・映画「狩人と犬、最後の旅」(2016年10月26日)
映画「狩人と犬、最後の旅」(2004)を拝見しました。
ロッキー山脈で自然を守る番人と自負している最後の狩人の一人の物語です。本物の狩人が制作に大きく関わっておられるだけに、狩人の内面から見た現代社会と大自然の関係と姿が巧みに表現されており、色々と考えさせられました。
「まわりの自然とどうかかわるか。それが私の幸福を大きく左右する。やみくもに崇拝はしない。私も自然の一部だ。
人間は自然とのかかわりを断ってはならない」
と狩人は語ります。
大自然は美しいだけではなく、大変厳しく、動物たちはまさに命がけで生きて、死んでいきます。
自然の一部である狩人の生活も苛酷です。
それでも不思議といのちの温もりが静かに染み渡ってくるかのようです。
「あらゆる生き物は自然の害悪とならずに貢献できるはずだ。人間にも果すべき役割がある」
と狩人は、生きるためにささやかな狩りをしながら、森の生態系のバランスを保つ手助けをしていると、自らの役割を語ります。
現代社会の資本主義の会社が一本たりとも木を残すことなく広い森を伐採している現状に対して、鋭く問題提起がなされています。
森が次々と姿を消されていく中、狩人も森での生活がもはや限界となりつつあります。
狩人を引退することにした主人公が、犬との出会いによって、それでも森にとどまり、狩人でありつづけようとする姿には心をうたれました。
映画を通して大自然には特別にえらい動物などいないことがよく分かります。熊は王者の風格がありますが、個体数はとても少なく、川のサケや森の実りがなければ生きていけません。
大自然の中ではどんな動物も植物も命を受け渡し合いながら、姿はちがっても平等にそれぞれの役目をもって生きて死んでいき、人間もその例外ではないと、さりげなく語られています。まさに自然の摂理です。
このような自然の摂理に反したのがカルトであると、改めて自分の大罪の痛みと愚かさを痛感しています。
2016年10月26日 井上嘉浩