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2006/05/31



 夏の気配


  早いもので、5月も今日で終わりですね。
  本当に月日が経つのはあっという間で、年々その速度は増していくように
  感じます。


  今月は天候が不安定で、いわゆる「五月晴れ」という日はほとんど見られず、
  五月にしては肌寒い日も多かったように思います。
  気圧が不安定なときは、やはり調子を崩される方も多いようです。
  これから梅雨に向けて、体調管理にはいっそうの留意が必要になるものと
  思われます。


  それでも、昨日今日は久しぶりの好天で、こうなると気温が一気に上昇し、
  夏の気配を感じさせます。
  我が家には昨夜、そんな夏の訪れを感じさせるような「珍客」がありました。
  私が帰宅すると、網戸に、一匹の「クワガタ」がへばりつき、
  家の中をのぞいていたので、早速つかまえて、家の中へお招きしました。
  すかさず子供たちの手荒い歓迎を受け、少し参っていたようです(笑)。


  肌寒いようでも、着実に夏は近づいているようですね。
  でも、私は暑さが苦手なので、夏よりも冬の方が好きなのですが・・・。




2006/05/27



 競う心と待つ心


  昨日は私の数少ない楽しみの一つ、「場の研究所」の勉強会でした。
  今回は、「競う心と待つ心」をテーマにした清水先生の講話でした。
  大変為になるお話ばかりでしたが、話を聞き漏らすまいとついてゆくのに
  精一杯で、理解しながら聞くというわけにはなかなかいきません。
  いつも三時間という時間があっという間に過ぎてしまい、
  毎回帰りの電車の中で反芻してみるのですが、せいぜい一割程度しか
  理解できていないのではないかと思います(^^;。
  場の研究所について、ここで上手にレポートできない事を、
  少々もどかしくも感じます。
  それでも、出来る範囲で、毎回少しずつ紹介していきたいと思います。


  清水先生は、冒頭で現在の教育問題に触れ、「問いかけること」の
  重要性を指摘されました。
  現在の教育は「答え探し」が重視されすぎていて、「問いかける力」が
  欠けているところに問題がある、と思われているそうです。
  活動するためには「問いかけ」が重要で、常に問いかけることが「創造」
  に繋がる、ということが、清水先生の思考の源のようです。
  確かに我々の世代は、答えを用意された問題を解くことが勉強、
  といった教育を受けてきました。
  しかし、社会生活で「正しい答え」などというものは、そうそう見つかるもの
  ではなく、活動しながら問い続けることでしか、その是非は判断できない
  ものなのかもれません。


  また、野生動物の狩や武道(剣術)を引き合いに出されながら、
  「競う心と待つ心」という二つの心の統合によって高度な知能が生まれ、
  創造力に富む共存在的調和の取れた「場」が形成される、ということを
  強調されました。
  ここについては理解が追いつかず、いくつか質問をさせて頂いたのですが、
  「質問力」のなさを痛感する結果となりました。
  私の中では、「行動しつつ待つ事が大事」といった意味合いに捉えてみた
  のですが、これが正しいかどうかはちょっと自信が有りません。


  問題は、頭で考えようとし過ぎるとかえって理解から遠ざかってしまう、
  ということで、かといって何も考えないでいてもダメ、という矛盾に、
  いつも悩まされてしまうことです。
  治療同様「感じること」に専念できるようになるには、
  まだまだ修行が足りないようです。
  やはり、あまり良いレポートにはならないようで・・・(スミマセ〜ン)。




2006/05/23



 ディスカッションの為に


  専門家同士で専門的な討論を行うことは、私にとって非常に有益で、
  楽しいひと時となる。
  特にそれが仙腸関節に関する議論なら、相手が誰であろうと、
  私はいくらでもお付き合いしようと思っている。


  昨日は、いつも一緒に月曜日の講義を担当している 「解剖学の土井」 先生
  (カギ括弧の位置が重要)がお休みで、変わりに金曜日担当の泉先生が
  来られていたので、始業前に少しお話をした。
  泉先生は骨盤の運動学と触診を担当されていて、前から私の仙腸関節論に
  興味を持って頂いていたので、いつかじっくりとお話したいと思っていた。
  昨日は余り時間がなかったので、じっくりというわけにはいかなかったが、
  それでも多少の意見交換は出来たと思っているし、もちろん有益な時間だった。


