う事が分かっていると言うことは、結果を既に知っているってことですよね)

 除算の原理どおり考えればいいのではないでしょうか?

> あと、余力があったら、「行動心理学は一貫した法則性を探っているわけではない」と“思う”理由でも教えてください。

 しつこいようですが、ぜひ、行動心理学の入門書をご覧ください。

> そもそも、ABOFANさんが一番したかった主張は、『血液型と性格の研究の対象となる人間のサンプル
> 数は自然数的な無限母集団だから、ランダムサンプリングは原理的に不可能』だったんじゃないの?
> その一方で、『自然数的な無限母集団は、ランダムサンプリング可能』という主張をする事に、自分で矛盾
> は感じてないのかしら。

 元々は、ruruさんの主張(社会調査)に反論するためですが?

#アレフの部分の回答はまだのようです。

> 『現在までに得られているデータを矛盾なく説明できれば、その物理法則は正しい』
> なんて考え方は、天動説の時代のもの(考え方が尋常でなく古すぎるので笑っちゃいます)。

 私はそんな意味のことは言ってないはずですが…。表現上そう解釈できるということですか?

メール(その10) H17.10.5 23:03

ついでに、血液型関連の話題として今までとちょっと話題の違う話を書いておきましょう。
ABOFANさんに直接関係ある話ではないと思うからリラックスして読んでね。。
今回はちょっと真面目口調。

雑感:【差別問題について】

 血液型と性格の関係性の話に寄せられる批判の一つに「差別」問題があります。それは確かに、憂えるべき問題かもしれませんが、「血液型と性格の関係性」自体とは関係無い、と考えるべきものと思います。ここではちょっとその話をしましょう。

 ここでは、「差別」という言葉を、妥当な根拠による「区別」に対立する概念として、『希薄な根拠により安易に人を分ける行為』と定義させていただきます。

「血液型と性格の関係性」の研究自体は別に差別的でもなんでもなく、人の構造の究明と言う点で、男女、あるいは大人と子供の差を調べるのと変わりないわけです。事実を事実として捉えようとする範疇においては、それを差別と批判する必要は無いものと思われます。

 差別的構造が生まれるとすれば、「血液型と性格の関係性」がはっきりしないうちの『先走り』、そして『針小棒大な解釈』が挙げられます。
 留意すべきは、仮に「血液型と性格に関係する」事が事実だとしても、それがイコール「血液型により相手の性格がわかる」ではない事です。例えば、○な性格の人が×型は5割、△型は3割だったとします。そこにある差がおそらく血液型の影響を受けているとなった場合においても、では相手が×型であれば○な性格であるとか、△型であれば○な性格ではないか、と言う判断が妥当かというと、そうではないでしょう。
 そういった観点から言えば、「血液型と性格の関係性の妥当性」と「血液型性格判断の妥当性」は別である、という事になります。

 現段階においては「血液型と性格の関係性」については妥当性があるのはっきりしていませんから、「血液型性格判断」は、そういう意味で『先走り』です。
 しかも現段階でその程度というところから見れば、仮に差があったとしても、たいした差でない事が予想されます(「その差は1〜2割」と言っている方もいます)。そういった状況であるにもかかわらず、血液型によりその人の性格を推測できる、と称するのは『針小棒大な解釈』と言えます。
 また、「血液型性格判断」は全ての人に対応できるという論法を必要としており、そのために、ろくに確かめもせずに『気質』などといった人間の根源に理由を求めようとします。その根拠を深いところに位置させればさせるほど、さも高尚で一般的な理論に見せかける事ができますが、不確かなうちから根拠をそこに求めてしまうのは、人種差別と何ら変わりません。

 『材料が違うなら性質も違う』、このような考え方は一見妥当に聞こえますが、そういう観点から言えば、我々は誰一人として全く同じ材質と量でできているわけではなく、当然『性質も人それぞれ』という結論が妥当になるでしょう。
 なのに、基準とする材料を都合のいいように選んで、それがあたかも大きな影響を与えるかのように述べるのは、『差別』を正当化する理由でしかありません。

 『差別はよくない』と言う気は別にありません。『差別する人』はそれなりの評価しか受けません。つまり『差別する』事により『差別される』リスクを負っているのです。血液型性格判断で差別する人を、『そんな大雑把な子供だましに頼らなくてはならないほど対人スキルが低い人』と差別したっていいんです。

 問題は、その『差別』しているくせに、自分が『差別』していると批判を甘んじて受ける事をこころよしとせず、科学という客観的根拠に裏付けられていると嘘の主張をし、『差別では無い』と言いくるめようとする人です(もちろん、ここで言う『差別』は「血液型性格判断」の方をさします)。そんな輩に騙され、自らも『差別』の渦中に入らないよう、本当に科学的か、どこまでが科学的かを見極める視点が必要だと思います。

 私はこのHPで、ABOFANさんのやっている事が差別的だと言うつもりはありません。ABOFANさんは、あくまで「血液型性格判断」ではなく「血液型と性格の関係性」を探求しようとしている人であり、むしろ「血液型と性格の関係性」と「血液型性格判断」は慎重に区別しようとしているものと感じてますからね(多分、ですが)。

 ただ、客観的な科学的視点を持たないのが危険なんです。科学的ではないものを科学的と言うのは、(例えABOFANさん自信は「血液型性格判断」が正しいという観点で言っているわけでなくても)、『差別』したがる人達に誤まった根拠を与え、『差別』に拍車をかける危険性はありますね。

ちょっとした雑感でした

差別については、こちらをご覧ください。

 また、「仮に差があったとしても、たいした差でない」とのことですが、データを見ると県民性よりは大きいようです。しかし、真面目に「県民性なんかあるはずがない」と主張している人は私の知る限りいないようです。

 しかし、実際のデータを見ると、血液型による性格の差を感じている人は70%程度なのに対し、県民性は50%程度ですから、そういう意味では「県民性なんかない」と感じている人も多いと言えます。

 Jさんによると、「県民性なんかあるはずがない」ということになります。これは、私には少々疑問に感じられます。

 また、具体的なデータによる反論がないのも不思議というしかありませんが、そういう方針ということなのでしょうか?

メール(その11) H18.4.12 22:43 [3通のメールをまとめました]

久方ぶりです。多分待っていなかったでしょうけど、お待たせしました。
返事は早くから書き始めていたものの、結構書く事が多すぎて、加筆したり校正を繰り返すうち、気付いてみたら約半年のブランクがあいてしまいました。
時間をかけた分、というわけではないのですが、今回は3部作でお送りします。

…というか、量多すぎ、って思う人の方が多いかな。

でも、ABOFANさんって、ちょっとでも自分の問いに答えていない箇所があると、自分の事を棚に上げて「そっちが答えてくれるまで、こちらも答えません」とか言う人みたいだからさ、無駄に停滞させないためにも、極力いっぺんに全て答えておいた方がいいと思うのよ。

まぁ、せっかく色々書かせていただきましたので、ABOFANさんも読者のみなさんも、焦って読み下そうと思わずに、時間をかけて吟味してみてくださいね。

まずは「メール(その9)」のお返事について見てみましょう。

えーと、毎度の事ながら、『質問(と思われる)部分にだけ回答します。』とのフレーズに反し、質問にきちんと対応した回答が無かったり、回答になってなかったり、回答せずに問い返したり、ってなのばかりな気がするのですがどうでしょう?
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>> 相手が「正しい」と主張する事を論理的に突き崩していくのが『論争』じゃなかったでしたっけ?
>> 自分が正しいと言えば論争が終わるなんて、なんとまぁ、素敵な考え方ですこと....。
>「正しい」基準を自分が恣意的(?)に決められる、と思っている人がたまにいるようですので…。

いきなり意味不明のレスから始まっています。
私のコメントを『質問』として受け止めていただけたのでしたら、求められている『回答』はABOFANさん自身が「相手が「正しい」と主張する事を論理的に突き崩していくのが『論争』」という認識を持っているのか、それとも『論争』に別な解釈を持っているのかについてですよね。

でも、これを読むとその肝心の「ABOFANさんの考え」が分からないし、『「正しい」基準を自分が恣意的に決められる、と思っている人がいると,なんでABOFANさんが正しいと言えば論争が終わる事になっちゃうの???』と、ABOFANルールの謎がますます謎めいてしまいます。

結局、他人のせいにしたがるのはABOFANさんのいつもの事ですが、「だから自分は〜なんだ」というのが抜けてしまっては、他者の例を引き合いに出した意味すらわからないものになってしまいますよ。
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>ちなみに、手元のマイクロソフト『エンカルタ2005』ではこうなっています。
> 統計力学 とうけいりきがく Statistical Mechanics
> ひじょうに多数の粒子からなる系の平均的な性質を予測しようとする学問分野。
> 統計力学においては、粒子の運動を予測し、記述するのに、統計学の原理を応用する。

ABOFANさんお得意の引用ですが、何故これを引用したのか私には分かりません。
引用部分では、対象としているのはあくまで「粒子の運動」であり、記述に統計学の原理を応用していると言っているわけですから、まさに「統計という道具を記述に利用した力学」と私には理解できますから、むしろ私の意見を支持しているように読めます。
少なくともどこにも「統計力学」=「統計の一種」とは述べていませんし、統計が未来予測力を持つかとに関しても触れていませんね。

 おそらくは、「解釈の違いだ」と騒ぐのでしょうし、私自身この解釈が絶対正しいと言うつもりはありません。
ですが、引用だけして何も自分の解釈を述べていないくせに、後からそうじゃないと騒がれてもお門違いなんですけどね。
で、このような謎引用をしておいて、いきなりこんな事を言い出すから困り者です。

>ということは、Jさんの主張は、統計はあくまで補助科学ということになるのでしょうか。

ん?ん??んんっ???
「ということは」ってことは、以下の文の理由がこの引用部分にある事になりますが、どこに「統計は補助科学」と書いてあるんでしょう?
というか、これは単に私の不勉強なのですが、「補助科学」ってなんでしょうか?
それは「科学」なんでしょうか「科学ではない」のでしょうか?(辞書をひいたりググッてみたりしましたが用語の解説は見つけられませんでした)。ABOFANさんはなどんな意味で使っているのでしょう?。この意味がわからないと問いに答える事ができませんので、申し訳ありませんが教えてください。

ただ、私は以前「統計は単なる道具」と明言していまして、『補助科学』という言葉の意味がそれと同じであるならば、別に今までの話題に出ていない用語を新たに持ち出す必要はないはずです。また、意味が「統計は単なる道具」という考えと異なるのであれば、何故当人が実際言っている言葉を無視して、違う意味の言葉を使って解釈しようとするのか、甚だ疑問です。
この2つ以外の、あえて『補助科学』という表現を持ち出す理由があるのなら教えてください。

で、次の段ですが、また尻切れトンボです。

>それなら統計の定義のしかたですから…。

だぁかぁらぁ,統計の定義のしかただから何だって言うのですかぁー?
(はっきり最後まで言い切る事ができないほど自分の理解に自信が持てないの?)
というか、ものすごいなと思うのは、統計への理解の問題を、定義の問題にすりかえようとしているところですね。多分、他の所で“性格”とかの「定義」の仕方の議論があったもんだから、統計も「定義」の問題ですり抜けようと思ったのかもしれないけど、こんな事を言っちゃうと『統計』と言うものに対し、本来すべき理解が十分ではなく、自分勝手な理解(と思っていること)を「定義」して『統計』を語っている事を暴露しすることになっちゃいます。

「科学」やら「統計」っていうのは、各人が勝手な解釈(定義)でそれを語り、運用するものなのでしょうか?このHP上における「統計」や「科学的」という概念は、本来持つ意味を無視して、ABOFANさんが都合よく定義したものだから、科学分野における同用語とは関係有りませんよ、というのであれば十分腑に落ちますが。

>> 問:統計自体に未来の予想力が無いという話題に対し、統計力学の話を持ってきた意味は?
> Jさんが、統計はあくまでも補助科学である、と思っているとは考えていなかったからです。

私は「補助科学」という言葉を理解していないわけですから、現時点で私が「統計はあくまでも(ABOFANさん言うところの)補助科学である」と思っているのかは私自身分からないし、ならばABOFANさんにも私がどう思っているか分かりようがないはずです。
そのような不確定な事を勝手に決め付けて『理由』として挙げてしまう事に無理がありますね。

それに、私が聞いているのはあくまでABOFANさんが「統計力学の話を持ってきた意味」です。
だって、ABOFANさんが話題を持ち出してきた時点で、(その時は私がどのような統計の捕らえ方をしているのか知らなかったのだから)『自分(ABOFAN)の統計に対する考え』を元に、何らかの意図を持って「統計力学の話を持ってきた」はずです。だったら、答えは、「私(J)が云々」ではなく、『自分(ABOFAN)の統計に対する考え』と「統計力学の話を持ってきた」事の繋がりのはずではないですか?

