・映画「るろうに剣心」(2016年1月6日)
映画「るろうに剣心」、大義の名のもとにおける暗殺者という点で、オウム事件とも通じる点があり、色々と考えさせられました。
幕末、誰もが安心してくらせる新時代のためにと、志士として暗殺者となった主人公、剣心は維新後、不殺を心に誓い、逆刃刀を手にして、見知らぬ人々を助けていました。
ところがある事件から剣心は勝負を挑んでくる人斬りに、心を寄せるかおるが息が出来ないように術をかけられたため、術を解くため人斬りを殺さなければいけない状況に追い込まれました。
このジレンマを突破したのは剣心ではなく、不可能とされた術を自力で解いたかおるの剣心への心からの愛の叫びでした。「人斬りに戻らないで。あなたが殺してしまった人のために。あなたが今まで助けた人のために。人を斬らないでも、誰か助けることができる。それがあなたが、剣心がめざした新しい世の中では」
心にぐさりと突き刺さるものがありました。
「人を斬らないでも、人を助けることのできる世の中」
オウムに集った若者達に共通する願いでもありました。
当初、不殺生により平和的な方法で、人類の破局=ハルマゲドンを回避しようとのスローガンを掲げていました。
しかし実際には、これらのスローガンは麻原が手足となる者達を集めるためのトリックで、麻原は最初から武力革命を目的としていました。
「おれのしていることは正しいのか?」と、当時剣心が大義による暗殺に懐疑を抱いていた場面がありました。
戦争で実際の戦闘に従事した多くの兵士の方々がその後、精神的な問題を抱えてしまうことは周知のとおりです。このような懐疑は大義により他者の命を奪おうとする者達が直面するいのちの叫びだと痛感しています。
ところが軍隊の兵士は訓練や責務により、テロリストは妄信やマインドコントロールにより、命じられるままに、このような懐疑を踏み越えていきます。
他者の命を奪うことがどれほど罪深く、恐ろしいことか、骨にしみます。
映画で息ができない術にかかったかおるの姿は、大義にとらわれ心の奥に閉じ込めてしまった剣心の良心のシンボルであるかのようです。
そしてこの術を解く鍵とは、良心を呼び起こす真実の愛であり、「人を斬らないでも、人を助けることができる」初心に帰ることだと語っておられるように私には思われました。
ボロボロになりながらも助け出したかおるを抱きかかえて山寺の石段をのぼる剣心。
官憲に不殺をえせ正義だと非難されながも、
「人を斬ればそこにうらみが生まれる。
うらみは人を斬らせる。
そのつらなりを断つのが、
このきれない刀の役目でござる」
と、つぶやく剣心のことばにただただうなだれました。
2016年1月6日 井上嘉浩