長編異世界ファンタジー『イルファーラン物語』番外編

エゴノキ平の春



 ! ご注意 ! 

『イルファーラン物語』終章の後日譚に当たる内容です。
本編未読の方には独立した恋愛小説として読めると思いますが、
この番外編の状況そのものが、本編全体の設定の核心に迫るネタバレになっていますので、
ネタバレの嫌いな方は本編最終章まで読了後推奨。
(本編『イルファーラン物語』はこちら




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「あした、何着てこう……」
 里菜はクローゼットを開けて、中の服を見渡した。
 明日はデートなのだ。
 いや、デートというのかどうか良くわからないのだが、好きな(ような気がする)男性と会うのだ。
 しかも、相手の自宅に招かれているのだ。

(あたしたちって、付き合ってるって言えるのかなあ……)
 里菜は今までの、自分とその人との関係……とも言えないような関係を振り返ってみる。
 里菜が藤代竜と出合ったのは、数ヶ月前。高校時代の親友、美紀の結婚式でのことだった。彼は、美紀の従兄だったのだ。
 いったいなぜ、自分が、あの時、彼との出会いに運命的なものを感じたのか。今でもさっぱりわからない。別に、一見してすごく自分の好みのタイプだったというわけではないのだ。それどころか、どちらかというと、自分の普段の好みの傾向からは明らかにかけ離れていたような気がする。
 それなのに、里菜は、彼を一目見た瞬間に、どんな顔をしているかのかさえよく見ないうちから、(探していた人を見つけた……)と思ったのだ。
 まったく、世の中には不思議なこともあるものだ。

 その後、里菜が彼と会ったのは、たった三回。
 一度目は、美紀の新居お披露目のお茶会に呼ばれた時。美紀の計らいで、同じ日に竜が呼ばれていたのだ。
 けれど、その日は、結局、竜と里菜との間にはほとんど会話が成立しなかった。美紀が里菜を竜の隣に座らせ、しきりと二人に話を振ってくれたのだが、なにしろ、竜というのは、極端に無口な男だったのである。話を振られれば相槌は打つが、それで終わり。何を言っても「ああ」とか「いや」としか言ってくれないので、毎回、そこで会話が途切れてしまう。
 それでも、帰る前には、美紀の尽力で、いつのまにやら、美紀たち夫婦と里菜、竜の四人で遊園地に遊びにいく約束が出来上がっていた。里菜は心の中で美紀を拝んだ。

 その、遊園地での一日が、竜と会った二回目。
 美紀たちは、せっせと里菜と竜を距離を縮めるべく尽力してくれたが、とにかく竜が無口だし、里菜は人見知りなので、結局、この日も、竜と特に何か語らったという記憶はなく、楽しい一日ではあったが、竜がどんな人なのかは、やっぱり無口であるということと、遊園地でのデートなどというものがおおよそ似合わない男であるということ以外はろくに分からないままだった。

 それでも三回目のチャンスはちゃんと訪れて、二人は、今度こそ初めて一対一でデートをした。
 映画を見た後に入ったファミレスで向かい合って押し黙っている時、ふと視線を感じて目を上げると、竜の背後のテーブル席から間仕切りの植木越しにこちらを伺っていた美紀と目が合った。……気になって、こっそりついてきていたらしい。
 さすがに今度は、ありがたいとは思いながらも、心の中で美紀を拝む気にはなれず、こっそり顔をしかめてみせると、美紀は謝罪のゼスチャーをしながらそそくさと席を立って店を出て行った。そちらに背を向けて座っていた竜は、そんな一幕には気付かなかったらしい。
 もちろん、忍びのお目付け役がいなくなったからといって会話が弾みだすわけでもなく、それからも二人は、思い出したようにぽつりぽつりと話しながら食事をしていたが、里菜がふと、映画にワンシーンだけちらりと犬が出ていたことを思い出したことから、流れが変わった。里菜が、映画に出ていた犬の話題から竜の飼っているという犬たちのことに話を向けると、それまでろくにしゃべらなかった竜が、急に雄弁に話り出したのだ。無口なわりに、しゃべる気になりさえすれば、別に口下手ではないらしい。
 おかげで里菜は、竜本人についてはほとんど何も知らないうちから、竜の飼っている犬たちそれぞれの名前や毛色から性格、体質、クセまで、事細かに知ることになった。
 そして、里菜が何気なく言った、
「ワンちゃんたちに会ってみたいなあ」という一言が、更なる道を開いた。
 竜は、当たり前のような顔で、何の気負いもためらいもなく、
「じゃあ、今度、うちに遊びに来ないか」と、提案したのだ。