 そういえば、ruruさんにはこんな事言ってましたね
>科学的云々を主張するなら、まず前回の私の回答に対して何らかのコメントがあるべきだと思いますが…。
>私の回答、しかもruruさんが質問した部分を全く無視したうえ、
>更に相手に質問するとは科学的以前の問題だと思いますがいかがですか?

それならABOFANさんはもっと酷い
統計力学の話を自分で振っておいて、答えさせるだけ答えさせといて、質問の趣旨を説明もせず、都合のいいように私の考えを決め付けた上で、そのせいにしてスルーしようとするのは、『「科学的以前の問題」以前の問題』だと思いますがいかがですか?
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>>>> モチロン、無限な母集団は統計できませんよ。
>>> はぁ、できますが?
>>...これも、質問ではなかったから『回答』ではないのでしょう。
>>でも、できない事について『できるんだからできるんだもん』では、子供並ですねぇ。
>無限母集団でも統計量は計算できる場合があるというruruさんの主張のとおりです。

はぁ,「ruruさんの主張のとおり」ねぇ...。
そんな事を言う以上、ABOFANさんはruruさんの主張の理由・根拠を全て理解してるってことよね(じゃなきゃ、自分が説明すべき理由とruruさんの理由が同じかどうか分からないはず)。
だけど,ABOFANさんのruruさんに対する
>はい、無限母集団からのランダムサンプリングと見なすということですね(違うのでしょうか?)。
>#例えば、サイコロの目の分布とかですか?この「無限」は「アレフ・ゼロ」ですよね?
といった、“?”ばかりのレスは、むしろその摺り合わせが不完全である事を示していますし、その後議論は紛糾し,停止状態ですよね。それに、その中の「?」の一つである「アレフ」についても、今回の私へのレスの中で
>#アレフの部分の回答はまだのようです。
と言っているわけですから、ruruさんとABOFANさんの無限に対する意見のすり合わせが未了である事が確実です。なのに、「ruruさんの主張のとおり」では、辻褄が合わませんね。

『できるんだからできるんだもん』の次は『○○君ができるって言っているからできるんだもん』かぁ
やっぱり、子供並ですね。
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>>『そもそも、原理的に(0〜1までの間の連続量であっても)無限母集団からランダムサンプリングができない』
>できる場合とできない場合があるでしょう。

出たぁ!回答になっていません(苦笑)。
私はできない根拠を挙げていますよ。その上で「無い」って言っている人に、根拠も挙げず「あるでしょう」って同意を求めてくる神経が分かりません。
だ・か・ら、「できない」って言われている事に対して反論するなら、単にどんな場合で、どういう理由で「できる」のか説明すればいいだけでしょ。それとも、そんな単純な事ができない理由が、「本当はよく理解していないから説明できない」以外に何かあるのでしょうか?

へぇ、ABOFANさんの反論のレベルって、この程度なんだ。
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>まず、血液が性格に作用するという前提が必ずしも正しいわけではありません(遺伝子連鎖など)。
>また、すべてが確率・統計的に検証が行われるわけでもありません。

前段が良くわかりません。何にいちゃもんつけているの?
もしかして、思考を助けるための「もし」という仮定にいきなり反発してしまっているのかな?
「仮にここにリンゴがあるとして...」といって話を進めようとする人に対し、「ここにはリンゴはありません!」って言っちゃうような、思考実験ができないおバカさんなのかしら?

 まぁ、そんな事は捨て置いて、前は「ランダムサンプリングは不要」と言っていたくせに、「すべてが確率・統計的に検証が行われるわけでもありません」とトーンが落ちていますね。
つまり、「ランダムサンプリングは不要」といった自論は「ランダムサンプリングは不要な場合もあるかも」に修正されたって事でOK?
------------------------------------------------------------------
>>>行動心理学は違うと思いますが。
>>「思いますが」って...今度は単なる『感想』ですか。
> ぜひ、行動心理学の入門書をご覧ください。

 うーん、あなたは「行動心理学は違う」と言っているのではなく、「行動心理学は違う“と思います”」と言っていますよね。これでは、行動心理学に対する単なるあなたの感想でしかないよ、って私は言いたかったのです。

>> あと、余力があったら、「行動心理学は一貫した法則性を探っているわけではない」と“思う”
>>理由でも教えてください。
>しつこいようですが、ぜひ、行動心理学の入門書をご覧ください。

ここも全く同じ意図。だから“思う”という部分をわざわざ強調しています。

上手く意図が通じなかったみたいだから、もう一度説明させていただきますが、私が問題にしているのは、ABOFANさんの言っていることが議論の対象となる根拠なのか、議論の対象にならない個人的な感想なのかと言うことです。
例えば、国語において「主人公は何故そう言ったのか」は問題として提示し正解を設定する事ができます(まぁ、こういった国語の設問の立て方には色々問題もありますが、本題と関係ないので省略)。しかし、「主人公は何故そう言ったと思うか」だと、議論できません。何故なら、回答者が「実際にそう思った」のであれば、どんな回答であろうと設問に正しく答えている事になるからです。

同様に、ABOFANさんがいくら「行動心理学」を持ち出してきても、それについて『思った事』ばかりでは単に感想ですから根拠にも論議の対象にもなりませんよ、といった事をABOFANさんに言いたかったのです(それとも、「行動心理学は違う」とか、「行動心理学は一貫した法則性を探っているわけではない」と言い切ると、何かまずい事でもあるのでしょうか?)。おわかりいただけたでしょうか?
 というか、前にご自分でも言ってますよね
>#個人の印象には反論できませんから…。
って。忘れました?

まぁ、意味が通じずお手数をおかけして申し訳なかったのですが、「行動心理学の入門書」云々については、私の問題提起にはあまり関係ないものでした。

でも、せっかくですから、「行動心理学の入門書」について気になる点を述べておきましょう。
心理学の概論書みたいのは、最近よく目にしますが、さほど一般的とは言えない分野(失礼!)の入門書も出る時代なんですね。でも、そこに「行動心理学は一貫した法則性を探っているわけではない」なんて書かれているとしたら、ちょっと問題有りですね。
これはネタになりそうなので、ABOFANさんが執拗に勧める「入門書」なるものは、どこのなんと言う本で、そのどこに「行動心理学は一貫した法則性を探っているわけではない」といった事が書かれているのか、ぜひ教えてください。
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>> 検証が極めて困難だからこそ、アメリカの一部の州ではもっと検証困難なかなりトンデモ臭のする
>> 別な論と並列して教えるなんておかしな話にもなっている。
> これは、主に宗教的な理由によるもので、必ずしも科学的な見地からではないはずですが。

 えーと、科学の話しているんだから、別に宗教の話に摩り替える必要はないのでは?
それに、これってどちらが主でどちらが従かって問題かしら?
確かに、「宗教的な理由」が無ければこんな事態にはならなかったろうけど、「宗教的な理由」が何にでも優先するなら、経典内容を否定するような科学における他の様々な理論全てを経典内容と並列して教えるはめになりますよね。でも、そうではない事から考えると、「宗教的な理由」だけでなく、進化論と他の科学理論と検証力の相違も大きな影響要因となっていると見れます。
「宗教的な理由」と「検証困難な理由」の相乗効果、というなら分かりますが、あくまでも『宗教的な理由』を主としたがるABOFANさんの根拠が見えません。

それと、引用部分の前には「進化論や天文学ではランダムサンプリングが必要になるのでしょうか?」と言うABOFANさんが質問した部分に対する私の見解を書いておいたはずですが、それは全く無視ですか?
...え〜と、もう一度ABOFANさんのruruさんに対する発言を引用しておきたいと思います。
>科学的云々を主張するなら、まず前回の私の回答に対して何らかのコメントがあるべきだと思いますが…。
>私の回答、しかもruruさんが質問した部分を全く無視したうえ、
>更に相手に質問するとは科学的以前の問題だと思いますがいかがですか?
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>> もちろん、仮に検証するとすれば、その再現性の確認において、統制条件次第で統計的な見地が
>> 必要になるならランダムサンプリングが必要ですし、統計は必要ない場合もあるでしょうね(この辺
>> まだ分かってないんだろうなぁ)。
> でも、血液型は必ず「確率・統計的にその作用の内在を検討する必要がある」ということですね?

 やっぱりABOFANさんは、この辺まだ分かってなかった!(笑)
 どうしても変動要因を分離できないのであれば、「確率・統計的にその作用の内在を検討する必要がある」し、変動要因を分離できるならば現象の観察だけでいけるかもしれない、といった、状況に応じた必要性の違いを述べているんですよ、私は。
 それこそ、力学分野において、ある程度はニュートン力学でいけるけど、膨大な分子の運動を記述しようとする場合には緻密な計算がほぼ不可能だから、統計を利用する必要が出てくる(これが統計力学ですよね)のと同じですよね。
だから、『血液型は必ず〜なんですね?』って聞かれても、「それはあなたの研究対象の絞込み方によりますよ」としか言いようが無いです。

先走った自分流の解釈をそのまま人に押し付けようとする前に、まず、自分の考える血液型の作用は「一貫した作用(=法則)があっても、常に変動するその他の要因による作用によって一貫しては観察できないし、その変動要因を全て分離する事はできない」といった用件を満たすものか否か、自分で考えるべきでしょう。
その上で、「では、血液型について、これこれこういう前提でこんな観察を試みる場合は、確率・統計的にその作用の内在を検討する必要がある事になりますよね?」と聞いていただけるなら、助言してあげることもできるのですが。
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>> 仮に、『全ての天体(あるいはある範囲の天体全て)に一貫して現れる法則性』の仮説を立てた場
>> 合、かつその全数調査が物理的に不可能な場合はランダムサンプリングが有効。
> ???
> ケプラーの法則でも、チャンドラセカールの限界でもなんでもいいのですが、
> ランダムサンプリングなんかしてないはずですが?

こっちが「???」ですね。
そっちが、「天文学ではランダムサンプリングが必要になるのでしょうか?」って聞いてきたから、天文学でランダムサンプリングが必要なケースを考えてあげたって言うのにこの答え。
 そんな反論をしたかったのであれば、質問は「天文学ではランダムサンプリングを使っていたのでしょうか?」ってすべきだったじゃないの?
それとも、その「ケプラーの法則」とか「チャンドラセカールの限界」とやらで語られるもの以外は「天文学」の研究対象としては『必要無い』って言いたいのかしら?

質問されて、その趣旨に沿って一生懸命答えたら、質問の趣旨と全く違う事を引き合いに出して批判するってどういうこと?小難しい法則名を並べてハッタリかます前に、自分の反論の的外れさ加減に気付きましょうよ。

えー、もう一度ABOFANさんのruruさんに対する発言を引用しときます(しつこいね)。
>科学的云々を主張するなら、まず前回の私の回答に対して何らかのコメントがあるべきだと思いますが…。
>私の回答、しかもruruさんが質問した部分を全く無視したうえ、
>更に相手に質問するとは科学的以前の問題だと思いますがいかがですか?
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>> 問:『血液の性格に対する影響の一貫性』があれば何でランダムサンプリングは不要なの?
> 物理学は必ずしもランダムサンプリングは不要です。

細かいこと言うけど、「必ずしも」は否定形につなげるべきなので、
『物理学は必ずしもランダムサンプリングが必要ではない』あるいは
『物理学は必ずしもランダムサンプリングが不要ではない』とするのが、文法的に正しいでしょう。
で、それぞれニュアンスが違うんだけど、ABOFANさんが言いたいのはどっち?

まぁ、そんな事は実は大した問題ではなくて、なんで『血液と性格』の話に物理学を持ってくるのかが大きな疑問です。
じゃぁあれですか?ABOFANさんは、“性格”というものが物理学でランダムサンプリングを必要としない研究対象と同様の性質、つまり不確定要因の多くが排除でき、誰が判断しても同じ結果が得られるような客観的な測定が比較的容易にできるものである、という前提で考えているってこと?
そう思ってるのでも無い限り、ここで物理の話を持ち出す意味は無いはずですよね。
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> 問:進化論や天文学ではどんな研究方法であってもランダムサンプリングが不要なの?
> 具体例を挙げていただかないと、答えようがありません…。

すごいすごい。
自分では、「進化論や天文学ではランダムサンプリングが必要になるのでしょうか?」って漠然と振って答えさせようとするくせに、いざ自分に質問を返されると「答えようがない」ですか。いやはや、なんて都合のいい。

というか、「どんな研究方法であっても」という質問に「具体例を…」って言う事がそもそもおかしい。
その学術分野における全般的な目的や役割を検討し、その結果として「ランダムサンプリングが必要になる」可能性があるのなら『YES』だし、「ランダムサンプリングは絶対必要にならない」ならば『No』って言うだけの、いたってシンプルな問いなんですが。
それとも、そんな検討もできないような進化論や天文学の把握レベルで、この2つの話を持ち出したり、はては噛み付いたりしてたって事かしら?
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>> 問:アレフ0の場合とアレフ1の場合について「∞/∞」のそれぞれの結果を
>> (結果が違う事が分かっていると言うことは、結果を既に知っているってことですよね)
> 除算の原理どおり考えればいいのではないでしょうか?

