・映画『風立ちぬ』 (2016年6月28日)
映画「風立ちぬ」ジブリの宮崎監督の作品を拝見しました。1930年代、経済的にも混乱し、閉塞感にふさがれた戦争の足音がする時代、美しい飛行機を造りたいとの夢を追い求めた青年がいました。
時代に流されるというよりむしろ積極的に、軍需産業の設計士となり、戦闘機を設計します。
やがて戦争の中で、愛する人も、何もかも失い、夢はくだけ散ります。
「飛行機は美しくものろわれた夢だ
大空はみなのみこんでしまう」
夢の中でそれとなく導いてきた人物が青年に最後のシーンで語りかけることばです。本音が見え隠れするようです。
この世界では夢を純粋なまま、汚れなく、美しく実現することなどできないと、青年の生き様は物語っています。
いや、そうではないんだ、真理のままに、清らかに生きていくことができるとアピールしたのがオウムでした。
1980年代、バブルのアンチテーゼのような一見、禁欲的な修行に多くの人々が引き付けられたのは事実でした。
しかし、このような社会の中で生きていくことの矛盾を拒絶し、一方的に他者を否定し、正義を掲げることがどれほど現実離れした愚かで危険なものであったか、今さらながらに痛感しています。
青年はすべてを失いましたが、夢の中で文字通り、愛という夢を実現し、荒野と化した現実の中で、夢と共に生きていこうとします。
しかしそれには人生をかけて青年には、善も悪も、美しさも醜さも、幸も不幸も共にのみこむ大空のようないのちそのものに気付く必要がありました。
夢はどんな夢でものろわれた夢であるとの自覚をもってこそ様々な矛盾の中で、美しい夢と共に生きることができるかもしれないとの希望が映画の中でさりげなく語られているかのようです。
2016年6月28日 井上嘉浩