  このような意見交換の際に、相手の人間性がはっきりと表れるので面白い。
  少し話をするだけで、その人の治療家としての姿勢や向学心、
  また現在の知識の量から技量まで、そのレベルがある程度読めてしまう。
  これは別に特別な能力ではないし、そういった目で相手を見ようとしている
  わけでもない。
  これは、一つのことを突き詰めようとしている人間であれば、
  当然の事として分かる話だと思う。


  自分と同じような姿勢で治療に向き合っている人との話は、無条件で楽しい。
  ディスカッションすることで得るものが多く、お互いを向上させるので、
  時間を忘れて話し続けたいと思わせる。
  そんな人とは、会うたびに何か刺激されるものを感じるので、
  会うのが楽しみになる。


  話は変わるが、私はこのサイトで、自分の論考を自慢したいわけではない。
  目を通してもらうことで、討論に繋げたいのである。
  これを読んでどう感じるのか、どのような疑問を持つのか、
  何か問題点はないかなど、客観的な意見が欲しいのである。
  「こんな論文には全く価値はない」と思われればその通りかもしれないし、
  完全な形で否定されるなら、それも一つの前進だと思う。
  私はただ純粋に、「真実に近づきたい」と思っているのである。


  読めば分かることだと思うが、この論文はとても雑なものだ。
  何度読み返しても穴だらけで、整合性が取れていないところもある。
  その後に再考を重ねて、全く違った捉え方をしている部分も多い。
  そんなことを繰り返しているので、私の講義は毎年変わる、と言われている。
  でも、それが当然だと思う。
  変わらないほうがおかしいのだと思う(無論、変えてはいけないものもあるが)。
  それが成長するということだと思う。


  成長するためには、ディスカッションが良い。
  その資料を提供するためにこのサイトを立ち上げた、と言ってもよい。
  だから、専門家向けのサイトですね、と言う指摘は、実は当たっているのだ。




2006/05/20



 暇といえば


  暇といえば暇つぶし。暇つぶしといえば、やっぱり読書ですね。


  私は以前、「年間100冊本を読む」という目標を立て、
  実行していたことがあります。
  もう10年以上前のことですが、2年ほど続けました。
  ほぼ「3日で1冊」のペースなので、本を読むのに忙しくて、他のことをする
  「暇がない」というような状態でした(笑)。


  最近ではそれほど量を読むことはなくなりましたが、それでも読書は好きです。
  今朝も何故か4時半に目が覚めてしまったので、そっと起き出して
  シュタイナーの本を読んできました。
  前から読もう読もうと思いながらなかなか読めずにいたのですが、
  読んでみるとやはり示唆に富む内容で、もっと早くに読むべきだったと
  ちょっと後悔しています。


  ところで、書店や図書館などで本を選ぶ際に、棚にぎっしり詰まった
  本の中から、ある本を自然と手にとってしまう、といったことはないでしょうか?
  特別に際立った装丁ではないのに、まるでその本と「目が合う」ように。
  そして、そんな本はたいがい「当たり」ではないでしょうか?
  何故でしょう、不思議ですね。


  私は、それも「縁」だと思っています。
  そうやって、自分にとって必要なものを何かが与えてくれているような
  気がしています。
  なので、そんな本の中にはもしかすると大事なことが書かれている
  のではないかと、ついつい手にとってしまうのです。
  (時々ハズレが混ざっているところが玉に瑕ですが・・・。)


  こういった「縁」は、本だけではなく、全てに通じるものだと思っています。
  だから、どんなに小さな「縁」でも、大切にしようと心がけています。




2006/05/19



 しかし


  暇ですな・・・( ̄_ ̄)。




2006/05/18



 西田哲学


  「場の研究所」を通じて、哲学者「西田幾多郎」を知り、よせばいいのに、
  最近西田哲学に挑戦しようとしている吉岡でございます。


  西田哲学は難解な事で有名ですが、全くその通りで、私などにとっては、
  「西田哲学に挑む」と言うことすらまだおこがましい感じで、
  「西田哲学をちょっと覗く」といった感じがちょうどよさそうです。
  しかしそれでも、私にとってはかなり「無謀な試み」と言えるかもしれません。


