反論のメールをたくさんいただきました。ありがとうございます。さて、その中で一番多かったのが、私が「自分の都合のいい」データだけを恣意的に選んでいるのではないかという疑問です。また、反論の本はたくさんあるが、本当に読んでいるのか?というものでした。
そこで、反論の本の中から代表的なものを選んで、私の意見を書いてみることにしました。なお、著者の方の個人批判をしているつもりは全くありませんのでご了承ください。あくまで議論を楽しむというスタンスですから(笑)。
また、メール対決についてはここをクリック!
この本はなかなか面白いのでオススメです。血液型のところは、前回の『トンデモ本の世界』と同様、会長の山本弘さん自らが執筆しているので、思わず買ってしまいました。(^^)
しかし、相変わらず血液型と性格の部分は、不正確&不適当な記述も見受けられるようです(残念ながら…)。
以前は書かなかったのですが、前回の『トンデモ本の世界』の世界には、それこそトンデモ(!)の記述があります。例えば、
だいたい、性格が遺伝するかどうかもまだよくわかっていない…特に社会性なんて、環境の影響が大きいんじゃないの?(61ページ)
ところが、放送大学の『人格心理学(’04)』のテキストには(なぜか?)こんな記述があります(なぜか同じ61ページ)。
パーソナリティ特性としてはさまざまなものが提起されているが,最も基本的なものとされるものに,外向性と神経症傾向がある。それらについても、その形成に遺伝が強く絡んでいることが示されている。図4−3[省略]を見ても,宗教性や創造性にはあまり遺伝的影響はみられないのに対して,外向性や神経質では知能や学業成績とともに遺伝による影響が強くみられることがわかる。(安藤,2000)
どちらがトンデモなのかは言うまでもないでしょう…。(^^;;
もっとも、こういう反論があるかもしれません。前回の『トンデモ本の世界』は1995年(平成7年)発行だが、そのときは分からなかった事実を現在の基準でどうこういってもしょうがない。今回の『トンデモ本の世界S』は2004年(平成16年)発行だから、そんな記述はない(自ら修正・削除した?)から別に構わないだろうと…。
しかし、そんなことは言えないのもしれません。なぜなら、今回の『トンデモ本の世界S』では、能見さん自身によって修正・削除される以前の記述を批判しているからです。例えば、『血液型でわかる相性』(昭和46年)では、血液型を遺伝子型で6つに分けています(A型がAO型とAA型、B型がBO型とBB型)。現在は、もちろん皆さんが知っているように4つの表現型(O型、A型、B型、AB型)で分けているのですが…。
さすがにまずかったのだろう。のちの本では、6種類の遺伝型[注:遺伝子型が正しいようです]ではなく、4種類の表現型(A・B・AB・O)による分類が主流となり、AA気質、BB気質というものは無視されてしまう。(『トンデモ本の世界S』 285ページ)
その論理が正しいとするなら、私はこう書きます。
さすがにまずかったのだろう。のちの本では、性格が遺伝するかどうかもまだよくわかっていない、という記述は削除され、無視されてしまう。
まぁ、これだけなら私はどうこういうつもりはありません。しかし、この6種類の遺伝[子]型の問題点は、長々(?)と4ページ近く(全体のほぼ半分)にもわたって書かれているのです! はたして、こんなに長々と書く必要があるのでしょうか?
さらに疑問なのは、『血液型でわかる相性』から修正された部分の明確な説明もなく(?)、能見さんの主張イコール『血液型でわかる相性』である、と言わんばかり調子で血液型批判が展開されていくのです(少なくとも、私はそう感じました)。なんかおかしい、と思うのは私だけではないでしょう、たぶん。
では、肝心の「血液型と性格」の関係を否定する論理はどうなのでしょうか? 282ページには、まるで冗談のような部分があります。
血液型性格判断の間違いについて、ここで長々と解説するスペースはないので、次のようなページを参照していただきたい。
つまり、血液型性格判断の間違いを説明するよりは、『血液型でわかる相性』を批判してた方がいいってことでしょうか? 竹内久美子さんを批判するときには、限られたスペースで理由をきちんと説明していたので、どうも納得できない説明ですね…(詳細は後述)。はて?
283ページには、「ブームの原典とも言える本書の内容を見ると、のちに出る多くの血液型本[当然、能見さんの後の著作も含まれるのでしょう]や、現代日本に広まっている血液型性格判断信仰とは異なる部分が多いことに驚く」とあります。 それなら、この本を批判しても能見さんの主張を批判することになるとは思えないんですが…。残念ながら、山本さんの意図は私にはよくわかりません。(*_*) |
そういえば、直前にはこんな文章もあります(282ページ)。
現代日本に最も深く浸透した疑似科学と言えば、間違いなく血液型性格判断である。
この本をお読みの方の中にも、「血液型でその人の性格が分かる」と思っている方が大勢いると思う。この際、はっきり言っておくが、その説は科学的に否定されている。信頼できる心理学者たちがきちんと学問的手順を踏んで行った研究によって、血液型と性格の間には、関係はないか、あるとしてもきわめて弱い関係でしかないことが立証されているのだ。
この文章もよくわかりません。超能力は、「ないか、あるとしてもきわめて弱い」ことが立証とされているのだ。だから、超能力は「科学的に否定されている」といったらトンデモです(笑)。まあ、普通の人ならともかく、と学会の人がそう言ったら山本会長も笑い出すにちがいありません。
いや、「血液型でその人の性格が分かる」と書いてあるが、「ないか、あるとしてもきわめて弱い」のだから、「その説は科学的に否定されている」と言ってもいいのだ、という反論があるかもしれませんね。では、これならどうでしょうか?(太字は私が変更)
現代日本に最も深く浸透した疑似科学と言えば、間違いなく血液型性格判断である。
この本をお読みの方の中にも、「血液型と性格は関係がある」と思っている方が大勢いると思う。この際、はっきり言っておくが、その説は科学的に否定されている。信頼できる心理学者たちがきちんと学問的手順を踏んで行った研究によって、血液型と性格の間には、関係はないか、あるとしてもきわめて弱い関係でしかないことが立証されているのだ。
ほとんどの人はこの文章はトンデモだと思って吹き出すに違いありません! 「あるとしてもきわめて弱い関係」なら「血液型と性格は関係がある」説が「科学的に否定されている」とは必ずしも言えませんからね…。
では、前回の『トンデモ本の世界』でどうなっているのか調べてみましょう(60ページ 太字は私)。
日本では何人もの心理学者によって、血液型と性格の関係について信頼できる調査が何回も行なわれ、いずれも否定的結果が出ていることを、竹内氏はご存じないのである。いくら血液型と性格の因果関係について大胆な仮説を提出しようと、統計によって明快に否定されている以上、それは机上の空論にすぎないのだ。
読めば分かるように、「血液型と性格の因果関係」と「統計によって明確に否定されている」になっています。「血液型と性格の因果関係」は、場合によっては「血液型と性格の関係」になっていることもあります。ここで、前回の『トンデモ本の世界』山本さんの論理を整理すると、
ということになりますから、「あるとしてもきわめて弱い関係」が立証される可能性があるということは、「統計的に明確に否定されていない」ということですね。つまり、統計的に何らかの差が出ているか、出る可能性があるということです。
ということは、前回の『トンデモ本の世界』の論理はやはり否定されてしまった(トンデモ?)のでしょうか? 大いに気になるところですが、(なぜか?)明確には書いていないようです。はて?
単に私が考えすぎなのでしょうか? 皆さんはどう思いますか? -- H16.8.1
余談ですが、「諸外国には、血液型性格判断を信じている人はほとんどいない」(282ページ)ということは、山本さんにとっては「血液型性格判断を信じている人が多い」韓国・台
湾・中国は諸外国ではないのでしょうか?
