『イルファーラン物語』番外編

エゴノキ平の春




(4)



 前に美紀が、竜のことを、「『思うところあって世を捨てて山に篭った孤高の天才格闘家』みたいな雰囲気がある」と言っていた。あと、夜中に一人で腕立て伏せとかしてるんじゃないか、とか。
 確かに、この人には、そういう雰囲気があるかもしれない。穏やかに見えるけど実は奥義を極めた武術の達人、みたいな。
 それにこの、『何これ?』ってくらい硬くて太い腕とか、ウルトラマンみたいな胸とか、さっき料理をしている時に垣間見せた最小限の動きで最大限の効率を上げる異様に無駄のない身のこなしとか、いきなり飛び出した自分の後ろにこうしていつのまにかぴったり付けていて転びそうになったらすかさず抱きとめてくれるこの運動神経とか反射神経とか的確な読みとか……、今までそういう方面はてんで関心が無かったから良く分からないんだけど、あらためて考えてみたら、やっぱり、ただものじゃないのかも?
 美紀は、こうも言っていたっけ。
 『遊びに行ったとき、庭の木に板っぱがぶら下げてあるのを見たけど、もしかすると竜兄ちゃん、毎日あれに飛び蹴りとか入れて修業してたりして。アチョーとかトリャーとかアタタタターとか言って。で、毎日ちょっとずつ、板を高くしてたりして』と。
 そういえば本当に、庭の木の枝に、板切れ、ぶら下がってたし……。

 あたし、謎の格闘技の技をかけられてるのね? でも、なんでそんなことに?
 ……そんなわけ、ないか。
 じゃあ、どうして動けないの? あたし、どうしちゃったの?

 竜はとても大きいから、里菜はすっぽりとその広い胸に抱え込まれてしまって、その体温に包まれる。温かい。心臓の鼓動が交じり合う。
 何も言わない竜は、何を考えているのだろう。どういうつもりだろう。これから、どう動くんだろう――。
 ちょっと不安になりかけたところで、頭上から、静かな穏やかな低い声が、優しく降ってきた。
「……いい子だ。グッボーイ……」

