・『Dr.コトー診療所』 (2016年6月6日)
離島医療歴30年の医師がおられる島をモデルにしたDr.コトー診療所を拝読しました。
患者の意志で本土まで連れていけなくなったことから、大病院でしかできないような手術を決意したDr.コトーは、反対する看護師に語ります。
「ぼくは人を生かすために医者になったんだ。
目の前で死んでいく人を、黙って見てるくらいなら、
今すぐ医師をやめるよ 」(1巻)
当時の自分と引き比べて考えずにはいられません。
出家するとはどういうことなのか?宗教者として他者に尽くすとはどういうことなのか?
一人の人間として考え抜いて、使命を自覚し、覚悟をもっていたとは、全く言えるものではありませんでした。
「命の価値なんてぼくらが決めるべきじゃない!
ぼくはオペをします。何度でも。助けられる命があるなら」
と、Dr.コトーは「患者の生に最後まで執着」して、「それがどんなに細い道でもちゅう躇なく突き進み」ます。(7巻、11巻)
物語を貫くDr.コトーの生き様は、本来あるべき伝統的な宗教者と重なり合うかのようです。
逮捕後に学んできたことですが、本来の宗教ではどこまでも今、ここにある現実そのものに立脚します。
現実がどれほど矛盾に満ちあふれていようとも、それがどれほどみじめな姿であろうとも、矛盾そのものに、神の愛や仏の慈悲の働きを見い出していくところに要がありました。
魂の救済を絶対視することで、今、生きている命の現実をかえりみようともしないカルトとは、まるで正反対です。
それは「命に対する責任」の放棄以外の何ものでもありませんでした。慙愧の念に堪えません。
2016年6月6日 井上嘉浩