確かに日本にとっては身近な国ですけどねぇ。それでも一応は外国だと思うんですが…。
もう一つ。284ページには、
とありますが、この説明は『血液型人間学』の解説ならまだわからなくもないのですが、今回取り上げている『血液型でわかる相性』には不適当です。なぜなら、古川竹二さんの説では、「血液型と相性」の説明なんかないからです(笑)。どこがそっくりなのでしょうか…。はて?
また、原典を読めばわかりますが、古川説と能見説は基本コンセプトの「血液型と性格は関係ある」以外は意外と似ていないのです(詳しくはこちら)。ですから、やはり「戦前に話題になった古川竹二の説にそっくりである」という指摘が正しいとは思えません。山本さんも、いくらスペースの都合だとはいっても、もう少し丁寧に書いてくれればよかったと思うのは私だけでしょうか? |
血液型と性格に関係ある『小さな悪魔の背中の窪み』のところからの引用です。
やはりベストセラーになった『小さな悪魔の背中の窪み』は、さらにすごい。内容のすさまじさ、
奇想天外さ、アホらしさは、『そんなバカな!』をはるかに上回る。
今回の竹内久美子のテーマは、血液型と性格の因果関係の考察である。だが、彼女がこの分野に関して詳しく勉強したとは、とても思えない。たとえば、61ページで竹内氏は、心理学者がこの問題を研究しようとしないのはどういうわけか、と疑問を投げかけるのだ。
(前略) 彼らにとって血液型と性格について論じることはタブーのようなものではあるまいか、血液型と性格との間に何か関係があると思って いるような素振りを見せたなら、 即刻学会から永久追放されかねないのではないかと−−それはたぶん考えすぎというものだろうが−−私には感じられるのである。(後略)
はい、考えすぎです (笑)。
「小さな悪魔〜」の中で竹内氏は、松田薫『「血液型と性格」の社会史』(河出書房新社)から多くを引用しているが、たとえば大村政男(日本大教授)『血液型と性格』(福村出版)を読んだ形跡はない。また、松井豊(聖心女子大助教授)、長谷川芳典(岡山大教授)、原野広太郎(筑波大教授)、坂元章(お茶の水女子大講師)らの調査についても、何ひとつ知らないらしい。
すなわち、日本では何人もの心理学者によって、血液型と性格の関係について信頼できる調査が何回も行なわれ、いずれも否定的結果が出ていることを、竹内氏はご存じないのである。いくら血液型と性格の因果関係について大胆な仮説を提出しようと、統計によって明快に否定されている以上、それは机上の空論にすぎないのだ。
そうした根本的無知やいいかげんなデータをもとに論理を展開するのだから、内容がハチャメチャになるのは当然である。
たとえば第1章・3節「永田町の老人が元気な理由」で、竹内氏はなぜ衆議院議員にO型が多いのかを考察する。1983年のデータでは、衆議院議員437名のうち、O型は36.2パーセントを占める。これは日本人全体の中のO型の占める割合30.7パーセントに比べ、有意に多い。
竹内氏の説明はこうである。O型の人間は病気に強く、ガンにもかかりにくい(これは事実らしい)。したがってO型の政治家は長生きし、何度も再選される。したがってO型の政治家が多くなる……。
ここで聡明な方なら即座に素朴な疑問を抱くはずである。
「衆議院議員にO型が多いのはわかった。じゃあ、参議院議員はどうなんだ?」
そう、竹内氏は書いていないが、実は参議院議員には特に多い血液型は見当たらないのである。また、社会党議員にはAB型が多いとか、知事経験者にはA型が多いとか、人口5万以下の都市の市長にはAB型が多い、という統計も存在する。すなわち、政治家全般にO型が多いというわけではなく、単に「1983年度の衆議院議員」という1カテゴリーの中でO型が多いというにすぎないのだ。これは単なる偶然と解釈すべきであろう。
第2章になると、竹内氏の論理はさらに暴走する。ここで彼女は、血液型と性格の関係について、梅毒が大きな役割をはたしていると主張する。すなわちO型の人間は梅毒にかかっても死ににくい(これは事実らしい)。人と「広く交わる」ことの多い人間は、梅毒に感染しやすい。A型やB型やAB型の人間で「広く交わる」性格の者は、梅毒に感染して淘汰されるが、O型で「広く交わる」性格の者は、感染しても生き残り、子孫を残す。したがってO型の人間は「広く交わる」ことを好む性格である……。
おいおい、ちょっと、「広く交わる」の意味が違うよ!(笑)
だいたい、性格が遺伝するものかどうかもまだよくわかってないというのに、この仮説はあんまりである。特に社交性なんて、環境の影響が大きいんじゃないの?
竹内氏は、結核やコレラ、日本住血吸虫症についても、同様の論理を展開する。日本住血吸虫症は、川や湖で、水浴び、洗濯、漁などをすると感染する。この病気はA型の人は悪化しやすい。水遊びや泥遊びの嫌いな子供、家に閉じこもっているのが好きな子供は、この病気に感染しにくい。したがってA型の人間は、神経質で内向的な性格を身につける……。
この章の最後で、 自らもA型である竹内氏はこう書く。
私が密かに考えるところによれば、A型はそもそも病気全般に対して強くないために、とにかく用心深い性質、即座に行動せずにまずじっ くり考える慎重な態度を(遺伝的にも後天的にも)身につけている。その性格が幸いして(かどうかはわからないが)しばしば集団の指導的 立場に立ったり、社会の上層部に位置することになるのかもしれない。病気には弱くても、一つにはそうした過程を通じ、遺伝子のコピーを残す活路を見出してきたのではないだろうか(結論は出なかったものの、1980年代前半、雑誌『ネイチャー』に、社会の上層部にA型が多いとする論文が掲載され、論議を呼んだことがある)。 (後略)
あれれ、第1章では「政治家にはO型が多い」と書いたんじゃなかったの? この人、自分が前に書いたことを忘れてるんじゃないかしらん。
ちなみにこの『ネイチャー』の論文ってのは、すぐに統計処理の誤りを指摘する反論が出て、著者がそれに再反論できず、沈黙しちゃったってやつでしょ?。そんなの引用してどうすんの、竹内さん。(H10.3.25 update)
この本は非常に面白くてためになるのですが、竹内久美子さんについての記述には単純な間違いが見られます。あれだけ多くの本を紹介しているのだから、少々間違いがあってもしょうがないのでしょうが、ちょっと残念です。
>たとえば大村政男(日本大教授)『血液型と性格』(福村出版)を読んだ形跡はない。
>また、松井豊(聖心女子大助教授)、長谷川芳典(岡山大教授)、原野広太郎(筑波大教授)、
>坂元章(お茶の水女子大講師)らの調査についても、何ひとつ知らないらしい。
私は原野さん以外は少しは読みました。もちろん、『血液型と性格』は持っていますし、全部読みました。また、『現代のエスプリ 〜血液型と性格〜』は持っていますので、代表的な論文は読んだといってもいいと思います。
>すなわち、日本では何人もの心理学者によって、血液型と性格の関係について信頼できる調査
>が何回も行なわれ、いずれも否定的結果が出ていることを、竹内氏はご存じないのである。
>いくら血液型と性格の因果関係について大胆な仮説を提出しようと、統計によって明快に否定さ
>れている以上、それは机上の空論にすぎないのだ。
いずれのデータも、(私が)再分析すると「関係ある」という結果が出ていることはいうまでもありません。それと、残念ながら、この項目を執筆した方は『現代のエスプリ』は読んでいないようですね。この本は平成7年発行ですから、平成6年発行の『現代のエスプリ』を読んでいてもいいはずなのですが。
もちろん、『現代のエスプリ』には、「明らかに否定的な結果が出ている」とは書いていない心理学者も複数います。また、『ネイチャー』の論文やキャッテルの研究などの外国の研究では、肯定的な結果が出ているものもあります。
『ネイチャー』の記事については、『現代のエスプリ〜血液型と性格』での井口さんらの論文があります(『海外における「血液型と性格」の研究 井口拓自、白佐俊憲)。
「血液型と性格」ではないが、「血液型と社会経済的階層」の関係について調べた研究がイギリスの科学雑誌『ネーチャー』に載ったことがある。バードモァとカリーミ・ボシェーリが、ABO式、Rh式血液型と社会経済的階層の関係を調べた結果、Rh式では有意な差はみられなかった が、 ABO式ではA型が有意にクラスT、Uに多く、クラスV、Wに少なく、O型はその逆であることがわかったというのである。