おーい、除算の原理でいけば、「∞/∞」は無意味(二つの∞には大小関係が無いため、計算出来ない)んでしょ。だから、アレフ0だろうとアレフ1だろうとこの原則に適用すれば、どちらも「計算不能」って“同じ”結果になっちゃう事になるんでしょ。

だけど、ABOFANさんは、あくまで「結果が違う」って言い張るから、私は『除算の原理』ではなく、アレフ特有の処理方法があるのだと思って「違う結果」は何かと聞いたわけですよ。
それなのに「除算の原理」を持ち出してしまうって...ABOFANさんが無限の特性も除算の原理もよく知らないまま、アレフアレフと騒いでいたってことを自分でバラしちゃいましたね。
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>>ABOFANさんが一番したかった主張は、『血液型と性格の研究の対象となる人間のサンプル数は
>>自然数的な無限母集団だから、ランダムサンプリングは原理的に不可能』だったんじゃないの?
>> その一方で、『自然数的な無限母集団は、ランダムサンプリング可能』という主張をする事に、
>>自分で矛盾は感じてないのかしら。
> 元々は、ruruさんの主張(社会調査)に反論するためですが?

あなたは、ホント馬鹿正直ですね。
つまり、相手にイチャモンつけるためなら、自分の主張に一貫性が無くてもかまわないってことね。
そ・れ・は、単なる「いいがかり」って言うの。『論理』が通らないのは「反論」って言わないの。
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>> 『現在までに得られているデータを矛盾なく説明できれば、その物理法則は正しい』
>> なんて考え方は、天動説の時代のもの(考え方が尋常でなく古すぎるので笑っちゃいます)。
>私はそんな意味のことは言ってないはずですが…。表現上そう解釈できるということですか?

....あの〜
『ランダムサンプリングは必要ですか?』における[蛇足1]内で
「現在までに得られているデータを矛盾なく説明できれば、その物理法則は正しい(正確には、現在まで間違いが証明されていない)とされます。」
とおっしゃっておりますのを、ほとんどそのまま引用しただけなんでございますが。

「そんな意味の事言ってない」?「そんな意味」どころか「そのまま」言ってますよ。
「表現上の解釈」?だから、解釈以前に、表現そのままなんですが。

ここまでくると、ABOFANさんの反論、というか言いがかりも
あまりにも支離滅裂で何でもありなんだなぁ、としか言いようがありません。
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てなことでひととおりコメントつけてみました。
本当はまだ付け足りないぐらいだけど、他のもあるしね。

ABOFANさんのレスって、ほんのちょっぴりしかないのに、ボロがボロボロ出るところが面白いです。でも、さすがに最後の方で自分が以前言った事を取り上げられたのに対し『そんな意味のことは言ってないはず』と言い出したのは、ちょっと怖いものが有ります。

なんというか、私の事に噛み付きたい気持ちが先走っている事は十分わかるのですが、論理を見失っては言いたい事も伝わりませんよ。

さて、次回の『質問(と思われる)部分にだけ回答します。』はどんな風になるのかな。

・ 今回指摘されたABOFANさんの回答の不備の補強あるいは訂正も含まれるのか。
・ その他いくつか書いてあった『質問』のどれを『質問と思って』答えてくれるのか。
・ 「ABOFANさんが論争を放棄しているのに、私を『論争』の当事者として扱う矛盾」について,
少なくとも「私の論争の相手は誰なんでしょう」という「質問」が結構保留されていますが回答はまだか

あたりをどうABOFAN節で処理するのか楽しみにしています。

 他にも、これまでの膨大な私の文章と簡素なABOFANさんのレスの差から十分予測されるように、もっともっとABOFANさんが未対応な問題提起も残されているはずですが、まぁ、それもそのうちほじくりかえしてチクチクつついてみましょう。
 
 私も、ABOFANさんの問いかけにはなるべく答えているつもりですが、何か残っているものがあったら遠慮なく指摘してくださいね。ただし、私は一応答えているのにもかかわらず、ABOFANさんの欲しい答えではないといった自分勝手な都合でだんまりきめこんでいるくせに、「ちゃんと答えていない」ってイチャモンつけるのは無しね。

次もあるので、まずは「メール(その9)」のお返事の返事はこの辺で。

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さて、2本目どす。

前回、【差別問題について】と題し、「血液型と性格の関係性」を研究する事自体は別に「差別」ではないが、客観性を失い「自分の求める方向性の結論」のみを一足飛びに求めようとする事の裏には「差別」が隠されている、とした上で、「差別」自体が問題と言うよりも、自分が「差別」しているにもかかわらず、それを「差別」ではないと勘違いしてしまう事に問題がある、といった趣旨の事をのべました。

>具体的なデータによる反論がないのも不思議というしかありませんが...

私は単に“血液型と差別の関係について考えてみた“って言っているのに、それを勝手に何かの反論として扱われるのはかえって心外ですよ(苦笑)。
こんな事を言い出すABOFANの方こそ不思議というしかありませんが...

まぁ、ちょっとした話題提供のつもりでしたし、なるべく何が何でも反論のポーズを取りたがるABOFANさんの逆鱗に触れて、また滅茶苦茶な事を言わせてしまわぬよう『ABOFANさんのやっている事が差別的だと言うつもりはなく、むしろちゃんと「血液型と性格の関係性」と「血液型性格判断」は慎重に区別しようとしていると感じている』と持ち上げておいたのに、それでもABOFANさんにくってかかられてしまいました(苦笑)。

で、私の意図としては、別にABOFANさんを攻撃したり、論のつまづきを露呈させる目的で投稿したわけではなかったんですけど、結果として、勝手に突っかかってきて、ひとりで勝手につまずいてくれて、さらなるネタを提供してくれました。

ただ、結構込み入ってますよ、ここのおかしさは。
おかしい、というのは一読して分かるのですが、それを「おかしくない」と思い込んでいる人に説明しようとすると、単純な間違いが複数相互に絡み合っておいるものだから、どうやって個々の間違い分離すれば分かりやすくなるのか、けっこう悩みました。
でも、これだけ短いレスに、これだけ無茶苦茶なファクターを詰め込めるABOFANさんは天才としか言えません。

まずは、文章の構造を検証するため、センテンスごとに分類しておきましょう。
以下の検証では、この番号で指摘していきます。

@ (Jは)「仮に差があったとしても、たいした差でない」と言う
A データを見ると県民性よりは大きい
B 真面目に「県民性なんかあるはずがない」と主張している人は私の知る限りいない
C 実際のデータ=血液型による性格の差を感じている人は70%程度/県民性は50%程度、
D そういう意味では「県民性なんかない」と感じている人も多い。
E Jさんによると、「県民性なんかあるはずがない」ということになる
F これは、私には少々疑問に感じられます。
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【論理の飛躍】
さて、ひとつ問題です。
A君は100円しか持っていません。そして、B君はA君よりお金を持っていないそうです。さてB君の所持金は?
a B君は1円も持ってない
b B君は100円未満しか持っていない
どちらが論理的に妥当な答えでしょう?
aと答える方はいませんね。確かに所持金0の可能性もありますが、そこに限定する根拠はありません。そこで、所持金0も包括するbの答えが論理的に妥当となります。
 そこを理解した上で、ABOFANさんの@→Aの流れを見てみましょう。
@(Jは)「仮に差があったとしても、たいした差でない」と言う
A データを見ると県民性よりは大きい
さて、この次に入れるべき推論はどちらでしょう?
a(Jは)「県民性なんかあるはずがない」と言っているのと同じ
b(Jは)「県民性はもっとたいした差ではない」と言っているのと同じ 

aがおかしいのは理解できますね。でもABOFANさんはEでそのaを選択しています。
まず、基本的な論理構成からおかしなことになってしまっています。
------------------------------------------------------------------
【対象のすりかえ】
@で言った私の意見の対象は、「血液型と性格の関係性」ですね。
では、ABOFANさんがAで「県民性よりは大きい」と述べている対象は何でしょう?
@→Aと読むと、『「血液型と性格の関係性」は県民性よりは大きい』と読めてしまいますが、実際にはそれはCで述べているように、あくまで「血液型による性格の差を“感じている人”」です。

 そもそも私の、『仮に差があったとしても、たいした差でない事が予想されます(「その差は1〜2割」と言っている方もいます)。』という発言は、他ならぬABOFANさんによる『回答率の差は10〜20%であまり大きくはない』という仮説(らしきもの?)を元にしたものです。その分析方法や解釈の妥当性はともかく、ABOFANさん自身が最も納得のいく結果であると感じているものと思い、波風立てぬよう私はその意見を拝借したわけです。
 
しかるにどうでしょう。 
 自分が最も妥当と思っているであろうはずの『回答率の差は10〜20%』という考えや、その考えの元になった比較的妥当性のある(と思っているであろう)検証データを無視し、よりあいまいな「どう感じるか」といったアンケート結果を題材に持ち出してきます。
 もしも「血液型と性格の関係性」のデータがこんなアンケート結果しかないのであれば、「そんなデータ程度じゃ根拠にならないよ」と一笑するだけで済むのですが、ABOFANさんはもっと妥当(らしき)データを知っているにもかかわらず、あえてそういうことをするわけです。

相手に反論するためなら、自論を捻じ曲げてでも粗悪なデータの方を重視するといった事なのでしょうか。
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【 主観と客観の辻褄の合わなさ】
B 真面目に「県民性なんかあるはずがない」と主張している人は私の知る限りいない
D そういう意味では「県民性なんかない」と感じている人も多い。
E Jさんによると、「県民性なんかあるはずがない」ということになる
F これは、私には少々疑問に感じられます。

Dの結果は一応データに基づくものですからいいとして、Bは単に自己経験上の話をしているだけですね(実際にそんな人がいるのかいないのかは明確ではありません)。ABOFANさんが何故わざわざこんなあいまいなBを入れたかと言えば、単にEからFへの結論に結びつけるための前フリ以外の何ものでもないでしょう。

しかし、BとDを並べてみると『オヤ?』と思う人も多いでしょう(例えば、Bを抜かしてD・Eのみをみると、“Jさん”は特におかしい事を言っているようには見えません)。
『「県民性なんかない」と感じている人も多い』事をデータとして把握しているくせに、『真面目に「県民性なんかあるはずがない」と主張している人は知らない』という主観を殊更強く取り上げるのは、矛盾とは言えないものの、相当に辻褄が合いません。

結局のところ、Fの根拠は、Dという客観的な集計結果ではなく、Bの『「県民性なんかあるはずがない」と主張している人は私の知る限りいない』という主観の方を重視している事になります。
私としては、「あんたの主観の話ならつきあってられんわ」っていうほかありません。
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【批判対象のあいまいさ】
 論理構成のおかしさ、というわけではないんだけど、ABOFANさんが結局何を問題にしたいのかわかりにくいものでした。
@の「(血液型と性格の関係は)差があったとしても、たいした差でない」といった事を否定する目的でCのデータを持ち出すならば、普通は「血液型による性格の差を感じている人は70%程度もいるのだから“たいした差”じゃないか」と言った方がシンプルかつ分かりやすいでしょう。
しかし、ABOFANさんは違います。そこから視点を『県民性』に移してしまいます。
それでより効果的に@を否定できるのなら別にかまわないのですが、果たしてどうでしょう?

Fで述べられるABOFANさんの疑問が向けられる先は
A Eの「県民性なんかあるはずがない」という結論そのものに対する疑問(県民性擁護派)
B Eの結論を導いてしまう元の「血液型と性格の差」の評価に対する疑問(血液型擁護派)
なのか、明確ではありません。
つまり、「県民性」の話題を持ち込んだことで、かえって論点がピンボケを起こしてしまっているのです。

そもそも、今まで別に『県民性』について言及していない人に対して、いきなり『県民性』を持ち出し、『おまえは「県民性はあるはずがない」とでも言うのか!』と詰め寄るABOFANさんは、はたから見れば、目の前の私(J)を無視して、ABOFANさんにしか見えない敵とケンカしているみたいです(そういう意味では、確かに相手の度肝を抜く事はできますけど...)。
正直なところ、ここでわざわざ『県民性』を持ち出した意味と言うのが全く伝わってきません。

多分、ABOFANさんの頭の中で、背理法と隠喩が変にミックスされちゃっておかしくなり、一番明確にすべきところが不満足になってしまっているのでしょう。
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【補足】
きっとABOFANさん的には、『Jさんによると、「県民性なんかあるはずがない」ということになります。』とさえ言えば、私が「そんな事言ってないよぉ」とあたふたするだろうと思っていた事でしょう。
(まぁ、実際には、論理構成が滅茶苦茶で、そんな事を言っている事にすらならないわけなんですが)
でも、仮に「県民性なんかあるはずがない」と言っている事になったら、私は困らなくてはならないのでしょうか?

