村上宣寛さん(富山大学教育学部教授)の『「心理テスト」はウソでした。』の著者です。
『日本経済新聞』の平成17年4月24日付けの書評や、『週刊文春』の平成17年4月14日号の立花隆さん(ステータスですね!)の書評に取り上げられているそうです。
内容が面白いせいが、結構売れているようですね。ぜひ読者の皆さんも買ってあげましょう!
私も思わず買ってしまいました(笑)。
ところで、この本はなかなか面白くてためになるのですが、残念ながら血液型のところ(第1章 なぜかみんなの好きなABO)には、いくつかの事実誤認があるようです。
ちょっと気になるので、皆さんと一緒に調べてみることにしましょう。
では、スタート!
【H21.10.4追記】きょうだい順人間学(出生順位と性格)について その後に、村上さんは、「心理学で何がわかるか」という本を上梓しました。 村上宣寛さん 心理学で何がわかるか (ちくま新書) 筑摩書房 H21.9 861円(税込) 最近のちくま新書です。村上さんは、ご承知の方もいると思いますが、富山大学教授で心理学の専門家です。 #もちろん、血液型には否定的です。(^^;; 他の心理学者とは随分感じが違うのですが、この本を読んでやっとわかりました。 あ、この本の内容は、専門書の内容の概括です。 ところで、この本では「第2章 人柄は遺伝で決まるか」がありますが、村上さんなら恒例のはず(?)の血液型と性格の話は全く出てきません!
さて、この本で甘いと思ったのは、「出生順位」(兄弟姉妹)と性格の関係です。 なぜなら、血液型と同じで、長子的性格、末子的性格…が「思い込み」あるいは「知識の汚染」としてある限り、必ず(質問紙法の)データに差が出るはずだからです――例え、本当は関係がないとしても…。 この手の本としては、依田明さんの「きょうだい順人間学」があります。
私はこれらの原典は読んでないのですが、20年経っても傾向は変わらないそうです。 だんだん心理学が信用できなくなってきました…。(*_*) ちなみに、血液型と性格に肯定的な、北海道女子短期大学の白佐さんは、「きょうだい順人間学」に否定的な見解だそうです。
へ〜。
なお、ブラックホールについては、次の本をどうぞ!
念のため、出版社宛にこんなメールを送ってみました。
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【H20.11.16追記】 『週刊ダイヤモンド』平成20年11月8日号でも紹介されています→こちら |
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【H20.8.4追記】 文庫化されたので、改めて読んでみました。
細かい記述は別として、特に文庫版になって変わったところはないようです。 ただし、文庫化する前(2007年)に発表された韓国・延世大学の孫栄宇教授の論文は無視されています。 |
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【H17.8.5追記】 『第三文明』の平成17年9月号に村上宣寛さんの記事が出ています(32〜35ページ)。
期待して読んだのですが、残念ながらこの記事は初歩的な間違いが多くて困りものです。例えば、「血液型は人間の性格とは全く関係ない」とか「ランダム・サンプリングのサンプルは2〜300人でいい」とか…。 本当に本人がそう言ったとも思えないので、単に記者が不勉強なのだけなのでしょうか? 逆効果にならないのでしょうか? はて? |
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【H17.5.16追記】 最近、立花隆さんが『週刊文春』平成17年4月14日号の「私の読書日記」にこの本の書評を書いていることを知りました。関係部分だけ抜粋しておきます(130ページ 太字は私)。
能見さんの本の愛読者だったら笑い出してしまうでしょう(失礼!)。まあ、事実と違っていることは週刊誌だから大目にみるとしても、これでは文藝春秋も立花隆さんも信用を失ってしまわないのでしょうか。かつての愛読者の私としては複雑な気持ちです。 さて、では何が事実と違っているでしょうか?