最近、「血液型と性格」に関する記事の中で、なぜか「血液型と社会経済的階層」をテーマとしたこの研究がよく紹介されている。そして、『ネーチャー』誌上でのこの研究をめぐる論争について、統計的処理に大きな誤りがあったという批判がなされたが、当事者はいまだに反論をしておらず、この研究は間違っていたというのが一般的となっている、といった紹介がなされているようである。
けれども、実際、この問題が特集された『ネーチャー』の当該号を調べてみると、批判者の論述とともに当事者の反論も一緒に掲載されていることがわかる。さらに編集者の手によるものと思われるこの特集の前書きの部分でも、まだこの論争に決着はつけられないということが書かれている。この研究自体の是非はともかく、なぜ紹介の際に「反論が掲載された」という単純な事実が見落とされてしまったのだろうか。やはり前述したような先入観が影響しているのではないかと筆者らには思えるのである。(後略)
>すなわち、政治家全般にO型が多いというわけではなく、単に「1983年度の衆議院議員」
>という1カテゴリーの中でO型が多いというにすぎないのだ。これは単なる偶然と解釈すべきであろう。
これについては、『血液型政治学』にデータと詳しい解説が出ています。常識的に考えて、同じ政治家でも、衆議院議員、参議院議員、都道府県知事、市長では違う資質や性格が要求されるでしょう。だから、衆議院議員はO型が多く、人口5万以下の都市の市長にはAB型が多くても何の不思議もありません。つまり、このデータだけでは、血液型と性格に関係があるとは肯定も否定もできないのです。本当はどうなのか?というには、もう少し詳しい分析が必要になるでしょう。これは、『血液型政治学』をよ〜く読んで判断するしかないでしょうね。
>だいたい、性格が遺伝するものかどうかもまだよくわかってないというのに、この仮説はあんまりである。
一部の性格については遺伝するものもあります。これは、すでに証明されています。
>ちなみにこの『ネイチャー』の論文ってのは、すぐに統計処理の誤りを指摘する反論が出て、
>著者がそれに再反論できず、沈黙しちゃったってやつでしょ?。
この記述は明らかに間違っています。結局、『ネイチャー』はどちらとも断定していません。詳しくは、『ネイチャー』の論文のところをどうぞ!
>あれれ、第1章では「政治家にはO型が多い」と書いたんじゃなかったの?
>この人、自分が前に書いたことを忘れてるんじゃないかしらん。
ここは、政治家(社会の上層部)にO型が多いから、『ネイチャー』の社会の上層部にA型が多いという竹内さんの記述が矛盾するという意味だと思います。しかし、日本の社会の上層部を構成する人の中では、政治家はごく一部分でしょう(政治家は人数が少ないので)。竹内さんの記述は別に矛盾してはいません。ただ、日本では社会の上層部にA型が多いのかはデータがないのでなんとも言えませんが…。
なんか、細かいところの揚げ足取りが多いようですが、ま、それは作者の性格ですので大目に見てもらうことにして…(笑)。
(H10.3.25 update)
血液型と疾病との関連を調べようとする多くの研究がある。血液型は、体質型であり、人間型であるとされている。そこで、疾病羅病率を調べ、その謎を解こうというのである。この分野は、いわば骨董市のようなもので、雑多な研究が山をなしている。そのなかに意外な掘出し物があるかもしれない、というような程度である。最近、この分野で新しい研究が発表されている。『クォーク』の1989年3月号に掲載されている「ABOの性格診断だけでない! 血液型で隠れた病気がわかる」というサイエンス・レポートがそれである。血液型と性格との関連を求めようとする研究よりも、ずっと科学的で、 しかも現実的である。そのレポートのなかから興味深い記述をピックアップしてみよう。
(1)川崎医科大学の角南重夫の意見:彼は、年度別・性別の自殺と血液型との関連を統計的に調べている。年度によって、また、性によって異なるようであるが、角南は、「今の研究者、特に臨床の研究者の間では、血液型と体質や性格とは相関関係がないという考え方が支配的であるが、まったくないとはいえないようである」とまとめている。
(2)九州芸術工科大学の佐藤方彦の意見:O型の人は他の血液型の人と比べて十二指腸潰瘍になりやすい(2.3倍)。
(3)九州大学生体防御医学研究所の笹月健彦の意見:彼は『白血球の型HLAの研究で世界的権威といわれる人である。笹月は次のように述べている。
「例えば、強直性脊椎炎という病気では、HLA−B27という型の人は、そうでない人よりも305.7倍もかかりやすい。日本人では、この型のHLA型の持ち主は1%にもならないが、強直性脊椎炎の患者の90%がこの型である」。
このような血液化学の発達は、やがて人間の体質の謎を解くことになるかもしれないが、角南がいうように「もちろん、これは統計的な結論でしかないので、因果関係があるのか、あったとしてもどんな関係なのかは今後の研究次第である」ということになる。統計的な結論づけが、証明の決定打にならないことは確かで、素人はそれで鬼の首を取ったと思ってしまう。この「血液型と性格」でもその点について警告している。推計学は偉大な助っ人であるが、つまるところ他人なのである。
(H10.3.25 update)
この記述は明らかに間違っています(『遺伝子は35億年の夢を見る』〜バクテリアからヒトの進化まで〜 斉藤成也 98〜101ページ)。
ABO式血液型の遺伝子は、 通常の遺伝子がしたがっている進化パターンにはあてはまらないようである。第一に、糖転移酵素の働きがなくなっているのにもかかわらず、O対立遺伝子の頻度がかなり高い。重要な物質交代を担っている酵素遺伝子の場合、酵素の働きがなくなってしまう突然変異が生じると、普通はその個体の生存にきわめて不利なので、子孫を残しにくくなるはずである。したがって、 ABO式血液型に関与する糖転移酵素は、人間がとりあえず生きてゆくのには絶対必要であるわけではない。ところが、 私たちの推定によると、ABO式血液型の遺伝子は脊椎動物が出現した三億年以上前頃から延々と偽遺伝子にもならずに生き残ってきたのである。このことから、弱いながらもこの遺伝子にはなんらかの存在意義があると思われる。このように、絶対に必要というわけではないが、あったら少しは役に立つという遺伝子が、ヒトゲノム中にはたくさんあると私は考えている。
また、A型とB型の対立遺伝子の共存が霊長類のあちこちの種でみられることも不思議である。この遺伝子がなぜこのような変異パターンを示すのか、まだよくわかっていないが、バクテリアやウイルスなどの感染を防ぐのに、ある程度の効果があるのではないかと考えられている。実際、胃潰傷や胃癌の原因のひとつであるヘリコバクター・ピロリというバクテリアは、胃壁にもぐりこむ際に、ABO式血液型物質の前駆体であるH型物質を足場にしている。するとH型物質しか持っていないO型の人間は、胃潰蕩などになりやすいため、多少は生存に不利となるだろう。しかし、まだまだこれらは仮説にすぎない。わからないことが多すぎるのである。私の研究室では、ABO式血液型のこの不思議な進化パターンを解明するため、山本文一郎氏らと共同でさらに研究を進めている。
つまり、O型が胃潰瘍になりやすいことは科学的に証明されています。だから、統計的に差があれば、何らかの因果関係があると考えても別に問題はありません。もっとも、完全に証明されるまでは慎重になる必要はあるでしょうが…。
ここから言えるのは、「統計的な結論づけが、証明の決定打にならないことは確か」ですが、「因果関係がある」のかどうかは、現在はわからなくとも、後日証明されることがあるということですね。だから、血液型と性格の統計的な関係があれば、「因果関係がある」ことが将来証明される可能性はあるわけです。少なくとも、その可能性はゼロではないということですね。あ〜、よかった(笑)。
また、この『血液型と性格』は、詳しく統計データをあげて血液型と性格の関係を否定しています。その分析の正確さとデータ量、歴史的な経緯の著述、参考文献の豊富さはすばらしいと言えるでしょう。
大村さんは心理学と統計学のプロですから、「血液型と性格が関係ある」というデータを取り上げてすべて否定しています。しかし、素朴な疑問として、血液型と性格が関係ないなら、これほどまでに「血液型と性格が関係ある」というデータがあるはずがないのです。この本にはそういうデータがゴロゴロしています。残念ながら、私のこの素朴な疑問には著者は答えていません。「血液型と性格が関係ない」というデータがどの程度の量あるのか知りませんが、素人の素朴な感想としては、これだけ有意差が出ているデータがあれば、常識的に考えて「血液型と性格は関係ある」と判断する方が自然なのでは?と思うのですが。皆さんはどう思われますか?
