・『モンスター』(5)(2017年12月28日)
森の中でヨハンを狙うテンマが、ケガをしている老人を助けるエピソードがあります。「昔、野鳥が肩にのってくる男がいてな」と。老人はヒトラーの時代にこの森に逃げ込んだ外国人を命令により撃ったことで、鳥が肩にのることがなくなってしまった悲しみをテンマに語ります。
するとテンマの腕に小鳥がのっかり、老人は目を丸くして、「もう大丈夫だよ、もう二度とこの森で血は流れない、そうだろ?」と、老人はハンターの身形のテンマに問いかけます。
テンマはヨハンを狙うことができたもののどうしても撃つことができません。それはテンマが医者であるからというより、森の人であったことが物語の断片からよく分かります。
大雨により陸の孤島となったルーエンハイム。林道をかけ抜けるテンマは、「子供達だけでも…助けなくちゃ」と言い残す教師をみとります。
物語ではこれでもかと言わんばかりに疑心暗鬼にかられて、ごく普通の住民が銃を撃ち、恐怖や憎しみから撃ち返し、このような連鎖にはまってしまった人々が次々と倒れていくのが描かれています。
そんな中、「走れ!!生きのびるんだ!!」と、テンマは生き残っている人々を懸命に助けます。テンマはヨハンを撃ち殺そうとする怪物とずっと向き合い続け、闇に沈んでいきながらも、目前で苦しむ人々を見過ごすことができません。
クライマックスではハルマゲドンをルーエンハイムの全滅として疑似的に描写しているようです。小羊と獣は共に滅びてしまう連鎖に思えてなりません。
グリマ―にホテルに隠れた人々を守らせ、ヨハンの追跡をはじめるルンゲ。テンマと鉢合わせすると、ボナパルタの居場所を教え、背を向けて、「Dr.テンマ…すまなかった」と告げ、大雨の中、去っていきます。
ホテルを包囲されたグリマーは丸腰でヨハンの手先に呼びかけます。「なんのためにこんなことをしている!!誰に命令された!!自分の耳で聞いてくれ…、誰の命令でもなく自分の心で…!!自分が何をやっているのか、自分の心で考えるんだ!!」
身を誤った自分の大罪と愚かさをかみしめるばかりです。
聞く耳をもたない連中が一人の女性を撃ち殺すと、グリマーは絶叫します。511で過度の怒りや悲しみ、強烈なストレスを与えられると異様な暴力性を持つ人格が現れるようにグリマーはマインドコントロールをされていました。
連中をしとめたものの瀕死の重傷を負うグリマ―。
そこにテンマが駆け付けます。
「悲しい…自分が死ぬから悲しいんじゃない…自分の子供が死んだのが…今…悲しい…人間は…感情を無くすことはできない…感情は…どこかわからないところに…迷いこんでいたんだ…まるで…俺宛てに出した手紙が…何十年もたってから届いたみたいだ…これが…本当の悲しみか…これが…幸せか…」と、静かに涙を流し、グリマーは逝きます。
善悪の根幹を破壊するとはどういうことか、身につまされます。
グリマーの前で泣きくずれるボナパルタ。「私は双子の母親に恋をした、一瞬にして考え方が変わった、それで彼女のこと双子のこと、実験のことを知っている、すべての人間を殺した」と、赤いバラの屋敷での惨劇をテンマに告白します。
「君たちは美しい宝石だ…だから怪物になんかなっちゃいけない」と、ボナパルタはニナに語りかけ、赤いバラの屋敷から逃がしていたのでした。
ではヨハンを怪物にするきっかけを作ったのは一体誰なのか?