これだけ事実と違う部分があると、立花隆さん自身の信用にも影響が出ないのでしょうか? 忙しいだけなのかなぁ。 |
まず、『日本経済新聞』の平成17年4月24日付けの書評を読んでみましょう。以下は、血液型の部分だけを抜粋したものです。
昨年、血液型と性格を関連づける複数のテレビ番組に対して、「科学的でない」などの苦情が寄せられた。確かにこれだけ大勢の人間を4タイプに分類すること自体に無理があるだろう。もっとも、それは「血液型占い」だけに限らないようだ。…心理テストを推進している側からの反論も聞いてみたい。
私の経験からすると、この書評子の希望はかなえられる可能性は低いと思います。なぜなら、心理学者の多くは「和」を大事にするからです。つまり、「反論」や「論争」は好まないのです。(^^;;
そこで、血液型の部分については、ファーストバッターとして私がトライしてみます。
なお、「4タイプに分類すること自体に無理がある」ことは、心理学者自身が明確に否定しています。
ただ、最近は血液型性格判断を撲滅しようという意識ばかりが先走って、適切でない批判をする人も散見される。よく聞くのは「多様な人の性格が四つになんか分けられるはずがない」という批判である。しかし「何らかの基準によって四つに分ける発想」自体には本質的に問題はないのである。もちろん境界線上であいまいに分類される欠点はあるが、この発想自体は心理学でも類型論という考え方で受け入れられている。…血液型性格学への批判は確かに重要だが不適切な批判で満足しているとすれば、それは非論理性という点では相手と同じ穴のムジナになりかねないことに注意しなければなるまい。
さて、この本では11ページから、「卒論で血液型研究に取り組む」ということで、村上ゼミの木地さんの論文が紹介されています。しかし、この論文には致命的な欠点(?)があります。なぜなら、ランダムサンプリングのデータでないからです。
ちなみに、38ページにはこうあります。
調査ではサンプリングが大事である。母集団(日本人全体、あるいは、人類全体)の性質をできるだけよく代表するようにサンプルを選ぶ。それがランダム・サンプリングである。…統計学は、すべてランダム・サンプリング(無作為抽出)されたデータを前提としている。この前提が満たされないと統計学を使っても意味がない。
まあ、村上さんも指導教官ですから、ゼミ生に甘いのは人情というものでしょう。なんとかして自分の学生を卒業させようということですから、私もケチを付けるつもりなんて全くありません。しかし、ランダムサンプリングのデータでなくとも統計的検定をしていい(悪い)、とは同じ部分には断り書きがないようです…。本当はどうなのでしょうか?
能見さんのデータもランダムサンプリングをしなくとも全然問題ないということなのでしょうか?
特に注意書きもないようですし…。
【H17.5.18追記】 その後、ランダムサンプリングについて、読者からこんなメールをいただきました。 私の書き方が悪かったので訂正しておきます。ご承知のように、私は必ずしもランダムサンプリングが必要とは言っていません。検定するデータが、正規分布なりχ2分布に従うなら、検定の対象にしてもいいだろうということです。 しかし、村上さんは、自分でランダムサンプリングが必要と言っておきながら、否定の根拠となるデータはランダムサンプリングではありません。これは明らかにダブルスタンダードですよね(笑)。そういう意味です。 メール(その5) H17.5.17 21:14
お久しぶりです。 村上さんの本を読まれたのですね。なかなか面白い本だと思います。 さて、 > タイプ1エラーの説明が間違っていたり 17ページの記述のことでしょうか。「こういう結論を下して間違う確率」はタイプ1エラーだけのことで、タイプ2エラーは何の説明もありませんね。全くの間違いとは言えないとしても、統計の素人が読むと確かに誤解するかもしれませんね。 ちなみに、私は読み過ごしてしまいました(苦笑)。 > この人は自分の商品である「ちゃんとした心理テスト」を売りたくて、そのために「今の心理テストは当たらないんだ」と言ってる感じがしました。 まあ、それは言わずもがなのことですね…。(^^;; > あれだけ今までランダムサンプリングしてなくてもいいって主張していて、 これは私の書き方が悪かったので訂正しておきます。ご承知のように、私は必ずしもランダムサンプリングが必要とは言っていません。検定するデータが、正規分布なりχ2分布に従うなら、検定の対象にしてもいいだろうということです。 しかし、村上さんは、自分でランダムサンプリングが必要と言っておきながら、否定の根拠となるデータはランダムサンプリングではありません。これは明らかにダブルスタンダードですよね(笑)。そういう意味です。 > 私の回答は「どういう母集団の、どういう性格のどういう関係についてなのか言ってくれないと決められない」です。 いや、わかりません(笑)。 志水一夫さんの『宜保愛子イジメを斬る』に面白い例があります(ちなみに、彼は文系ですが、この本はなかなか面白いです)。