 とたんに里菜はぷっと吹き出した。
 さっき、竜は、こうやって、犬を背後から抱きしめて、こんなことを囁いていたっけ。
 いつも犬ばかり相手にしているから、人間相手でも、ついうっかり、日ごろのクセが出てしまったらしい……。犬の相手には慣れているが人間の女の子には全く慣れていないのがばればれだ。
 そう思ったら、一挙に力が抜けた。気がついたら、身体が動くようになっていた。
「やだ、竜さん、犬じゃないんだから……」
 里菜は笑いながら竜の腕をすり抜けた。
「いや、つい、クセで……。落ち着かせようと思っただけなんだ。すまない。……ところで、その、帰るといっても、今すぐだと、電車が無いんだが。この時間は本数が少ないんだ。もしよかったら、もう少し、いてくれないか。その次の電車に間に合うように駅に送るから」
「ううん、まだ大丈夫。ごめんなさい、急に帰るなんて言って。次の電車じゃなくても、駅まで送ってくれるなら、もっと後でも大丈夫だから」
「それなら良かった。……俺は君を怒らせてしまっただろうか」
「ううん」
「そうか、良かった。じゃあ、戻ろう。足元に気をつけて」
 ごく自然に里菜に手を貸して縁側に連れ戻しながら、竜は話し始めた。
「よかったら、さっきの話の続きを聞いてくれないか。その前に、他に何か俺に質問はあるだろうか」
 ……まだ質疑応答の時間は終わっていなかったらしい。
 そうだ、ちょうどいいから例の板切れと謎の武術について聞いてみよう。
 里菜は、竜と並んで――今度はミュシカを間に挟まずに――縁側に座り直しながら聞いた。
「じゃあ……。えっと、竜さんは、何か格闘技とか謎の中国拳法とか、やってるんですか?」
「え?」
 竜はぽかんと口を半開きにした。
「……いや、別に、やっていないが……。君は格闘技が好きなのか?」
「い、いえ、別に……。ただ、すごい体格良いし、美紀が、何か密かに修行してるんじゃないかって言ってたから……」
「何でまた、そんなことを……」
「だって、似合ってるからって。なんだぁ、ガセだったんだ。じゃあ、夜中に腕立て伏せしてるっていうのもガセ?」
「……それも美紀が言っていたのか?」
「うん。何か運動してなきゃあの筋肉維持できないだろうって。で、夜なんか 一人暮らしでテレビも無くて、やることないだろうから、一人で黙々と腕立て伏せとか腹筋とかしてるんじゃないかって」
 竜は苦笑した。
「まあ、腕立て伏せは、しないこともない。別に夜中とは限らないが。確かに、動かしていないと身体はなまる。でも、別に、夜にすることがないわけじゃない。テレビは無くても本や新聞は読むし、帳簿付けもする」
「へー、ちゃんと帳簿付けてるんだ。偉いんですね! 自営業ですもんね。でも、じゃあ、あの、修行をしていないんなら、あそこの木の枝にぶらさがってる板はなんですか?」
 竜はまた、きょとんとした。
「……板?」
「ほら、あれ」と、板を指差すと、
「ああ……」と納得顔になった。
「あれは、昔、猿を飼っていた時の、猿の遊具だ。その猿はもう死んだが、あの板は、何となくそのままにしてあった」
「なんだぁ。美紀がね、竜さんは毎日あの板に跳び蹴りとか入れて、板を少しづつ高くしたりして修行してるんじゃないかって言ってたんです」
「まさか」
 竜は笑った。
 何か、少し会話が成立しはじめたかもしれない。いい雰囲気になってきた――。そう思って、里菜は嬉しくなった。
 それじゃあ、せっかくだから、やっぱり『彼女いない歴三十二年』疑惑についても、ついでに訊ねてみよう。どうでもいいことだと思いはしたけれど、やっぱり気になっているらしい。嫉妬ではなく、単なる好奇心――というか、怖いもの見たさだ。いったい、三十二にもなるまで一度も女性と付き合ったことが無いなんて、本当にそんな事があり得るものだろうか。
「もう一つ、いいですか? 竜さんは今まで女の人と付き合ったこと、ありますか?」
「いや。一度もない」
「えっ、ほんとにそうなんだ……。どうして?」
「どうしてといわれても……。別に誰とも付き合いたいと思わなかったから」
「どうして? どうして思わなかったんですか? 好きになった女の子もいないの?」
「ああ、いない」
「一人も? 一度も?」
「ああ。今回が初めてだと思う」
「……それって、あたしのことですか?」
「ああ」
 竜は照れくさそうに目をそらした。一応、さっきの答えで里菜を怒らせてしまったことを反省しているらしい。
 それから、前を向いてぼそぼそとしゃべりはじめた。
「美紀から聞いているかもしれないが、うちの両親は、俺が子供の頃に、母の不貞が元で離婚しているんだ。母は俺が十歳の時に突然家を飛び出して行き、それ以来、俺は一度も母と会っていない。まあ、そんなことはこっちの勝手な事情で、他人には関係ないことだし、あまり他人に言いふらすような事柄でもないんだが、結婚を申し込む相手には、話しておくべきだろう。ここだけの話として聞いておいてくれ。
 当時、俺はまだ子供だったから知らなかったが、どうやら、父と母の間は、上手くいっていなかったらしい。今にして思えば、父は、たぶん、父なりに母を愛していたと思う。でも、それは、母には伝わらなかったんじゃないかと思う。
 父は、悪い人ではないが、寡黙で謹厳な人で、自分に厳しく高潔な一方で、家族に対しては大変強権的で支配的な人だった。外ではたぶん立派な人だと思われているだろうし、確かに立派な人ではあるのかもしれないし、患者からは親切で篤実な医者として慕われていたらしいし、べつだん、特に母を虐げていたというようなことは無かったと思うんだが、ただ、本当には母を理解しようとしていなかったんじゃないだろうか。
 一方、母は、今にして思えば、たぶん、精神的に少々未熟な、弱い人だったんだと思う。そして、父は、自分が強くて立派な人間すぎて、自分のように立派な人間になれない弱い人間というものを、理解できなかったんだと思う。父の強さが母を押しつぶした。――父はたぶん、いまだにそのことに気付いていないと思うが。そして、母は父を憎んだ。父と似ている俺も疎んだ。
 ――俺は、母を不幸にした父に、よく似ているんだ。顔だけじゃなく、たぶん性格も。その、俺とよく似た父が、母を傷つけた。だから俺は、自分が誰かを愛した時、父のように愛する人を傷つけてしまうのではないかと、さらには、その挙句、愛した人に裏切られてしまうのではないかと、恐れていたんだと思う。父が母を不幸にしたこと、母が父を裏切ったこと、自分が母に捨てられたことがずっと心にひっかかっていて、俺は、自分が誰かを好きになってその人を幸せに出来るという将来をイメージ出来ずにいたらしい。それで、自分でも気付かないうちに、ずっと、女性や恋愛を避けてきたんだと思う。自分でそのことを自覚したのはだいぶ後になってからで、ある時期まで自分でもそのことに気付いていなかったんだが」