(H10.3.25 update)
心理学者の佐藤達哉さんと渡辺芳之さんの共著『オール・ザット・血液型』(187〜188ページ)のでは、「ほんとは血液型と性格は関係ない」として、次のような記述があります。この本は、血液型グッズや本など、資料が豊富で読んでいて面白いですね。
ほんとは血液型と性格は関係ない
血液型と性格に関係がないと考えてる、といっても、昔の人たちみたいに最初から「非科学的だー」 なんて頭ごなしに否定するだけじゃ科学じゃない。心理学は科学なんだから、関係がないっていう証拠を集めなきゃ。まず、血液型とは別に性格をとらえる方法を何か使って、その結果と血液型とに関係があるか調べてみた。
性格をとらえる、といったら性格テストだ。心理学者が作ってる性格テストは、いちおう正確に性格を測れるというお墨つきがついている。もし血液型と正確に関係があるなら、血液型によって性格テストの結果が違うはず。
これが、ぜんぜん違わない。何人もの学者が何十種類もの性格テストを使って調べたけれど、血液型によって差が出たという結果はほとんどない。たしかに血液型で差が出た場合もごくすこしはあるけど、それは血液型性格判断の説と矛盾してたり(O型が神経質でB型が臆病とか……)、テストによって一貫してなかったり(あるテストではA型は神経質と出たけど、あるテストではA型はおおらかと出たとか……)で、ぜんぜんあてにならない。
性格テストだけでなく、性格の自己評価とか、他人からどう見えるかとか、性格のいろんな基準と血液型との関係を調べてみても、 いまのところ意味のあるような関係は発見されてない。
なるほど、これは困ったなぁと思っていたところ、『現代のエスプリ〜血液型と性格』には佐藤さんの別な記述がありました(154ページ 『ブラッドタイプ・ハラスメント〜あるいはABの悲劇』 佐藤達哉)。
血液型と性格には関係があるかもしれないし、ないかもしれない。しかしそのことについてはあえて問うまい。それよりも、今の日本で通説となっている内容が、ある一部の人たちに苦痛を味わわせていることこそが問題なのである。しかも、それに気づいている人は少ない。
1990年代の日本においては、血液型によって人間を語ろうとする行為自体が、ある人たちにとっては精神的な苦痛の原因なのである。そのことに気づかなければいけない。本論文の内容や造語によってかえって現象の認知度を高めてしまい、新たな社会的現実を作り出してしまう恐れもあったが、人知れず自分の血液型を悩んでいる人たちの力になりたいという気持ちが勝った。
前者は平成8年、後者は平成6年の本ですから、2年間で考えが変わったのでしょうか? はて?
ところで、同じ『現代のエスプリ〜血液型と性格』には渡辺さんも執筆しています(188〜189ページ 『性格心理学は血液型性格関連説を否定できるか〜性格心理学から見た血液型と性格の関係への疑義』 渡辺芳之)。
性格検査と血液型との関係
これまで何人かの心理学者が、 血液型と性格との関連を実証的方法で反証し、血液型性格関連説を否定しようとしてきた。ここで注目されるのは、彼らが血液型性格関連説を「科学的方法によって反証可能な理論」、すなわち科学的理論とみなしていることである。この点でそれを「非科学的な迷信」とみなして無視した従来の心理学者とは異なる。
しかし、論文を一読すればわかるように、彼らの多くは「血液型性格関連説は間違っている」というアプリオリな立場を持っており、それを実証するために研究を行なっていることもまた確かである。
心理学者が血液型性格関連説に対して行う反証は二つのタイプに分かれる。一つは「性格検査」など「性格」を測定しているとされる外的基準と血液型との間に関連がないことをデータで示して、血液型と性格には関係がないと結論するものである。たとえば長谷川は、YG性格検査の類型分布が血液型によって変化しないことを示しているし、その他にもEPPS、SPIなどどの関係を調べた多くの研究が、それらの検査結果と血液型とに関係がないことを示して、血液型と性格との関係を否定している。性格検査の妥当性を前提とする限り、こうした論理は正当なものに思える。
しかし、多くの性格検査はそれぞれ人の性格のごく一部を測っているにすぎず、ある検査と血液型とに関係がなくても、他の検査とは関係しているかもしれない。実際、性格検査の得点と血液型との関連が、ごくわずかとはいえ統計的に有意なかたちで見出されたという報告もある。
また、すべての性格検査について検討して血液型と関係するものがひとつもなかったとしても、人の性格というのは非常に複雑なものであるから、これまでどの検査でも測られていない非常に重要な要素が存在して、 それが血液型と関連している可能性が残る。
なんか、私の意見とほとんど変わりませんね(笑)。しかし、『現代のエスプリ〜血液型と性格』の中で、長谷川さんは全く逆の意見を述べています(128ページ 『目分量統計の心理と血液型人間「学」』 長谷川芳典)。「血液型と性格は関係がない」ことを証明するには、1つだけの反例があればいいというものです。
ここで強調しておくが、 血液型人間「学」がある種の普遍性を主張する「理論」であるのに対して、「血液型と性格は関係がない」というのは理論ではない。研究の出発点となる作業仮説にすぎないのである。 理論は一つの反例によって崩すことができるが、作業仮説に反例を示したってしょうがない。
「血液型と性格は関係がない」という作業仮説のもとに地道にデータを集め、ある性格的特徴について明らかに血液型との関係を示すようなデータが安定的に得られた時に初めてこの仮説を棄却するのである。これこそが、雑多な変動現象の中から帰納的に規則性を見い出そうとするときにとるべき科学的態度である。
また、坂元さんは『現代のエスプリ〜血液型と性格』で次のように主張しています(184〜185ページ 『血液型ステレオタイプと認知の歪み〜これまでの社会心理学的研究の概観』 坂元章)。
4 結論
これまでに、多くの研究が、 血液型ステレオタイプによる認知の歪みを検討し、それを支持する証拠を得たとくり返し主張してきたが、そのすべてが方法あるいは結果に問題を抱えており、いまだに、認知の歪みに関する明確な証拠は提出されていないと言えよう。
さらに言えば、これらの研究はいずれも、認知の歪みがあるかどうかを扱ったものであり、坂元の研究などを除けば、その認知の歪みが「血液型性格学」に対する信念を形成していくという問題については、 ほとんど検討していない。
例えば、大村は、FBI効果を提出しているが、FBI効果によって信念が形成されるまでの過程に、人々が、FBI効果によって、血液型ステレオタイプが自己・他者にあてはまるという経験をくり返し、そのくり返しによって「血液型性格学」に対する信念を形成あるいは持続させているのか−は検討されていない。その信念の形成・維持までの過程がはっきり立証されてはじめて、「血液型性格学」の浸透の原因の一つが、人々が持っている「歪んだ認知をする傾向」であると言えるのである。
筆者は、これらのことから血液型ステレオタイプによる認知の歪みの問題は、かなり以前から指摘され検討されているものであるが、現在でもなおその知見はあいまいであり、今後も大いに検討する意義のある問題であると考えている。
5 最後に
本稿は、議論の対象を血液型ステレオタイプによる認知の歪みの問題に絞っているために、他の分野の問題に触れることができなかったが、筆者は、「血液型性格学」に関するアカデミックな研究は、認知の歪みの分野だけでなく、全体として、いまだに未成熟な部分があるとしばしば感じている。これには、二つの理由があるのではないか。
第一に、「血液型性格学」の研究者はこれまで、審査の厳しい学会誌に論文をあまり投稿してこなかった。それにはさまざまな理由があったかもしれない。だがいずれにしても、厳しい審査を経ていないために、多くの論文がやや問題を残したままになっている。
第二に、「血液型性格学」のアカデミックな研究者は、それぞれの研究を十分に吟味し、批判し合う姿勢をあまり持ってこなかった。例えば、本稿では、認知の歪みの研究の問題を指摘してきたが、これまでに、これらの研究の展望を含む論文はしばしばあったにもかかわらず、これらの研究を列挙するにとどまり、本稿のように、その問題を指摘したものはなかったであろう。
