Compassion カルトを抜けて罪と向き合う 井上嘉浩

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いま考えていること


・映画「アルゴ」 (2015年10月2日)

 死刑囚は月に4本、90本前後あるビデオから映画等を見ることができます。
拘置所側でリストが決められていてあまりよい映画はありませんが、それでも考えさせられる映画もあります。

 「アルゴ」という洋画がありました。
ストーリーは、1980年代のイランのアメリカ大使館の人質事件で、CAIの主人公が映画の製作のスタッフに人質を偽装して飛行機で脱出させた実話でした。

 考えさせられたのは組織と個人の関係です。映画では危険をかいくぐって準備を整え、いよいよ決行する前夜に、国家から現地のCIAの主人公に中止命令が下されます。国家の組織の一員として従うしかなく、やむなく引き下がります。中止になれば人質は偽装したことがイランに知られ殺害されてしまいます。命令に従えばアメリカのメンツと主人公は助かります。作戦が失敗すればメンツはつぶれ、主人公も人質も殺害されます。主人公は悩みに悩んだ末に、国家の絶対的な命令に反し、計画を実行し、上司の助けもあって見事に人質を無事に脱出させました。

 何故、主人公は組織の絶対的命令に反することができたのか?
映画の映像から読み取れることは、主人公の心の核には自分の子供との愛情のつながりがあったからだと感じました。
一人の人間として自然な愛情からすれば、自分を信じてくれた人質を犠牲にすることはどうしてもできなかったからだと言えます。

 改めて、事件当時、麻原の手足になってしまった自分の愚かさが身にしみます。
オウムのようなカルト組織では、救済やユートピアの名のもとに信者を家族から引き離し、集団生活で管理、支配して信者の帰る場所を無くします。このような環境の中で信者の個人としての意識を解体していき、教祖の手足として動く人格を刷り込んでいきます。

 組織から離れて帰る場所があるかどうか、組織のメンバーとは異なる自分のアイデンティティを持ち続けることができるかどうか、ここがカルトであるかどうかの分岐点のひとつであると、自分の過ちから痛感します。
国家の命令であろうと、他者の命を犠牲にすることはできないと、一人の人間として立ち上がったアルゴに頭が下がります。

2015年10月2日 井上嘉浩


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