  指南書らしきものを何冊か読んでみたのですが、
  やはりチンプンカンプンな事も多く、ますます理解から
  遠ざかってしまうことも少なくありません。
  もう少し読みやすいものはないかと探していたら、
  「西田幾多郎随筆集」(上田閑照編 岩波文庫)なるものがあったので、
  「これなら少しは」と期待して、読んでみることにしました。
  これはわりと読みやすく、私でもスムーズに読み進めることが出来ます。
  そして、それを読んで取り合えず分かりました・・・・・頭の中身の違いが・・。
  まぁ元から分かっていたことを、改めて確認したに過ぎませんが・・・。


  カイロプラクターがわざわざそんな難しいものを読む必要があるのか?、
  と言われればその通りで、そこには治療に関することは何一つ
  書かれていません。
  しかも哲学の中でも難解な部類なので、研究者にとっても
  それを理解することは容易ではないそうです。


  これを真正面から理解しようとしても頭痛がするだけなのですが、
  何故か治療に照らし合わせてそれをイメージしてみると、
  所々ではありますが、うなずける部分があるのです。
  特に「純粋経験」や「行為的直観」という概念などは、
  普段我々が体感していることを言葉にすると、きっとこんな表現に
  なるんだろうな、なんて思いながら読んでいます。


  おそらくこういった感覚は、「理屈」または「マニュアル的」に治療している
  カイロプラクターやその他の治療家には理解できない感覚だと思います。
  もちろん理屈も大切で、それを求めるのも「人間らしさ」だと言えるでしょう。
  しかし、治癒の決め手、もしくはその原動力は、「理屈では割り切れないもの」
  ではないかと私は考えていて、その答えがあるとするなら、
  それは「哲学」「思想」の中にあるように思えるのです。
  私にとって、それに最も近いのが「西田哲学」や「場の思想」なのだと
  思っています。


  いつか、もっと的確な言葉で、これらを表現できるようになりたいものです。




2006/05/13



 例の頚部痛


  先日、また例の「頚部痛」の患者さんがお見えになりました。
  例の頚部痛とは、このサイト内でも何度か取り上げている、
  非常に痛みの強い急性の頚部痛のことです。
   *臨床ノート 頚部の痛みと骨盤参照


  患者さんは30代の女性で、ここ数年毎年のように同症状が出現し、
  その都度ひどい痛みに悩まされていたそうです。
  その度に色々な治療を受けていたそうですが、ひどいときには3週間も
  激痛と格闘していたそうです。
  今回も、朝、洗顔時に下を向いたときに首が「ピキッ」となり、
  徐々に痛みが増悪し、半日後には首が「まったく動かせなくなった」そうです。
  患者さんの紹介で、当院に「恐る恐る」来院されました。


  結論から言えば、今回は2回の施術で症状はほぼ消失しました。
  やはり仙腸関節との関連が強かったようで、仙腸関節の状態を
  改善することで痛みは大幅に軽減しました。
  痛みは初回の施術でかなり改善し、3日後の来院時には殆ど無くなっていた
  ので、一応治癒としました。


  最近では、この症例に対してかなり自信がついてきました。
  以前は本当に苦手で、予約の際に「首が・・・」などと言われると「ビクッ」
  としたものですが、最近では「おっ!」という感じに変わってきました(^^)。
  ポイントは検査で、いくつかの検査で症状の変化(改善)が見られないものは、
  施術後もあまり効果は期待できないようで、そんな時には何か器質的な
  問題を疑うことにしています。


  この問題には、患者さんも治療者側もかなり苦労している方が多いようです。
  やはり、「首だけの問題」と考えても上手くいかないようです。
  取り分け「仙腸関節」の矯正がきちんとできないと効果も期待できません。
  私自身もこの痛みの経験者なのですが、
  「あの時これが分かっていれば、もっと早くあの苦痛から解放されたのに」
  なんて、つくづく思います。
  と言っても、自分で自分の骨盤は矯正できないのですが・・・。