互いの研究をよく吟味し、その不備を探し、それを踏まえたうえで慎重な議論を重ねていく姿勢は重要である。「アカデミック」とは、そういうことではないかと筆者は考えている。現在の「血液型性格学」研究は、「アカデミック」な立場から、「ポップ」な立場を批判するものとなっているが、筆者は、その「アカデミック」の足場をまず固める必要性を感じているのである。これは最近、自分自身が自戒していることでもある(筆者自身も、かつては、本稿で取り上げた筆者の研究の結果によって、認知の歪みの証拠が得られたと言ってよいと思っていたのである)。
どうやら、全部の心理学者が血液型と性格の関係を明確に否定しているわけではないようですね。また、否定の論理もいろいろあるようです。
(H10.3.25 update)
同じ人が違う主張をするのはおかしいので、どう解釈すればいいのか散々悩みました。でも、よ〜く考えてみると、『オール・ザット・血液型』は平成8年、『現代のエスプリ〜血液型と性格』は平成6年の本ですから、2年間で性格テストの精度が格段に向上した?のでしょうね、きっと(もっとも、そんな話は聞いたことがありませんが、私が知らないだけ?)。これしか合理的な説明はできないと思うのですが…。
なお、誤解のないように書いておきます。『オール・ザット・血液型』は否定的な本、『現代のエスプリ〜血液型と性格』の論文のほとんどは否定的な内容です。積極的に血液型と性格の関係を肯定しているものは1つもありませんので…(苦笑)。
(H10.3.25 update)
その他に面白いと思われる部分を引用しておきましょう。海外の研究については、井口さんらの論文があります(『海外における「血液型と性格」の研究 井口拓自、白佐俊憲)。
あまり知られていない海外の「血液型と性格」の研究
血液型性格判断をめぐる論議の中で、海外では血液型と性格について、ほとんど研究もされていなければ話題にもなっていない、ということがこれまでたびたび書かれてきた。
そして、それは「だからやっぱり血液型と性格など関係はないのだ」という主張を補強する材料となってきたように思われる。「海外でやっていないからまやかしだ」あるいは「海外でやっているから正当だ」といった主張は単なる舶来崇拝主義のようで、あまり説得力のある議論とは思えない。しかし、 その前にまずは事実の確認をしてみることも大切なことだろう。(後略)
公平な立場からの再検討を
最近になるまで海外での血液型と性格に関する研究がほとんど紹介されなかったことの根底には、「血液型と性格など関係あるはずがない」という先入観があったのではないかと筆者らは考えている。 そうした先入観が、改めて調査をしないで「これは日本だけの現象だ」と断定してしまうような傾向を生み出したのではないか。
「血液型と性格」ではないが、「血液型と社会経済的階層」の関係について調べた研究がイギリスの科学雑誌『ネーチャー』に載ったことがある。バードモァとカリーミ・ボシェーリが、ABO式、Rh式血液型と社会経済的階層の関係を調べた結果、Rh式では有意な差はみられなかった が、 ABO式ではA型が有意にクラスT、Uに多く、クラスV、Wに少なく、O型はその逆であることがわかったというのである。
最近、「血液型と性格」に関する記事の中で、なぜか「血液型と社会経済的階層」をテーマとしたこの研究がよく紹介されている。そして、『ネーチャー』誌上でのこの研究をめぐる論争について、統計的処理に大きな誤りがあったという批判がなされたが、当事者はいまだに反論をしておらず、この研究は間違っていたというのが一般的となっている、といった紹介がなされているようである。
けれども、実際、この問題が特集された『ネーチャー』の当該号を調べてみると、批判者の論述とともに当事者の反論も一緒に掲載されていることがわかる。さらに編集者の手によるものと思われるこの特集の前書きの部分でも、まだこの論争に決着はつけられないということが書かれている。この研究自体の是非はともかく、なぜ紹介の際に「反論が掲載された」という単純な事実が見落とされてしまったのだろうか。やはり前述したような先入観が影響しているのではないかと筆者らには思えるのである。(後略)
すでに引用した渡辺さんも面白いことを書いています(『性格心理学は血液型性格関連説を否定できるか〜性格心理学から見た血液型と性格の関係への疑義』 渡辺芳之)。
血液型性格関連説の問題が心理学者によってまじめに取り上げられるようになったのは、戦前の一時期を除いてはごく最近のことである。それまで多くの研究者は、それを「非科学的な迷信」であり、研究に取り上げるにはふさわしくない問題と考えてきた。そうした傾向は現在でも根強いものだが、それでも多くの心理学者によってこの問題が研究され、研究成果が発表されてきた。研究の多くは血液型と性格との関係を否定する立場にたつものであり、それを信じることが不合理であることを強く主張している。こうした研究成果は最近ではマスコミなどでも取り上げられ、徐々に大衆の目に届くようになっているが、血液型性格関連説を信じる人を減らすに至ってはおらず、現在のところ心理学者による血液型批判はどうやら人々の信念を変えるほどの力はもたないようである。
もちろん、心理学者による批判がメディアに登場する割合は相対的に少ない上に、血液型性格関連説の実生活に密着したおもしるおかしい説明に比べて、学問的な批判がやや難解でインパクトに欠けることがその大きな原因であることは確かである。しかし、心理学者の反論の方法や論理に大衆の支持を受けにくい問題点があることもまた確かである。
大村の血液型批判
血液型と性格との関係を否定するもう一つの論理は、血液型論者が関係の証拠としてあげているデータや、その解釈法の矛盾を指摘したり、血液型性格判断が当っているという認識の多くが錯覚であることを論証して、血液型と性格との関係を否定しようとするものである。大村政男の一連の研究がその代表的なものといえる。大村はまず、古川竹二にはじまる血液型性格関連説がその根拠として示してきたデータを再検討して、血液型によって性格に違いがあるように見えるデータの多くが統計的には差がなかったり、データの収集法や解釈に問題があることを明らかにした。
また、血液型性格関連説のもうひとつの根拠である「血液型性格判断が当るように思える」「周囲の人の行動が血液型によって違うように見える」という日常的な実感が多くの場合錯覚に基づくものであることを、「FBI効果」という優れた概念を用いて論証している。つまり、血液型性格関連説が当っているように見えるのは、その性格記述が誰にでも当てはまるようなものであること(Freesize効果)、血液型を知っているとその血液型に合った性格特徴だけが目立ってみえること(Labeling効果)、自分の血液型の特徴とされるものに自分の行動を合わせてしまうこと(Imprinting効果)の三つの効果によるというのである。
大村の論理は説得力があるが、ある面で両刃の剣でもある。自分たち心理学者が製作し、正当であるとしている「性格検査」による性格判断も、血液型性格関連説と同じ土俵で批判されてしまうのである。たとえば、作られてからかなりの年月が経つが現在もよく使われている性格検査の中には、現在の統計的基準から見るとその一安当性の根拠となるデータやその解釈がかなり怪しいものはいくつもある。古川竹二のデータ解釈が誤っているのはあくまでも現在の目から見てであり、同程度に誤ったデータ解釈は過去の「科学的」心理学にもよく見られる。また、「心理学的性格検査による性格判断が当る」という経験的事実が「FBI効果」による錯覚でないと言い切ることもできないだろう。
たとえばYG性格検査の類型ごとに性格特徴を記述している文章などはかなり「フリーサイズ」なものであり、大村と同じ手続きで類型とその説明文をデタラメに入れ替えて被験者に示しても、多くの場合自分に当てはまっていると思うのではないか。
また、検査結果が他者の性格についての判断をバイアスしたり、自分自身の行動を検査に合わせて変容したりすることも十分に考えられる。これでは「心理学も血液型もうさんくさい」ということになるだけで、心理学者からの批判が大衆にあまり強い印象を与えないのは当然である。
(中略)
この相性についての心理学的研究はまだ始まったばかりであり、相性を診断できる検査はないし、性格検査の結果から相性を診断する方法もまだない。したがって「血液型で相性がわかる」という血液型性格関連説の「セールスポイント」を性格検査との関係から否定することができないのである。(H10.3.29 update)
この『「血液型性格判断」の虚実』の中で、著者の草野直樹さんは能見さんのデータについて追試をして反論しています。実は、私が知る限り、能見さんのデータの追試は草野さんしかしていません。
反対論者である心理学者は(草野さんを除いて)能見さんのデータにただの1つも追試をしていないのです!
