えびちゃんの山行記録 セカンドステージ 3


栂池から白馬乗鞍岳へ

未知の世界は危険な香り
純白の谷を下る 〜想定外の結末へ〜

日 付  平成20年4月27日(日)〜28(月)
ルート  栂池スキー場〜白馬乗鞍岳 民宿ひらた泊

天 候

 晴れ
参加者  ジョニー(1號:教祖)、エヴィン(2號)

<無謀な計画>
 毎年恒例のGWバックカントリーツアー計画を八尾テレのジョニー君から頂いたのは、出発の10日程前で、なんと岐阜県側から乗鞍越えをして三本滝にくだり、そこで一泊して次の日に同じコースを戻るという、とんでもないものでした。
 テントと食料を担いでツアーをする苦しみは、四年前の加賀白山行で痛いほど実感しているので、もし乗鞍スカイラインを使用して登るのなら絶対に途中で息絶えるだろうと、装備とコースについて問いただしたところ、装備は食料とテントを2人で分担することで軽減し、平湯温泉スキー場から硫黄岳を経由して乗鞍へ登るコースが「山スキールート図集」に載っているので、そのコースを使えば6時間くらいで肩の小屋まで行けるとのことでした。コースタイムの6時間は眉唾でしょうが、本にも掲載されているコースなら、なんとか乗鞍山頂往復ぐらいは出来るだろうと無謀な計画に同意したのが運の尽きでした。

<第1日目>
 朝3時30分に伊勢を出発し、今回のベースとなる「平湯温泉スキー場」の駐車場に到着したのは9時前で、なんとか9時には出発できそうです。ただし、週間予報から変わって天気は下り坂のようで、もし日帰り登山なら間違いなく中止するような空模様でした。
 準備を終えてザックを担いでみると、食料はジョニー君まかせだったのと、かなり厳密に荷物を制限したので、それほど重くはなかったのですが、やはり見た目にかなりかさばっていて滑るのは大変そうです。

平湯スキー場駐車場にて
 まずここで大誤算。おそらく「山スキールート図集」では、スキー場のトップまではリフトで行くようになっていると思われますが、雪が溶けてしまっているこの時期には当然リフトは動いていないし、このスキー場はかなり急峻で、最大斜度38度のメインゲレンデを登ることは不可能にちかく、迂回コースを登ったところスキー場のトップにたどり着くまで1時間以上かかってしまったのです。もちろんその間はスキー板を担いでいるので疲労度も半端ではありません。

 ピカッ!ゴロゴロゴロ〜・・・・無言で顔を見合わせる2人

 スキー場地区から山スキールートに入った瞬間に背後の空は真っ黒になり、遠くで雷鳴の音が・・・・普通のまともな人間なら間違いなくここでUターンです。しかし、まだ昼前なので引っ込みがつかない2人はそろそろと前進・・・・してしまったのでした。
 そうこうしている内に物凄い風が吹いてきてモチベーションがドンドン下がっていきます。幸い雷鳴は過ぎ去り、風も弱まってきたのでホッと一息ついていると

 ヒラヒラヒラ〜・・・・

 今度は、なにやら白いものが上空から舞い降りてきています。「まさか今頃雪でもないよね。これは夢なのか?いや、夢ではない、雪だ!」一瞬のうちに辺りが霧に覆われたかと思うと、雪がどんどん降ってきました。大木の下に立ちすくんでどうするか考えている内に、たまらなく寒くなってきたので、とりあえず体を動かすために更に前進(なんでや〜)
 雪は一向に止む気配がないので、少し早めの昼食にして様子を見ることにしました。

雪の中のラーメン
 昼食が終わっても雪は降り続き、脱いだスキー板にはすでに1cm以上の雪が積もっています。

 「こうなったらヤケクソだ!明日は確か良い天気だったので樹林帯が途切れるまで登ってそこでビバークしよう。」(結局こうなるのね^^;)

 ということで更に高みを目指しましたが、猛烈な吹雪でいよいよ前が見えなくなり、おまけに急勾配の斜面を前に、進むことも出来なくなって、昼の3時に前進を断念。テントを張ることにしました。本来の計画なら乗鞍山頂に到着している時間です。

雪の進軍
 ふと嫌な予感がしたので「本当に『山スキールート図集』にこのコースの所要時間が6時間って書いてあったの?」とジョニー君に確認すると、「いえ・・・カシミール(地図ソフト)で計算したら6時間でした」・・・・あぁ神様、二度と彼のルート計算を信用しないと誓います。助けて下さい。

