2008年版カフェブロッサム繁昌記

この繁昌記は、佐野市郊外にあるエコロジカルでスローライフな「カフェブロッサム」店主が折々の店の様子を綴るものです
「暖炉料理」にこだわり、「飲食道」という迷路をたどり、店の環境向上と質の向上につとめる関東老生の日々を綴るものです。
題して「カフェブロッサム繁昌記」。

最近読んだ気になる文章
「未来はすでに訪れている。ただし、あらゆる場所に等しく訪れるわけではない」リンダ・グラットン著 「ワークシフト」より


改訂版カフェブロッサム繁昌記の目次

2008年12月17日(水)雨
今週の月曜日は好天に誘われ、午前中、杖を持ち、付近の織姫山まで散歩をした。陽だまりを歩くことは大変楽しい。1時間ほどの散歩であったが、これは、いささか、冒険のきらいがあったことを、夕方になり知った。夕飯前より、胃腸に不快を感じ、夕飯も食べずに寝込んでしまった。その夜は、胃が苦しく一睡もせず、翌朝、主治医に駆け込んで、診断をあおぐと、胃腸関係の風邪であろうという事で、点滴をしてもらい、終日安静を保つ。
6週間の入院中、僕は「高齢者」のカテゴリーに入り、思いのほかの、体力減退が生じたことをしみじみと思うのです。
ところで、先週の朝、ラジオの読書案内で、「ミレニアム」という小説が紹介された。著者はスウェーデン人、現在、ヨーロッパでブレークしていると言う。僕は、書籍紹介の中でその「スウェーデン作家」と言うところに耳をそばだて、四十年前に愛読した「マルティンベック・シリーズ」の警察小説を思い出した。シリーズは10冊の推理小説仕立ての刑事物で、当時のスウェーデン社会を描くという内容のもので、僕としては、地球の反対側にある、超先進的な福祉国家でのライフスタイルや、その社会の病巣も浮かび上がってくるところが、娯楽読み物以上に手ごたえのある小説であったとの記憶がある。
つまり、その当時、日本で暮らす、僕等が向うべき方向の最先端に到達している社会をうかがい知る物語として読んでいたのだと思う。
紹介された「ミレニアム」であるが、早速、書店にて買い求め、読んでみた。
物語は1966年にスエーデン中部のある地方都市で発生した一人の少女失踪事件を解明する為に二人の人物を登場させ、東洋ではなじみの薄い、近代スエーデン社会の発祥おも俯瞰しながら、今日の時制で物語りは展開する。僕が興味深かつたのは、戦前のスウェーデン社会の一部にはナチズムにも共鳴する人々もいたと云う事だ。
余談でありますがーーー偶然にも1966年、僕は無銭旅行で、この物語の舞台付近に立ち寄った経緯がある。日本は「東京オリンピック」の翌年で、ラーメン一杯は35円であた。ところが、当地に来て、オープンサンドを一片買い求めたところ、100円もして、とめどないカルチャーショックを受け、世界の深遠なる事を体感した記憶がある。
もう一つのショックは、スエーデンの街を散策して、ふと公園に立ち寄り、暫くして、再び街に出てみると、先ほどまで人で溢れていた街より人が消えていたのである。時刻は夕方の5時頃でであったと思う。その頃の日本では沢山の雑多な商店は夜遅くまで営業していて、何処にでも人の気配があるのが当たり前の時代であった。旅行した季節は夏であったから、夜中になっても明るい白夜の季節。立派な道路に驚くほど少ない交通量、とめどない寂寥感を得た思い出があるーーーー。
ところで、この「ミレニアム」はこんな予備知識や思い出がなくても、最初のページから、物語にぐいと引き込まれ、十分楽しめる小説だと思う。兎も角も、読み応えのあるフィクションであった。
話は変わりますが、皆さんは「ロッキード事件」と云う物をご存知ですか。昔アメリカの航空機会社が日本での営業活動の一環として、日本政府高官に積極的な営業活動を展開した結果、つまりは、買収事件が生じその事が大々的に報道されたのでありました。その頃は、その報道も半信半疑なところもありましたが、つい最近、日本の某建設会社の裏金資金がニュースで取り上げられ、その資金は、主として後進諸国での某社の受注活動を円滑にする為の営業経費であると報道されてた。
「ロッキード事件」は日本のメディアで連日報道されていたが、この建設会社の資金に関してはその後の追跡報道は聞かない。このことは、例えば浸透膜の内と外の事象のごとく世の中がはっきりと見えてくるような気がして興味がわき非常に勉強になりました。
さて、高齢者の仲間入りをして感じることは、旅行に喩えるならば、若い頃は、その訪ねたところが気に入れば気軽に再訪できるのであるが、現在は、そんな余裕はなくなったような、奇妙な切迫感が生じていることで、言い換えるなら、その日、その時を悔いの無いように、潔く過ごそうという気分になったことだ。
今年も残り少なくなってきたが、日々の安寧を願うばかりである・・・・。
2008年12月7日(日)晴、風有
6週間に及ぶ「ベット上安静」の期間が過ぎて、体のすべての筋肉が衰えてしまったが、無罪放免と云う様な風に退院して、自宅で日常に戻る訓練をしている。
留守中、ヨーコさんの手足となって、ブロッサムを盛り立ててくれた、皆さん、ご心配していただいた皆さん、また、病院で親切にして頂いた皆様には心より感謝申し上げる次第です。