最初は信じられませんでした。「まさか」と思って詳しく調べたのですが、いくら調べても追試のデータは1つも出てきません。
一般的に、何かに反論するのは必ず追試をやるのが常識です。しかし、ただの1つも行われていないというのは非常におかしいのです。これから考えると、能見さんのデータを追試するのは反対論者の心理学者にとっては「タブー」のようです。この点、草野さんは(心理学者ではないのでしょうか?)ちゃんとデータを取って反論しています。その努力には本当に頭が下がります(ウソでなく)。しかし、いくらデータを取っても、能見さんのすべてのデータに反論するのは難しいはずです。
草野さんの反論のデータは次のようなものです。データを見るとわかりますが、血液型による差はほとんどありません。
その他にも、データの取り方や、生理学的にはどうなのかというなど、いろいろと問題点をあげていますが、これは他の反対論者の本にも書いてありますので省略します。
しかし、能見さんが集めたデータはとっても膨大なものです。草野さんのデータは反論のデータとしては大変貴重ですが、残念ながら量は能見さんよりはず〜っと少ないのです。ですから、草野さんのデータだけで「血液型と性格は関係ない」というのにはちょっと無理があります。たとえば、最新刊の『【血液型】おもしろ読本』(H10.2
青春文庫)には次のようなデータがあります。
●横綱・大関力士の血液型(○は横綱)…H10.2現在
O型 | A型 | B型 | AB型 |
○千代の山 ○鏡里 ○北の富士 ○隆の里 ○曙 ○貴乃花(二代目) 三根山 松登 豊山(先代) 清国 大受 増位山(二代目) 北天佑 貴ノ浪 |
○常ノ花 ○玉錦 ○双葉山 ○照国 ○栃錦 ○朝潮(先代) ○栃ノ海 ○佐田の山 ○輪島 ○若乃花(二代目) ○三重ノ海 ○千代の富士 ○双羽黒 ○北勝海 ○大乃国 名寄岩 佐賀ノ花 増位山(先代) 汐ノ海 大内山 栃光(先代) 北葉山 大麒麟 前の山 魁傑 琴風 若嶋津 霧島 武蔵丸 |
○前田山 ○羽黒山 ○若乃花(先代) ○拍戸 ○大鵬 ○琴桜 ○旭富士 清水川 貴ノ花(先代) 旭国 朝潮(二代目) 若乃花(三代目) |
○玉の海 ○北の湖 五ツ嶋 琴ヶ濱 小錦
不明 |
●プロ野球首位打者の血液型…H10.2現在
O型 | A型 | B型 | AB型 |
中島 治康2 大下 弘3 青田 昇1 藤村富美男1 与那嶺 要3 豊田 泰光1 榎本 喜八1 張本 勲7 中 暁生1 王 貞治5 白 仁天1 水谷 実雄1 落合 博満5 藤田 平1 真弓 明信1 平井 光親1 鈴木 尚典1 |
川上 哲治5 小鶴 誠1 西沢 道夫1 山内 和弘1 杉山 光平1 江藤 慎一3 広瀬 叔功1 永淵 洋三1 加藤 秀司2 吉岡 悟1 有藤 道世1 佐々木恭介1 長崎 啓二1 篠塚 利夫2 正田 耕三2 辻 発彦1 |
松木謙治郎1 鬼頭 数雄1 岡本伊三美1 中西 太2 田宮謙次郎1 長嶋 茂雄6 森永 勝也1 野村 克也1 若松 勉2 山本 浩二2 谷沢 健一2 古田 敦也1 高沢 秀昭1 イチロー4 |
バース2 不明者 |
●プロ野球ホームラン王の血液型…H10.2現在
O型(44) | A型(12) | B型(32) | AB型(5) |
中島 治康2 大下 弘3 青田 昇5 藤村富美男3 別当 薫1 杉山 悟1 王 貞治11 大杉 勝男2 土井 正博1 落合 博満5 大島 康徳1 秋山 幸二1 大豊 泰昭1 デストラーデ3 |
川上 哲治2 小鶴 誠1 佐藤 孝夫1 山内 和弘2 田淵 幸一1 宇野 勝1 江藤 智2 山崎 武司1 ホージー 1 |
松木謙治郎1 中西 太5 野村 克也9 長嶋 茂雄2 森 徹1 中田 昌宏1 長池 徳二3 山本 浩二4 掛布 雅之3 門田 博光3 |
鶴岡 一人1 町田 行彦1 ノ ー ス2 小久保裕紀1 不明者 |
●歴代リーグ優勝監督の血液型…H10.2現在
監督名 | チーム | 回数 |
AB鶴岡 一人 A 川上哲治 O 水原 茂 O 藤本定義 O 西本幸雄 O 森 祇晶 A 三原 修 O 上田 利治 B 野村克也 A 広岡 達朗 B 藤田 元司 O 古葉竹識 B 長嶋茂雄 A 石本秀一 ? 若林忠志 A 仰木 彬 O 中島治康 B 小西 得郎 AB天地俊一 B 中西 太 A 浪人 渉 0 与那嶺要 B 金田正一 A 近藤貞雄 O 東尾 修 |
南 海 巨 人 巨人ほか 巨人ほか 近鉄ほか 西 武 巨人ほか 阪 急 ヤクルト 西武ほか 巨 人 広 島 巨 人 阪 神 阪 神 オリックス 巨 人 松 竹 中 日 西 鉄 ロ ッ テ 中 日 ロ ッ テ 中 日 西 武 |
11 11 9 9 8 8 6 5 5 4 4 3 3 2 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 |
●チーム監督血液型分布率…H10.2現在
血液型 | 調査数 | 分布率 |
O型 | 20人 | 31.7% |
A型 | 18人 | 28.6% |
B型 | 19人 | 30.2% |
AB型 | 6人 | 9.5% |
また、草野さんも血液型別のアンケートの追試はしていません。つまり、能見さんのアンケートの追試は、私の知る限り1つもないのです。私はこれで非常に助かったと思っているのですが…(笑)。
その他にも興味深い記述がありますので、興味のある方は直接この『「血液型性格判断」の虚実』を読んでみてください。
(H10.3.31update)
本当は『科学朝日』のオリジナルの記事も掲載したかったのですが、残念ながら手に入りませんでした。しょうがないので、能見さんの反論だけでガマンしてください。
問 『科学朝日』に『血液型人間学』に対する反論が出ていたが、どう思うか?