超能力の真偽を判定する実験をしたところ、同じ結果を肯定派は「超能力がある」、否定派は「超能力がない」と正反対の結論になってしまいました。 なぜかというと、それは「超能力」の定義をきちんとしていなかったからです。かくかくしかじかの場合は「超能力」が存在する(存在しない)と事前にきちんと取り決めなかったのが失敗なのでした。 理系なら、これ以上言わなくてもおわかりでしょう(笑)。 > で、横やりですが大型さんとのメールの最後につっこみ。 無意味ではありませんよ(笑)。 国民性や県民性の差でも、男性と女性の差でもいいですが、特定の集団(条件)に限られたとしても、差があれば「県民性、国民性がある、男性と女性に差がある」と定義しています。違うのですか? ところで、私の村上さんに対する批判の他の部分には同感と考えていいのでしょうか? 違うのであれば、今回のメールで指摘しているはずですからね。 では。 |
ちなみに、サンプルはO型40名、A型32名、B型31名、AB型33名の計136名です。富山大学教育学部はA型が少なく、B型とAB型が多いようですね。念のため検定をしてみると、危険率は0.1%以下と、バッチリ有意差が表れます。v(^^)
不思議なのはこれだけではありません。この卒論では、『血液型エッセンス』から質問項目を抜き出しているのですが…。
例えば、O型では、
A型なら、
といった調子で、全血液型について記述があります。そして、全部で60項目の質問紙を作成しています。ところが…です。この本には、こんなことをやってはダメと書いてあるのです。それは、162ページのYG性格検査についての批判の部分です。
心理検査の場合、言葉遣いを少し修正するだけで、被験者の反応が大きく変化することがある。そのため、反応が変化しないことを実証するか、標準化をやり直すのが研究者のルールである。もちろん、YGは半世紀前に標準化されたまま、放置されている。こんなことは許されるべきではない。詐欺である。
ところが、能見さん『血液型エッセンス』の質問項目も、「どちらかといえば本能のままに生きる方である」は標準化(?)はされていません。あくまで、「どちらかといえば本能のままに生きる方である」といった傾向を測定する別な質問項目(これがあったかどうかは記憶が定かではありませんが…)から判断しているのです。しかし、なぜか能見さんの質問項目の追試はありません。
ということは、この60項目は「許されるべきではない」「詐欺である」のでしょうか? いや、卒業論文だから許されるのでしょうか? それとも、この質問項目は心理テストに採用できるレベルではないのでしょうか? あるいは、他の理由があるのでしょうか? はて?
前述のように、サンプルはO型40名、A型32名、B型31名、AB型33名の計136名です。では、このデータで能見説を検証できるのでしょうか?
計算してみるとわかりますが、この程度のサンプル数では、誤差が20%程度以上になってしまいます。この手の質問では、血液型による差はせいぜい20%程度ですから、どう頑張っても差が検出できるはずがありません(と言うと言い過ぎですが…サンプル数が少ないことは確かなようです)。
20ページには、確たる結論が得られなかったとして、「何もなかったときちんと書けばいいんだよ。調査はそんなものだ。ちゃんと書けば卒業させてやる」と、村上さんの人情にあふれる言葉があります。
さすがに、一生懸命卒論を仕上げた4年生には、サンプル数は足りないし、ランダムサンプリングじゃないし、標準化もおかしいし(?)とは言えなかったに違いありません、たぶん。
どうもお疲れ様でした。
18ページには、俊賢さんの「『血液型』怖いくらい性格がわかる本」からそれぞれの血液型に4つのタイプがあると紹介があります。
例えば、O型では、
一般的には、情緒が安定していると見られる。プレッシャーがある限界を超えると、突然メロメロになってしまうことが多い。
パワフルな人 出世街道を突っ走る人間ダンプカーのような人。
頑張る人 小さなことからコツコツと目標へ向かってばく進する人。
この道一筋の人 誰が何と言おうと自分の主張は絶対に曲げない人。
温かい人 感傷的なロマンチストだけどどこか憎めない人。
とあり、22ページには(太字は私)
能見俊賢の「…の人」を省略すれば「性格」チェックリストとして実施できそうである。ただ、人情・任侠の人、正義と奉仕の人、神秘の人、メルヘンな人は、言葉が特殊で、「はい」と答えにくいので、同じ場所に掲載されていた別の言葉に変更した。
とあります。ここを改めて読み返して驚いてしまいました。なぜなら、前述のように、162ページのYG性格検査についての批判には(太字は私)、
心理検査の場合、言葉遣いを少し修正するだけで、被験者の反応が大きく変化することがある。そのため、反応が変化しないことを実証するか、標準化をやり直すのが研究者のルールである。もちろん、YGは半世紀前に標準化されたまま、放置されている。こんなことは許されるべきではない。詐欺である。
血液型では「同じ場所に掲載されていた別の言葉に変更」ということですが、これは「許されるべきではない」「詐欺である」ということにならないのでしょうか? はて?