初秋の晴天に恵まれた日に入院、退院した時は、季節はすっかり冬になっていた。
病院の食事は、さっぱりした味付けのもので、僕の口にも合い、気になっていたコレステロールの件も解決、退院時、体重は、500グラム減っていた。

療養中の伴侶として、持ち込んだ本は、安岡章太郎著「僕の昭和史」と1929年の大恐慌を描いた「アメリカの死んだ日」ー1979年、TBSブリタニカ・常盤新平訳ーであった。後者は、僕がまだ若い頃(つまり、大昔という事です)に一度読んだ物が書棚の隅に積んであったので持ち込んだもの。僕の青年時代には「大恐慌」、「関東大震災」、「引揚者」も日常会話の中にあった。
厚い本だが、読み始めているうちに、期せずして、病院のテレビでニューヨークのウォール街に端を発する、世界同時株安が報じられ、100年に一度の経済的事例と云う様な報道もなされている。本を読んでいる僕は、タイムカプセルに乗って、29年に舞い戻ったような、奇妙な臨場感を味わった。

しかし、何といっても、一番興味があったのは、大統領選挙である。
アメリカの大統領選挙といえば、まさに、我等、本家の当主交代を見守るごとくの関心が集まるものだ。しかも、新しい選択をした。極東に住む我等にとっては、宗主国であるし、我が方の臨時政権も安定感が今ひとつ欠ける。
目先の目標を失った集団のごとく振舞う極東の住民には、若い、元気な大統領が山積する難題を次々と解決する姿を見せてもらいたい。そうゆう、見本がないと、我が方の連中はさっぱり、要領を得ない(もともと、こうゆう事に得意でないのかもしれない)。期待する所、大である。
師走になってしまいましたが、来週あたりより、店の方になんとなく顔が出せるように心がけて行くつもりです。その節は、どうぞ、宜しく!
2008年10月20日(月)晴
季節、日和の申し分なき時節に、独り病床に臥し、窓外の風景を虚しく眺める。痛みは概ね改善し、食欲もある。脊髄損傷なれど、麻痺に至らず、故に、6週間の安静と診断下る。
つまりは、24時間、ひたすら病床に臥すのみである。やんぬるかな!
2008年10月16日(木)快晴
何事も自分に都合のよいようには進まない。肋骨、脊髄損傷為火曜日より入院して安静を保っている。治療方針は今週中に決めると云われた。伊澤蘭軒を読み始める。
2008年10月12日(日)晴
此の頃、秋の気配、漂い過ごし易し。
金曜日の4時頃、松の梢より落下する。家内はキッチンで仕込み中であったが、「どすん!と云う音がしたので、外へ出てみると、切り落とした松の樹とかっちゃんが、地面にころがっていた」と、極めて写実的に救急車の中で隊員に言っている。高さは7〜8メートル程であった。
非常に痛かった。先ほど風呂に入って身体を観察すると腕、腰にあざや擦り傷が目立つ。落下中に木の枝や幹にぶつかりながら落ちていったように思われる。不覚であった。反省すること多。
2008年9月25日(木)薄曇
メタボ検診後、ル・シネマにて「我が教え子、ヒットラー」を観る。背景描写程よく整い楽しめる映画であった。この時代の、持つ限りない無常観は僕に居心地がよい。次なる予告編も老人向けで面白そう。骨董通りに出、「ウイング・クラブ」に立ち寄り、スケルトンモデルに見入ること暫し。六本木方面に足を向け、ヒルズの展望台に登る。夕闇せまるデッキは風も心地よく、個性増す眺望も夕日の空に映え、充実した一日となった。
2008年8月31日(日)曇時々晴
ジャズライブも満席、無事終了。前日より頻りに険悪な気象予報を耳にしていたが、雨は避けることが出来、料理、音楽に大満足の様子をキッチンより眺め、感無量となり家内と手を取り合って、涙した。これは嘘です。しかし、楽しんでいる様子を拝見して、安心したのです。お客様、ミュージッシャンの皆さん、そして、天に感謝多!