うーん、そう言われてあらためて考えると、むしろ『県民性』というものについて疑問が沸いてきます。
「県民性」なんかあるんでしょうか?いや、あるなしで語るべきものなのでしょうか?そもそも「県民性」の定義はなんでしょう?何を指して「県民性」と言うのでしょう?そして、「県民性」はどう測るのでしょう?(ホラ、ABOFANさんが苦手な話になってきたぞぉ)
「県民性」という言葉は確かに多くの人が話題にするし、新聞やTVでその言葉が出てきますが、それだけでは「県民性が存在する」根拠にはなりませんよね。むしろ、単に県単位で集計した結果の偏りに対し、その必然性や偶然性を検討する事無く、「県民性」という名前を与えているだけに感じられます。
となると、「県民性」は“有無”で語るべきものではなく、単なる表現方法と言う事になります。であれば、『県民性』は原因ではなく結果でしかないわけですから、少なくとも、言葉的には存在していても、“実存”については疑わしく、「あるはずがない」と言ってもかまわない事になります。

むろん、これは私の雑感であり、具体的な根拠は出せません。というか、いきなり「県民性」という話を突然突きつけられて、その有無についての具体的に根拠を挙げれるほど物知りではありません。
ですが、そもそも、『県民性』の定義やその説明、その存在の有無についての具体的根拠の提示は、『県民性』なるものを突然持ち出して人の批判材料にしようとしているABOFANさんがまず提示しなくてはならないものでしたよね。

さて、私に対し「県民性なんかあるはずがない」と言っていることにして疑問を呈した以上、ABOFANさんは、「県民性なんかあるはずがない」という考えが間違いである事を示すような根拠をお持ちのはずです。
いきなり「県民性」を持ち出してきたものの責として、『県民性』の言葉がさすものの解説と共に、その存在の根拠について“具体的に”理由も添えてご説明くださいね。

そうでないと、私は「県民性なんかあるはずがない」と言っていることにされて、困っていいのかどうなのか、迷っちゃいますわ。
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最後に
もしかして、ABOFANさんの
>これは、私には少々疑問に感じられます。
というセリフは、その前提からこの結果を得てしまった自分の論法がなんかおかしいな、という事を吐露なさったものだったのでしょうか?

ということで、「メール(その10)」のお返事の返事はこの辺で。

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さて、ラストの3本目。

ABOFANさんからろくな返事が来ないかわり、というわけでも無いでしょうか、読者からのメールにちらほらと私の雑文に関するコメントが見られてありがたいですね(皆長すぎてうんざりして読み飛ばしているかもと不安だったんですが)。
 今回はその事について。
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【No.1179のなんだかねぇさん】へ
「盲信派」と「常識派」っていいですね。確かに、私も否定論者にくくられるのは心外ですね。私は、べつに関係の有無に特に信念は無い(だから別にあってもいい)けど、科学的って言う以上、ちゃんと科学的手続きを踏んだ上で言え、って立場ですけど。

>Jさんの御主張は、このサイトで用いられている「科学」なる用語が、世間一般で用いられている「科学」
>という用語と全く別のものだということをビュワーの皆様に伝える役割を結果的に果たしていると思い
>ますので、その有用性は高く評価させていただいております。

ABOFANさんとだけやり取りしていると、言いたいことが伝わらないほど私の文章が下手なのかしら、とちょっと不安になってしまいますが、このように思惑をすんなり読み取ってくださる方がいてひと安心です。

>しかしながら、僣越ながらレフリーを買ってでて敢えて申し上げましょう。
>                   Jさんが悪い!!

あらら、私が悪いのね(涙)。
だけど、なんだかねぇさんのおっしゃることはよくわかってるんですよ。自分でも無粋な事しているなーって思っているもの。
でも、ABOFANさんも、HPの中だけで「科学ごっこ」を楽しんでいるのみならず、『科学』の本職の先生の所にメールを出して「科学ごっこ」に付き合わせようとしているみたいだからおあいこかな、と思って。

それにね、そんな無粋でおそらくは腹立たしいメールもきちんと掲載するABOFANさんの度量の深さを評価し、尊敬した上で、容赦しないのが礼儀かなと思ってやっています。
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【にゃんさん】へ
ほめ言葉ばかりで面映いですから詳しくは触れませんが、伝わる人には伝わるんだなぁ、と言う事がわかり安心できました。
ABOFANの来訪者の中に、なんだかねぇさんや、にゃんさんのような人が出できてくれた事だけで、当初の目的の70%は達成できたと思っています。
あと、以前大型さんも私のこと触れてくだすってましたが、ご自分のページで独自に頑張ってらっしゃる方ですので、詳しく触れるのは割愛させていただきます。

で、にゃんさんへのABOFANさんのレスにいろいろ気になるところがあるので触れておきます。
他の人へのレスを横取りするのは厚かましいけど、これ、結局私に対して言いたい事ですよね。
ABOFANさん、他人に自分の行き場の無い鬱憤をぶつけるのはいかがなものでしょう。
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ABOFANさんの歪んだスタンスが如実に現れているのは以下の一文でしょう。
>>Jさんは具体的かつ平易に「なぜABOFanさんの手法が科学的ではないか」を説いておられます。
> 読めばおわかりのように、Jさんの意見は非常に抽象的です。

 とりあえず、私の文が実際に具体的か否かについてはおいておいて、読んで「具体的」って言っている人に対し、「読めばおわかりのように、非常に抽象的です。」って正反対の意見を当然の事のようにおしつけようとするなんて、人の話を全く聞いていないのでしょうか、あるいは他人がどう評価しようと、自分の評価が絶対である、という前提でしか話ができないのでしょうか。

>Jさんの言うことが間違っているとも言えません。

 まぁ、ありがとう!!     . . .とでも言うと思った?
噛み合わない『回答』を『回答』と言い張るようなABOFANさんの読解力で、果たして間違っているかどうかを評価できるのかがそもそも疑わしいですよ。

> しかし、私の論理が間違っているというなら、
>個別具体的に指摘すればいいのであって、それをしない(?)ということは、
>逆にJさんが反論できないことを自ら証明していることになりませんか?

えっ、えっ、えー!
私は毎回のように、ABOFANさんのレスに対して「個別に」しかも何倍もの分量で、論理の間違いや不十分さを指摘してるよね。そういった都合の悪い事は無かった事に?
まぁ、「具体」云々についてはより深く検討すべきなので次項で詳細に解説しましょう。

それに、そもそも私は、ABOFANさんの科学や統計に対する認識がなってないし、論争するに耐えるような論理性や説明力すら持ち合わせていない、って事を指摘するスタンスだったでしょ。
そんな(ABOFANさんにとって屈辱的な)指摘に対し、ABOFANさんが反論するなりして、論議に耐える認識を持っている事をちゃんと明示してくれない限り、ABOFANさんの論ってのは、反論する価値も無い(少なくと科学とか論理とかの俎上では)無意味なものっていうのが私のスタンスです。

すごいねぇ、あれだけケチョンケチョンに批判され続けられてるにもかかわらず、ほとんど手も足も出していない現状のくせに、こんな程度の言い繕いで、ABOFANさんが実は優位なんだと勘違いしてくれると思っているのであれば、読者をナメすぎてはいませんか?
------------------------------------------------------------------
さて、ここでちょっと「具体的」について考えてみましょう。

ABOFANさんの逃げの常套手段として、「あなたの話は具体的でないから答えようが無い」というのがあります。
 私自身も、以下のような事を言われています。
>申し訳ありませんが抽象的な質問には回答しようがありませんので、
>次回にメールをいただけるなら、お手数ですがぜひ具体的な質問をお願いいたします。
>率直に申し上げて、具体的な指摘がないので反論しようがありません…。(T_T)

この言い訳は、答えないのをあくまで相手のせいにできるというメリットがあるように見えますし、こんなABOFANさんのやり方を見慣れた人は、「論議ではこういう言い訳が通じるんだ」と思ってしまうかもしれません。
しかし、よくよく考えてみると、安直な使い方では「自ら相手の意見を認めてしまっている」ようになってしまうのがお分かりでしょうか。

 例えば次のようなやりとりを見てみましょう
A「君の○○についての見解は間違っている」
B「どこが間違っているのか、具体的な指摘がないので反論しようがない」

 Aの問いかけに対し、もしかしたらBは「YES」と言うかもしれません、それならそれでAの主張は十分目的を達成するわけです。一方、Bが「No」と否定すれば、そこで意見の相違が出るわけですから、Aも「じゃぁ、ここで言っている事はどうだ」と具体的に反論していく意味が出てくるわけです。

 ですから、この対応では肝心な事が抜けています。うだうだ反論できない理由をこじつける以前の問題として、まずAの意見を否定しなくてはならないのです。それをしない事には『Aの意見そのものは否定できない』と言っているのと同じであり、「少なくともどこかが間違っている事は認める」事になってしまいます。
 
とまずは軽いジャブを放っておいて、もう少し話を煮詰めていきましょう
------------------------------------------------------------------
そもそも、具体性って何なんでしょう
ABOFANさんに倣って、広辞苑でも引いてみましょう。
>【具体的】@形を備え、存在が感知できるさま。一般的と言う意味での抽象的に対し、
>実体的・個別的なさま。具象的「−な例を示す」「−に説明する」A物事を、あらゆる
>面から、他物との関連を含めて十分に検討してとらえることについていう語。
 
 「形を備え、存在が感知できるさま」とか、「実体的なさま」をHP上の論争の場で示すのはどだい無理なはずなので、ABOFANさんが求めているのはこの中の「個別的なさま」である事になります(あるいはAの意味だとすれば、それこそ私は様々な角度から、ABOFANさんを検討してとらえているのですから、まさしく具体的であると言えるでしょう)。

となると、例えば「ABOFANさんは間違っている」という発言について『具体的』に示せ、と言われた場合、ABOFANさんの多くの発言の中からその間違っている箇所を『個別的』に取り上げて示せばいいことになります。

あれ???
これって「具体的でない」と逃げ回られている私や他の論客が結構やってる事ですよね。例えば、レスを引用してそれを題材に批判を入れる、って行為は立派に「個別的(=具体的)」って事になります。
 
となると、私達は広辞苑さんの言うところの「具体的」な指摘という行為を十分おこなっている事になります(ちなみに「具体的に指摘しろ」と言われた場合、どの箇所がそうであるかを示すだけでOKなはずですが、みんなちゃんと理由まで添えているのですから、親切極まりないと言ってもいいでしょう)。
すると、ABOFANさんは「具体的」な発言に対し、「具体的でない」と評してしまっているわけですから、どうも問題は「具体的では無い」と言われている私達ではなく、ABOFANさんの方にあるようです。

にゃんさんは
>「ABOFANさんが理解できない」場合、ABOFANさんはそれを
>「抽象的なことしか書いていないからだ」と認識してしまう
と言っていますが、これはなかなか鋭い。
私もこれは『認知的不協和理論』で説明できるABOFANさんの問題だと分析しています。

『認知的不協和理論』で有名なたとえ話を紹介しますと、狐が木に実っている葡萄を取ろうとするが届かない。本当は取りたいけど取れないという葛藤を解消するために、狐は(実際に味見をしたわけでもないのに)「あれはすっぱいに違いないから取らないんだ」と自分にいい訳するというものです。

 この理論に当てはめれば、ABOFANさんは「反論できない」事実を受け入れると葛藤が生じるため、それを解消するため、(実際に相手の問いが「具体的」かどうか確かめてもいないくせに)「具体的ではないから」と理由付けをし、「反論できない」のではなく「反論しない」のだと言い張っているもの、と考えられます。
 
※ ちなみに、こんな話も、ABOFANさんの発言全般の中から、「具体的」という言葉の使い方を個別に取り上げているわけですから、十分具体的な批評となりますね。
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さぁ、さっきのABOFANさんの発言に戻りましょう。

>しかし、私の論理が間違っているというなら、個別具体的に指摘すればいいのであって、
>それをしない(?)ということは、逆にJさんが反論できないことを自ら証明しているこ
>とになりませんか?

自分の論理が間違っているというなら、個別具体的に指摘すればいいと言っておきながら
実際は既に具体的に指摘されているにもかかわらず、その事について無視しようとするということは、
逆にABOFABさんが反論できないことを自ら証明していることになりませんか?
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さて、オチがついたところで、にゃんさんへのABOFANさんのレスの吟味に戻りましょう。

>例えば、物理学でいえば、古典力学は(個別具体的な観測データを無視して)その体系の中でだけ考え
>ているなら必ずしも正しくないとは言えません。

古典力学だって、具体的な観測データを元に作り上げられてきたんですから、別にデータを無視しているわけじゃ無いわよ。
というか、「必ずしも正しくないとは言えません。」って表現は、『ほとんど「正しくない」だけど、全てがそうではない』って意味になり、つまりABOFANさんは古典力学のほとんどが間違っている、と言っていることになります。うわぁ大胆。

そもそも、体系の中で云々と言う話も、古典力学で求める観測データの範囲内で作り上げた体系の中では有効に機能するが、別な体系の中では、古典力学の理論よりももっと有効な理論の方が使えるってだけの話でしょ(例えば、マラソンの走り方が100m走での速り方と異なるのは、100m走の走法がそもそも走り方として間違っているわけでなく、マラソンという体系では有効ではないだけ、というのと同じ)。

というか、「(個別具体的な観測データを無視して)」のカッコ書きから、ABOFANさんが「科学」と言うのをなにか、事実を無視して理論をもてあそぶようなものと勘違いしている事が示されている気がするのですが、いかがでしょう?

