Compassion 井上嘉浩さんと共にカルト被害のない社会を願う会

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いま考えていること


・いま考えていること(無題)(2017年1月6日) 

 2017年1月5日読売新聞の朝刊に仏経済学者ジャック・アタリ氏のインタビュー記事が大きくでていました。米日と中国が戦争することになれば世界大戦に発展してしまうとの主旨の警告もされていました。
 獄中には限られた情報しか入ってきません。
 死刑囚にはNHKの7時と12時のラジオニュースと、読売新聞しかニュースに触れられません。
 激動の時代に入っているとの記事は目にしても、ネットで自分で掘り下げてチェックすることもできません。
 ですので、今、世界で何が起きていて、何が起ころうとしているのか?
 本当のところはよく分かりません。

 ただ大罪を犯してしまった自分の過ちから見ますと、たとえ今後、世界で戦争が起きるようなことがあったとしましても、当時、麻原が掲げたハルマゲドンから人類を救済する予言の成就と教団の犯罪行為が正当化されることは決してあってはなりません。
 アレフなどが世界情勢を断片的に利用して、正当化することを危惧しています。

 インタビューには哲学者ジグムント・バウマン氏が、現代社会は「液状社会」、そこにポピュリズムの波動が生じると、語っておられると引用されていました。
 このような視点から当時を振り返りますと、カルト教団の発生も、ポピュリズムの変形と言えるかもしれません。
 家族や学校や会社で、自分の存在意義に疑問を抱いた若者が、それまでの常識や倫理、さらに既存の宗教では解決できないでいたところに、もっともらしい回答を掲げて教団は拡大していきました。
 カルト教祖であった麻原の特徴は対外的には社会の現状を単純に否定することで自分のスローガンを正当化すること、組織内においては信者に自分で考えるなと徹底させ、白紙委任させること、活動は結果のためには手段を選ばず場当たり的です。
 こうして麻原は救済の名の下に自己の野望を正当化して、敵対するものを破壊するため武力革命を目指し、次々と大罪を引き起こしていきました。信者は白紙委任により自分自身を見失い、どれほど身勝手で、危険で、愚かなことをしようとしているのか?気付こうともせず、救済というスローガンに酔い痴れるばかりでした。

 現状を打破するためにカルト的なアプローチは一時的にはうまくいってもやがて荒廃しかもたらさないことはオウム問題の教訓の一つではないでしょうか?
 カルトとは対称的なアプローチとして思い浮かびますのはアメリカの哲学者ホワイト・ヘッドが提唱された「説得」です。今、手元に論文がなく私なりに理解した要約でしかありませんが、ホワイト・ヘッドはまず現実は常に過去からの積み重ねによって規定されていることを強調しています。
  一方で未来のあるべき理想状態があることも否定しません。
 ですので過去からの積み重ねを抜きにして、0(ゼロ)から理想状態へスムーズに移行することは現実的には不可能であると明言しています。
 この法則から見れば、現実を単純に否定したり、破壊したりして、新しいものをつくろうとするカルト的な発想は必ず行き詰まってしまうと言えます。
 そこで登場するのが「説得」です。
 どれほど不都合な矛盾だらけのものであれ過去からの積み重ねによって規定されている現実をまず受け止め、そこから理想状態へとねばり強く説得を続けることによって近付くことに、人類の成熟があるとのテーゼです。ホワイト・ヘッドは第二次世界大戦の悲劇を通して独自の哲学を形成されていかれたと言われています。
 私の誤読かもしれませんが、ホワイト・ヘッドは理想状態の結果よりも、ねばり強く説得を続けるプロセスにこそ、価値を見い出していたように思われます。
 ですのでこうあるべきだとの回答はなく、絶対的な大義も正義もありません。
 一人一人が自分のいる場所で、ねばり強く説得を続ければ、全体が自然により良い方向へ進んでいくとの主旨を述べておられました。
 それはとてもつまらないものかもしれません。すぐには新しい変化もなく、目に見える結果も得られません。カルトのような熱狂もありません。ですがそのような足が地についた地道な努力がどれほど人としてかけがえのないものであったのか今さらながらに痛感しています。
 二度とこのような悲劇が起きないように願わずにはいられません。

 2017年1月6日 井上嘉浩


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