頚部の痛みと骨盤




 
+ はじめに +

 
 臨床において、理論的な説明が困難な改善例に遭遇する事がしばしばある。
 ここで報告する頚部痛と骨盤との関連などは、まさにその代表例ではないだろうか。
 
 カイロプラクティックを行う治療院には、急性慢性を問わず頚部痛を
 訴える患者が来院することが多いだろう。
 それら頚部痛の原因が骨盤にあるという事は、実は少なく無い。
 しかし、その両者を直接的に関連づけ説明するだけの、合理的な根拠は無い。
 このあたりに、カイロプラクティックが医学者には受け入れられない理由があるものと
 考えられる。
 
 であるが、事実として骨盤の矯正が頚部の疼痛を改善させるケースが多く見られる。
 ここでは特に急性の頚部痛を取り上げ、仙腸関節の変位と頚部痛との関連について
 考察を交えながら、典型的な改善例を紹介したいと思う。
 
+ 典型的な症例 +
 
 
急性の頚部痛で最も多いのは「寝違い」だろう。
 また、これに類似するケースとして、起床時では無く日中のふとした動作で
 発症する急性で激しい頚部痛がしばしば見られる。
 どちらかといえば、後者の方が症状はより重篤で難治的、といった印象がある。
 日常的に頻繁に見られるこれらの問題の原因は、共に不明である。
 
 ここでは所謂「寝違い」では無く、後者の急性の頚部痛(頚椎症)を取り上げる。
 単に急性の頚部痛といっても症状は多彩で、疼痛自体も頚部から上肢、背部へと、
 広範囲に及ぶ事も珍しくない。また時には手指の脱力感や軽い痺れ感など、
 頚椎椎間板ヘルニアを疑わせる症状を伴うことも多い。
 
 もちろん、その原因が頚椎及びその周囲に限局的に存在する場合も少なくないだろう。
 しかし筆者の経験上、大方の予想以上に、骨盤の変位に関連した症状として発症した
 症例が多いものと推定される。
 
 これら急性の頚部痛の殆んどは、初発症状は極めて軽い痛みから始まる。
 日常的な動作の中で、頚部を軽く前屈した時などに軽い痛みが頚部に「走った」と
 表現される事がしばしばある。
 時間の経過と共に痛みは増悪し、来院時には全ての方向に頚部の運動制限が見られ、
 頭部の重さを支える事が困難な程の激しい疼痛を訴えるケースが非常に多い。
 これらに共通した傾向として、治療時の体位の変換が困難、といった点が挙げられる。
 治療台に横になる時やそこから起き上がる時に激痛を伴い、場合によっては、
 起き上がるまでに5分以上の時間を要する事も珍しくは無い。
 それに関連して、就寝時に痛みで目が醒めるといった事も多いようだ。
 あまりの激痛の為、日常生活もままならないケースが多く見受けられる。
 
 筆者はこれまで、これら急性の頚部痛の治療には、困難を極める事が多かった。
 年に数例はこのようなケースに遭遇するが、筆者の経験では、全く改善しない事も
 少なくなかった。
 だが、近年仙腸関節の変位と脊柱との関連に着目するようになってからは、
 治療効果がはっきりと現れるようになってきた。
 
 
 改善例の前に、強く印象に残っている症例を紹介する。
 これはかなり以前の症例である。
 患者は20代前半、会社員の女性。
 毎年1回程度、同様の頚部痛に悩まされていたそうである。
 前日夜より急に発症し、当院への来院時には、痛みの為頚部の運動が全く出来ない
 状態であった。
 さらに頭部の重さを支持する事が困難で、両手で頬杖をつくようにして頭部を
 支えながら入室してきた。車の運転が出来る状態では無く、
 知人の車に同乗させて貰いようやく来院したとの事であった。
 
 治療は難渋した。激しい痛みを少しでも解消しようと、頚部周辺を中心に
 異常の認められる部位を探し、過剰な刺激を加えないように配慮しながら、
 主に関節機能の改善と組織の緊張の除去を目的とした穏やかな施術を行った。
 結果としては、極僅かな改善が見られた程度であり、治療の効果というよりは、
 刺激による閾値の上昇によるところが大きかったのではないかと推察される。
 原因の特定と病理的な問題の有無を確認する為、帰り際に整形外科への
 受診を勧めた。
 
 その4日後に再び来院された。
 2回目の来院時にも、痛みは殆んど変化の無い状態であった。
 1度目の治療の翌日整形外科を受診し、「頚部の炎症」と診断されている。
 レントゲン写真(コピー)を持参しての来院であった為、頚椎を確認したところ、
 第4頚椎に明らかな配列の異常が認められた。
 整形外科医から、「椎間板に異常がある」と言われたそうである。
 痛みが改善しない事から再度当院を受診した、との事である。
 