 里菜は、我慢できずに口を挟んだ。
「竜さんは、人を傷つけるような人じゃないわ! ちょっと変わってるけど、優しいし、誰がどう見てもいい人よ」
 お世辞ではなく、本心から、真心を込めた言葉だった。竜のことはまだよく知らないが、これだけはもう分かっていると思う。
 けれど、竜は、真顔で言い返した。
「だが、誰かを本当に愛してしまったら、その相手に対しては、そんなにいい人ではないかもしれない。それが、怖かったんだ。通り一遍の相手になら、いくらでもいい人でいられるさ。父が、家の外では誰からもいい人だと思われていたように。
 ……父が母を愛していなかったというのなら、まだ、いいんだ。たぶん、父は母をとても愛していて、それなのに、父が母を愛すれば愛するほど母は息が詰まっていったんじゃないかと、容易に想像できてしまったのが辛かった。
 自分の親のことをこんな風に言うのは何だが、あの人の、人の愛し方というのは多分に独善的なので、たぶん、俺に対してずっとそうだったのと同じように、母のことも、完全に自分の支配下に置き、常に自分の意に叶うような存在でいさせようとしたんじゃないかと思う。しかも、自分でそれに気がついておらず、俺に対して理解ある父親でいるつもりだったのと同じように、母に対しても寛大な夫でいるつもりで、実際、傍目にはそのように振舞いながらも、いつのまにか母をがんじがらめにしてしまっていたんだろう。
 たぶん、あの人には、自分の愛するものが自分の一部ではなく自分とは別の存在であると言うことが、よく分かっていないんだ。だから、母に去られたことは、ものすごいショックだったろうと思うし、たぶん、今でもまだ、そのショックからあまり立ち直っていないんじゃないだろうか。ある意味、可哀想だとは思う。
 だから、俺は、父に似ている自分も、そんなふうにしか人を愛することが出来ないのではないかと、そして、あんなふうに愛する人を不幸にし、自分も不幸になるのではないかと、恐れていたんだ。……ああ、なんだか、家族の愚痴のようになってしまって、すまない」

「いえ……」
 里菜は何と答えていいか分からなくて、あいまいに相槌を打った。
 今まで無口だとばかり思っていた人の突然の長広舌にも驚いたが、いきなりこんな踏み込んだことを聞かされるとは、まさか思わなかった。まるで何かの分析結果でも発表するような淡々とした口調なのだが、実はものすごく重い内容ではないか。