更に不思議なことがあります。実は、「…の人」には、そのベースとなる20種類の質問項目が用意されています。YG性格検査なら、いくらなんでも性格因子(例えば、のん気さ)をそのまま質問項目にする人はいないでしょう。常識的には、こちらを質問項目に選ぶべきだと思うのですが…。
例えば、こんな感じの項目です。
これについては、こうあります(21ページ)。
能見俊賢は、「血液型」をチェックする20の質問項目を掲載している[注:ABO WORLDはもっと項目数が多いので、たぶん「『血液型』怖いくらい性格がわかる本」の20項目と思われます]。これに答えればどういう性格かわかるそうだ。…
チェックによると私の血液型度はB型だった。しかし、私の血液型はA型である。…「ABO WORLD」には、「これは、あくまでも遊びですので、当たるとは限りません!」と書いてある。本当に当たらない。
これを読んで思わず吹き出してしまいました(失礼!)。血液型度チェックは、あくまで傾向ですから、たとえ村上さんが当たらなくとも、全員が当たらないとは言えないのです。それに、本当に血液型チェックを否定したいなら、サンプルをもっと増やして、統計的検定を施す必要があります。しかし、奇妙なことにそれは「…の人」しかしていないのです。
否定論者の菊池さんはこう言っています(太字は私)。
ただ、最近は血液型性格判断を撲滅しようという意識ばかりが先走って、適切でない批判をする人も散見される。
…「A型なのに、ぜんぜん凡帳面じゃない人はいっぱいいる」というように、血液型性格学に対する反証例を挙げる批判法。これも「身の回りの人が当てはまるから信じる」というのと同じ誤った考え方である。血液型学に限らず、おおよそすべての性格理論は統計的なものであって、集団全体の傾向としてしかとらえられない。たとえば筋肉を使った運動能力は女性よりも男性の方が優れていることに誰も異論はな いと思うが、それでも特定の男性を取り上げれば、平均的な女性より力が弱い人はざらにいるだろう。必要なのは個々の事例ではなく、統計的な事実なのである。
…血液型性格学への批判は確かに重要だが不適切な批判で満足しているとすれば、それは非論理性という点では相手と同じ穴のムジナになりかねないことに注意しなければなるまい。
はて? やはり、村上さん自身が血液型度チェックをやって外れたから、というのは否定の理由としては弱いようです。皆さんも不思議に思いませんか?
[ここは、多重比較法の話ですので、統計が好きじゃない人は読み飛ばして構いません]
再度「『血液型』怖いくらい性格がわかる本」からです(23ページ)。それぞれの血液型に4つのタイプがあり、例えばO型では、
パワフルな人 出世街道を突っ走る人間ダンプカーのような人。
頑張る人 小さなことからコツコツと目標へ向かってばく進する人。
この道一筋の人 誰が何と言おうと自分の主張は絶対に曲げない人。
温かい人 感傷的なロマンチストだけどどこか憎めない人。
といった感じです。4つの血液型にそれぞれ4通りあるのですから、4×4=16通りの「…の人」があることになります。この16通りについて調べた結果が、表1・2の「血液型ごとの『はい』の回答率」です。その結果(23ページ)、
それぞれの形容詞ごとにカイ自乗検定を行うと、「まじめな」が1%の危険率で有意だった。
しかし、多くの質問項目がある場合は、危険率を多重比較法を用いて厳密にチェックすることが必要な場合もあります(多重比較法の説明はここでは省略します)。そこで、村上さんはホルム法[詳しい解説は永田靖他『統計的多重比較法の基礎』などを参照]を使ってチェックを行いました。
ホルム法で、「はい」を1点、「いいえ」をマイナス1点として平均値を基に、すべての組み合わせを比較した。すると「まじめな」でO型の人とB型が1%水準で有意だった。つまり、O型の「はい」の%がB型より(有意に)大きかった。A型は69.6%で、O型より大きいので、B型の47.0%と差がありそうだが、検定の結果は違っていた。
血液型人間学によると「まじめな」はAB型の特徴である。調査結果ではO型の特徴となった。つまり、血液型人間学の仮説は支持されない。
では、実際のデータを見てみましょう。
表1・2[抜粋] 血液型の「はい」の%
質問項目 O型 A型 B型 AB型 まじめな 63.3 69.6 47.0 64.1
O、A、AB型が60%台で、B型だけが47.0%とダントツに低いのですから、常識的にはB型の回答率が低いと考えます。そこで、残差平方和を計算してみました。
表1・2を改変
質問項目 O型 A型 B型 AB型 N 90 125 83 39 まじめな 63.3% 69.6% 47.0% 64.1% 回答人数 57 87 39 25 残差平方和 0.10 3.29 7.62 0.09
このデータのカイ自乗値は11.10で危険率は1.1%です(なぜか、1パーセント以上になってしまいます…)。念のため、B型とB型以外の血液型に分けてカイ自乗検定をしてみると、カイ自乗値は10.11で危険率は0.15%となりました。どう考えても、「まじめな」と回答するB型が少なくA型が多いとしか考えられません。それは、B型とA型の残差平方和を見ても明らかです。
また、16の質問項目についてホルム法で有意水準を計算してみると(1つの質問項目の有意水準を5%にすれば、その1/16になりますから)、0.31%になります。つまり、1%の危険率では、「まじめな」については、ホルム法を厳密に適用すると、初めから有意差は認められない(!)ことになります。必然的に、表1・2のデータで1%の危険率を使うのは、意味がないので全くのナンセンスということになります。
あれ?