 テントの中で1時間ほど仮眠し、明るい内に夕食の準備をしてカレーを食べると、やることも無くなったので、明日への鋭気を養うために再びシュラフの中に潜り込みました。「パトラッシュ、僕はなんだか疲れちゃったよ。 すごく眠いんだ。・・・・・・」

 夜は恐ろしく寒かったです。

<本日の教訓>
 ・ 出発前にちゃんとルートの距離と勾配を確認してコースタイムの計算をしましょう。
 ・ 氷点下の中ではゴアテックスのテントでも蒸気がテント内で結晶化するのでフライが必要です。
 ・ 寝るときに靴下を履いていると血行を悪くして寒いので、脱いでテントシューズなどを履きましょう。
 ・ シュラフの中では断熱効果のあるスキーズボンなども脱いだ方が良いでしょう。
 ・ 何よりも雷が鳴った時点で下山して、次の日に三本滝から山頂を目指すべきでしょう。

 夜はテントの中のお茶が氷になったりシュラフの外側が凍ってたりするくらいでしたので、氷点下まで気温が下がったのは間違いありません。特に足が冷たくて熟睡出来ませんでした。これほど気温が下がるとスキーウエアを着たままでは、両手両足がそれぞれ断熱されるのでよくないです。足と手はお互いにくっつけ合って暖めればもう少し快適な夜になったかもしれません。上衣は寝たまま脱げたので暖かくなったのですが、ズボンは寝たままでは脱げませんでした・・・・(寒くて、シュラフからは出れないんです)

 薄い銀色のレスキュー・シートにくるまってビバークしている写真を見たことがありますが、私には絶対無理だと思いました。大自然をなめてはいけません。

<第2日目>
 朝5時過ぎに目が覚めると空は快晴でした。遠方の山々にも新雪が積もっていて、とても美しい景色です。でも気分はなぜか晴れません。軽い高山病なのか頭が重いのです。

天気は晴れたが気分は晴れず
 軽い頭痛がする体に鞭をうって朝食をとり、荷物をまとめて出発準備をします。6時過ぎには準備ができたので、とりあえず・2532の尾根を目指しました。ところが新雪が10cmくらい積もっていても、その下はカチカチのアイスバーンなのでちょっと気を許すと斜面から滑り落ちてしまいます。尾根に近くなるといよいよ危険になったので、アイゼンに履き替えてようやく尾根に到着しました。(今回はアイゼンがとても活躍しました。)

 しかし、これまでのコースには雪は積もっていても斜度が急で樹木の間隔も狭いので、自分の技術では重い荷物を担いで安全に滑り降りれる自信がありません。帰りは大丈夫なのでしょうか?

 硫黄岳への稜線沿いにはかろうじて雪が積もっていたので、スキーを装着して機動しましたが、あまり快適ではなく、つぼ足にアイゼンでも十分行けそうでした。それにしても岐阜県側の乗鞍は静かで、人の姿は皆無です。本当にこちらのルートは現在使われているのでしょうか?疑問は続く。

たどってきた道
 尾根の途中で、遙か彼方にコロナ観測所が見えたので、初めて近くに見える美しい山が四ッ岳であることがわかり、地図と地形が一致しました。そして、昼までに摩利支天岳へはたどり着けないこともわかりました。(圧倒的な遠さ)
 二人で相談した結果、11時まで行けるところまで進んで、そこから引き返すことになりました。この日は八尾テレ御用達の古川ユースに宿泊する予定だったので、4時くらいには下山したかったからです。
コロナ観測所は遙か彼方
 硫黄岳の手前で雪が少なくなったので、再びアイゼンに履き替えて、ピークを目指します。乗鞍に来て一つのピークも踏めなかったらとても悲しいので、硫黄岳到達は絶対です。
 「実は今回の目的地は硫黄岳だったのです。知らなかった?」
なんて嘘をつくことも可能なくらいの勢いで記念撮影しました。
とりあえずピークは確保!
 硫黄岳から眺める乗鞍周辺の斜面はとても美しく、滑ったらとても気持ちよさそうでした。しかし硫黄岳から大丹生岳を経由して摩利支天岳へ行くには少なくとも3時間、おそらく5時間くらいはかかるでしょう。初日にあそこまで行く計画をしていたのですから恐れ入ったものです。
 もし軽装で天気にも恵まれればペースはもっとあがって、もしかしたらコロナ観測所まで行けたかもしれませんが、天候の急変で吹雪かれたりしたら即アウトで遭難です。結局重い荷物と薄い空気の中、のろのろとしたペースで進むしかなく、今回の平湯スキー場から硫黄岳までのコースタイムは9時間くらいだったでしょうか?

