・『タッチ』(2016年12月25日)
獄中の官本に『タッチ』(あだち充)がありました。
中学生の頃、読んだことがあり、当時を振り返りながら読み直してみました。
興味深いキャラクターは野球部監督代行の柏葉英二郎です。甲子園を目指しながらもどこか本気になりきれずマイペースな主人公上杉達也を突然に打ん殴るシーンから登場します。和気あいあいとノビノビしていた野球部は一変します。
ビール飲みながら竹刀振り回し、命令に従わないと殴り蹴る、見るからに悪人です。
野球部を強くするための愛のムチにはとてもみえません。それもそのはず、柏葉は一種の復讐で代行を引き受けたのでした。
監督が代行に推せんしたのは、キャプテンでエースで4番、野球を心から愛し、人を思いやり、まじめで一生懸命と、評判のいいOB、英一郎でした。英二郎の三つ上の兄であり、英二郎は英一郎とまちがわれていたのでした。
「ちゃんとしってる者ならこう答えるはずだ。どうしようもないクズだよ、柏葉の弟は、100人が100人かならずそう答えるよ」と、英一郎はヒロインの南に語ります。
英二郎の評判は不良で中学生のとき無免許でバイク事故をおこし、野球部ではナインともうまくいかずやめていやがらせをしたと、兄が優秀すぎたために、ひねくれてしまったというものでした。
ところが実際は兄のバイク事故の身代わりとなり、才能があるため妬まれ、兄に仕組まれて野球部がおわれてしまったのでした。
さらに自分の彼女すら兄に奪われていました。
達也はひょんなことから真相を知ったものの、自分よりもはるかに実績のあるライバルがボロボロになるまで練習している姿を見て、「中途半端な練習で勝てる相手じゃねえんだぞ!恨みでもなんでもいいサ、徹底的にしごいてもらおうじゃねえか」と、自分の限界にはじめてチャレンジしはじめます。
英二郎のしごきに耐えることでチーム全体がレベルアップしていき、地区予選を勝ち抜いていきます。
英二郎は復讐の最後の線を超えられません。
ナインたちに信頼され、野球を憎みきれない部分が残っていたからでした。それはノラ犬が彼をしたうように彼の根本的な人としてのやさしさによるものだと言えました。
決勝戦の前日、真相を知った監督が英二郎に語りかけます。
「このバカ監督のおかげでその才能を開花することなく去っていった部員も数えきれないだろう。
ほんとうに人をみぬく力などわしにはない。
だから信じるだけだ。
勝つために必要なのはわしではない。本物の監督だ。
まかせたぞ柏葉英二郎」
そして英二郎は土壇場での見事な采配でチームを勝利に導きます。
何も分かっていなかったんだなぁ、と当時の自分の未熟さをかみしめるばかりです。
英二郎は善人のふりなどしません。自分の悪を隠さずOBに復讐を公言すらします。
評判とは実にいいかげんなもので、人をみぬくことなどめったなことでできることではないということがよく分かるストーリーでした。
ところが私は愚かにもとんでもない悪を隠して善人のふりをして登場した麻原にはまってしまいました。
『タッチ』のクライマックスである達也とライバルの新田との延長戦での勝負。敬遠して当然の場面で、達也とナインは真っ向から勝負に挑みます。
「南…ゴメンな…」と力の限りを尽くし、負けを覚悟して投げる一球に、今は亡き和也が乗り移り、三振にうちとります。
「甲子園なんてものは、ただの副賞だったんだよな。
その副賞に目がくらんで、相手のスキをついたり、だましたり勝負を逃げたり、そんなことばかりされたんじゃ、教育者のはしくれとして心が痛い」
と、敗者の監督が新田に語りかけます。
現実にはめったにありえないことです。
ただそれでも人として生きるとはどういうことなのか?考えさせられました。
自然界で動物がスキをついたり、だましたり、逃げたりして生きるのはあたりまえです。
ですが人間だけがそのような打算を超えていくことができるのではないでしょうか?
勝ち負けを超えた勝負や他者への自己犠牲に感動が生まれます。それが人間らしさと言えるのかもしれません。
カルトは格差社会の不条理さを突いて、打算を超えているかのような理想を掲げます。
そのため社会生活の中で見失われがちな人間らしさにあこがれてカルトにはまっていく若者があとを絶ちません。
ところがカルト内では救済の大義の名のもとに、結果のためには手段を選ぶなと教え込まれ、指示に従うほど人間らしさを喪失していきます。
これがカルトの恐ろしさの一つです。
人間らしさとは、誰かに掲げられた理想や大義に追従することではなく、組織の中に埋没して歯車になるような自己否定による奉仕でもないと、自分の過ちから痛感しています。
きっと、確率で計算されて判断される次元にはなく、誰に言われたからでもなく、人としてそうせざるをえない心からあふれてくるものに正直に向き合うことから発露してくるものなのかもしれません。
2016年12月25日 井上嘉浩