30日のジャズライブのワンシーンです
2008年8月28日(木)曇
鴎外を読み「団子坂」を知らぬを悔いて、出掛ける事にする。まず浅草寺を詣で、御神籤を引くと「凶」、残念!厄払いに、ひさご通り「米久」に入り、牛鍋と酒を頼む。月初めより粗食生活が続いた為か、驚くほど食進み、飯2膳食らう。ほろ酔い加減で国際通りを北上、竜泉寺に至り「一葉記念館」を拝す。酔いの醒めた所で、さらに、西に向かい言問い通りを辿り寛永寺周辺の緑とレトロな家並みを味わいつつ、谷中より団子坂上に至る。「観潮楼」在りし日はこの坂より、浜離宮木立の上を走る、品川沖の白帆が見えたと言う。「鴎外記念館」は館内整理の為暫く休みだ!「凶」とはこの事であったか!気を取り直し、白山通りを下り後楽園より帰路に向かう。
2008年8月4日(月)曇
土曜日は足利花火の為か早めに終了し、マイケル君達、店の若人を誘い、久しぶりに足利の花火見物。暫くは我が自宅で紅茶と軽食で雑談に盛り上がり、やがて「ズドン、ズドン」花火の音が聞こえてくる。漸く皆,、腰を上げて、渡良瀬河に徒歩で向かう。途中、マイケル君が学ぶ「日本語学校」に顔をだすと、屋上で生徒が花火を見学していると言う。誘われるままに上がってみると、ビール、料理ののるテーブルを囲み3〜40人の生徒が花火を見学している。屋上は遮る物無く、よく見えるのであるが、辞して河畔に向かう。河辺には出店など賑やかに並び、メリサ君盛んにその様子をカメラおさめていた。周辺を見渡すと、芝の上、堤上と言わず、あたり一面人で埋め尽くされている。誠に壮観。しかも若者が多い。日常の足利は、人の気配のまばらな街で(しかも見かけるのはシュニアばかり)これほどの若者が生息していることに気付き感慨を深くする。久しぶりに、傍で見る花火は、迫力満点、盛夏の宵を楽しむひと時となった。
2008年7月13日(日)晴、涼風有
毎朝草刈に勤しむ。緑陰、畑より来る風に吹かれ「昭和文壇史」を読みながらの午睡、将に値千金。書斎を整理していたら45年前に愛用していた「スリービー」のパイプが出て来た。当時菊水で大枚3000円を投じて購った物である。懐かしいことこのうえない。天に感謝多!明日はパリ祭也。
2008年6月30日(月)曇
二玄社より「MOTO NAVI]送付有。その際三浦カメラマンより吾等夫婦の写真拡大せる一葉同封あり。家人殊のほか喜ぶ。今夕「りらく」を手にする。夜半までワシントンよりもどる旧き友と久しぶりに美酒をかたむける。
2008年6月19日(木)曇
先週より過ごし易き日続き、畑の草取り励む。痩地にズッキーニ収穫。フライパンに油を引き焼。口中にシャカシャカと音がするほど繊維が砕けみずみずしい味わい、有難き地の恵み、美味也。夕刻ターシャ逝くを知る。
2008年6月2日(月)曇
台風5号、列島に接近せず。二玄社発刊「MOTO NAVI」の取材有、BUELL(ビューエル)というマシン出現。取材の最後に吾ら夫婦の撮影、雑誌に掲載されるとの事、仕上がり具合を期待するところである。本誌は6月26日より書店に並ぶ予定也。
2008年5月24日(土)曇後雨
初夏の味覚、ホワイトアスパラガス試食する。皿に盛られた姿、色合いまことに涼しげなる風情有、やんごとない自然の賜り物に感謝多。
2008年5月15日(木)晴、乾
先日来、天啓あるがごとくに、高田渡氏映画の上映知る。本日「テアトル新宿」にて「タカダワタル的ゼロ」を観る。爪弾く音に声を乗せ演じる風情に久しく忘れていたものを思い出し一人、感慨にふける。薄暮、初夏の風に誘われて歩むこと1時間余。市ヶ谷、招魂社より内堀通りをたどり銀座に至り飯。
2008年5月10日(土)雨、寒