それに、謎1と謎3に登場するデータには、なぜかホルム法は適用していないのです。更に不思議なことに、否定論者のデータでも、私が知る限りホルム法を厳密に適用している例は皆無です。
あれれ?
またまた謎が増えてしまいました。
余談ですが、「まじめな」は必ずしもAB型の特徴ではありません。「『血液型』怖いくらい性格がわかる本」の28ページには、AB型だけでなくA型も「真面目」とあります(B型とO型にはありません)。データを見ると、確かにA型とAB型は、B型とO型より「まじめな」ようです。
【参考】
前出の『統計的多重比較法の基礎』には、次のような興味深い記述もあります(28ページ)。 通常の検定においてはサンプルサイズを小さくすれば,検出力が下がって有意になりにくくなる。そこで,そのことを“利用(悪用)”して,「有意という結論を出したくないときにはサンプルサイズを小さくする」ならば,これは完全に検定の誤用である。多重比較法の場合もこれと同じことが言える。更に,多重比較法の誤用として次のことが考えられる。多重比較法では,群の数が増えればファミリーに含まれる考慮すべき帰無仮説の数が増えて,その結果,棄却限界値がより大きく(1つ1つの検定では有意になりにくく)なる。したがって,すでに含まれている群の中の1つとあまり違いのないと考える群を追加する,または成立することがほぼ確実な帰無仮説をファミリーの中に水増しすることにより,有意でない方向へ結論を恣意的に誘導することができる。 |
この本でも、血液型で有名な松井豊さんの研究が取り上げられています。
結論は松井さんと同じです(26ページ)。
4回の分析で一貫して有利だったのは「物事にこだわらない」だけだった。その項目の「はい」と回答した%を表1・4に示す。血液型人間学によると、物事にこだわらないのはB型の特徴のはずである。B型は1980年と1988年に%が高かった。したがって、この点では仮説は支持された。しかし、1982年はO型、1986年はAB型が高かった。つまり、一貫した結果が得られないので、血液型人間学が主張する血液型と性格の関係はやはり確認できない。
表1・4「物事ごとにこだわらない」に「はい」と回答した%
O型 A型 B型 AB型 1980年
31.8 30.6 37.8 34.3 1982年
39.1 33.0 35.6 36.1 1986年
39.5 32.4 38.8 39.9 1988年
42.9 35.9 45.1 37.1
しかし、この考察にははオリジナルの注3の部分が(なぜか?)欠けているようです(太字は私)。
(注3)視点をかえれば、A型とその他の型の間には、一貫した差がみられることになる。表7のデータ[省略]をA型とその他の型に再分類し、差の検定を行うと、いずれの年度でも有意差が認められる。しかし、この検定における関連係数(ユールのQ)は0.082〜0.148と低めである。分析された24項目のうち、1項目だけが低い関連しか示していない点を考慮すれば、本報告の結論[注:血液型と性格には関連がない]を改変する必要はないと考えられる。
つまり、A型には一貫した結果が認められることになりますが…。はて?