 2回目の治療も、前回とほぼ同じような形態をとった。
 しかし、当然症状に変化は認められず、最後の望みを託すように、
 「頭蓋矯正」を行った。率直に言えば、症状改善に繋がりそうな手段が尽き、
 藁にもすがるような思いでこれを行った。
 矯正終了後、症状の変化を尋ねると、何故か痛みが激減していた。
 それまでは治療台から起き上がる事が困難だったにもかかわらず、
 頭蓋の矯正後はスムーズに起き上がる事が出来た。
 頚部の運動痛も大幅に改善し、「殆んど痛みが無い」状態まで改善していた。
 お互いに喜び合ったものの、何故改善したのかは全く分からなかった。
 
 しかし、その翌日電話があり、「朝起きたら痛みが戻ってしまった」と、
 悲痛な様子で来院された。
 本人曰く、「寝る前までは痛みは無かったのだが、朝起きると元の状態に
 戻っていた」との事である。
 「寝なければ良かった」と言っていたのが印象に残っている。
 結局その日も頭蓋矯正を行ったのだが、前日のような改善は見られなかった。
 
 その後も、このような症例を何度も経験している。
 劇的な改善を示したのは、上記の一度きりである。
 その為、筆者にとってこの急性の頚部痛は、苦手な疾患としての認識が強くなっていた。
 

 しかし、仙腸関節変位が及ぼす全身に対する影響を考慮しながら注意深い観察を
 行うようになってから、どうも仙腸関節のサブラクセーションと、この頚部痛との間には
 関連性があるのではないかと疑わせるような症例にしばしば遭遇するようになってきた。
 
 結論から述べると、仙腸関節の矯正でこの頚部痛が大幅に改善する例が多いのである。
 興味深い事に、仙腸関節のみにアプローチするだけで頚部の疼痛は激減する事が多い。
 以前から、このような患者が治療に訪れるたびに骨盤に対するアプローチは
 行っていたのだが、効果が見られた事はほとんど無かった。
 しかしその当時と現在とでは、アプローチの方法にいくつかの違いがある。
 
 先ず初めに、仙腸関節の関節生理の捉え方が変わった点が挙げられる。
 これまでは、仙腸関節の動きを漠然としか理解できていなかったため、
 矯正も不十分だったのだと思う。
 次に、その手法が大きく変化した。
 それまで仙腸関節の矯正を行う時は、仰臥位または伏臥位で行っていたのに対し、
 この症例に関しては特に、座位または立位での矯正が有効なようである。
 荷重をかけた状態で矯正することで、左右の荷重バランスの改善に伴い、
 仙腸関節の変位に付随した脊柱の問題が改善するのではないかと推察する。
 

 ここで一つの改善例を紹介する。
 患者は30代女性。
 前日の午後から頚部の軽い痛みを感じ、徐々に激しい痛みに変化した。
 当院を訪れた時には、痛みの為頚部をほとんど動かせない状況であった。
 既往歴無し。原因不明。
 
 印象としては重症というほどではなく、中等度から重症のやや手前といった
 感じを受ける。これに関しては痛みに対する客観的な評価が困難であるため、
 単に筆者の主観に過ぎないのかもしれない。
 やはり夜間の寝返りが困難で、起床時にも起き上がるのが大変だったそうである。
 この時行ったのは座位による仙腸関節矯正と、胸郭の捻れに対する矯正である。
 仙腸関節の矯正は、治療台に横になる前と後の計2回行った。
 最初に矯正を行うのは、治療台に横になる前に矯正を行う事で、
 体位の変換が容易になることを期待してのものである。
 仙腸関節の状態としては、典型的な左荷重状態となっていた。
 これを矯正すると、頚部の痛みは半減した。
 その後胸郭その他の矯正を終え、治療台から起き上がるときには多少困難さは
 認められたものの、本人は「随分楽になった」と自覚できたようだ。
 改めて仙腸関節の状態を分析すると、一度目の矯正後に比べると変位は少し
 悪い方向へ戻っていたようである。
 それを再び矯正し症状の改善を確認すると、完全に痛みが消失したわけではないが
 耐えられないほどの痛みは感じない程度には改善したようである。
 結局治療したのはその一度だけだったが、その後本人に確認したところ、
 2〜3日後には痛みは無くなっていたとの事であった。
 
+ 考察 +

 
この現象を既存の理論に当てはめるなら、仙骨後頭骨テクニック(SOT)の
 カテゴリーUが最も近いのではないかと考えられる。
 カテゴリーUの概念は、仙腸関節の離開がそのベースとなる。
 これを私的に解釈すれば、片側の仙腸関節が離開する事で脊柱の捻れが生じ、
 胸郭の捻れに伴う第一肋骨頭の変位を誘発するという、脊柱の歪みに限定した
 捉え方も可能である。
 この時生じる第一肋骨頭の変位が、頚部の痛みと関連しているのかもしれない。
 