野菜の苗を畑に植える。朝より微雨、午後、店暇になり、家人に先日観た「大いなる陰謀」の話を始めた。途中家人同輩婦人加わり、話題が「インディージョーンズ」最新版近日公開の話に移り、男優の名前に至る。例のごとく「あの人・・・、ケビン・コスナーではない・・・・、そう!あの人です・・・エァーと・・・・」固有名詞が出て来ない。お互いに「エーと・・・」と声を出すばかりで話が先に進まない。若い嬢に聞いても首を傾げるばかり。一向に埒が明かない。こうなると、あたかも、残尿感あるがごとくの気分になり、どうにも落ち着かない。終いには、電話で友人に尋ねる始末。相手も「そう!あの人」と言うばかりで名前が出て来ない。「ネットで調べるからしばし待て」となり、暫くして「ハリソン・フォード!」と判明、一件落着に至り、3人共気分静まる。ロバート・レッドフォード68歳、皺多きこと驚くばかりなり。
2008年5月7日(水)晴
繁節恙無く過ぎ、空に飛行機雲浮かぶ夕景につつまれ、質素な晩餐を家人と味わう。
2008年4月22日(火)晴、暖
丸ノ内にて用事済み、午後のひと時、上天気につられ神田方面に足を向ける。神田橋を過ぎ、靖国通りに達し、暫く書店を探索後帰路に着く。久しぶりに革底のフローシャムを履いて歩いたが、靴の重さゆえ足、事のほか疲れる。 
2008年4月某日
驟雨続く。有楽町に出て「ノーカントリー」看る。映画背景、事の外よろしく、バーストーよりデスヴァレーまでのドライブ風景を懐かしく思い出し、一人感慨に耽る。映画の終末は含蓄を含むものであった。画面で縦横無尽に活躍するシガーなる人物は、顔付きが当方の身近な青年に瓜二つのごときで驚くことしきり也。夕刻、神田に出て古書店周辺を探索、すずらん通りにて飯。テレビでは5輪騒動の報しきりに有。
2008年3月30日(日)薄曇
予報では終日曇とあったが、陽射しあり穏かな天気となる。ブロッサムの敷地にある桜の蕾色付き、樹の下に立ち見上げると春の勢いが伝わってくるような心持がする。
桜の樹を見上げた写真。蕾も大分赤くなってきて明日にでも咲くような気配である。ここに咲く花はソメイヨシノ程の艶やかさはないが、そそとした風情がことのほかよろしいのです。
足利方面より自転車にて、松田街道を上り山越えをしてきたというお客さん。「ウンドウヲ、タスサンシタノデ、オナカイッパイタベタイデス!」と云ってローストビーフと仔羊のグリルを注文。
2008年3月27日(木)晴
足利市内の桜二分咲、朝より春風に吹かれ市中散策。富士見橋より新川土手に沿いて南に下る。黄色き菜の花が歩み進む前、後に延々と続き、のどかな風景この上ない。川面には水鳥が浮かびゆるい流れの川上にのぼって行く。その姿はまことに優雅で春の風情を感じさせる。しばらく眺めていると、水鳥は川の浅瀬に行き当たり、体が川底について進めなくなった。観察を続けていると、思案した水鳥はおもむろに二本の足でヨチヨチと歩きだし浅瀬を越えて次なる川の深みに体をおさめた。優雅な泳ぎとヨチヨチ歩きには非常なる落差がある。僕は水鳥の生活実態を目撃したような気分になった。事務所に立ち寄り用事を済ませ後、近所の映画館に入る。ガソリンの売価、下がるとの報しきりなり。
2008年3月20日(木)雨、寒
朝より雨。銀座線で有楽町に出、久しぶりに映画館に入る。出でて後、家人に教わった「松屋」にてターシャ展を見学。婦人多し。千代田線にて赤坂に向かい、知り合いのスタジオを訪ねる。隣の広場ではタレントのイベントありとの事で見学、知らぬ人ばかりで興味わかず。大学で理科を教える先生有、しばらく歓談。帰路、放送局の近くにある石釜ピザの店にて飯。終日雨、寒。外為やや落ち着くと有。
2008年3月14日(金)曇
店の裏庭にある梅の花がようやく、咲いた。
去年は確か3月4日頃であった。
寒かった冬もようやくにして遠のいた感有。
先週の日曜日は暖かな日和で外で食事をする人達を見かけたほどである。