39ページには、アイゼンクの『占星術−科学か迷信か?』で、星座と性格の研究が紹介されています。結論として、サンプルに占星術の知識のある人が含まれていた場合には統計的に意味のある差が出たものの、占星術の知識がほとんどない子どもを調査対象にした場合は意味のある差は出ませんでした。
血液型も同じことだとして、
血液型人間学の場合でも、調査対象者が血液型人間学の予想を知っている場合、調査対象者は予想に沿った方向で回答してしまう。これは大昔の古川学説の時代から指摘されていた。このような知識による汚染がない調査対象者で、研究をするべきである。
そして、この“知識の汚染”を防ぐための方法を示しています。
筆者が22ページに示した血液型チェックリストを調査した時は、性格チェックリストとして実施してから、最後に口頭で自分の血液型を書くように指示した。あらかじめ血液型関係の調査だと気付かれないようにして、知識による汚染を防いだつもりである。
しかし、22ページには「学生には…」とありますから、このサンプルは富山大学の学生のようです。子どもじゃないんですから、調査するまでもなく“知識による汚染”があることは確実でしょう。現に、インターワイヤード(DIMSDRIVE)のアンケート結果でも、一番最後に血液型を聞いていますが、やっぱり有意な差が出ています。常識的に考えても、「最後に口頭で自分の血液型を書くように指示した」ぐらいで“知識による汚染”が防げるとは思いません。はて?
そうなると、謎2と3の結果は“知識の汚染”でも説明できることになります。あれれ?
余談ですが、このサンプルはランダム・サンプリングの条件を満たしていないことは確かだと思われます。
47ページには、結論としてこうあります。
しかし、謎2の「まじめな」について、B型とB型以外に分けてユールのQを計算してみると0.172になります。予測力はこの2乗ですから約3%になるので1%以上になります。あれ?
ちなみに、この3%の予測力は、好奇心に影響を与える遺伝子のD4DRと同程度です。もちろん、D4DRが好奇心に影響を与えることは、一般的に(心理学を含めて)認められています。
【H20.9.6追記】 世界で初めて、遺伝子(D4DR)による性格の差を発見したイスラエルのチームも、なぜかビッグファイブではなく、Cloningerのプロトタイプ(TPQ)を使っています。ちなみに、この論文はNatureに掲載されていますので、興味があるならどうぞ。 その部分だけ引用しておきましょう。
読めば分かるとおり、Cloningerのプロトタイプ(TPQ)が有効だとあります。 論文の要約は、以下のアドレスで読めます。 http://www.nature.com/ng/journal/...より |
次には、こんな文書が続きます。
「調査の度に違った結果がでる」なら「血液型人間学を支持する結果」になるはずがないし、ましてや「知識の汚染から説明」なんか全く必要がありません。あれ?
あるいは、どこかに「血液型人間学を支持する結果」があるのでしょうか? それなら、なぜその結果を紹介しなかったのでしょう? 松井さんの注3[謎3]のなのでしょうか?
実に不思議です。はて?
【H17.6.27追記】 ひょんなことから、fpr("心理学研究の基礎"ML)に村上さん自身の発言があることがわかりました。 |
その後、この件について日経BP社に問い合わせてみました。きちんと回答が戻ってきたのには感心しました。すばらしい対応ですね。ただし、その回答は、少々気になる点があります。例えば、
■ランダムサンプリングの謎
理想的なサンプルではないが、何の傾向も出ていないだから、ランダムサンプリングではなくともよいのではないか。ただし、判断に一定の留保が必要になる。
【私のコメント】
ランダムサンプリングではなくともよい、というのはちょっとビックリです。ここまで言い切っていいものか…。
■血液型度チェックの謎
YGのように「標準化」がされている場合は、これを改変は不可である。しかし、血液型は、標準化されていないので、同じ場所にあった言葉を使った。
【私のコメント】
標準化されているか、いないか、は関係ないと思うんですが…。少なくとも、能見さんの結果を否定するための追試にはなりませんよね?
■“知識の汚染”の謎
程度の問題であるが、完全なランダムサンプリングでなくとも統計的推論は可能である。従って、大学生でもよいと考える。この調査は目的を隠して行ったし、学生は調査目的を知らずに解答したのである程度汚染は防げたはずである。
【私のコメント】
大学生の70%程度は、ある程度の血液型と性格の関係を認めています。サンプルの70%程度は“知識の汚染”があってもいいものなのでしょうか?
■血液型はトンデモ〜ユールのQ〜
多くの単語を使えば単純検定を行えば一つや二つは有意差が出るが、再現性の問題もある。しかし、性格特性という水準で 考えると、とても見込みはない。
【私のコメント】
“知識の汚染”があるなら、性格特性でも見込みがあることにならないのでしょうか?
しかし、いずれにせよ、返事が返ってきたのはうれしい限りです。村上さん、ありがとうございます。(^^)