・『ちはやふる』(2017年9月11日)
『ちはやふる』を拝読し、人生で夢をもつことについて、考えさせられました。物語は小倉百人一首競技かるたが軸にあり、主人公千早が競技かるたの全国レベルの実力をもつ転校生・新と出会うところからはじまります。
「お姉ちゃんがいつか日本一になるのがあたしの夢なんだ」
と、モデルの姉をもつ千早が打ち明けると、
「ほんなのは夢とは言わんよ
自分のことでないと夢にしたらあかん
のっかったらダメや お姉ちゃんかわいそうやが」
と、新は語り、(中略)
「かるたで名人になるのが おれの夢や」
と、言い切ります。
不思議と仏典の「法句経」のことばが思い浮かびました。
「たとい他人にとっていかに大事であろうとも
他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。
自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。」
(法句経 166)
新の情熱を受けた千早はかるたでクイーンを目指しはじめます。自分の夢として。
カルトは教祖が掲げる夢のような救済の物語に信者がのっかってしまうことで、妄想が共振して肥大化していく面もあります。
夢をもつとはどういうことか?まったくわかっていなかった学生の頃の自分の未熟さをかみしめています。
「ちはやぶる」枕詞の意味について、古来の意味を学ばせていただく機会がありました。
「チ」は「大いなる霊格」というような意味で、目には見えない大いなる存在を表わし、「命(イノチ)」、「大蛇(オロチ)」「雷(イカヅチ)」の「チ」もここからきているらしく、
「ハヤ」は「とても速い」さま、「俊敏である」さまを表わし、
「フル」は「ふるわせる」「ひろがる」というような意味で、空気を震わせて広範囲に広がっていくというイメージで、「チハヤフル」、この3つの音を合わせて
「目には見えない大いなる存在がものすごい速さで空気を震わせて広がっていく」
それこそが神なのであるという意味として、「ちはやふる」という神を表す枕詞ができたとのことでした。
自由に連想しますと、夜空の雲が風により消えて、輝く月光、森の木々が風に震える音、とうとうと流れる川の波音、海のしぶき…四季おりおりの営み、命の循環、天災…、森羅万象がもれなく「ちはやぶる」と感応して、生まれ、ゆらぎ、ひびきあい、変化して、消えていくのが直感されます。
そこにはカルトが説くような、唯一絶対の神や意思などありません。
夢を目指すのは並大抵のことではありません。
それでも夢を求める青春の物語に、16才でカルトに入ってしまい、青春を捨ててしまった私はほのかなあこがれを覚えます。
「心にも あらで憂世に ながらへば
恋しかるべき 夜半の月かな」
2017年9月11日 井上嘉浩