当時の梵鐘は、太平洋戦争の時に供出した。「金属回収令」の一環であった。昭和17年、北海道のすべての仏教寺院に対して梵鐘及び真鍮製の仏具を供出すると、それと引き替えに黒色の陶製仏具が交付された。代替できない輪灯などは供出をまぬがれたが、梵鐘は供出したままとなった。
現在の梵鐘は、昭和25年に新鋳したものである。鐘の音を再び聞きたい、とい願いが一致し、太平洋戦争後はじめての大事業であった。また真鍮製の五具足や三具足は、昭和33年に婦人会が買い揃えて寄進してくださったものである。それ故に、これらの梵鐘と仏具に二重の尊さを感じ取りたいと思う。
浄土真宗の寺院における本堂とは、御本尊などを安置し種々の荘厳を施してある場(内陣という)と、報恩講などの諸法要で檀信徒の多くが一同に集会できるだけの広い参詣の間(外陣という)が必要とされる。この願いの込められた本堂建立が着工したのは明治43年か翌年と思われる。現在の本堂は、この時のものの正面及び両側前部にあった濡れ縁部分等を改修したものである。
旧納骨堂は昭和36年に建てられましたが、昭和59年には鉄筋コンクリート2階建で新築され、1階部分は大広間になっています。
京極町は、北海道内でも有数の豪雪地帯・後志支庁管内に属し、羊蹄山(蝦夷富士)の麓にある町です。
「京極」と呼ばれる由来は、明治30年、旧讃岐(現在の四国)丸亀藩主京極高徳子爵が畑作を目的として未開地の貸付を受け、洞爺村より京極農場開墾指導者として、5戸27名を招いたことに始まります。
羊蹄山と大自然がつくりだす「おいしい水・名水」が有名で、男爵いもや名水を利用した特産品がつくられています。
ふきだし口の水量は一日約7万トン。絶え間なくわき出す豊かな水は、北海道の自然資源の代表そのものです
この湧水は、羊蹄山からのわき水としては最大であり、国内的にも最大級のスケールといわれています。
昭和60年に環境庁から「名水百選」に選ばれたことをきっかけに一躍有名になり、全国ブランドの「京極名物」となりました。
ふきだし公園の近くにある町営の温泉で、露天風呂、泡風呂、打たせ湯、サウナが完備されています。