 この顛末を後で美紀に電話で報告すると、美紀は絶句した。受話器の向こうでぽかんと口を開けているのが見えるようだった。
 あれほど世話を焼いても遅々として進展しなかった二人の仲のあまりの急展開に、あっけにとられたらしい。
 それはそうだろう。直前までろくに会話もせず、何の意思表示もせずに美紀をさんざんやきもきさせていた竜が、美紀がちょっと目を離したその直後に、まだまともに話をしたことさえないはずの里菜をいきなり自宅に誘うなどという大胆不敵な速攻業を披露するなんて、誰が想像するだろうか。美紀にしてみれば、まるで、それまで全く動かなかった動物園のナマケモノが、ちょっと目を離した間にすごい速さでありえないほど遠くまで移動していたような気分だろう。
 里菜にとっても、これは、想像もつかなかった急展開だった。
 でも、竜の家を訪ねることは、里菜には、なんだかとても自然な、あたりまえのことにように思えた。
 普通、何度かデートした相手から初めて自宅に招かれる――しかも一人暮らしの男性宅に――というのは、ちょっと覚悟と決断が必要な、重要な分岐点のような気がする。
 でも、竜はたぶん、ただ普通に、愛犬を見せてくれたいだけのような気がする。それと、言葉であれこれ自分について説明するのは面倒なので、その代わりに、里菜に自分の暮らしぶりを見せて自己紹介に代えたがっているのではないかという気がする。里菜のほうでも、ろくに口を利かないデートを何十回も繰り返すより、一度でも彼の家に行って彼の犬たちと会い、彼の暮らしぶりを実際に見るほうが、よっぽど手っ取り早く効率よく彼への理解を深めることが出来そうな気がする――。

 と、里菜は思ったのだが、美紀は電話の向こうで、ツバを飛ばさんばかりの勢いで、まくし立てた。
「うわー、まさかいきなりそう来るとは思わなかった! 竜兄ちゃん、意外とやるわねぇ。いきなりストレートど真ん中、剛速球! 里菜、あんた、ちゃんと心の準備をしていきなさいよ。覚悟はいいのね? ほんとにいいのね?」
「……覚悟って、何の覚悟よ」
「また、またぁ。とぼけちゃって、もう! いくら竜兄ちゃんだって、一応男なんだから、もしかするともしかするかもしれないじゃないのよ。あたしが遊びに行くのとはワケが違うのよ。万が一ってことがあるかもしれないでしょ! あんた、もしかしちゃってもいいのね? 心はもう決まってるのね? あの人でいいって、ほんとに決めてるのね?」
「もしかしてもいいかどうかは分かんないけど、心は決めてるよ。この間も言ったでしょ」
「そうよねえ、びっくりよねえ。なんでかなあ。そりゃあ、あたし、あんたと竜兄ちゃんは気が合うんじゃないかと思ったし、うまくいってくれたらいいなと思って引き合わせたわけだけど、まさか、恋愛にあんまり興味ないなんて言って煮え切らなかったあんたが、いきなりそこまで本気になるなんて思わなかったわよ。でも、あんたがほんとに竜兄ちゃんでいいなら、あたしはいくらでもとことん応援するわよ。がんばって! だから、とにかく、いざとなっても動転してビンタかまして逃げ帰ったりしなくてすむように、心の準備だけはしていきなさいよ。わかった?」
「そうかなあ……。そういう心の準備はいらないような気がするんだけどなあ……」
「あんた、呑気すぎ!」

 そう言って美紀にぴしゃりと叱られた里菜は、けれど今でもやっぱり、美紀が言うような意味での心の準備が必要だとは全く思えない。
 里菜は竜と会った瞬間から生涯を共に過ごすのは彼しかいないと心に決めているが、まだ本人にそう告げたわけではないし(そもそも口を利いていないのだから当然だ)、なんとなくデートのようなことはしたが、向こうからはっきり交際を申し込まれたわけでもないから『付き合っている』と言えるのかさえ定かでなく、今まで向こうは常に礼儀正しく距離を置いて、手すら握ったことがないのだ。
 そう思いつつ、美紀との会話を思い出すと、ちょっと頬が火照ってきた。きっと赤くなっているだろう。困った。慌てて、美紀の言葉を頭の中から追い払う。
 そんなこと、ありえないから大丈夫。自分にそう言い聞かせて、なんとか心を静める。

 季節は春。
 里菜のクローゼットも春の色だ。といっても、わりと地味好みな里菜のクローゼットの中は、それほどカラフルではないが、パステルカラーの軽やかな春ものニットなどを手に取ると、やはり心が浮き立つ。
 ハンガーにかかった衣類を押し分ける里菜の手が、一枚のワンピースのところで止った。
 地味な紺色の、子供服みたいな、すとんとしたワンピースで、襟の丸みやくるみボタンなどのちょっとしたディテイルの素朴な愛らしさに心惹かれて数年前に衝動買いしたものだ。
 衝動買いをすることなど滅多にない里菜が、普段着ている服とは傾向の違うその服にふと心惹かれて気まぐれに買ってしまったのは、なんとなく、子供の頃にお気に入りだった、母の手作りのよそ行き服を思い出させたからかもしれない。その服の、ちょっとレトロな甘さと垢抜けない子供っぽさが、なんとなく懐かしいような気がしたのだ。
 が、珍しく衝動買いはしたものの、結局、里菜は今まで一度もこの服を外に着て出たことがない。もう少し色気と身長があれば『大人のロリ服』という選択肢もありだろうが、顔もスタイルも子供っぽい自分がうっかり子供っぽい服を着ると本当にただの子供に見えてしまうのは、自分でちゃんと分かっているのだ。
 身長147センチがコンプレックスの里菜は、低い背が少しは高く見えるようにと外出の時はなるべくハイヒールを履いていたのに、この服にはどう考えてもハイヒールは合わないだろうというのも、里菜がこの服を実際に着ることがなかった理由の一つだった。
 着ないなら処分してしまおうかとも思ったが、それもためらわれて、結局、この服は、たんすの肥やしになったまま忘れられかけていた。

