・枕詞「ちはやぶる」について(2017年8月22日)
獄中の図書に『ちはやふる』がありました。
物語のストーリーも色々と考え抜かれていて興味深いですが、中心となる「かるた」自体の枕詞、「ちはやぶる」の解説に、はっとしました。
「「千早振る」と「荒振る」と対で考える説です。(中略)どちらも勢いの強さを表わしているんですが、その性質はまったくちがいます。
「荒ぶる」がバランスの悪い不安定なぐらぐらな回転の独楽だとするなら、「千早振る」は高速回転するまっすぐな軸の独楽、なにが触れても弾き返される安定した世界でまるで止まっているように見えながら前後左右上下どこにも偏りなく力が集中している状態」
「千早振る」と「荒ぶる」は、人の心や世相を映し出しているかのようです。
とりわけ「荒ぶる」はカルトとも共通点があるようです。
「荒ぶる」とのイメージには、バランスが大きくくずれた時の反動や怒りと言ったものが思い浮かびます。バランスがくずれていくのは、とくに社会においては、誰かが大切なものを独占することから生じることが多いのではないでしょうか?
社会の貧困や格差、時代の閉塞感はカルトやテロの温床と言われていますが、見方を変えれば、バランスがくずれるところに発生する荒ぶる力に流されている現象と見えなくもありません。
それが法律の枠内にとどまれば、例えば、ポピュリズムのような時代のうねりにもなっていくと言えるかもしれません。
「荒ぶる」現象は、一見、勢いや強さがありますが、それにひかれて、カルトが一気に拡大することもオウムのようにありえますが、それは、破壊的な結果しかもたらさないと、自分の過ちから痛感しています。
それと対極的なものが「千早振る」です。
恐らく人の心が成熟した姿であると思われます。それは一見、止まっています。
見てくれの勢いや強さなどありません。
きっとこれが本物なんだろうとつくづく思います。
2017年8月22日 井上嘉浩