  いつか、「これは私の得意な症状です」と言えるように、今後も症例を
  積み重ねていきたいと思っています。
   (注) 首が痛い方のご来院をお待ちしています、と言う意味です(^^)。




2006/05/09



 カ○ロ○○ティック


  ここ数年、当地でも、カイロ治療院や整体院の看板が目立つようになりました。
  良い治療院が増えることは、市民にとっては歓迎すべきことで、
  治療家同士がお互いに切磋琢磨しながら地域の人々の健康維持に
  貢献できるなら、それほどすばらしいことはないと思います。
  腕の良い治療家が近くにいれば、私だってお世話になるかもしれません。
  ただ、いい加減な教育を受け、腕は三流、商売は一流といったような治療院が
  増えることは、余り歓迎できることではありません。


  別に普段から治療院の看板を探し回っているわけではないのですが、
  これも職業病の一種なのか、「カイロプラクティック」という文字には
  敏感に反応してしまう私です。
  このサイトをご覧になっている人は、今はおそらく県外の方のほうが多いと
  思うので、おもいっきりローカルな話題で恐縮ですが、私の家の近所に、
  なぜか(私の)目を引く看板があるのです。


  JR竜王駅の西側踏み切りを渡り、旧双葉方面に向かって進んでいくと、
  右側のとある店舗の看板がいつも目に飛び込んできます。
  「んっ!? カイロ・・・」。
  良く見ると、それは「カイロプラクティック」ではなく、
  「カタログブティック」と書いてあるのですが・・・(やっぱり職業病?)。
  よく通る道なので、それが何かは分かっているはずなのですが、
  ちょくちょく引っかかってしまいます(「引っかかる」というのもおかしいですね)。


  看板自体は決して目立つものではなく、むしろ控えめな感じなのですが、
  なぜか私の右目が勝手に見つけてしてしまうようです。
  その通りは狭いわりに交通量が多く、運転に注意が必要な場所なので、
  そんな看板に気を取られている場合ではないのですが。
  もしこれをご覧の方で、そこを通る際に気にしてみようという方が居りましたら、
  くれぐれも運転にはご注意ください。


  ところでその店のご主人は、「カイロプラクティック」という看板が
  「カタログブティック」に見えたりするのでしょうか?
  まぁどうでもいいですね。しょうもない話題でスミマセン。




2006/05/06



 謝辞


  こんなところで唐突に「謝辞」といわれても、読者には何のことやらさっぱり
  分からないだろうと思います。
  私自身も、こんなところでこれを述べることに少し抵抗を感じています。
  しかし、サイト開設時から、これはどこかで書かなければと思いつつも、
  あっという間に一ヶ月が過ぎてしまい、このままではタイミングを逸してしまい
  そうなので、今回思い切ってここに書くことにしました。


  「仙腸関節」の論文を書いたことは、私の人生にとって大きな大きな節目
  になりました。
  この論文をきっかけに、多くのすばらしい方々との出会いが生まれ、
  それが自信にもつながり、治療にも良い効果を与えてくれました。
  また、それが無ければこのサイトを立ち上げることも無かったでしょう。
  その全てのきっかけとなった「仙腸関節」の論文を発表することが出来たのは、
  或る方のお力添えがあったからなのです。


  私が仙腸関節の論文を学会に提出したのは2003年の12月ですから、
  もう2年半ほど前になります。
  非常に長文なので、これを書くのに2年くらいは費やしたかもしれません。
  しかし、出来上がった時は文章もめちゃくちゃで、とても読んでもらえるような
  代物ではありませんでした。
  そのひどい文章を査読し、丁寧に添削、校正して下さったのが、私が所属する
  パシフィックアジア・カイロプラクティック協会(PAAC)の前田 滋先生です。


  前田先生とは、同じ協会に所属していてもまったく面識は無く、
  はじめてお会いしたのが2003年の秋で、国際セミナーにたまたまいらしていた
  前田先生に、初対面にもかかわらず突然、De jarnette の仙腸関節の解釈に
  ついてのご意見を伺う、という少々不躾なものでした
  (前田先生は De jarnette の文献(SOT)の翻訳者)。
  そんな私の無礼にもかかわらず、前田先生は帰宅後にわざわざ電話を下さり、
  非常に貴重なご意見まで頂きました。