ある掲示板で見つけたコメントを紹介しましょう
>別に科学を否定しているわけではありません
>しかし、科学という日常生活から切り離し固定化された仮想の世界観、
>そのような概念上に固定された三人称の世界ばかりに目を向けすぎてしまうと
>大事なことを見失ってしまうのではないでしょうか?

この人は、科学というものに対し,「非現実的」で「理屈優先主義的」なものと誤解しています(おそらくは,TVやマンガに登場する”科学者”が『理論上は正しいはずだ』と言いつつ,失敗する姿を見て,安易な誤解をしているのだと思います)。

 実際の科学は、むしろそんな捉え方とは正反対で,「どんなに理屈が通っていてもそれが実際に予測どおりに確認できなければ”正しい”と認められない」という,極めて現実主義な分野なのです(逆に、どんなに突拍子が無い理論でも,実際にその予測が当たるならば”正しい”と認められる)。

そんな科学性を踏襲する古典力学に対し、「個別具体的な観測データを無視して」なんて言ってしまうABOFANさんも、とある掲示板の人と同じように、科学に対し何か安易で幼稚な誤解をしているのではないでしょうか。
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>血液型でも同じで、従来の性格心理学の体系では説明できない事実が発見されれば、
>いくら性格心理学の体系が(その体系自体に矛盾がないから)正しいと主張しても意味がありません。
>私はそう思います。
>多くの人もそう思っているのではないでしょうか?

そりゃ、私だってその事聞かれたら「そう思う」っていうわよ。
誰も“そう思わない”って言って無いし、そもそも、私はそんな観点で話してないよね。

別に私は性格心理学擁護派ではなく、そもそも、今までの話題でも「性格心理学での学説」と照らし合わせてABOFANさんを批判した事はないはずよ。なのに、とうとうとこんな事を語り出されてもねぇ。

なんか、こんなの見ていると、ABOFANさんって、『人の話の内容をろくに読まず、自分が一番答えやすい(と思っている)否定論者のパターンに無理矢理あてはめようとしている』としか思えませんね。
反論のバリエーションが貧弱なくせに、反論のポーズだけは取りたいもんだから、勝手に言ってもいない事をあたかも言っているかのように解釈したり、どうしても手持ちの反論が当てはめられないもの、あるいは今までなんとか対峙できた否定論から外れるタイプの批評については、それだけで「具体的でない」と却下したりしているのではないですか。

あとさ、一見妥当そうに見えるこのABOFANさんの主張もね、「科学的方法論」をしっかり踏まえた人が言わないと、重みが無いのよね。だって、このフレーズは似非科学分野の人が、自説が受け入れられない事理由を述べるとき、自分の「科学的方法論」の認識の欠如を棚に上げて語る際の常套句みたいなものだから。

あと、本当に科学的な観点を持つ人であれば、『従来の体系では説明できない事実が発見されても、元の体系の方が正しい』、なんて言わないはず。何故なら、科学は従来の体系では説明できない事実を取り入れて、より体系を正しいものにしていくものだから。
もし、そんな事を(戯言ではなくて)科学的見地として本気で主張するような人がいるんなら(そして、それが、ABOFANさんお得意の勝手な曲解に元づく思い込みでないなら)、なんなら私からも文句言ってあげますよ。
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>もしにゃんさんがJさん知り合いであれば、ぜひ私の意見をJさんにお伝えください。
>お手数ですがよろしくお願いします。m(._.)m

うーん、別に、わざわざ人に頼まなくても私の頁に追記すればよかったのではないでしょうか?

 というか、複数の投稿者をお仲間、あるいは同一人物視したりしがちなのは、ABOFANさんお得意のパターンですよね。
 私も「Jさんには過去にもメールをいただいたような感じもしますが、気のせいなのでしょうね。」なんて言われた事がありますし,にゃんさんにしても、知り合いかどうか私には分かりませんが(さすがにあの分量の文章やHNで知り合いか否か判断できるような超能力は持ち合わせていません)、少なくとも当人が私と知り合いであるとか一言も言っていないのに「知り合いであれば」なんて突然言い出しています、。
 不思議なのは、誰に対してもそうではなく、相手は必ず「ABOFANさんに対し否定的・批判的意見を言う人」で、「自分に肯定的・支持的意見を言う人」に対しては,不・思・議・と「同じ方ですか?」っては言いませんよねぇ。ふふふ

この件で一番「おやおや」と思ったのは、同じくメールページでの以下のやりとりです。
>ひょっとしてNo.1190のマックさんと同じ方ですか?
>>違います。全くの別人です。都合の悪いメールだからって同一人物にしないでください。
>ご承知のように、インターネット上では、本人かどうか確認しようがありませんので…。

「同じ方ですか?」という問いかけておいて,相手が否定したら「インターネット上では、本人かどうか確認しようがありません」と応答するわけですが、その理屈からいけば仮に「はいそうです」と答えた場合でも、同様に「インターネット上では、本当に同一人物かどうか確認しようがありません」と対応しなければ筋が通りませんよね。
となると、そもそも最初の「同じ方ですか?」という問いかは、相手がなんと答えても受け入れ無いわけですから、問いかけ自体が無意味であることになります。そんな無意味な問いかけをするABOFANさんは、考え無しに思い付きで質問している事を明らかにしてしまいますね。

プラス,同一人物か否かって気にする問題なんでしょうか?
自分の言っている事が本当に正しいならば,仮に同一人物が手を変え品を変え名前を変え反対意見を出してもきちんと論破できるはずです。論争において必要なのは「誰が言っているのか」ではなく「何を言っているか」でしょうから。
それに、それらを論破する事で、実際に打ち倒したのは一人でも、はたから見れば複数の論客を倒したように見えます。これって、むしろお得じゃない?
なのにあえて同一人物か否かといった事に執着するところに、論で反駁できないから、大した根拠も無く何か相手に悪い印象を受け付けようとあがいている印象を受けます。

 プラスプラス、この場では文章でしか相手を推し量る事はできないわけですが、私のみならず他の論客との対話が上手く噛み合わないということは(どっちが悪いかはおいておいて)、少なくともABOFANさんとって相手を十分に理解できていないわけですから、相手が同一人かどうかなんて高度な推測ができるはずがないですよね。
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というわけで、今回の投稿はこのへんで。

今後もブランクがあくかもしれませんが、私のページをせっかく作ってくださったわけですから、私の投稿時のみに限らず、私に言いたい事があれば随時追記しておいてくださいな。
というか、私に対して直接述べる言葉は少ないくせに、他の人に対してウジウジ八つ当たりするのはあんまり褒められたもんではないですよぉ。

メール(その12) H18.5.27 1:22

えっと、追加で投稿しておきます。今回は、本の紹介です。

 科学的方法論や科学における統計の意味について、私の稚拙な説明では良く分からなかったのかもしれません。そこで、ちゃんとした文献を紹介しようと思っていたのですが、何かと「入門書」を薦めるABOFANさんにうってつけの本を見つけましたのでお勧めしておきます。

「科学哲学入門 〜科学の方法・科学の目的〜」内井惣七著世界思想社 ISBN4-7907-0558-7

 入門書といえども結構難解な印象を受けましたが、さしあたっては「第2章 自然科学の方法」あたりを参照していただければいいと思います。

 ABOFANさんの欠点は、科学的方法論や統計が「どのような目的」で「どう使われているか」といった事を、「自分流の解釈」で運用してしまっている事でしょう。
 科学哲学というのはなかなかひねくれた物の言い方をしますが、少なくとも背景を踏まえた上で、「どのような目的」で「どう使われているか」を論理的に説明しているので、正しい知識を得るのにかなり参考になると思いますよ。

 科学哲学なんて興味が無い、と言うかも知れません。むろん、科学哲学に踏み込まなくとも、立派に科学的に研究している人は沢山います(というかそれが大部分でしょう)。だけど、それは実践的に科学を叩き込まれた人なればこそ、理屈は知らなくても方法がおかしくなる事はほとんど無いのです。

 でも、方法のまずい点を論理的に指摘された時、「科学者は同じ事をしている“はずだ”」とか、もっと漠然と「正しい“はずだ”」としか言えないような人、科学の上っ面や枝葉の部分を自分流に解釈した独自の方法論を「科学」だと思い込んでしまっている人、あるいは方法論的な話になったとたん、それが『抽象的』に見えてしまい思考がストップする人なんかには、もう一度自分の科学観を根本から見直すためにこのような本を読むのが良いと思います。

 逆に言えば、今まで実践的な科学の薫陶を受けて来なかった人でも、こういった科学哲学に触れれば、科学的な物の見方がちゃんと分かるようになるって事ですね。
 難解な数式とか出てこないので、文系の方にもお勧めです。

 まぁ、科学哲学の本を下手に“解釈”をして読むと、「心理学者だって間違っているじゃないか」なんて事を言い出しそうなのは目に見えています。
 でも、先に言っておけば「不足している」と「間違っている」は違う(「同じ山を登ろうとしているが頂上に到達し切れていない」と、「違う山に登っている」の違いみたいなものです)ので、そのあたりは十分注意してください。

 とはいえ、科学哲学者なんて人種は『理屈』のプロですから、たとえABOFANさんであっても、『屁理屈』による“解釈”は大体先回りされて否定されているとは思いますけどね(ちゃんと理解して読めていなければ、それすらも気付かないかもしれませんが)。

 それと、読者の皆さんにも。
 このHP上においては、あくまでABOFANさんの論理に対する批評になりますから、持ち出される科学的方法論とか統計の説明は断片的になりがちで、科学や統計になじみの浅い方々にはよく理解しきれないものであるかもしれません。
 そこで、もし、ABOFANさんに対する科学的方法論が云々とか、統計が云々と言う話の批判のは本当のところはどうなんだろう、と気になるこのHPの読者さんにもば是非とも読んでみていただきたいと思います。
 別に、これを読んで「血液型信仰」をやめろ、と言いたいわけではありません。むしろ、『ある』と言う方向に突き進みたい人にこそ、『科学的』と言い張る「似非科学的」な方法による結果や主張に惑わされ、無駄な足踏みをしないために読んで欲しいと思います。
 
 買うと2300円ですが、図書館等に置いてある可能性は高いと思います。

大変お待たせしました。

 時間の関係もあり、質問と思われるところだけご返事しましたのでご了承ください。

> ただ、私は以前「統計は単なる道具」と明言していまして、『補助科学』という言葉の意味
> がそれと同じであるならば、別に今までの話題に出ていない用語を新たに持ち出す必要
> はないはずです。また、意味が「統計は単なる道具」という考えと異なるのであれば、何故
> 当人が実際言っている言葉を無視して、違う意味の言葉を使って解釈しようとするのか、
> 甚だ疑問です。

 同じだと思います、たぶん。

> この2つ以外の、あえて『補助科学』という表現を持ち出す理由があるのなら教えてください。

 手元の統計学の入門書に書いてあったから使ってみただけで、他意はありません。

> 統計力学の話を自分で振っておいて、答えさせるだけ答えさせといて、質問の趣旨を説明も
> せず、都合のいいように私の考えを決め付けた上で、そのせいにしてスルーしようとするの
> は、『「科学的以前の問題」以前の問題』だと思いますがいかがですか?

 それは単なる解釈の問題だと思いますが…。どうも、議論の前提のすり合わせでだけで議論が終わりそうですね…。ふぅ。

 「統計は未来を予想できない」というJさんの主張に対して、私はその反証として統計力学を持ち出してみただけです。

>>> 『そもそも、原理的に(0〜1までの間の連続量であっても)無限母集団からランダムサンプリングができない』
>> できる場合とできない場合があるでしょう。

> 出たぁ!回答になっていません(苦笑)。

 単に、密度関数があれば、あるいは確率変数が定義できれば、と意味で言ったつもりなのですが?

> つまり、「ランダムサンプリングは不要」といった自論は「ランダムサンプリングは不要な場合もあるか
> も」に修正されたって事でOK?

 ケース・バイ・ケースでは?

> うーん、あなたは「行動心理学は違う」と言っているのではなく、「行動心理学は違う“と思います”」
> と言っていますよね。これでは、行動心理学に対する単なるあなたの感想でしかないよ、って私は
> 言いたかったのです。

 その後の文章を読むと、ひょっとしてJさんは行動心理学をあまりご存じないのでは?