答 同誌、昭和48年12月号の「血液型で人間が判別できるか」と題する記事で、同誌の佐々木敏裕記者の署名原稿。同誌は私も時々愛読するので少々意外だったが、これは議論以前の初歩的な誤り、中傷、捏造に満ちたものである。興味本位の大衆誌なら私も黙殺するが、科学誌というだけに、立場上訂正しておく。
同記事が力点とするのは、拙著『血液型人間学』中の資料について、統計学的計算により有意性を検定し、それを否定しようとするのだが、その計算がまず、計算違いをしているのだから話にならない。記事は、私が「碁打ちはAB型が多い」と言っているとして、その否定にかかる。断っておくが、拙著のどこにも、そんなことは言っていない。言わないことを反論されるのも迷惑千万だが、とにかく同記者は、拙著中の碁打ちのリスト21人中、AB型の5人についてカイ自乗検定をする。ところ記事中では5人と書いているのに、どう写しそこねたのか、計算では4人として計算し、5%の“危険率”ではおさまらぬから、これは有意性なし、数字のマジックだと決めつける。正しく5人で計算すれば、5%どころか、危険率2%(パーセントが小さいほど有意性が高い)で有意性ありという結果が出てしまう。全くお粗末というよりほかはない話である。
こんな結果が出たからといって、私は「碁打ちにAB型が多い!」などと騒ぎはしない。人間はそれほど単純ではない。拙著では人数も「まだ不十分で中間報告の段階」と断りながら、プロ棋士で碁と将棋が対照的な血液型分布を示すことに注意を促しているのだ。その全体についてカイ自乗検定を試みれば、さらに高い有意性が出る。だからといって結論を下すには、まだまだ資料は不足である。私も有意性の検定は参考とするが、人間の心と行動の分野では、数字の適用には他の多くの条件も慎重に考慮する必要がある。
記事の中の私とのインタビュー部分は、私のセリフの下品さには目をつぶるとしても、内容的に全くデッチあげである。たとえば、いきなり私が、佐々木記者と相性のいい女性は何型かと述べているが、冗談ではない。「相性によしあしはない」と常に力説し、前著161頁にも明記している私が、そんな相性占い的な言い方をするわけがない。同記者が「手相や姓名判断にくらべて当りますか」と聞き、私が「これは、れっきとした科学だよ」と答えている部分も寒気がする。私は作家だから言葉に神経質だ。「れっきとした」という安っぽい形容詞は、かつて使ったことはなく、ましてそれを“科学”の語に軽薄に付すわけがない。
その他の部分も、私が言ってもいないことを否定し、すでに答えている問題を、その答えに触れずに攻撃し、少くとも拙著を読んでいる形跡はなく、反論としては全く受けとれない。
人間について新しい知識が提示されると、真否を確めもせずに感情や偏見で反対したがる傾向は、科学史の上でも数多い。人間の心理的弱点の一つだが、それにしても、この雑誌の記事の粗末さは、反論以前であり、その一行にも私は責任を負えないことを、お伝えしておく。『血液型愛情学』275〜276ページから
(H10.3.25 update)
確かにこんな反論をされたら否定論者は困るでしょう。そのせいかどうか、能見さんが死去するまで、否定論者(≒日本の心理学者)からの本格的な反論はありません。:-p
興味を持った人は、オリジナルの『科学朝日』の記事もぜひ読んでみてください。私も読みましたが、随分昔のことになってしまいました…。文章的なところはともかくとして、この記事のデータで5人を4人と間違っているところは私も確認ずみです。本当はどちらが正しいのでしょうか? 判断するのは、あなたです!
(H10.3.25 update)
これもよく引用される「AB型だけの開発チーム」です。本当はどうなのでしょうか? まず、オリジナルの『朝日新聞』平成2年11月21日号の記事からです。
見出し:AB型社員でチーム 三菱電機 ヒット商品開発目指す
中見出し:特質よく現れた5人で/有望アイデア続々とか
三菱電機は、血液型がAB型の社員だけを集め、ファクシミリの商品開発を練るプロジェクトチームを作った。「アイデア、企画力に優れたAB型の特質」(発案者の伊藤円冗・通信機器事業部長)を利用して、ヒット商品に結びつけようという狙い。成果が上がれば、社外モニターの中からAB型の人だけを選んで拡大プロジェクトチームを組むことも考えている。社員管理の一環として血液型の性格分析を参考にしている企業もあるものの、ここまで徹底した例は珍しい。
チームは、部長級から係長級まで「AB型の中でもその特性を如実に体現している」5人で構成。チームは斬新(ざんしん)なアイデアが出てくるようにという期待を込め、「奇想天外プロジェクト」の頭文字を取ってKTPと名付けた。
チームの活動は10月中旬の北海道帯広市で開いた合宿で始まった。AB型だけを集めるということは事前に知らされず、全員集合して苦笑い。合宿前に1人最低10提案というノルマが課せられた、期待にこたえ5人で180余りを持ち寄った。この中には引き出しの中に入るタイプ、受信専用の額縁型、携帯電話と合わせた複合機、など奇抜だが有望なアイデアがあったという。
「実行力のO型」を自任し、旗振り役を務めている伊藤事業部長は、課長に昇格した20年ほど前から血液型に注目、「芸術家肌のB型には常に重過ぎるほどの仕事を与える」など、独自の人事管理術を考え、部下を操縦している。「当社は昭和50年代には2色ファックスなど業界をリードする商品を出し続けてきたが、最近はインパクトのある製品が少ない。血液型の特性を生かせば、必ず目を見張るような新商品が出てくる」と自身たっぷりだ。
× × ×
能見俊賢・血液型人間学研究所長の話 レベルの差はあるものの、実際にはいろいろな企業で、血液型の性格分析を参考にしているはずだ。しかし血液型だけで人事を決めるといった誤解を恐れて、なかなか表には出さない。その点、今回のケースは貴重なデータだ。ただ、私のこれまでの研究では単一の血液型を集めると、あまり良い結果は出ていないようだ。
次に、この記事に批判的な、『オール・ザット・血液型』からです(134〜136ページ、なお135ページにはこの記事が掲載されています)。
血液型マネージメント
採用だけじゃなくて、就職してからの人事管理にも、血液型の影響が出ている。「適材適所」の参考に血液型を使おうというわけだ。
さる大企業が「独創性があるのはAB型」ということで、AB型だけの企画チームを作った、という話は新聞(左頁)にも取り上げられた。
この企画グループが本当に独創的なアイデアを連発した、というのなら話はおもしろいんだけど、その後の話は伝わってないし、むしろ新聞にとりあげられて話題になりすぎたせいか、しばらくあとには解散になっちゃったらしい。
おなじような考え方から、「営業に向くのはO型」とか「A型は細かいから経理に向く」とか考えて、実際に配属や人事異動の参考にしている会社がけっこあるようだ。
ましてや経営者の個人的好みの影響力が大きい中小企業や個人商店などで、社長が血液型マニアだったらかなり激しいことになってるだろう。バイトの面接で血液型を聞いて、「ほほう、じゃあ性格は明るくておおらかなほうだね」なんてやってるのはそういう人。
しかし、これもよく考えるとまずいよね、O型で営業に向いてない人やA型で経理に向いてない人だって必ずいるだろうし、逆にA型で営業のセンスを持った人だっているはずだ。
自分に向いた仕事は働いてみなければわからないし、 適材適所だっていちおう一通りやらせてみて初めてわかること。 血液型で職種を決めてしまおうなんて、手抜き以外のなにものでもない。
