(十) 悲しみと愛
罪を償うとは一体いかなる道かを学ぶため、「会」の先生方のアドバイスもあり、ドストエフスキーの小説なども私の罪と重ね合わせながら読み直し始めました。その中で人間が罪に対する良心の呵責に苦悩する姿にドストエフスキーが冷たい視線を向けている気がして一体何故なんだと考えました。そして私なりに思ったことは、犯した罪に苦悩するのは当然のことですが、それは罪を犯したことの後悔から生じるものであり、まだ罪に対する責任の自覚ではないからだということでした。そこで、罪に対する責任とは?との視点で読み進める中である一文に出会いました。
「お母さん、本当に人間はだれでもあらゆる人あらゆるものに対してすべての人の前に罪があるんです。どう説明したらいいのかわからないけれど、僕は苦しいほどそれを感ずるんだ。」
(『カラマーゾフの兄弟(中)』 P.53 ドストエフスキー、原卓也訳、新潮文庫より)
これを目にした時、何故か涙がとめどもなくあふれました。そしてふとどこで私が根本的に人の道を踏み外したのか、分かったような気がしました。それは、私が麻原に深く感銘を受けた高校3年生の夏休みのことでした。
麻原は、信徒との雑談の中で、
「解脱とは一滴の雫になるようなものなんだ。透明な一滴の雫のまま大河に溶け込むのが救済の実践なんだ」
と語りかけました。私は、
「自分も透明な一滴の雫として慈悲の大河の流れに溶け込みたい」
と強く願いました。この願いが、私のオウムでの活動の原点でした。
麻原は一滴の雫たる者を、修行により霊性の開発を遂げた「新人類」と呼びました。そして、「新人類」が人類を啓蒙することを救済としました。
今、私は「新人類」という考え方そのものが、私の犯した大罪の原因であったと思います。なぜならその考え方は、異なった価値観をもつ他者が存在している意味をことごとく排除した傲慢な救いの押し付けであり、自作自演の自己陶酔に他ならなかったからです。このような自己陶酔をさらに深めたのがオウムの修行でした。
当時私は、修行により様々な神秘体験をしました。そして、内面に開かれる光や意識の拡大により、命そのものに触れようとしている感覚を持ちました。それにより、現実社会のルールより、このような体験に基づいた麻原の教えこそ、真実なんだとの思いを深めていきました。そしてやがて麻原が命そのものを最終解脱者として体現していると信じるようになりました。そのため、麻原が他者の命を支配したり奪ったりすることに恐れを感じながらも、逆らうすべがないという感覚を抱きました。
突き詰めますと、私の過ちは麻原のこのような命の独占に自分ではまってしまったことにありました。このような命の独占と対極にあるものを『カラマーゾフの兄弟』での語りに感じました。
高校1年生の時、老人病院でおじいちゃんやおばあちゃんのさびしそうな様子を見て、私には老人の方々が見捨てられているように感じ、怒りを覚え、「こんなことはなんとかしなければいけない」と思いました。今から思えば、「どう説明していいのか」わかりませんが、当時私も見捨てられていると感じた老人の方々を前にして、他者への本当の共感や愛を感ずることなく、その人たちを傍観していたという意味では一人の罪人でした。私は怒りを覚えるのではなく、深く悲しむべきでした。深く深く人間の悲しみを悲しむことによって、法律とは別に、何かしら罪を犯さずには生きていけない人間の姿を自分のものとして自覚すべきでした。
「透明な慈悲の大河」はこの世にはありえないし、あってはいけないものであったと今、つくづく実感します。もしひとりの人間が他者と区別して自分だけが人より優れたもの、絶対的に正しいものになったと思い込んだとしますと、その人はどうして罪を犯さずには生きていけない人間の悲しみや苦しみが理解できましょうか?どうして他者と心から共感し、理解し合い、愛し合えましょうか?このような大切なことを私は何一つ分かっていませんでした。
また逮捕後に学んだことから振り返って見ますと、修行により生じる神秘体験は、本来生き物の内面にあるいのちの共通の姿を感得することであり、“どんなに姿がちがっても、全ての生き物は平等に大きないのちに生かされている”ということをより深く理解するためのものでありました。それなのに私は、神秘体験により特別な人間なんだとうぬぼれました。そして、多くの人々を救済するという大義名分の名の下に、人よりも多くのことが許されると思い上がりました。
自己陶酔でしかない「透明な慈悲の大河」ではなく、様々な人間の汚濁、その苦しみや悲しみをも包んだいのちの大海にこそ私は飛び込むべきでした。そして、生きる悲しみの中で、人を愛するとはどういうことか、まずこの身を持って学ぶべきでした。
「私はいったいどうすればいいんだ」と房の中でどうすることもできずうずくまっておりますと、様々な罪をめぐる悲しみが伝わってくるかのようです。罪による様々な事件の被害者のたとえようのない苦しみが、私の罪による被害者の方々への思いと重なり、胸が突き刺されるように痛みます。同じように拘束されている誰もが罪を犯したくはなかったのではなかろうか?それなのに罪を犯してしまった罪人の悲しみが胸にしみてきます。
この自覚において罪に苦しめられ、罪に苦しむ人間の悲しみに救いがあるのか?と自問せずにはいられません。しかしいくら思い悩んでも私には答えは見つかりません。ただ改めて当時大義による救いがあると妄信したことがどれほど愚かで、救済するんだと善人ぶったことがどれほど罪深いことであったのかを痛感します。
私は中高生の頃、人間がつくりだしてしまう罪や矛盾を嫌い拒絶しました。それによりハルマゲドンへ向かう現代社会を変革しなければいけないと正義感に駆られ、自分は人々を導くすぐれた者なんだと善人ぶりました。しかし実際は自分たちの救済の物語に自己陶酔することで他者に壁を張り巡らし、人が当然にもつべき他者への共感を見失っていきました。
それなのに私は他者の苦しみを背負う菩薩であるとうぬぼれ、他者のためにとの口実で何でも自分たちの都合の良いように考えるようになりました。そのあげくオウムの救いなど全く望んでおられない一般の方々に一方的に救いを押し付け、かけがえのない多くの方々の命を奪いました。
このような大罪を見つめるほど救われようのない罪の重さと悲しみに身が沈むばかりです。それなのに絶望が深まるほど私の中にいのちが生きている力を感じます。この力は自分の生に対する欲求だけではなく、もっと大きなあらゆる生き物を見守るいのちの愛のようなものから訪れて来るように感じます。
いのちの限りない生き物を慈しむ愛を感じれば感じるほど、このような命を奪ったことがどれほど恐ろしく罪深いことなのか痛感します。あまりにも被害者の方々に申し訳なく、とりとめなく涙があふれます。
「では一体どうやって責任をとるのだ?」との問いが頭から離れることはありません。お亡くなりになられた被害者の方々のことを思いますと、生きていること自体申し訳ないと思います。そしてせめて同じように自分の人生を断絶するしかないとの思いもあります。しかし井上裁判長は私に「生きて罪を償う」ための「いのち」を与えてくださいました。自らの犯した罪を自覚すればするほど生きることが死ぬことよりももっとつらくなるからこそ、そういう罪を抱いて生きる命を与えて下さったのではないかと私なりに感じております。
何故このようになってしまったのだろうか?
せめて二度と救済の名の下において、同様の事件が起きませんように、何度も自問せずにはいられません。