 それなら、ここで詳細に行動心理学を説明するつもりはないので、申し訳ありませんがこの話題は取り下げます。(^^;;

> 確かに、「宗教的な理由」が無ければこんな事態にはならなかったろうけど、「宗教的な理由」が
> 何にでも優先するなら、経典内容を否定するような科学における他の様々な理論全てを経典内
> 容と並列して教えるはめになりますよね。でも、そうではない事から考えると、「宗教的な理由」だ
> けでなく、進化論と他の科学理論と検証力の相違も大きな影響要因となっていると見れます。

 原理主義者にそんな議論が通じるとは到底思えませんが? それは、911で明らかだと思います。

#つまり、ここで議論する科学的な対象には適していないということです。

> ...え〜と、もう一度ABOFANさんのruruさんに対する発言を引用しておきたいと思います。
>>科学的云々を主張するなら、まず前回の私の回答に対して何らかのコメントがあるべきだと思いますが…。
>>私の回答、しかもruruさんが質問した部分を全く無視したうえ、
>>更に相手に質問するとは科学的以前の問題だと思いますがいかがですか?

 社会調査は、自然科学とはちょっと違うと思います。それを端的に示すのが、ruruさんのメール4「 差がある、ないというのは統計的に有意かどうかとは別の判断で分析者による主観的な判断と思っています。」です。

 つまり、血液型と性格に関係があるかどうかは、(究極的にはruruさんの)主観的な判断ですから、いくら私と議論しても結論が出るはずがありません。(*_*)

 そもそも拠って立つ前提が違っているのですから…。

> それこそ、力学分野において、ある程度はニュートン力学でいけるけど、膨大な
> 分子の運動を記述しようとする場合には緻密な計算がほぼ不可能だから、統計
> を利用する必要が出てくる(これが統計力学ですよね)のと同じですよね。

 同じじゃありませんよ!

 ニュートン力学は未来を予想できますが、それなら統計力学も未来を予想できることになりませんか?

> そっちが、「天文学ではランダムサンプリングが必要になるのでしょうか?」って聞い
> てきたから、天文学でランダムサンプリングが必要なケースを考えてあげたって言う
> のにこの答え。

 天文学で、どうやってランダムサンプリングをするのですか?
 たとえば、セドナ近辺のランダムサンプリングって一体どうやるのでしょう?
 ぜひ教えてください。

> じゃぁあれですか?ABOFANさんは、“性格”というものが物理学でランダムサンプリ
> ングを必要としない研究対象と同様の性質、つまり不確定要因の多くが排除でき、誰
> が判断しても同じ結果が得られるような客観的な測定が比較的容易にできるものであ
> る、という前提で考えているってこと?
> そう思ってるのでも無い限り、ここで物理の話を持ち出す意味は無いはずですよね。

 Jさんが、自分の立場を明らかにしないように感じているので、なんとか理解しようとしているだけです。(笑)

> おーい、除算の原理でいけば、「∞/∞」は無意味(二つの∞には大小関係が無いため、
> 計算出来ない)んでしょ。だから、アレフ0だろうとアレフ1だろう

 違うと思いますが…。

−*−*−*−*−*−*−*−

> むろん、これは私の雑感であり、具体的な根拠は出せません。というか、いきなり「県民性」
> という話を突然突きつけられて、その有無についての具体的に根拠を挙げれるほど物知り
> ではありません。

 それなら、初めから議論にならないので、申し訳ありませんがこの話題は引っ込めます。(笑)

−*−*−*−*−*−*−*−

> 古典力学だって、具体的な観測データを元に作り上げられてきたんですから、別にデータを無
> 視しているわけじゃ無いわよ。 というか、「必ずしも正しくないとは言えません。」って表現は、
> 『ほとんど「正しくない」だけど、全てがそうではない』って意味になり、つまりABOFANさんは古
>  典力学のほとんどが間違っている、と言っていることになります。うわぁ大胆。

 大変失礼ですが、近似ってご存じですか?

> 自分の言っている事が本当に正しいならば,仮に同一人物が手を変え品を変え名前を変え反
> 対意見を出してもきちんと論破できるはずです。論争において必要なのは「誰が言っているの
> か」ではなく「何を言っているか」でしょうから。
 [中略]
> それに、それらを論破する事で、実際に打ち倒したのは一人でも、はたから見れば複数の論客
> を倒したように見えます。これって、むしろお得じゃない?

 どうやら、具体例をご存じないようですね? 他の人から来たのメールを読めば、ある程度わかるかと思うのですが…。

−*−*−*−*−*−*−*−

 メール12での参考書の紹介ありがとうございます。時間があれば読んでみたいと思います。

メール(その13) H18.11.18 0:54

まずは能見俊賢さんのご逝去、お悔やみ申し上げます。
私個人としては、氏の主張には賛同できませんでしたが、氏が真摯にデータを集め続け、「本家」という権威を保っていたおかげで、適当でくだらない血液型本が蔓延してしまう事が抑制されていたのではと思います。
重石を失った血液型業界が暴走を始めない事を望みつつ、謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
さて、いつものモードに戻りましょう。

なんか他の人の議論を見てると、いよいよABOFANさんもてんぱってきて、相手の話を理解して返事することができなくなっているようですね。大丈夫ですか?
最近、他の人の返事も、引用文の方がコメントより分量がある気がしますが、上げ底作戦ですか。
もう、なんでもかんでも屁理屈こねて、「自分の解釈」で押し切って、ご破算にしようってつもり?
アレが、ABOFANさんの限界なんですかね。

まぁ、他人の議論は他人にまかせて、自分の事から片付けましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>時間の関係もあり、質問と思われるところだけご返事しましたのでご了承ください。

時間の関係ねぇ
別に私の時間の関係じゃないから、ABOFANさんの時間の関係、つまり、あなたの都合ね。はいはい。
では、「ABOFANさんの都合が悪かったので、質問と思われるところだけご返事しました」って事ね。
あ、客観的に状況を述べただけだから、深い意味は無いわよ。
ただ、言い訳の仕方にもいろいろあるんだなぁ、って思っただけ。

今回から『回答』ではなく『返事』になりましたね。
自分のレスが『回答』とは恥ずかしくて言えない事をようやく理解したようで何よりです。
その点は、今までさんざんツッコミ続けた甲斐がありました。

さてさて、いつものように私の膨大なレスに細々と付けられた微々たる返事にコメントしていきましょう。
とはいえ、相変わらずの内容の薄い返事に、あきれモードになっていますが。
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> 同じだと思います、たぶん。

「思います」、「たぶん」ですか、はぁ。
つまり、「同じ」という意見はABOFANさんの曖昧で主観的なものでしかなく、客観的な根拠のある主張では無かったと言う事ですね。

> 手元の統計学の入門書に書いてあったから使ってみただけで、他意はありません。
 
「書いてあったから使ってみただけ」!?
 『同じだと思います、たぶん。』発言と併せて考えると、
1 『手元の統計学の入門書』なるものに(また入門書か...)「補助科学」という言葉が書いてあって
2 それが実際はどういう意味を持つ言葉なのか、
そして私の『統計は道具』という発言はどういう意味を持つ言葉なのかについて“理解”しないまま
3 ABOFANさんが直感的に『多分同じだろう』と解釈しただけで“使ってみた”って事ですね。

「他意は無い」!?
他意が無くて何故わざわざ相手の意見を勝手に別な単語で解釈しようとするの?
(しかも、『補助科学』の意味をABOFANさん自身全く説明しないで)
そういうのは、「他意は無い」じゃなくて、『意味は無い』じゃないかしら。
コ・ト・バは正確に。

で、この件について意見・反論はありますか?

 ところで、その「補助科学」って言葉が載ってた「統計学の入門書」って具体的な書名と出版社名教えてよ。
いや、ABOFANさんを疑ってんじゃなくて、(恥ずかしながら)この言葉は初見なので、ホントはどんな意味で使ってたのか自分で確かめたいのよ。
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>> 統計力学の話を自分で振っておいて、答えさせるだけ答えさせといて、質問の趣旨を説明も
>> せず、都合のいいように私の考えを決め付けた上で、そのせいにしてスルーしようとするの
>> は、『「科学的以前の問題」以前の問題』だと思いますがいかがですか?
> それは単なる解釈の問題だと思いますが…。どうも、議論の前提のすり合わせでだけで議論
>が終わりそうですね…。ふぅ。
> 「統計は未来を予想できない」というJさんの主張に対して、私はその反証として統計力学
>を持ち出してみただけです。

えっと、まず経緯を書いておくわね。
1 『統計力学』という単語を振ってきたのはABOFANさん。
2 私はそれに対し、『統計力学』は私の『統計』の説明の反論にならない
(統計力学は統計学ではなく、力学の一種だ云々)事を回答。
3 一方ABOFANさんは、エンカルタの『統計力学』の項を引用しただけで、
だから統計はどうだとか、自分の質問の趣旨とかを全く説明しない。
4 そのくせ、今度は『補助科学』と言う言葉を突然持ち出して、
私の考え方がそれであるかのように“決め付け”た。
5 そして、その決め付けを、議論をスルーするための理由に使った。

ですよね。そこで2点、おかしな点が出てきます

第一に、私は、(あなたから言い出した)『統計力学』に対して説明しましたが
ABOFANさんは『統計力学』について(引用だけで)解釈は述べていない。
    対立する『解釈』が無ければ、当然『解釈の問題』は生じ得ない。
    ⇒どうして『解釈の問題』になるの?説明して。

第二に、反証として統計力学を持ち出した、と言っているが
    ABOFANさんがやったのは、『統計力学』という単語を出したのと、
辞書的な定義をそのまま引用しただけで、「何で反証となるか」一切説明なし。
これでは、反証なのか、単なる疑問なのか、独り言なのかわからない。
⇒何故、このような不完全な物言いが「反証」と言えるの?説明して。

結局さ、ABOFANさんは、『解釈の問題』とか『反証』とか、後になって言い出すけど
『解釈の問題』になる必然性も、『反証』としての必然性も、どちらもは提示できてないのよね。
    
『統計力学』とか『補助科学』とか、議論の外から単語を引っ張ってきている(しかも「本に書いてあったから」程度の理由で)ABOFANさんは、『議論のすり合わせ』どころか、むしろ『議論の拡散』しかしていませんよね。
そんな行為をしている人が『議論のすり合わせ』なんて言う資格無いわよねぇ...

で、この件について意見・反論はありますか?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
次も酷いね、流れで追ってみましょう(J=私、A=ABOFANさん)。

J:原理的に(0〜1までの間の連続量であっても)無限母集団からランダムサンプリングができない
A:できる場合とできない場合があるでしょう。
J:出たぁ!回答になっていません(苦笑)。
A:単に、密度関数があれば、あるいは確率変数が定義できれば、と意味で言ったつもりなのですが?

すごいすごい。ウルトラC級の言い訳だ。
今までどこに「密度関数」とか「確率変数」とか言う単語が出てきましたか?
ABOFANさんって言ってない事も「言ったつもり」になるヒトなの?怖ぁぁぁぁい。
つもりじゃなくてちゃんと最初から「言って」くださいな。

って言うか、この単語も『手元の○○の入門書に書いてあったから使ってみただけ』で、どうせホントろくに理解できてないんでしょ。
 後からとって付けた言い訳であるのがバレバレなんですが。

 あら、そうじゃないの?だったらちゃんと説明してよ。
できないって私に反対したんだから、少なくともあなたは「できる場合」を知っているのよね(その、『密度関数』や『確率変数』とやらを使って方法を)。ならば、当然以下の3項目には明確に答えられるはずよね。

1 無限母集団に密度関数を当てはめられる場合とはどういうケースがあるか
   あるいは、確率変数が定義できる場合はどういうケースがあるか
2 その密度関数、あるいは確率変数をどう「ランダムサンプリング」に適用させる事ができるか
3 そういった適用による「ランダムサンプリング」の妥当性は説明可能か


一応、くだらない言い訳をされる前に釘を差しておくね。
ABOFANさんは、私の「ランダムサンプリングができない」って主張に反対したわよね。
つまり、それって「反例」を知っていなければできないわけよね。
例えば「〜をすればできる可能性がある」では、反例にならないわよね。
だって、あなたは「できる場合がある」から反対したんでしょ。
だったら当然、どんな方法で「できる」のか知っていなくてはならない。
(で、「そういう意味で言ったつもり」になっているんですから)
上の1〜3は当然スラスラと答えられるはずよね。
どうぞどうぞ、さぁどうぞ。
 
 ....ねぇ、矛盾だらけの言いつくろいを重ねても、恥が積み重ねるだけよ。
 早く白旗掲げた方が、キズは深くならない、と思うけどね。

で、この件について意見・反論はありますか?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>> つまり、「ランダムサンプリングは不要」といった自論は「ランダムサンプリングは不要な場
>>合もあるかも」に修正されたって事でOK?
> ケース・バイ・ケースでは?

「ランダムサンプリングは不要な場合もあるかも」=『ケースバイケース』でしょ。
同じ事を言い直しただけのくせに、何故疑問形???
ニホンゴダイジョブデスカ?リカイデキテマスカ??