  その後、論文が書き上がり、ほとんど一方的に前田先生に送りつけたところ、
  前田先生は、ご多忙にもかかわらずそれを丁寧に校正して下さいました。
  そのお陰で、私の拙い文章は、第三者に読まれるレベルに到達出来たのです。
  もし前田先生がいなかったら、ただでさえ読むのに骨が折れる長文に加え、
  あまりの乱文で、誰にも読んでもらえなかったかもしれません。
  いや、それ以前に、学会誌に掲載されることも無かったでしょう。


  前田先生は、カイロプラクターとしてだけではなく、web siteの開設者としても
  私の大先輩で、カイロ界ではパイオニア的な存在です
  (日本のカイロプラクターで前田先生のサイトを知らない人はいないでしょう)。
  私はもともとHP開設にはあまり積極的ではなく、実は、論文も前田先生の
  HPに掲載してもらえないかと、調子の良いことを企んでいました
  (そのほうが、この論文が人目につく確率が高くなりますから)。
  前田先生にはそんなことはお見通しだったようで、
  「ご自分でサイトを作りなさい!」と、厳しくも暖かいお言葉を頂戴し、
  その一言で、私もようやく自分のHPを作る決心をしたわけです。


  なので、前田先生には、論文の校正に加え、サイト開設の後押しという、
  私の人生の節目にとって二重のお力添えを頂いたことになります。
  振り返ってみると、人生の節目には必ず良き出会いがあり、
  自分の力だけでここまで来たというわけでは決してありません。
  前田先生の存在なしには、論文もこのサイトの開設も無かったと思っています。
  まだ何の恩返しも出来ていませんが、この場をお借りして、
  改めて御礼申し上げます。
  ありがとうございました。


  前田先生のHP・・・Chiropractic in Japan




2006/05/02



 HPの評判


  このサイトを公開して、今日で一ヶ月がたちました。
  最近では、行く先々で、「HP見ましたよ」と声をかけられることも多くなりました。
  とは言うものの、全員が、私の方から「見てね」と声をかけておいた人
  ばかりですが・・・。
  しかし、皆さんいろいろと感想を聞かせてくれるので、開設者としては
  とても励みになります。


  見ての通り、文字しかないようなHPなので、本当に読んでくれる人がいるかと
  心配していたのですが、みんな結構しっかりと目を通してくれているようです。
  読んでいないと分からないような事についての感想を聞くと、
  とてもうれしくなります。


  見てくれた人のほとんどはカイロプラクターか学生なので、一般の人の感想は
  まだ良く分からないのですが、今のところおおむね評判は良いようです
  (中には「絶賛」してくれる人も)。
  このサイトのどこかにも書いてありますが、このHPは
  「同業者が見ても為になる内容」を意識して作っています。
  特に私が教えた学生には、講義では伝えきれなかった点や、
  理解できなかったところを、このサイトで補ってもらえたらと思っています。
  そういう意味では、現時点での反応を見る限り、なんとか及第点には
  達しているのではないかと思っています。


  やはり同業者が多いことから、「反響はありますか?」と聞かれることも多く、
  これはもちろん「HPを見て来た患者さんはいますか?」という意味なのですが、
  残念ながら、そういった問い合わせはまだありません・・・。
  (その前に、見ている人がいるのでしょうか?)


  もちろん、褒めてくれる人ばかりではなく、「色をつけなさい」とか、
  「画像が少なすぎる」「(顔)写真くらい載せなさい!」などなど、
  (ほとんどが「見栄え」に関する意見ばっかりですが)いろんな方から
  いろんなことを言われます。
  しかし、話題になるだけでもうれしいものですね。


  一つ気になる事といえば、「これは患者さん向けでは無くて、専門家向けの
  サイトですね〜」なんて言われてしまうことです(内容を褒めていただいた上で、
  これを言われることが多いです)。
  いえいえ、そんなつもりはま〜ったくございません。
  宣伝ですっ、宣伝!!
  思いっきりアピールしているつもりなんです、これでも。


  このサイトをご覧になって、当院に関心をお持ちいただいた皆様のお越しを
  心よりお待ち申し上げておりますです。



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