えびちゃんの山行記録 セカンドステージ 4
乗鞍越境ヒルクライム・スキー
長野県から岐阜県へ再越境中!
日 付 |
平成20年8月9日(土)〜11日(月) |
ルート |
朴の木平スキー場〜平湯峠〜乗鞍エコーライン〜大雪渓(スキー)〜乗鞍スカイライン〜乗鞍高原温泉YH(往復) |
天 候 |
晴れ |
参加者 |
ジョニー(1號:教祖)、エヴィン(2號)、キムチ(28號)、梅ちゃん(スノボー) |
<2008年夏の挑戦>
「体力が衰えるのは怖くない。挑戦を忘れてしまうことが恐ろしい。。。」
なんてどっかのキャッチフレーズのような言葉をメインテーマに今回の記録をはじめたいと思う。
それほど今回の八尾テレマーク研究会は厳しいものであったし、不注意から夏風邪で3日間ほど寝込んでしまった体を奮い立たせるには、そんなストイックなまでの精神力が必要であったからである。
教祖ジョニーがなぜ「越境」という言葉を好むのかは凡人には分かるべくもないが、古くから「あぁ野麦峠」や「天城越え」はたまた「大菩薩峠」などと、男のロマンをかき立てる峠越えは数多く存在した。
ジョニー君の「冬の野麦峠をスキーで越える」とかいう奇異なる言動は、1年半前の「春の乗鞍岳越境計画」として結実したわけであるが、「乗鞍死亡遊戯」の記録を読んで頂ければおわかりとおり、悲惨な結末を迎えることになった。
しかし、あの事件は単なる序章でしかなかったことに気がついたのは、つい最近になってからである。
「徒歩でダメなら実績のある自転車で乗鞍を越境するべし。当然、大雪渓にてスキーをするためにスキー板は担いで持っていく。」
こうして、公開された計画は以下の通りである
<1日目>
朴の木平スキー場から平湯峠までヒルクライム
夜は平湯温泉で疲れを癒したのち、飛騨牛BBQキャンプ
<2日目>
平湯峠から乗鞍スカイラインを(スキー板を担いで)ヒルクライム(標高1600m→2700m)
畳平にて昼食後、大雪渓にてスキー
スキーをデポして、乗鞍エコーラインをダウンヒル
乗鞍高原温泉ユースホステルにて宿泊
<3日目>
乗鞍高原温泉YHから乗鞍エコーラインをヒルクライム(標高1470m→2700m)
大雪渓にてスキー
乗鞍スカイラインを(スキー板を担いで)ダウンヒル
誰もがこんな計画を聞いたら「けっ!」とか言って相手にしないか、ちょっと悲しそうな目をして「がんばってね」と含み笑いを返してくれるだけなのだが、以前から目を付けていた職場の「梅ちゃん」に声を掛けたところ、かなり乗り気になってくれたので、なんと乗鞍ヒルクライムをテレ板とスノーボードを担いで挑戦するという、八尾テレ史上始まって以来の、テレマーク・スノボー・コラボレーション合宿が行われることになった。
そう、「梅ちゃん」とは気合いの入ったスノーボーダーだったのである。
<第1日目>
伊勢からは3人で出発することになったので、大人3人とスキー(スノボー)&自転車3セットを運ぶには、軽ワゴンでは無理だと思ったのであるが、教祖ジョニーは「私の『ブルーノア(ホンダ・バモス)』で大丈夫です。」と自信満々に答えていたので、それ以上は逆らわなかったが。。。。
予想通り、数日後に「検証したらやはり無理でした・・・・」との連絡がきたので、結局いつものeVin3号(ホンダ・HR−V)にボックスキャリアと自転車キャリアを装着しての移動となった。
普通車でも重量的に苦しかったのに、軽自動車で行けるという根拠のない自信をもつ教祖様の凄さは、同乗者の「梅ちゃん」にも少しずつ分かってくることだろう。
乗鞍までの移動は、2年前に行った「乗鞍ヒルクライムスキー・アナザーサイド」での行動と全く同じで、高山市街の同じ店で昼食と食材購入をして、朴の木平スキー場の駐車場に到着した。
そこには既に28號「キムチ氏」が到着されていた。キムチ氏はお会いするたびに逞しくなっておられるので、日々堕落している伊勢組2人とはどんどん差が開いているように見受けられた。
この日は空身で平湯峠までヒルクライムをして足慣らしである。数日前から風邪をひいて3日間ほど寝込んでいた私は、今日のヒルクライムで体の不調を感じたら、明日以降は参加しないつもりであった。
もう4年前の二の舞はゴメンである。
やはり、2年前の夏とは体調が違うようで体が重い。キムチ氏と梅ちゃんは一気に平湯峠まで上がっていったが、ジョニ&エヴィンはヒイヒイ状態で平湯峠にたどり着いた。
ただ、風邪の症状もだいぶ治まり、スピードを出さずのんびり登る分には、何とかいけそうなので、明日はこの頭のネジが相当ぶっ飛んだアホたれどもと運命を共にすることを覚悟する。>折角ここまできたんだしね。
空模様が怪しくなってきたので、一気に朴の木平まで下り定番の平湯温泉で汗を流すことに・・・。朴の木平から峠の反対側にある平湯温泉ではいよいよ天気が悪くなって雨が降り始めたが、教祖様曰く「峠の向こう側は地形学的に雨は降らないので大丈夫です」と天気予報士真っ青の解説をしてくれたので、夜のバーベキューは何とか出来るだろうとのんびり露天風呂を楽しんだのだがぁ。