でさ、結局、ABOFANさん自身『ケースバイケース』という事は、やっぱり
『ランダムサンプリングは不要』という自論は棄却するって事は変わりないんでしょ。
何で反論したポーズだけは一生懸命取ろうとするのかしら。

で、この件について意見・反論はありますか?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> その後の文章を読むと、ひょっとしてJさんは行動心理学をあまりご存じないのでは?
> それなら、ここで詳細に行動心理学を説明するつもりはないので、申し訳ありませんがこの>
> 話題は取り下げます。(^^;;

すごいわねぇ。
自分の浅はかな『行動心理学』の理解が、私の深遠なる『行動心理学』の理解の上での話と食い違っているだけだという可能性を一切無視して、一方的に『私が知らないせい』にするところが。
ABOFANさんの「議論(?)」に潜む深刻な病理を感じるわ。

そもそもABOFANさん自身は、自分の『行動心理学』に対する『解釈』が妥当であるかを説明できるの?
というか、明確に示せる“ABOFANさんの『行動心理学』に対する『解釈』”がそもそもあるのか疑わしいんですが。
単に漠然と『行動心理学』に対し、個人的な反感や主観的で局所的な異論があるだけで、他人を評価できるほど『行動心理学』全般を理解しているわけではないんじゃないの?

少なくとも「知っている」事を示す説明を一切してない人に、「行動心理学をあまりご存じない」って決め付けられてもねぇ。
ホントは『詳細に行動心理学を説明するつもりはない』ではなく、自分は『詳細に行動心理学を説明できない』から、「この話題は(ABOFANさんが)取り下げたい」って事でしょ。
そうじゃないなら、私に対する反論として「行動心理学」を持ち出してきた理由をちゃんと説明してくださいね。

あ、望むなら「行動心理学」について徹底的に議論してもいいわよ(コテンパンにしてあげる)。
ただし、まず、“持ち出してきた”ABOFANさんが、自分の理解とその根拠を示してね。

 とか言うと「ここは行動心理学について議論する場ではありませんので、議論しません」
って言って逃げるのは目に見えるんだけどさ。
自分で持ち出した話題にもうちょっと責任持ちなさいよ。
 自分で持ち出して、自分で十分説明せずに、自分で引っ込める
 結局、何の根拠も考えも無く、論理的ではなく単に『思いつくまま』言葉を発しているだけよね。
 自分で理解している事を示さず、人の不理解のせいにする、ってのも都合良過ぎね。
 こういう事もうやめてくんない?

 もしかしたら、目に付く単語を意味も理解しないまま相手にぶつけて、
 ひるんだらそれでOKで、反撃されたらなんだかんだ言い訳して引っ込めるのが、あなたの反論の仕方?
 そんな稚拙なやり方は、“作戦”にもならないと思うよ。

で、この件について意見・反論はありますか?
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>>確かに、「宗教的な理由」が無ければこんな事態にはならなかったろうけど、「宗教的な理由」
>>が何にでも優先するなら、経典内容を否定するような科学における他の様々な理論全てを経
>>典内容と並列して教えるはめになりますよね。でも、そうではない事から考えると、「宗教的
>>な理由」だけでなく、進化論と他の科学理論と検証力の相違も大きな影響要因となっていると
>>見れます。
> 原理主義者にそんな議論が通じるとは到底思えませんが?
> それは、911で明らかだと思います。
> #つまり、ここで議論する科学的な対象には適していないということです。

えっと....私は“ABOFANさん”に質問されたから“ABOFANさん”に説明したんですよね。
そこをしっかり思い出して、私の疑問に答えてね。

その1 『原理主義者にそんな議論が通じるとは到底思えませんが?』って言っているけど
えっ!ABOFANさんは原理主義者だったの!?

その2 『ここで議論する科学的な対象には適していない』って言っているけど
では、何故、あなたはここの議論に持ち出したの?

ABOFANさ〜ん、自分で無茶苦茶な事を言っているって自覚しないの?

で、この件について意見・反論はありますか?

あと、「進化論」と「創造論」については、
「なぜ人はニセ科学を信じるのかU〜歪曲をたくらむ人々(マイクル・シャーマー著 早川書房)」
に詳しく書いてあるわよ。ぜひぜひ読んで。
何せ、『創造論者』や『ホロコースト否定論者』の論法がびっくりするほどABOFANさんにそっくりだからさ。
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>> ...え〜と、もう一度ABOFANさんのruruさんに対する発言を引用しておきたいと思
>>います。科学的云々を主張するなら、まず前回の私の回答に対して何らかのコメントがあるべ
>>きだと思いますが…。私の回答、しかもruruさんが質問した部分を全く無視したうえ、
>>更に相手に質問するとは科学的以前の問題だと思いますがいかがですか?

に対するABOFANさんの返事ですが、
うーん、なんだかABOFANさんとruruさんの立脚点の相違を主張してましたが、それって私に全く関係ないのよね。うーむ、私の意図は上手く伝わってなかいようですね

やっぱり『言ったつもり』はダメですね(自分も反省)。
歪曲的に嫌味を言っても通じない人がいるみたいだから。

別に、ABOFANさんとruruさんの論議の行方とかが気になって掲載したのではなくてね
ABOFANさんはruruさんに
1 科学的云々を主張するなら、まず回答に対して何らかのコメントがあるべきである。
2 自分が質問した部分を全く無視したうえ、更に相手に質問するとは科学的以前の問題
と言っていましたよね。

なのに、ABOFANさんは私に対して、私の回答を無視してさらに質問してきましたよね。
だから「おいおい、あんた、自分で言っている「科学以前の問題」を自分でやってるじゃないか」
と言う意味でABOFANさんがruruさんのところで言った言葉を引用したのでした。
 今度は分かりました?

で、この件について意見・反論はありますか?
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>> それこそ、力学分野において、ある程度はニュートン力学でいけるけど、膨大な
>> 分子の運動を記述しようとする場合には緻密な計算がほぼ不可能だから、統計
>> を利用する必要が出てくる(これが統計力学ですよね)のと同じですよね。
> 同じじゃありませんよ!
> ニュートン力学は未来を予想できますが、それなら統計力学も未来を予想できることになりませんか?

もう、何がなんだか.....
結局、ABOFANさんは相手の意見を否定するスタンスを取りたいだけで、「相手が何を言っているのか」は全く無視してしまっているんですかね。

「統計力学は未来を予想できない」って私いつ言いましたか?
私が言っているのは、「統計は未来を予想できない」って事でしたよね
ついでに「統計力学は統計の一種ではない(力学のバリエーションだ)」っても言ってますね。
(ABOFANさんのそれに対する明確な反論は無いようですが....)
いったいどういった視点で、「“何が”同じじゃない」として私を否定しているのか良く分からない。
ちゃんと説明してね。

ついでに言えば
「ニュートン力学は未来を予想できる。統計力学も未来を予想できる」これはABOFANさんも認めるでしょ。
(私も認めますよ)。

で、ニュートン力学は少なくとも統計力学ほどは統計を使わない。
それでもどちらも未来を予想できるなら、
その「未来予想」は『統計』自身の力ではなく、『力学』という学問体系の方法論にある、
と論理的に考える事ができないんでしょうか?

で、この件について意見・反論はありますか?
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>> そっちが、「天文学ではランダムサンプリングが必要になるのでしょうか?」って聞い
>> てきたから、天文学でランダムサンプリングが必要なケースを考えてあげたって言う
>> のにこの答え。
> 天文学で、どうやってランダムサンプリングをするのですか?
> たとえば、セドナ近辺のランダムサンプリングって一体どうやるのでしょう?
> ぜひ教えてください。

あのー、質問を重ねる前に、
>そっちが、「天文学ではランダムサンプリングが必要になるのでしょうか?」って聞いてきたか
>ら、天文学でランダムサンプリングが必要なケースを考えてあげたって言うのにこの答え。
> そんな反論をしたかったのであれば、質問は「天文学ではランダムサンプリングを使ってい
>たのでしょうか?」ってすべきだったじゃないの?

に対する謝罪なり、訂正なり、弁明なりあってしかるべきと思うのですが、
自分の聞き方が間違っていても、それを無視して話題を変えるのでしょうか?

それとさ、他の人の議論のページ眺めていると、No.1023さんとネタかぶってますね。
というか、「天文学や進化論」の話を持ち出すのが、きっとABOFANさんにとっての改心の一撃(のつもり)なんでしょうね。

でも、私は(そしてNo.1023もきっと)、その質問が出てくる必要性が良く分からないんですよね。
なんで、ランダムサンプリングの話でそれを持ち出すのか。
もしかして、「科学では“推測統計”でランダムサンプリングが必要」って言葉を、「科学では“推測するには”ランダムランプリングが必要」って勝手に読み替えているんじゃないのかな。正直謎です。

まぁ、それはそれとして、私が天文学でランダムサンプリングを必要とする場合の前提として
「『全ての天体(あるいはある範囲の天体全て)に一貫して現れる法則性』の仮説を立てた場合、かつその全数調査が物理的に不可能な場合」
と設定しているのは承知しているはずよね(言ってますから)。
その上であえて聞くって事は、「その前提に当てはまる調査対象が“セドナ近辺”にあるから、ランダムサンプリングする方法を教えて」と言っている事になりますよね、当然ね。
 じゃぁ、答えてあげますから、何を仮説にして、その“セドナ近辺”の「何を」調査したいのかぜひ教えてくださいな。

 も、もしかして、相手の話もちゃんと聞かず、
『「セドナ」って言葉が本に書いてあったから言ってみただけ』
って事じゃないよね。まさかまさかまさか

で、この件について意見・反論はありますか?
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>> じゃぁあれですか?ABOFANさんは、“性格”というものが物理学でランダムサンプリ
>> ングを必要としない研究対象と同様の性質、つまり不確定要因の多くが排除でき、誰が
>>判断しても同じ結果が得られるような客観的な測定が比較的容易にできるものである、
>>という前提で考えているってこと?
>> そう思ってるのでも無い限り、ここで物理の話を持ち出す意味は無いはずですよね。
>Jさんが、自分の立場を明らかにしないように感じているので、なんとか理解しようとしてい
>るだけです。(笑)

何で相手の立場を理解するのに、的外れの、大間違いの質問をする必要があるのかな。
というか、こっちはABOFANさんの『性格』の位置付けを聞いているのに、
それには全然答えないんですね。
「あ、マズイ間違った」って思って、話をそらそうとしているのかしら。
(笑)と書きつつ、余裕が全く見られないんですが....

で、この件について意見・反論はありますか?
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どんどん、続けましょう。
>> おーい、除算の原理でいけば、「∞/∞」は無意味(二つの∞には大小関係が無いため、
>> 計算出来ない)んでしょ。だから、アレフ0だろうとアレフ1だろう
> 違うと思いますが…。

はいはい。結局、「思う」だけって事ね
つまり、ABOFANさんは明確な根拠が無いのに、反対してたって事ですね。
結局、論理立てて反対できないって事ですね。ならば、反論は無い、って事ですね。

ということは、「∞/∞はどうなる」って質問に対し
『アレフ0とアレフ1では結果が違う』、『除算の原理どおり考えればいい』
とか言っていたのは、「全てABOFANさんの口から出まかせだった」って事でOKね。


 ....もういいじゃん。ここまできて、この程度の事しか言えないなら、これ以上の説明はできないんでしょ。
「ホントはよく知らなかった」、「間違ってた」って言って終わらせちゃいなさいよ。
 
あー、でもきっと今頃「○○という意味で言ったつもりなのですが?」と言うために、必死で数学の入門書等をめくって使えそうな単語を探しているんだろうなぁ。
 それでちゃんと勉強して実のある根拠を提示するならまぁいいけどさ。
その場合は「単語」を示すだけじゃなくて、ちゃんと自分でそれが根拠となる理由を説明してくださいよ。

で、この件について意見・反論はありますか?
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>> むろん、これは私の雑感であり、具体的な根拠は出せません。というか、いきなり「県民性」
>> という話を突然突きつけられて、その有無についての具体的に根拠を挙げれるほど物知り
>> ではありません。
> それなら、初めから議論にならないので、申し訳ありませんがこの話題は引っ込めます。(笑)

ほらまただ。
『行動心理学』とほぼ同じパターン。
また、相手に十分な説明もできないくせに「県民性」と言う言葉をうっかり持ち出しちゃったんでしょ。
自分で持ち出して、十分な説明もしないまま、まぁた自分で取り下げるのね(笑)

 それでもいいけど、そうなると、「県民性」を持ち出したあの反論も取り下げるって事よね。
反論し続けなきゃいられないABOFAN さんはそれでもいいの?

...あ、そうか!
あれは、私にこっぴどく論理の矛盾を指摘されたコメントだもんね。
だから、「県民性」を引っ込める事で、あのコメント自体抹殺したいんでしょ。

 あなたの都合で引っ込めたいくせに、私のせいにしないでよね。

で、この件について意見・反論はありますか?
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>> 古典力学だって、具体的な観測データを元に作り上げられてきたんですから、別にデータを
>>無視しているわけじゃ無いわよ。というか、「必ずしも正しくないとは言えません。」って表現
>> は、『ほとんど「正しくない」だけど、全てがそうではない』って意味になり、つまりABO
>> FANさんは古典力学のほとんどが間違っている、と言っていることになります。うわぁ大胆。
> 大変失礼ですが、近似ってご存じですか?