これが手相や星占いだったら相当な非難を浴びそうなものだけど、なぜか血液型だとそうでもない。 さっきの新聞記事だって、それほど否定的なとりあげかたでもなかったでしよ。でも、あとの章でもくわしく説明してるけど、血液型性格診断は占い以上でも、占い以下でもないものなんだ。
血液型のせいで、たとえばO型以外の7割もの人が自分の営業への適性を示すチャンスを失ってしまうなんて、どう考えてもおかしいよ。いますぐやめてー。
では、松田薫さんの『「血液型と性格」の社会史』ではどうでしょうか(356〜357ページ)。この本の資料の豊富さと正確性には定評があります。なお、松田薫さんは心理学者と能見さんのどちらにも批判的ですので、あえてそういう記述までちょっと長めに引用してみました。
すこしの偶然が、なにかを想像させ偏見となってゆくことがある。それをいったのが、偉い東大の先生や研究生となれば、世間はそうおもいこんでしまう。だから、学者は充分な注意が必要となると、気軽に話もできなくなって、ここのところが難しい。
これにつうじる難しさを『朝日新聞』はもっている。1990年11月21日「AB型社員でチーム−三菱電機ヒット商品開発目指す」という記事をのせた。三菱電機としては、「血液型」は新聞雑誌がとりあげてくれ、自社宣伝になるので、ニュース・リリース(企業などが、自社宣伝のため配布する記事)を発信した。そうしたら、『朝日』が大きくとりあげたため、社内に笑いがおこり、他社にからかわれたため、即時解散をしたという。それでも、マスコミの取材がつづくので、1991年秋、社誌担当が私のところへ、血液型と性格の関連をたずねにきた。私は、血液型占いは論外だけど、現在ではわからないが正解だから、迷惑のかからないかぎり好きにすればよい。だけれど、三菱は一流企業だから注意が必要だと答えた。このあと、私への取材に関するかぎり、三菱のAB型5人の血液型チームはすぐ解散したそうだし、血液型識別章で有名になった京都西陣保育園は地味な保育園で、このことは地元のひとでもしらないと、事実を答えて、事実を記事にするようにと、私が収集した血液型の記事を提供してきた。が、このような事実はマスコミうけしなく、あいかわらず、血液型による差別という正義ぶった記事を、資料提供者の私の名前をぬいて作文するので、不愉快な日々がつづいた。
血液型が好きな『朝日』は社会責任をどう考えているのだろうか。『週刊朝日』(1984年8月17日)をはじめ捏造データを多用する日大の大村政男まで登場させ批判しているかとおもったら、1991年8月6・7・8・9日の『朝日新聞』には血液型占い師の能見正比古・俊賢親子をだし、信頼させる効果として東大の古畑種基が調査した藤原清衡たちの血液型というデタラメ記事やスターの血液型をのせ、性格との関係を支持する記事を連載した。(後略)
本当はどれが正しいのでしょうか? 判断するのは、あなたです! (なお、その後に三菱電機に問い合わせた人の情報によると、「そういう事実はない」と否定しているそうで、あれはマスコミによる「誤報」というコメントということでした) -- H10.4.29
複数の方から、(戦前の)日本軍にO型の戦闘部隊があったという話を聞きました。そんなのは初耳なので、手元の資料を当たってみたのがこれです。まずは、大村政男さんの『血液型と性格』からです(171〜173ページ)。
表29は、井上が構成した世界唯一の「血液型大隊」のデータである。彼はこのチームを試験班と名づけていたので、ここでもそれにしたがうことにしよう。
第1中隊・第2中隊、それぞれ四個の試験班から構成されている。第1中隊は、班長の血液型と班員の血液型がおおむね同類のもので、第2中隊の場合はその関係が大体異類である。すなわち第1中隊の第1班は、班長が積極的。進歩的と思われるB型者で、班員はO型者5人とB型者14人、それにAB型者1人、合計20人で構成されている。AB型者が1人混入しているのは、人数配分上のつごうによるものであろう。第2中隊の第2班は、班長が消極的。保守的といわれるA型者で、班員はO型者14人で構成されている。
第2中隊の第1班は、班長が積極的・進歩的と思われるO型者で、それに消極的・保守的なA型者(2人)とAB型者(8人)が付き、さらに班長と同じ傾向を現わすB型者20人)が加わるというかたちになっている。
O型者とB型者の組合わせだと積極的。進歩的なパワーが増強され、A型者とAB型者の組合わせだと消極的・保守的傾向が強くなるが、しかし長所としては、事をするとき慎重で細心ということになる。O型者・B型者とA型者、AB型者というような反対の特徴を持つものを組合わせると採長補短の戦闘単位が成立することになる。
では、松田薫さんの『「血液型と性格」の社会史』ではどうでしょうか(352〜353ページ)。
大村は、軍医のかいた論文を?歪曲してよむ。「軍隊=悪」のイメージの強い日本では、軍隊に関しては、どんな捏造も許されるとおもっているのだろう。私のしるかぎり、日本の軍隊が戦場へ血液型別部隊を送ったという文書はでてこない。ところが、大村は「井上日英という軍医はそれを実行してみたのである」(170頁)
「井上日英は、血液型による最小の戦闘集団(班という)を構成したが、その構成の仕方は、医学的な血液型検査に拠っている」(171頁脚注2)とかき、「図45井上日英の血液型による戦闘チームの構成」(173頁)まで創作する。
井上日英の論文を正確によんでみる。軍隊の服や武器の係をする、輔重(しちょう)兵第16大隊の1等軍医(大尉)の井上は、1932年日本で、サンプル134人を血液型別に8班つくった。その内容は、上官がA型で部下がA型というふうに上下の血液型がおなじ班と、上官がA型で部下はO型というふうに上下の血液型がちがう班との性格試験で、4カ月間だけ日本でためしたら、上下の血液型がちがう班の兵業成績がよかったというだけのものである。1932年の日本国内における4カ月間の、服や武器係の兵隊の成績くらべが、なぜ「戦闘チーム」になるのか。満州へ派遣された、輸重兵42人については、1年間、血液型と病気と進級を比較しただけとかいてあるのに、なぜ「戦闘チーム」になるのか。
読み進んでいくと、『「血液型と性格」の社会史』についにO型の部隊の記述がありました!(359〜360ページ)
●「O型の部隊」とかく高田明和
溝口と大村で困っているのに、さらにひとり大村の知人がくわわった。浜松医科大の高田明和である。高田は血液型と性格の歴史をしらないのに、これさいわいと高田は大村とコンビをくみ、句読点を変えたぐらいの、おなじデタラメの文章を『日本経済新聞』(1991年8月14日)“Newton”(1992年4月)『東京新聞』(1992年3月30日)『通販生活』(1992年9月)などに発表しはじめた。そのひどさは、
「日本では大正時代に心理学者の古川竹二氏が血液型と気質の関係を研究していた。それに当時の陸軍が注目した。(略)また、満州事変の、ごく短期間だが、O型の兵士を中軸にして構成された部隊もあったという」(『日本の論点』833頁 文芸春秋1992)
と読者の興味をひこうと、大村の捏造文を、さらに脚色して、「古川の研究を軍隊が注目」とか「O型の部隊」にまで発展させたのだから、『日本の論点』(初版)のライターは「昔はO型部隊が編成されたこともある」(838頁)という、大きな見出しをつけてしまった。
井上日英の論文は入手できていないのでなんともいえませんが、日本軍にO型だけの戦闘部隊があったと断定するには、まだまだ証拠が不充分だと思うのですが…。皆さんはどう思いますか? -- H10.4.29