 けれど今、里菜は、なんとなく、竜のところへならこれを着て行ってもいいのではないかと思った。
 竜は、里菜がどんな服を着ていようが、全く気にしないのではないだろうか。

 今までのデートでは、里菜は一応、それなりに気合を入れて服を選んだ。華美な服装をする趣味はないが、チビで童顔の自分があまり子供っぽく見えすぎないよう、それなりに気を使ったつもりだった。
 選んだ服は悪くなかったと思う。美紀も褒めてくれた。
 けれど、竜がその服をどう思ったかは全く分からない。
 たぶん、あの人は、女性の服のことになど全く関心がないのではないだろか。
 そもそも、女性の服に限らず、自分の服にもあまり関心がなさそうだ。一応、特に見苦しいとかむさ苦しいということはなかったし、背が高く足が長くてスタイルが良いためにそれなりにサマになっていたけれど、そういえば、服装自体はごく無造作で、いかにもどうでも良さそうだったような気がする。
 服装だけでなく、今まで知った限りの人柄や言動を考え合わせても、どう考えてもデートの時に相手の服にあれこれ注文をつけるタイプとは思えない。
 きっと彼は、もしも里菜が本当の子供服を着ていようと、お母さんのお古の服を着て行こうと、まったく気にとめないに違いない。
 それに、どうせ行く先は、美紀の言葉によれば『千葉の山奥』だ。何をしに行くかといえば、犬と遊びに行くのだ。そして、会いに行く相手も、どうせ服のことなど気にしないのだ。

 里菜はワンピースを身体に当ててみた。
 それから、ふと思い立って、髪を二本の三つ編みに編んでみた。
 そういえば、里菜は、子供の頃から高校生頃までずっと髪を三つ編みにしていて、その髪型がお気に入りだったのだ。なんだか懐かしい。
 それからもう一度ワンピースを身体に当てて、鏡を見ていた。

 鏡の中には、三つ編みにお子様ワンピースの、ちっぽけで子供っぽくて野暮ったい自分がいた。
「ダサっ……」
 里菜は思わず小さく吹き出した。ある意味、ハマりすぎ……。似合いすぎ……。まるで、一時代前の小学生みたいな。子供の頃にお祭りの夜店で買ったおもちゃのブローチが似合いそうな……。
 でも、なんだか、ほっとする。心が落ち着く。これが本当の自分の姿のような気がする。長いこと、それを忘れていたような気がする。

(そう、本当は、あたしはこういう風なんだ。ほんとはずっと、こういうのが好きだったんだ――)

 いつも、少しでも大人っぽく見えるよう気をつけて服を選び、チークやシャドウの入れかたにも気をつかっていた。背を高く見せたくて、いつもハイヒールで背伸びしていたから、脚が疲れた。心も疲れた。
 なんでそんなことを気にしていたんだろう。なんで、自分が好きな服じゃなく、他人からどう見えるかに気をつけて選んだ服ばかり着ていたんだろう。他人にどう思われるかなんて、どうでも良かったんだ。自分が好きな服を着れば良かったんだ――。

 千葉の山奥で、人から変人扱いされようがお構い無しに心のままに生きている竜のことを思うと、自分も、自由になれる気がした。足に合わないハイヒールで無理して背伸びしているのが馬鹿らしく思えてきた。

 そう、明日は、この服を着ていこう。誰がなんと言おうと、自分は、これが好きなんだから。
 靴も、ぺたんこのを履いていこう。犬と遊ぶのにハイヒールは向かないだろう。
 それに、竜は、正確な身長は知らないが、たぶん自分より40センチ近く背が高いのだ。並んで立つと、里菜の頭は竜の胸までしかない。美紀曰く、笑えるほどのデコボコぶりだそうだ。どうせそこまで差があるのなら、逆に、一生懸命背伸びしてあと数センチばかり上げ底しても、たいして違わないのではないか。いくらなんでも40センチの差は、ハイヒールくらいでは縮められそうもない。今さら、たった数センチのために足掻いても無駄だろう。だったら、開き直ってしまってもいいのではないか……?

 里菜は本当は、ハイヒールは爪先が痛くなるから嫌いなのだ。だから、電車で千葉まで行くのにハイヒールでなくてもいいと思うと、なんだかすごく気が楽になった。ますます明日が楽しみになった。
 まるで、遠足の前の日の子供のような気持ち――。

 明日、お天気になるといいな。犬や猫といっぱい遊ぶんだ……。
 里菜はワンピースをクローゼットに戻しながら、そっと微笑んだ。


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