朴の木平に戻ると目も当てられないような豪雨となり、バーベキューなどと言ってる状況ではなかった。「せっかくの飛騨牛焼き肉が〜」と思っていたら、何とか小降りになったのでタープを張って炭をおこし、暗闇の中、準備不足で懐中電灯のみの微かな光の中でバーベキューを敢行した。
なんとか食材を無駄にすることはなかったが、改めて教祖様の言葉を鵜呑みにしてはいけないことを思い知って夜は更けていく。
<第2日目>
朝はとてもいい天気。どうやらこの地区の夏シーズンは、夕立がある以外は良い天気が続くのだろう。いよいよ運命のヒルクライムである。
体調不良で万全の状態でないとはいえ、ますますパワーアップしているキムチ氏と、初参加とは思えないパワフルさでロードレーサーを駆る梅ちゃんには全くついていけず、折りたたみ自転車にサンダルという相変わらずの「冒涜スタイル」のジョニー氏と気長に登っていく。
2年前は文明の利器(自転車)になれないバーゴン樫君がいたので心に余裕があったが、今回は常に最後尾でバテバテになりながら山頂へ。
ほぼ計画通り畳平駐車場に到着し、昼食は前回と同じ食堂で・・・。ここでは水が貴重なので飲料も購入するしかないのを忘れていた。自転車にはスポーツドリンクが満載なのだが・・・
人はまあ多いのだが何となく寂しくなったような畳平をあとにして、いよいよ大雪渓でのスキーへ向けて長野側へ越境を開始する。
例年に比べるとかなり多めの雪が残っていたが、これまでにかなりの体力を消費しているので、それぞれ2〜4本程度の滑走でダウン。
今回はなんと細板と革靴を持参したキムチ氏は、慣れないながらもどんどん上達していく
教祖様は細くて長くて軽い板で、悟りをひらいた模様。
スノボの梅ちゃんは夏の雪にかなりとまどっていたが、一番体力は残っていた(驚異)
スノーボーダーの梅ちゃんにTOC認定ワッペンを手渡したところで大雪渓での研究会を終了し、スキー・スノボセットを放置して乗鞍ユースへ向けて爽快ダウンヒルを開始する。
軽い荷物でのダウンヒルはとても楽しいのだが、本当に明日この急坂を登り返せるのか不安になる。板が無ければ大丈夫だと不安を噛み殺すが。。。。教祖様にだまくらかされて履いたままのテレマークシューズが、明日のヒルクライムでは最大の重荷になりそうである。<テレ靴でそのまま降りた教祖様につきあったのが運の尽き
乗鞍ユースでは靴擦れと尻擦れを源泉掛け流し温泉で癒すが、あまり長湯をすると強烈な硫黄成分が肌にアレルギー反応を起こすので、早々に退散して体を休めることにした。よく考えるとまだ風邪は完全には治っていないので、体調は万全ではない。
<第3日目>
昨晩も夕方には土砂降りになったが、日中は全くいい天気である。。。。
暑いと思って尻パッドをしなかった報いを受け、尻擦れが酷くてサドルに体重をかけることが出来ず、軽装でのヒルクライムもかなり厳しいものとなった。
長野側では三本滝と位ヶ原で食事が出来る(4年前の位ヶ原山荘は閉まっていたが・・・)ので気分的には楽であるが、やはり斜度が急なので板を担いだら厳しいと思う。
このステージでは進むスピードの差が更に大きくなり、全くついていけない状態になってしまった。特にロードレーサーの梅ちゃんは尋常じゃない速さ!ただ、ゆっくり走り続けることは体力的に問題なかったので位ヶ原の食事をキャンセルして先行し、なんとか大雪渓にたどり着くことができた。
昨日に比べれば体力的には余力があるので、ちょっとはスキーを楽しむ事が出来たが、少しずつ天気悪化の傾向が・・・大雨のダウンヒル(スキー板付き)なんて、想像するだけで恐ろしいので早めに切り上げて再越境を準備する。
岐阜県側にたどり着く頃には長野側は激しい雨になったようで、休む間もなく一気にダウンヒルを敢行した。幸いなことに岐阜県側はまだ雨が降る気配はないようだ。そして昨日あんなに苦労して登った道は一瞬で過ぎ去り平湯峠に到着する。
最初はどうなるかと思われた乗鞍越境ヒルクライム・スキーも、大きな事故もなく無事に降りることが出来た。体力は衰えても挑戦は出来る。こうして2008年夏の挑戦は終わった。
<終わりに>
挑戦することは出来ても、それを継続的に記録に残すことは想像以上に大変なことだ。今回の記録も完成までにかなりの時間が経過してしまい、もっと書きたいことはあったはずなのだが、今となっては遠い記憶の彼方へ旅立ってしまった。
近い将来、こんな事もあったんだと思えることを期待して、この記録を公開したい。(H20.9.21)
青いラインが今回のルートである。参考にしようと思う人はいないだろうが(^^;
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