物語では説明はありませんが、どうやらヨハンとニナの母親のようです。
ルーエンハイムに向うニナは絶対に思い出したくなかった一番奥にある記憶を思い出します。物語では最後の章にヨハンの記憶のようにして描かれています。
「これは実験だ。どちらかを残して、どちらかを連れていく」と、ボナパルタに選択を迫られる母親。
「はなさないで、はなさないで、手をはなさないで、母さん」と、泣きつくヨハンとニナ。
「こっち…いえ…こっち」とニナの手を離したのでした。
物語では直に語られていませんが、救われるものと救われないものを選民するような、最も信じていたもののふるまいに、ヨハンは誰も信じられなくなり、ニナが逃げ出してくると、連れ出し、逃げ、怪物となり、そしてまるで計画通りに511へ入れられたのでした。
ボナパルタは双子を逃がすつもりでおり、母親も彼の恋心に気付いており、別のやり方もできたはずでした。それが彼女にできなかったのは、ボナパルタへの憎しみでもあり、元をたどれば選民思想を実現するための計画にありました。これこそ本当の怪物と言えるかもしれません。それは命の選民です。
ヨハンの計画を実質的に実行し、残虐の限りを尽くすロベルト。511ではグリマーと友人であり、友人であり、もともとは、「虫が好きで、でも虫を殺すのはきらいだから、虫カゴから逃がしてやる」少年でした。
ロベルトと死闘を繰り広げるルンゲを救いに行くテンマとボナパルタはヨハンとばったり出会います。
テンマがボナパルタと少年をさがらせ銃を構えると、ボナパルタはテンマを殴り倒してヨハンを撃ち殺そうとしたものの、ロベルトに撃たれます。
「見せてくれ、終わりの風景を」と、血まみれのロベルトは倒れ、つぶやくと、「君には見えないよ」とヨハンは告げます。
「Dr.テンマ、あなたにとって、命は平等だった、だから僕は生き返った、でも、もう気がついたでしょ?誰にでも平等なのは、死だけだ、あなたには見える、終わりの風景が…」と、ヨハンは額に刻印を押すように、指をあて、銃で撃つようにテンマに合図します。
そこには草木すらない荒野が広がります。選民思想の行き着く先に他なりません。
ヨハンに魅入られたかのようにテンマが引き金を引こうとした瞬間、「だめぇぇ!!Dr.テンマ、撃っちゃだめ!!」とニナがかけつけます。
「あたしはあなたを許す…世界中にあたし達二人だけになってもあなたを許す」と、ニナはまっすぐにヨハンに語りかけます。
ですがニナの無条件の許しだけでは、選民思想のプログラムを解除することはできません。
「もう後戻りはできない…Dr.テンマは僕を撃つんだ、そうでしょ、Dr.テンマ?そうでしょ?」と、ヨハンは少年に銃を突き付けます。恐らくヨハンの計画ではニナに銃を向け、テンマに撃たせながら、ニナを撃ち、テンマを終わりの風景に投げ込むつもりでいたと推量されます。ところがニナの無条件の許しに、プログラムに綻びが生じたようです。それでも命を平等に尊ぶテンマは最大のジレンマに直面させられました。ヨハンは救われるものと救われないものとの命の選民をテンマに完結させようとしているのです。選民思想の計画通りに人類を支配しようとするかのように。
「パンッ」と銃声がこだまし倒れるヨハン。撃ったのは少年の父、プログラムには相手にされていないような無法者です。
「BKAのルンゲ警部がお呼びです!!あなたを必要としている患者がいると伝えてくれ」と、逃亡犯のテンマが救援にきた警官に囲まれたところに救急隊員がやってきます。
頭部の側面を撃たれたヨハンはまだ生きていました。
「私は許したい…テンマあなたは間違っていない…あの時も…これからすることも…」と、懇願するニナ。テンマは立ち上がり、「父ちゃんは人殺しじゃない!!」と泣き叫ぶ少年の肩に手をあて、一人、歩きだします。命を選民することなく、平等に、テンマはヨハンをオペして助けました。
選民思想の計画を解除したのはテンマ一人ではありません。よく見れば、怪物に立ち向い、惨事から人々を助けてきたものの、怪物を撃つことなく、最後には助けています。ですがテンマが社会的な信用をはじめに全てを失い、逃亡犯になっても、怪物に立ち向い続けることにより、それに感化された一人一人の力によってプログラムに綻びが生じ、無化されていったかのようです。
ここには、今の時代にとって大切なことが示唆されていると看取します。
実際の作品は長い物語で、ユニークな人物が色々と登場し、様々なエピソードがありますが、ここでは触れていません。
オウム事件の深層にあるものに光をあてる視点から、登場人物とエピソードを抜粋して吟味しました。
二度とこのような事件が起きないようにと願わずにはいられません。
2017年12月28日 井上嘉浩