 後は登ってきたルートをGPSと足跡を頼りに忠実に降りれば、何の問題もなく今回のツアーは終了したはずだったのですが、そこは八尾テレ。悪魔が口を開けて待っている中へ、誘われるように落ちていったのです。「そう、乗鞍死亡遊戯<第2章>の始まりです。」

<第2章>
 登ってくるときにずっと疑問だったのが、「果たしてこのルートを滑って降りることができるのだろうか?」ということでした。ジョニー君曰く「スキールート図集には、『一気に滑って降りる』って書いてありましたよ。でも、これって嘘ですよね。」と、なんとも頼もしいお言葉。雪質がグッド・コンディションで三浦雄一郎氏のようなプロスキーヤーがアルペンスキーで滑るのなら、一気に滑り降りることも出来るのかもしれませんが、我々のような「なんちゃってテレマーカー」が滑って降りれるなんて想像もできません。
 想像できるのはただ板を担いでアイゼンでとぼとぼと降りているか、無理して滑って樹木に激突している構図だけです。

 そして、ふと目を谷に落とすと、何とも気持ちよさそうな雪渓が山の下の方へ続いています。地図を見るとどうやら夏山登山道があるらしいのですが・・・・
 目を見合わす2人
 「行きますか?」 「行きましょう!」
 こうして、二人はゴキブリホイホイに吸い込まれるように乗鞍地獄の3丁目へと足を踏み入れてしまったのでした。

物凄く気持ちの良い谷でしたが・・・・

<平湯大滝につづく地獄谷>
 そういえば思い出しました。氷ノ山の地獄(わさび)谷・・・・しかし、この谷はスケールも何もかも別次元で、恐ろしいことにそのまま降りたら平湯大滝の滝口に行ってしまいます。登る前にチラッと見たあの大滝を飛び降りることが出来るのは、北海道に行ったバーゴン樫(38號)ぐらいしかいないでしょう。

 おまけに気持ちよく滑れたのは一瞬で、雪崩があったようなところでは、子犬くらいの氷の固まりが一面に散らばっていて、ターンはおろか斜滑降も難しいのです。荷物が重いので転倒したらダメージも大きく、立ち上がるのにも一苦労です。
 神はなぜ我々にこんな試練を与えるのでしょうか?(<それは君らが悪い)

腐れ雪と、大きな氷の固まりで最悪です
 雪が積もっていたら夏山ルートは全くトレース出来ないこともわかりました。板を外して雪壁を這い登ったり、斜面を滑り落ちたり、雪を踏み抜かないように沢を渡ったり、やっぱり雪を踏み抜いてひっくり返って谷に落っこちそうになったり・・・、無事に降りて来れたのはGPSと恥も外聞もない行動をとれたおかげでしょう。もし気心の知れないグループだったら喧嘩になっていたような状況でした。
 結局このルートでもスキー板を履けることはほとんど無く、スキールート図集にこの夏ルートが記載されていないことも最後にわかりました。もし、平湯大滝を巻く道に雪が積もっていたら、無事には降りることが出来ないくらい凄い道だったからです。というか、基本的に2000m以下では雪が積もっていたらまともにたどれるコースではないです。
夏山ルートは閉鎖されていたんですね〜。担いでいるスキーが傾いているのは、斜面を転がり落ちた名残・・・こわ〜
 下山してさらに納得。夏山ルートは閉鎖されていたようでした。途中にルートを表示する看板が何カ所かありましたが、どう考えても通れそうにないところもあったので、夏場でも相当厳しいコースなのでしょう。コースの荒れ具合から、もしかすると夏になっても閉鎖されたままになるのではないでしょうか?

 命からがら古川ユースに到着し、オーナーの大田さんに、平湯温泉スキー場からのツアー・コースの事を話すと「距離が長くて時間がかかることくらい、地図を見ればわかるじゃない。」と一笑されました。そうなんです、ただし地図を見てもわからない人もいるんです・・・・

<終わりに>
 こんな記録を読んで、同じコースを降りてみようなんて人はいないと思いますが、危険な上に全く楽しくないので絶対にやめてください。下に今回のGPSの軌跡をのせますが、あらためて無事に降りれたのは奇跡だと思いますし、雪があったから進めた(這い上れた)ところと、雪がなかったから進めたところがあり、同じコースをもう1度行ける自信はありません。

よくもまあ、こんな計画を恥ずかしげもなく作ったものです。
 今回のツアーではスキーよりもアイゼンの方が活躍しました。こんなことってちょっとした事件です。

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