 竜は、また、淡々と続けた。
「話は戻るが、その後、俺は、自分が女性や恋愛を避けてきた理由に気付き、自分が父の影に囚われていたことに気付き、そこから抜け出したつもりだ。その過程で、それまでの反動として今思えば必要以上に父に反発し、溝を作ってしまったが、それは俺が父の支配下から離れるために避けられない過程だったのだと思うし、その溝は、今後、おいおい埋めていけると思っている。母についても、ずっと心の中で引きずっていたらしいが、今ではそれなりに心の整理がついているつもりだ。
 が、自分が女性や恋愛を避けていた理由に気付いたからといって、すぐにぜひとも恋愛や結婚をしたくなったわけでもなく、また、それからも、たまたま、特に好きになれる人とめぐり合うことはなく、他に、親だの進路だの生活だの、考えるべきことやするべきことはいろいろあったから、恋愛について特に考えることもないままに、気がついたら、この歳になっていた。なんとなく、どうやら自分は女性にそれほど興味がないらしいとも思っていた。
 でも、君に初めて会った時、そうじゃなかったんだと、分かった。今まで俺がどの女性にも特に興味を抱けなかったのは、女性に興味が無いからではなく、その人たちが君じゃなかったからなんだと。君を見て、ああ、この人だ、この人が自分が巡り会うべき人だったんだ、と、そう思ったんだ。やっと見つけた、やっと巡り会えた、と。
 どうしてそう思ったかは分からないが、それからずっと、毎日、君の事を考えていた。君と、もう一度会いたい、そして、ずっと一緒にいたいと。そして、なぜか、突然、父には家族を幸せに出来なかったが俺には出来るかもしれないと思ったんだ。少なくとも、そうするように努力することは出来るはずだと。
 いくら父と似ていても、俺は俺だ。父とは違う。父と母の問題は父と母の問題であり、俺は俺で、自分の人生を生きられるはずだ。俺にも、人を愛することが出来るはずだ。愛した人を大切にし、幸せにすることが出来るはずだ。少なくとも、そうしようと努力することは出来るはずだ。そして、そうする相手は、君がいい。どうしてだか説明は出来ないが、絶対に、君でなければだめなんだ。
 それが、さっきの質問の答えかもしれない。なぜ君がいいのか、という。
 なぜ君がいいのかは、俺が、君に関してなら、そういう風に思えるからだ。なぜそう思うのか、その理由は分からないから、君のどこがいいのかと言われても答えられなかったんだが。
 大変申し訳ないんだが、もしかすると、これは、君自身の個性や性質とは、あまり関係ないのかもしれない。ひたすら、俺の側の問題だ。俺が、なぜだか、君とならずっと一緒にいたいと思える、君を得るためにならどんな努力をしてもいいと思える、それだけが理由だから。本当に自分勝手で申し訳ない。ただ、とにかく俺は、君がいいんだ。まあ、それはこっちの勝手な思い込みなので、君に押し付けることは出来ないが……。」

 里菜はあっけにとられながら竜の言葉を聞いていた。
 淡々と話しているのに、そのわりに、言っている内容は、なんだかぽかんとするほど熱烈なような気がする……。これが、好きかと問われて『たぶん』と答えた男の言う事だろうか?
 しかも、この人、自分の言ってることがものすごく熱い口説き文句だということに、自分で全然気がついていないっぽい……。気付いていたら、こんな風に照れもせずに言える人ではないだろう。

