・『西の魔女が死んだ』 (2016年1月25日)
『西の魔女が死んだ』梨木香歩(新潮文庫)を拝読しました。登校拒否をはじめた女子中学生の主人公が西洋の魔女でもある祖母から魔女の手ほどきを受けることを通して、少女から大人へ成長していく物語で、学生にとってカルト予防のワクチンにもなるような一冊でした。
「この世には悪魔がうようよしています。瞑想などで意識が朦朧となった、しかも精神力の弱い人間を乗っ取ろうと、いつでも目を光らせているのですよ」
と、祖母は夜更しをして不規則な生活をしていた主人公に規則正しい生活をするように助言します。
この悪魔を他者に依存して堕落させるような欲望として、考えていくと色々と見えてくるものがあります。とりわけ瞑想などに限定されるものではなく、ネットやゲームなどで意識が朦朧としてしまうと、いつの間にかに自堕落な生活に入ってしまいがちになります。
これはカルトの常套手段であり、呼吸法や自己暗示等々色々な手段を利用して、信者の意識を朦朧とさせて、マインドコントロールをかけていきます。
「悪魔を防ぐためにも、魔女になるためにも、いちばん大切なのは、意志の力、自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力です」
と、祖母は語りかけます。
魔女とはいわゆる魔女のことではなく、大人の心として読んでいくといいかもしれません。
すると「意志の力」とは自分を見失わない力でもあり、「自分で決める力」とは他者に依存して言いなりになったり、他者の命令に盲目的に従うことではなく、自分で主体的に判断して、選択する力でもあります。
「やり遂げる力」とは、他者の立場に立って、自分の言動に責任を持ちながら、創意工夫していく力でもあります。
私自身の過ちでもありますが、カルト内ではこれらの力とは逆に信者は、自分を見失い、教祖の指示に盲従し、自分の言動に社会的な責任感を持つこともありません。
「魔女は自分の直感を大事にしなければなりません。でもその直観に取りつかれてはなりません。そうなると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって、その人自身を支配してしまうのです。」
と、祖母が諭します。それは飼っていた鶏が嫌悪していた隣人の犬に殺されたと思い込み、憎悪をつのらせていたからです。
獄中には限られた情報しか入ってきませんがそれでも新聞をめくれば、テロ、環境、格差、資源、貧困、等々出口の見えない様々な問題があふれているのが垣間見えます。
「何かがおかしい」と、誰もが多かれ少なかれ感じておられるのではないでしょうか?
カルトはこのような現代社会の様々な問題を利用して、だから世の中は間違っているんだ、ハルマゲドンでこのままでは滅亡するんだとかと、憎悪や不安をかきたてて、人類が救われるためにはこの教えの道しかないと提言して信者を獲得していこうとします。
この構造はカルトに共通するもので、社会問題とカルトの発生は切り離すことはできないとカルト問題では言われています。
「直観は直観として、心のどこかにしまっておきなさい。そのうち、それが真実であるかどうか分かるときがくるでしょう」
と、魔女は語ります。
「何かがおかしい」との直観は否定しようがありません。
ですが直観に取りつかれれば、不安にかられて安易に社会を否定して、冷静に問題の原因を見極めて対処することもなく、カルト的な思考にはまっていきます。
一方で今さえよければいいとの選択では問題の先のばしであり、事態が悪化していきます。
昔、本物の魔女とも言えるシャーマンがいたインディアンの世界では、大事な選択は七代先の子孫にとって良いことかどうかで判断されたそうです。
自分たちが損をしようと犠牲になろうとも、未来に命をつないでいく愛にあふれています。
このような忘れさられた知恵はカルトを防止するだけではなく、様々な問題を解決する糸口となるかもしれません。
2016年1月25日 井上嘉浩