・映画「アース」(2016年2月7日)
「アース」、英国BBCのTVドキュメンタリー「プラネット・アース」の劇場版は、温暖化により生きる場を失いつつある多くの動物たちが、このままでいいのか?と問いかけているようでした。
冬眠から目覚めた白熊の親子、母が子を慈しむ姿は人と同じです。ですがこれまであったはずの雪が海に解けてしまいエサ場までたどりつくことができません。
熊にしてみれば何が起きたのか?分かりません。あるはずの道がなくなっているのです。その不安と恐怖はまるでカルトにはまっていく時のようだ、とふと感じました。どうやら環境問題とテロやカルト問題には共通点があるようです。
地球(アース)には多種多様な動植物を育んでいく自然な倫理があると見受けられます。食べて食べられる世界でもあり決してきれいごとですまされませんが、それでもアースの歴史と共に共存共栄してきました。
ところが人間中心の文明はアースの自然な倫理を破ることで繁栄と引き換えに、温暖化をはじめに心の病や格差・貧困等々様々な問題を引き起こしてきたと言えるのではないでしょうか?
あるはずの道がなくなり、どうしてよいのか分からない不安や恐怖。ここにカルトがはびこりはじめます。
そして破壊的カルトにはまってしまうと、人類救済や神の名のもとに、現代社会に破壊をもたらすテロリストにさえなってしまうと自分の過ちから痛感しています。
アースの自然な倫理には驚くべきものがあり、その一つに集団と個の関係の倫理があります。
映画にはヒマラヤ山脈を越えていくツルの群れがいました。「クワァー」とリーダーのツルが大きな声をあげるとツルたちは編隊を組み、巧みに上昇気流にのり、極寒の中、厳命に翼をはばたかせ山脈を越えていきます。
一羽だけではヒマラヤを越えることはできません。
編隊を組み最適な気流の流れを作り出す能力を得ることで、はじめて群れが一つとなって山脈を越えていくのです。
これは個々のツルたちのいのちに内在する自然な倫理が作動して集団行動を起こすことで、不可能なことを可能にしたと言えます。
このような自然な倫理にはテロやカルト問題を解決していく一つのヒントがあるかもしれません。
カルト信者がカルトから脱却できるかどうかは、それぞれが本来持っている良心や自然な心に気付き、取り戻すことができるかどうかがポイントの一つであると言われています。
これは私自身の脱会のプロセスからもうなずけますし、宗教世界の中で構築された特定の倫理ではなく、民族や宗教や文化にかかわりなく、誰もが自然にもっている倫理こそが人間性を回復する力となります。
さらに全体と個人の関係においても自然な倫理は、全体主義やカルトのように個人を否定して全体の意思とされたものに埋没したり強制されることもなく、個人主義のように個人の利益のみを追求して全体のことを忘れることもありません。
自然な倫理は個性と多様性を尊重しながらも、必要に応じて自発的に集団行動をとることで、現代が直面する様々な問題を克服していく可能性を宿しているのではないでしょうか。
「あらゆるものがつながりをもっている。地球に起きることは、そのまま地球の子孫たちにも起きる。人がいのちの織物を織ったのではない。そのなかの一本の糸にすぎないのだ。その織物に対してすることは、自分自身に向かってすることと同じだ。」
(チーフ・シアトル、1856年に部族の土地を白人に明け渡す際の演説)
2016年2月7日 井上嘉浩