「……それって、『好き』ってことじゃないんですか?」
 恐る恐る言ってみたら、竜は愕然としたように呟いた。
「そうか、そうなのか……。そういえば、そうなのかもしれない」
 大きな、逞しい竜が、なんだか途方にくれたような顔をするのを見たら、どういうものか、ちょっと勇気が沸いてきて、里菜はくすりと笑って駄目押しした。
「むしろ、一目惚れっていうんじゃないかと」
 竜は目を宙に泳がせた。
「あー。なるほど。……言われて見れば、そうとも言うかもしれない」
「竜さんって、変わってますね」
「ああ、どうも、そうらしい。自分では、どこがどう変わっているのか、良く分からないんだが」
 あまり真面目に答えるので、里菜はまた吹き出した。
 竜は小さく咳払いをして、いきなり話を締めくくった。
「というわけで、長々とすまなかった。こんなことを人に話すのは初めてだ。その……家の事情とか、今まで恋愛をしなかった理由とか」
「ありがとう。いろいろ話してくれて。……でも、やっぱり、今はまだ、返事は出来ません」
「もちろん、今すぐにとは言わない。ただ、考えてくれればいい。君が返事をする気になるまで、いつまででも待っている」
 竜は静かに答えた。真摯な眼差しに、胸が熱くなった。
 心はとっくに、最初から決まっている。初めて会ったときから。
 でも、『はい』と返事をする前に、やっと巡り会えたこの時を、もう少し、大切に過ごしたい。もっと、ゆっくりと、知り合ってゆきたい。ちょっと変わったこの人のことを、少しづつ理解してゆきたい。生真面目で優しいこの人に、少しづつ、恋をしてゆきたい――。
 あせらなくても大丈夫。この人は、きっと、待っていてくれる。
「ありがとう。きっと『はい』って返事をするから、もう少し、待ってて。もっと、何度も会って、いろんな話をして、一緒にどこかに出かけたりして、お互いによく知り合ってからOKって言いたいんです」
「わかった。じゃあ、これから、何度も会おう。いろいろ話そう。一緒にどこかに行こう」
 竜の優しい微笑みに、里菜もぱっと笑顔を咲かせた。
「はい!」
「ところで、そうするにあたって、一つ、お願いをしても良いだろうか」
「え?」
「まず、『竜さん』はやめてくれ。『竜』でいい。あと、丁寧語もやめてくれ」
「……うん、分かった。じゃあ、あたしのことも『山口さん』じゃなくて『里菜』って呼んでね」
「分かった。……リナ……リーナ……」
 竜は、その名前を噛み締めるように復唱した。微妙に母音を伸ばし気味の、クセのある発音が、なぜかやけに甘く懐かしく心に響いた。ただちょっとクセがあるだけだと思うけれど、まるで、ふたりだけの秘密の愛称のような気がして嬉しくなった。
「それじゃあ、とりあえず、ホタルの時期になったら、泊まりにおいで。ちゃんと、つっかい棒を用意しておくから」
 この期に及んでまだ大真面目にそんなことを言うので、ホームセンターでメモとメジャーを手に真剣な顔で角材を選ぶ竜の姿が目に浮かんで、つい、くすっと笑ってしまった。
「つっかい棒は、いらないから」
 言ってしまってから、この言葉がどういう意味に取られる可能性があるか、気が付いて焦った。
 慌てて言い訳する。
「だって、ほら、棒だって安くないし! 私が泊まるときのためだけに、わざわざそんなもの買わなくても! それに、竜さん――じゃない、竜は、あたしが『入らないで』って言えば、つっかい棒なんかなくても部屋に入らないでしょ?」
 竜は、ふっと笑って、小さな子供にするように里菜の頭に大きな掌を載せた。
 その泰然と穏やかな笑顔を見たら、一人でわたわた、あせあせしていたのがバカらしくなる。
「心配はいらない。棒なら、裏山から竹を切ってくるからタダだ」
 里菜は一気に脱力した。
 やっぱり、この人、変わってる――。
 もし今度、ここに泊りに来て、竜から本当につっかい棒を渡されたら、ちょっと変わった御当地流のおもてなしの一種と思って、ありがたく使わせてもらうことにしよう……。

 頭に載せられた竜の手が肩に降りてきて、里菜をそっと引き寄せた。里菜は竜の肩口に頭を凭せかけて、八重桜を見上げた。微かな風に薄紅の花びらが舞って、ふたりの上に降り注ぐ。
 来年も、ここで、こうして、この人と、この桜を見られるといいな――。

 エゴノキ平の晩《おそ》い春、どこかでまた、ウグイスが鳴いた。



―― 『イルファーラン物語』番外編『エゴノキ平の春』・完 ――


(3)へ||episode2.『つぐみヶ丘の冬』へ


『イルファーラン物語』目次ページへ
『里菜と竜兄ちゃん』シリーズ目次へ
トップぺージへ