・『ぼくの地球を守って』(1)(2017年7月1日)
『ぼくの地球を守って』(1〜6)を拝読する機会がありました。
この作品は1987年頃から1995?年頃まで連載されたもので、「SF漫画に新たに金字塔を打ち立てた不朽の名作」と言われています。
ちょうどオウム真理教が布教活動を始めて一連の事件を起こした期間と重なり、それはバブル時代の盛衰とも重なり合います。
そこで当時を振り返りながら、この作品を私なりに読み解いてみます。
まだ6巻までしか拝読していませんので、物語がどのような結末をむかえるのかは分かりません。ですので断片的にピックアップしていきます。
「年々キチェスは減ってきてるんですよ、シ=オン、大人達がサージャリムを忘れて己の欲望にばかりはしるからかもしれないわね。
キチェスはサージャリムによって人類に遣わされた自然と人間との会話を可能にするための仲介者です。
人々は今、それを忘れかけて、同じ人間同士でさえ殺しあっています。他の生命を認められたら、おのずとサージャリムの存在を知ることになるはずなのにね…」
この会話は修道女が戦争で孤児となったシ=オンに語りかけている場面ですが、地球のことではありません。
宇宙のどこかにある惑星でのことです。
シ=オンはサーチェスと呼ばれる超能力を授かっていましたが、戦争で逃亡する中、兵士をサーチェスで殺害してしまい、心に大きな傷をかかえていました。
シ=オンはやがて最先端の技術者となり、7名のメンバーと、地球を観察する月の基地に派遣されます。7名の中にはモク=レンと呼ばれるキチェスの聖女がいました。
ところが母星での戦争が悪化して、とんでもない兵器の威力で、宇宙のもくずと消えてしまいます。
月の基地に残された7名は、地球に降りるにも決断できません。地球を侵略するだけの技術と設備があり、禁じられていたからです。
そのうち月の基地に病原体が発生して、一人一人亡くなっていきます。
この7名が地球に転生して、前生の記憶を思い出していくことで激しくぶつかり合いながら、新たな物語が生まれます。
修道女の語りには考えさせられます。
当時、バブルの時代の中で、地球の生態系がどんどん破壊されながら、物質的な欲望がかき立てられ、今さえよければそれでいいような刹那的な風潮がはびこり、こんなことはおかしいと、ハルマゲドンで滅亡してもおかしくないと、心のどこかで感じている人達が相当いたのはまちがいありません。
「――何のおかげで消滅した?
月にはボク達の歴史がある、科学がある。上手にそれを利用できない頭でっかちの人間はここにも五万といるんだ――!!
君には聞こえないか?地球がそら…悲鳴をあげている。
サージャリムだってそれを聞いたのさ(中略)
何かしなきゃいけないんだよ
でなきゃ何が悲しくて忘れたい記憶を抱いているもんか。
ボクは地球を守りたいんだ」
と、
シ=オンが転生した少年輪が語ります。
これは作者の声であり、当時の人達が感じていた時代への危機感の代弁のようです。
このような危機感は、今の若い人達にも共通するものでそれほどちがいはないかもしれません。
カルトはこのような問題意識を利用して、もっともらしい理想を掲げて、多くの若者を取り込んでいきます。
私もそうして教団にはまり、やがて多くの人達を教団に入れてしまいました。
ですのでこのような危機感とどのように向き合っていけばよいのか?それがカルト対策にとっても大切だと、自分の過ちから痛感しています。
「サージャリムは宇宙の化身とも言われるこの世界の総ての創造主」と言われ、一見、一神教の神と似ていますが、地球の神のように、人に予言を与えて、意思を告げたりして、干渉することはないようです。
神の名のもとにより古代から戦争やテロを繰り返してきた人類の歴史から見ますと、作者がサージャリムをそのように位置付けたのは意味深いです。
そこから連想されることは、人間が作り出してしまった生態系や社会の様々な問題は、人間が解決すべきことで、神の名によって正義を主張したり、神の意思をもち込んではならないと言えるかもしれません。
「貴方は私の恩人よ。神の力を借りた私の手ではなく一人の人間として必要としてくれる。
本当に救いになるものやきっかけって
ほんの小さなキスだったり一言だったり
とても小さな簡単なことだったりするのね。
でも人間てそれに気付くのに何年もかかったりして
難しい生き物ね」
と、極限状況の中で結ばれたモク=レンはシ=オンに語りかけます。
自由に連想すればシ=オンはバブル時代の申し子のようです。両親の顔も知らない戦災孤児、技術の才能はあっても、何をしても満たされない心の渇き。
結ばれたと言ってもシ=オンはモク=レンに凌辱同然の事を行ってのことでした。
「私たち幾度も転生を繰り返して銀河系も地球も回帰しながらみんな未来へ還っていくんだわ
あなたが懐かしいのも こんなに懐かしいのも
きっとまた未来で出会えるからなのね…
約束よ 決して自ら命を絶たないで お願い」
と、
モク=レンはシ=オンに言い残し亡くなっていきます。
月の基地ではシ=オンだけが、ライバルのシウ=カイドウの策略により病原体の本物のワクチンを打たれ、絶望の中、9年間、ただ一人で生きのびます。
ここからシ=オンがモク=レンによって気付かされた一人の人間としての試練がはじまります。まるで時代の危機感への道標を示すかのように。
「未来へ還っていく」、これは円環の思想で、国家が形成される以前の縄文人に通じます。考古学によれば、縄文人は死というものを、生きているときまとっていた衣装を脱ぎ捨てて、あの世に意識が戻っていく現象ととらえ、新しい生は死者の魂と未生の魂のともに休らう別の空間(あの世)から、再び現れ出てくる、と考えていたと理解されます。
生と死がひとつながりにつながっていくだけではなく、本体のような別の空間では過去と現在と未来が渦まくようにひとつにとけあっていると言えるかもしれません。
これは麻原が説いていた輪廻転生とは似て非なるものです。彼は過去、現在、未来を一方向の直線的なものとしか見ていません。まるでシステムのプログラムのように、現象が動き、転生していくと、捉えていました。
そこから発想される世界観は、プログラムをする神と、動かされる人間といった二元論で、その構造は、教祖と信者、教団と社会、といったように貫かれていました。
それが神の名における予言(プログラム)の成就として犯罪行為が正当化された根拠となりました。
振り返れば、バブル時代のシステム社会のアンチテーゼのように登場したものの、その内実はシステム社会をさらに凝縮したような陳腐な二元論をむき出しにしたものでしかありませんでした。
このような教団の暴走の期間に、プログラムのない無限の可能性に満ちた円環の思想をさりげなく据えて、時代のアンチテーゼを描いた作品があったことに、頭が下がります。
2017年7月1日 井上嘉浩