Compassion 井上嘉浩さんと共にカルト被害のない社会を願う会

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いま考えていること


・映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」(2016年10月14日)

 映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」を拝見し、カルト問題についても考えさせられました。
 主人公であるパイは、動物園で育った信仰心豊かな青年で、ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教を同時に信じていました。
 ある時、トラと心を通わせようとして手ずから肉をやろうとしたところ父に厳しく戒められます。トラにも同じいのちが宿ると言い張るパイに、父はトラが山羊の子供を生きたまま襲いかかる場面を見せます。
 パイはひどくショックを受けます。
 現実の何もかもが大切なものとのつながりを失ったかのように、「色あせて見えるようになった」と語っています。

 物語のトラを宗派を超えた神の存在感として読み取ることができるかもしれません。
 するとこの場面は、トラ=神の存在感とは容易にはリアルに通じ合うことはできないとの戒めでもあります。
 本来の宗教が持つこの厳しさを、カルトは逆手に取って、安易に神仏に通じることができると主張し、人生が色あせて見える悩める若者達を取り込もうとしています。

 「理にかなっていない。罪をあがなうために、無実の人が犠牲になるなんて」と、パイの疑問をまるで地でいくように、動物園の動物達を乗せた貨物船が嵐の中で遭難し沈没します。
 救命ボートに乗り込めたのは、トラ、ハイエナ、オラウータン、シマウマ、そしてパイです。弱肉強食で残ったのはトラとパイです。
 生き抜くためにパイはトラとの共存関係(共生)を形成しようと、まさに命がけの試行錯誤が続きます。
 「あなたは魚に変身してぼくたちの命を救って下さいました」と、パイは大魚を殺生しながら祈ります。トラにエサをやらなければ、パイ自身がトラのエサになってしまうからです。
 この祈りはもはや宗教の形式をとっぱらったいのちによるいのちそのものへのリアルな祈りです。
 こうしてパイはトラ=神の存在感にはじめて触れはじめるかのようです。

 「すべてがまざりあい くだけていく」とパイはつぶやきます。
 夜空に輝く宇宙の荘厳さと水鏡のような海の静けさ、くじらから小魚まであらゆる命の愛と厳しさ、荒れ狂う海と雷神…、
 神の存在感は決して超越的なものでも抽象的なものでもなく、大宇宙、大自然、大生命にもれなくみなぎりながら、今にも海のもくずとなりそうなパイの個体性を通して瞬くかのように描かれています。

 「彼がいなかったらぼくはとっくに死んでいる
 彼へのおびえがぼくを警戒させ
 彼の面倒を見ることが生きがいになっていた」
 と、彼=トラについてパイは語っています。
 カルトのように神を超越的な存在とまつりあげて、絶対的な命令を下すものと信じるなら、それは死んでいるようなものと言えるかもしれません。
 神の存在感とはカルト教祖の言いなりになることで通じ合えるものではなく、パイのように一人の人間として向き合うべきものであると、自分自身の過ちから痛感しています。

 長い長い漂流の末、岸にたどり着いたパイとトラ。砂浜に倒れ込んでいるパイをふりむきもせずトラは森林に消えていきます。
 「でも一番悲しいのはさよならを言うことができなかった別れだ」と、パイが語る姿と言葉に自分自身の大罪をかみしめるばかりです。

2016年10月14日 井上嘉浩


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