休日であるが、老妻、明日の食材準備のために忙しなく働く。当方は薪作りに精を出す。依頼されたエッセイ原稿はすでに出来上がった。野鳥も林の中に見え隠れする。寒かった冬も終焉、ようやく季節が春へ大きく一歩踏み出した、今日この頃である。
2008年3月2日(日)晴
天気、風なく穏やかに推移す。庭にて愛犬家の談笑する姿有。懸案のローストビーフ、本日完成をみる。試行錯誤する事3ヶ月、こころならずも、お召し上がり戴いた諸兄、お客様には心より感謝申し上げる次第。再度の来店を請い本物を味わって戴きたいと心より願うものです。思いおこせば我が愛犬逝きて3年を数える。今日はその命日。好物のローストビーフがサーヤの命日に完成をみるとは、無粋なる吾にしても、草葉の陰から、吾等の行く末を案じてより、そこに至らしめたと、因縁めく日和となる。愛犬の冥福益々なることを祈り合掌!
2008年2月24日(日)夜来の残雪あり
昨夜より強風有。風、山岳方面より乾いた雪片を運び、夜中積もり、周辺雪景色となる。
店、昼より来客有、フォンディユを頼む人多し。
三陸方面で発達した低気圧、交通機関、諸事にことのほか多くの影響を及ぼした模様。
「春の嵐」あなどり難し!
風邪気味ゆえこれにて就寝 2008年2月24日 午後 09:41:48
2008年2月16日(土)晴、寒
周囲の雪消える。昨年秋より「もんみや」の出版社より大人のライフスタイル季刊誌「リラク」を発刊することになり、そこに掲載するエッセイを私が担当することになった。気楽に引き受けたものの活字になる原稿を作ることは繁昌記とは趣が異なり、やや悪戦苦闘するも2回目までは掲載できた。今は3月25日発刊予定の春号の原稿を書いている。
店は今年の営業が始まり2週間を経てようやく本調子を取り戻してきた。今日からスコーンやマフィンも焼き始めた。ローストビーフに添えるヨークシャープディングも本格的な形に仕上がりつつある。皆様も一度味わってみてください。個人的には大変美味しく焼けたと思っています。お持ち帰りも出来るように店内に飾りました。
2008年2月13日(水)晴、寒
今朝のラジオでは森田さんが寒波は今週までと言っている。我が家では近頃、湯たんぽを愛用している。2週間前より寝床に湯たんぽを入れ始めた。まことに具合がよく、夜中にトイレに起きることもなく、快眠できる。私の湯たんぽは愛犬の残していったものである。だから寝るたびに、サーヤの事を思い出して目頭が潤む。
湯たんぽを使用する前は寝室をオイルヒーターで温めて寝ていたのであるが、変に生ぬるくて、快眠を妨げた。いやすでに20年そのスタイルで生活していたのであるが、なんというか・・・・・、つまり老人となり、若いときのように睡眠を体が要求しなくなったのかもしれないが朝までぐっすり寝られるにこしたことはない。それで、今年の1月から暖房なしで毛布を1枚よけいにかけて、古いカシミヤのセーターをパジャマの下に着て寝たのだが、その時はまことに具合がよかった。布団に入って少しヒヤッとするがしばらくすると体温で暖かくなり上にかける布団の重量感もあり寝心地もよく、春までこのスタイルでいこうと思っていたのだが、なにせ、このところの寒さである。足が冷えて夜中にトイレに起きるようになってしまった。湯たんぽ!少しレトロなツールだが、これで問題も解決した。愛犬に感謝多!
2008年1月26日(土)晴れ、寒
散歩と読書三昧に過ごした冬休みもそろそろしまいとなる。今日より2月2日開業に向けての準備を始める。先日来の強風にて倒れし枯れた木を細かく薪にして燃やし暖をとる。ローストビーフの牛肉を試食のため焼く。美味也。

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