うーん、そろそろ漠然としすぎた短いコメントに詳細な批判をつけるのも飽きてきたなぁ。
なんとなくは言い分はわかる気がするけど、私が無理して解釈したって、外れてたら無意味よね。
っていうか、こういうのにいちいち私が付き合ってあげちゃうから、ABOFANさんはいつまでたっても相手の意見を理解する力や自分の主張を説明する力が欠けたままになるのかな。
という事で、とりあえず甘やかさないで、真っ当な議論にあるべきコメントをつけておきましょう。


えっと、「近似」は知ってますよ。それがどうしましたか?
知っているとどうかするんですか?知らないとどうにかなるんですか?
それより、ABOFANさんこそどういう意味でその単語を使っていますか?
そして、その意味が私のコメントに対してどう関係するのですか?

こんな大事な事を説明しないのは、うっかり忘れてしまったのですか?
それとも自分でも上手に説明できない事を根拠にしてしまっているのですか?
大変失礼ですが、こういう稚拙な発言をABOFANさんは反論とでも思っているのですか?

これに答えられたら、返事してあげます。
(現状ではABOFANさんが何を言いたいのか全然明らかではないので返事のしようがないわ)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> 自分の言っている事が本当に正しいならば,仮に同一人物が手を変え品を変え名前を変え反
> 対意見を出してもきちんと論破できるはずです。論争において必要なのは「誰が言っているの
> か」ではなく「何を言っているか」でしょうから。
 [中略]
>> それに、それらを論破する事で、実際に打ち倒したのは一人でも、はたから見れば複数の論
>> 客を倒したように見えます。これって、むしろお得じゃない?
> どうやら、具体例をご存じないようですね?
> 他の人から来たのメールを読めば、ある程度わかるかと思うのですが…。

大変失礼ですが、「具体例」って“何のケース”の「具体例」ですか?
何が「ある程度分かる」のですか?

私は、「なりすまし」が仮にいても個々論破すりゃいいし、
自分の意見が正しいならばそれが可能なはずだ、という話をしていたわけですよね。
そのような「個々論破のケース」の『具体例』ですか?
それが他の人から来たのメールを読めば、ある程度わかるの?

ま・さ・か、「なりすまし」の具体例とかそういう話じゃないですよね。
正常な読解力の持ち主であれば、私の話をそんなに捻じ曲げて解釈はしないはずですもんね。
私は別に「なりすましなんていない」なんては言ってませんから、
殊更「なりすましはいるんだー」なんて事を批判的な口ぶりで言う必然性はないですもんね。


さぁて、具体例って何のケースの具体例なのか
他の人から来たのメールを読めば、何がある程度わかるのか
気になる〜、ぜひ教えてください!!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> メール12での参考書の紹介ありがとうございます。時間があれば読んでみたいと思います。

多分、「時間があれば読む」は読まないって事なんだろうなぁ。
こういった本に書いてあるような下地が無いと、論文であっても科学的な資料であってもきちんと理解できない(都合のいい解釈が正しいと信じてしまう)から、いくら積み重ねても意味が無いと思うけどね。
英文法をまるで知らない人が、単語だけ調べて英文を読んでも、正しく読解できるとは言えないでしょうに。
 むしろ、真っ先に読んだ方がいいと思うけどねぇ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
でさ、今回のコメントで『Jさんが、自分の立場を明らかにしないように感じているので』ってあったよね。
ABOFANさんがどう感じようと勝手だけど、ここまできて私の立脚点が分からないなんて、鈍感すぎない?

私は最初から「ABOFANさんは科学的方法論を理解していない」って立場だったし、別に隠してもいないよ。
多分「そう言う意味の“立場”じゃない」ってのたまうんだと思うけど、それは単に自分が想定したい、つまり反論らしきものが用意してある、例えば「性格心理学」とかじゃないから、理解が及ばないだけじゃない?


で、まぁ、私の立場をどう解釈したいのかは知りませんが
一応私もHP持ってまして(ここに比べりゃどマイナーですが)よかったら見て下さい。
私がどういう立場で、何を批判していたかもっと分かるかもしれません。
私のHP⇒ http://www.geocities.jp/judgement_xp/index.htm

あ、HPの内容に関して、ここのコーナーで私に直接批判をぶつけるのはちょっとまってね。
その前に今まで私が批判してきた事に対する十分な説明をしてからにしてね。
あ、批判するなってわけじゃなくて、ただ、ここのコーナーはこれ以上議論を有耶無耶にしようと画策するな、ってだけよ(そうしないと、今までの議論とは関係ない話題への質問攻めの形で「自分の都合の悪い議論を拡散させて有耶無耶にしよう」とするのが目に見えるからね)。
批判するなら、せめて別コーナー作ってやってくださいな。
まぁ、また別にコーナー作れってのもずうずうしいので、批判はどうぞ、私のHPの掲示板に。
随時対応してあげるわよ。
でも、わたしは筆が遅いのはABOFANさんも知ってますよね。
だから、ちょっと返事が遅れたからといって「返事が無いと言う事は...」とか変な勝利宣言しないでくださいね(予防線)。

ついでに、一応聞いておきますが、ここにリンク張ってもOKですよね。
あと、ここのやり取り、場合によっては渡邊先生のケースみたいにうちのHPにも引用していいですよね。
ついでに、ABOFANさんのHPのウオッチコーナーも作りたいんですが、いいですよね。
 まぁ、ABOFANのHP自体、同様のスタンスで引用したりウオッチしたりしているようですから
 快諾いただけると思います。
(とはいえ、掲載が始まるのはいつになるかわかりませんが…)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
お気づきとは思うけど、「質問と思われるとこだけ」病のABOFANさんのために
なるべく、「この件について意見・反論はありますか?」と質問を入れておきました。
どんな返事が来るか楽しみです。
ではまたね。

お待たせしました。

 今回も質問と思われるところを、そして誤解されていると思われているところを中心にお答えしますので、どうかよろしくお願いします。

> 今回から『回答』ではなく『返事』になりましたね。
> 自分のレスが『回答』とは恥ずかしくて言えない事をようやく理解したようで何よりです。

 私としては、特に明確な違いはないつもりですが、Jさんがそう解釈されるならそれで結構です。

> で、この件[補助科学]について意見・反論はありますか?

 この文章では、「統計は道具」と「補助科学」は同じ意味なのか違う意味なのか判断しかねるので、意見・反論はありません。

> ところで、その「補助科学」って言葉が載ってた「統計学の入門書」って具体的な書名と出版社名教えてよ。

 林周二著『統計学講義』第2版(丸善)です。なお、「補助科学」の説明は9ページです。

> 第一に、私は、(あなたから言い出した)『統計力学』に対して説明しましたが
>  [中略]
> 『統計力学』とか『補助科学』とか、議論の外から単語を引っ張ってきている(しかも「本に書
> いてあったから」程度の理由で)ABOFANさんは、『議論のすり合わせ』どころか、むしろ『議
> 論の拡散』しかしていませんよね。
> そんな行為をしている人が『議論のすり合わせ』なんて言う資格無いわよねぇ...

> で、この件について意見・反論はありますか?

 この文章では、統計力学がJさんのいうところの「統計」に含まれるのか、そうでないのか判断しかねるので、意見・反論はありません。

> 1 無限母集団に密度関数を当てはめられる場合とはどういうケースがあるか
>    あるいは、確率変数が定義できる場合はどういうケースがあるか
> 2 その密度関数、あるいは確率変数をどう「ランダムサンプリング」に適用させる事ができるか
> 3 そういった適用による「ランダムサンプリング」の妥当性は説明可能か

 ??? 単純に密度関数が一定であればランダムサンプリングはできるのではないですか?

> でさ、結局、ABOFANさん自身『ケースバイケース』という事は、やっぱり
> 『ランダムサンプリングは不要』という自論は棄却するって事は変わりないんでしょ。
> 何で反論したポーズだけは一生懸命取ろうとするのかしら。

 ランダムサンプリングの対象が決まらないとなんとも言えません。

> そもそもABOFANさん自身は、自分の『行動心理学』に対する『解釈』が妥当であるかを説明できるの?

 私の解釈が妥当かどうかは、ここで議論しても決まるとは思えないので、この質問は意味がないと思いますが?

 もっとも、メール(その9)ではこうあります。

> 心理学だって、『環境等の法則性以外の要因により現象の発現状態に変動はあるが、その中には
> 一貫した法則性の影響が内在されている』といった前提でその法則性を探っているのですよ

 行動心理学者なら、たぶん呆れるか笑い出すかどちらかでしょう。Jさんはわかっていて冗談として言っているということですか?

> その1 『原理主義者にそんな議論が通じるとは到底思えませんが?』って言っているけど
> えっ!ABOFANさんは原理主義者だったの!?

 ケース・バイ・ケースですが、ほとんどの場合は原理主義者ではありません。

> その2 『ここで議論する科学的な対象には適していない』って言っているけど
> では、何故、あなたはここの議論に持ち出したの?

 ??? このような議論のやり方ではという意味で、全否定ではないつもりですが?

> なのに、ABOFANさんは私に対して、私の回答を無視してさらに質問してきましたよね。

 これは、具体的にどの部分か指摘していただかないとなんとも言えません。

> その「未来予想」は『統計』自身の力ではなく、『力学』という学問体系の方法論にある、

 ??? それなら「統計は道具」だから、使いようで未来を予想できることになりませんか?

 念のため、エンカルタを引用しておくと、

統計学 とうけいがく Statistics 集団の分布やその大きさの時間変化、いろいろなデータの解析、誤差の検定などをおこなうのに利用するほか、実験計画や意思決定などに関係する数学の一分野。

 とあります。「実験計画」や「意思決定」で未来を予測できないなら、統計学の意味はあるとは思えません。研究者はみんな失業してしまうでしょう。それなら、未来を予想するすることも想定の範囲内なのではないでしょうか?

>> そんな反論をしたかったのであれば、質問は「天文学ではランダムサンプリングを使ってい
>> たのでしょうか?」ってすべきだったじゃないの?

> に対する謝罪なり、訂正なり、弁明なりあってしかるべきと思うのですが、
> 自分の聞き方が間違っていても、それを無視して話題を変えるのでしょうか?

 はい、では訂正します。よろしくお願いします。

> じゃぁ、答えてあげますから、何を仮説にして、その“セドナ近辺”の「何を」調査したいのかぜひ教えてくださいな。

 ??? Jさんが天文学の仮説を全く知らないというのなら冗談というしかありませんが…。

> 何で相手の立場を理解するのに、的外れの、大間違いの質問をする必要があるのかな。
> というか、こっちはABOFANさんの『性格』の位置付けを聞いているのに、

 心理学の教科書は読まれていると思うのですが、なぜこのような質問をするのでしょうか?

> ということは、「∞/∞はどうなる」って質問に対し
> 『アレフ0とアレフ1では結果が違う』、『除算の原理どおり考えればいい』
> とか言っていたのは、「全てABOFANさんの口から出まかせだった」って事でOKね。

 ??? 知っていてあえて答えないのでしょうか?

 確かに、1+1はいくつになるんだと質問したら、なぜそんなバカみたいな質問をするんだと怒る人はいても、真面目に答える人はいないでしょうから。

> また、相手に十分な説明もできないくせに「県民性」と言う言葉をうっかり持ち出しちゃったんでしょ。
> 自分で持ち出して、十分な説明もしないまま、まぁた自分で取り下げるのね(笑)

 県民性は、例えばNHKから調査結果が出ています。Jさんが読んでいて私を試しているのでしょうか?

> えっと、「近似」は知ってますよ。それがどうしましたか?

 わざと知らないフリをして答えているのでしょうか。

#私にはそうとしか考えられないのですが…。

>  さぁて、具体例って何のケースの具体例なのか
> 他の人から来たのメールを読めば、何がある程度わかるのか
> 気になる〜、ぜひ教えてください!!

 ぜひアスキーアートのメールを読んでみてください。

 また、HPの紹介ありがとうございます。

> ついでに、一応聞いておきますが、ここにリンク張ってもOKですよね。
> あと、ここのやり取り、場合によっては渡邊先生のケースみたいにうちのHPにも引用していいですよね。
> ついでに、ABOFANさんのHPのウオッチコーナーも作りたいんですが、いいですよね。

 はい、ご自由にどうぞ。

 なお、大変勝手で申し訳ありませんが、次回のメールからは、メールについてのお知らせが適用になりますので、よろしくお願いいたします。m(._.)m

 もちろん、突然基準を変更するのは怪しからん、という批判は甘んじて受けます。

 どうかよろしくお願いいたします。m(._.)m

 では。


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最終更新日:平成19年2月3日