 カテゴリーUに見られる脊柱の捻れ現象と第一肋骨頭との関係からこの二つを
 結びつけてしまうのは、少し強引過ぎるかもしれない。
 しかし、結果から推測すると、以下の点でこの両者の関連を疑わせる推察は
 成り立つように思える。
 
 先ず、座位での仙腸関節の矯正で改善し、治療台から起き上がったときに
 再び仙腸関節の変位が認められた点に付いて、仙腸関節の特殊性といった
 観点からこれを推察すると、次の事が言える。
 仙腸関節は関節面が縦に近く、加重する事で安定する特殊な構造を持つ。
 逆に言えば、臥位になり加重が取り除かれる事で不安定になる関節であると言える。
 つまり矯正した状態を維持する為には、荷重状態に置いた方が効果が持続しやすい。
 すなわち、座位で仙腸関節を矯正する事で荷重により関節が安定し、
 その後治療台に臥位になることで非荷重状態になり、再び離開したと考えられる。
 
 この点は、前述した症例にも当てはまり、「夜寝るまでは痛みが無く、朝起きたら
 痛みが戻ってしまった」といった現象は、頭蓋矯正により硬膜を介して矯正された
 仙腸関節が、就寝中に再び離開した事にその原因が有るものと考えられる。
 
 また、根本的な原因が仙腸関節にあるため、胸郭や頚部周辺に対する治療では
 改善しない例が多いことにも納得がいく。
 この点に付いてさらに言えば、矯正は荷重状態で行ったほうが効果が高い事からも、
 仙腸関節の可動性が減少した事が原因なのでは無く、亢進状態にある事がこの問題の
 原因であると予想される。
 何故なら、可動性の低下が原因であるなら、非荷重状態が症状悪化に影響する
 可能性は低いと考えられるからである。
 
 また、この時行った仙腸関節に対するアプローチ自体が、関節の可動域を
 改善させるためのものでは無く、左右の荷重バランスの改善を目的とした
 変位の矯正が主なものであり、非荷重側へ荷重の伝搬が自動的に行われるように
 補助する事に重点を置いたものである。
 これはいわば、離開した仙腸関節に対しての、荷重による閉鎖力を利用した矯正である。
 この事からも、仙腸関節の状態が可動性の減少では無く亢進である事を
 裏付けるものでは無いかと考えられる。
 
 一方、この頚部痛とこれら仙腸関節変位との直接的な因果関係に付いては、
 全く説明不可能である。
 単なる憶測として言わせてもらえば、仙腸関節の過剰な変位により荷重の偏りが生じ、
 脊柱の支持性が損なわれて無理が利かない事を知らせるためのサインとして、
 この激しい痛みを生じさせているのでは無いかと想像する。
 もしこの痛みの原因が仙腸関節に限局したものであるなら、頚部周辺に対する
 除痛的な処置は意味を持たないばかりでは無く、過剰な負担を強いた状態で
 身体を使用させる事に繋がり、全身的な問題を悪化させる要因となりかねない。
 仮に症状とは直接的な繋がりが無くとも、荷重の偏りに起因する脊柱に対する
 影響を介した間接的な関連はあるものと予想される為、仙腸関節に変位が
 認められた場合には、常に矯正の必要性があることを強調しておきたい。
 
+ まとめ +
 
 
今回報告した急性の頚部痛への対処は、筆者自身の長年の懸案事項であった。
 仙腸関節との強い関連を疑うようになる前は、全く歯が立たない症例といっても
 言い過ぎでは無いほど治療には難渋した。
 治療後にも殆んど症状が変化しない事から、患者のみならず術者である筆者の
 落ち込み様も相当なもので、それが患者にも伝わるのか、全く信頼関係を
 築くことなく治療が終了するケースが多かったように思う。
 それを何度か続けていくうちに、この症例に対する「恐怖心」のようなものさえ
 感じつつあった。
 しかし不思議なもので、この疾患に対する恐怖心よりも関心の方が高まるにつれて、
 この疾患で訪れる患者が減ってしまった。
 以前なら、年に数度はこの疾患に悩まされ、忘れた頃に必ず同様の症例が
 訪れたものだが、不思議なものでむしろ待っているときに限って、なかなか
 来ないものである。これもまた巡り合わせの妙である。
 
 実際、これまで改善が見られた症例は、重症例とは言い難いのかもしれない。
 今後重症例が訪れた時に、その真価が問われる事になるだろう。