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2006/06/30



 鼻血の対処


  先日、私の実家で家族の集まりがあった際に、ほんの少しの不注意から
  身内の一人が転倒し、顔面を強打して大量の「鼻血」を出す、
  という「事件」がありました。
  (本人の名誉のため、誰かは言えません)


  ちょっと派手な転び方だったことと、出血も多そうに見えたので、
  周りはかなり動揺してしまって、あたふたとしながら「上を向け」
  「いや下だ」から、「首をもめ」「いや鼻をもめ」とか、「救急車を呼べ!」
  「鼻血を止めるツボはどこだ!」まで、とにかく色々な意見が飛び交い、
  皆冷静さを失って「一触即発」的な雰囲気の大騒動になってしまいました(笑)。


  「鼻血を出す」ということはそれほど珍しいことではありませんが、
  その量が少し多いだけで、これほどまでに皆が冷静さを失ってしまうとは
  ちょっと驚きです。
  また、少しくらいの鼻血なら何をしても(何もしなくても)止まるものなので、
  誤った対処法を鵜呑みにしてしまっている人が多い事も良く分かりました。
  こういったアクシデントは突然起きるのが常で、そこで冷静になれるかどうかは、
  正確な知識があるかどうかにかかってきます。


  やはり、正確な応急処置くらいは知っていおいたほうが良いと思うので、
  ご存知の方も多いとは思いますが、少しまとめておきます。


  まずは、何はともあれ「止血」です。
  今回のように出血量が多く、左右どちらの鼻からの出血かが分からない
  ような場合には、取り合えず両方の小鼻を押さえ「圧迫」してしまうのが
  良いようです(1分〜最大15分程度)。
  どちらの鼻からの出血かが特定できる場合には(両方でも)、
  ガーゼか綿花などを丸めて鼻に押し込み、さらに指で圧迫しましょう。
  これは、少し大きめの方が良いそうです。
  また、ティッシュや綿花は後で取り除くのに大変なこともあるので、ガーゼなど
  の方が良いようです(オロナイン、ワセリン等を塗っておくと取りやすい)。
  そして、万が一の場合に備え、「時間」を正確に覚えておくと良いでしょう。
  医療機関受診の際に、出血開始からの時間が、出血量を推定する
  目安となるそうです。


  次に、わりと間違えやすいことに、「上を向かせる」があります。
  よく鼻血を出すと「上を向け」と言われますが、これは誤りで
  「少し下を向く」が正しい対処法です。
  上を向くと「血」がのどに流れてしまい、それを飲み込むと「吐き気」
  をもよおすことが多く、場合によっては吐瀉物をのどに詰まらせる
  危険もあるそうです(血は飲まずに吐き出したほうが良い)。
  座らせて、少し寄りかかるような姿勢で「下を向く」が正解です。


  上記の対処法が、ごく基本的な応急処置のようです。
  これでも止まらない場合は、医療機関にお任せしましょう。


  この他、呼吸がしやすいように「襟元を緩める」とか、「鼻、頭や首、胸部を
  濡れタオルで冷やす」なども良いようです。
  また、基礎疾患(高血圧、血友病等)の確認も忘れないほうが良いでしょう。


  首をもんだりたたいたりしても止まりませんし、鼻をもんだらもっと
  出血がひどくなるのでやめましょう。
  また、転倒などで頭部を強打したような場合には、鼻血よりも、首や
  頭蓋内の損傷の方が心配です。
  しばらく観察し、少しでも気になる症状(意識障害など)が出た場合には、
  速やかに医療機関を受診しましょう。
  とにかく、先ず冷静に対処することが必要です。


  普段あまり見慣れないので、少し多めの血を見るとびっくりしますね。
  本人も相当なショックを受けていたようです。
  それにしても、もうちょっと年を考えて行動して欲しいものです。
  まったくうちの親父は・・・(あっ、言っちゃった!)。




2006/06/27



 居場所のいのちを観る


  6月25日(日)に、東京工業大学 イノベーションセンターにおいて、
  「場の研究所」のワークショップ、「第6回 脳の場、身体の場
  “居場所のいのちを観る”」が開催されました。


  今回は、マニュアルメディスン研究会代表の大場 弘DCによる講演と
  実技指導という内容でした。
  一般の方と治療家とが二つの部屋に別れ、それぞれに同じく
  マニュアルメディスン研究会の本多先生と伊澤先生が講師として付き、
  思考を凝らしたワークショップが行われました。
  今回のワークショップには、心理カウンセラーや精神療法に関わる方々、
  バーバラ・ブレナン式ヒーリングを実践されている方なども参加され、
  徒手療法とは異なる視点での意見が数多く出され、大変勉強になりました。


  例えば対人的な「違和感」と(感情)「転移」「逆転移」との関連、
  「パーソナル・スペース」(他者との距離感、縄張り意識)に与える
  「身体呼吸」の影響や、パーソナル・スペースに「観る」境界線と「場」の
  関係など、徒手療法的な実践に心理学的な解釈が加わり、
  さらに「場の思想」がそこにうまくかみ合って、会場には非常に良い「場」が
  形成されていたように思います。
  中でも面白かったのは、パーソナル・スペースがもっとも広い参加者に
  施術者が近づいていく際に、その施術者の思考によってその距離が
  どのように変化するかという実験で、結果的には、距離も「場の空気」にも
  明らかな変化が生じ、その変化をその場にいた多くの人が同時に
  共感していたという面白い結果が見られました。


  その実験は、精神的に不安定だという自覚のある大学生を被験者とし、
  彼に近づく施術者にはなぜか私が指名され、遠目に大学生の身体を観察し、
  その分析結果を頭に描きながら徐々に近づいていくという形式のもので、
  最終的には20cm程の距離にまで近づくことが出来たのですが、
  最初の数歩の時点では私の中にごくわずかですが、迷いがありました。
  ある時点でその迷いを払拭したのですが、その境目を被験者である
  大学生だけでなく、周りの参加者の多くもはっきりと感じ取っていたようです。


  大学生も参加者も「そこで何かが変わりました」と口をそろえて私が
  気持ちを固めた地点を指差すのを見てちょっとびっくりしました。
  改めて、「治療する側」の迷いや不安が、患者さんの感情や場の空気にまで
  影響しているという事実に驚かされました。
  実際には、経験知識とも少ない時のほうがこのような迷いも少なく、
  経験知識とも豊富になるにつれて、迷いや不安(より慎重になったり、
  治療法が一般受けしなくなるという意味で)も多くなってくるという
  矛盾もあるように思いますが、それもまた経験や勉強を重ねることで
  解消されることを信じて続けるしかないでしょう。


  様々な意見を拝聴する中で、心理的なカウンセリングも、精神療法的な
  アプローチも、また、徒手療法はもちろんですが、実はノン・バーバルな
  コミュニケーションの中にこそ人と人とを繋ぐ重要な働きがあり、
  それが今回のテーマである「居場所のいのちを観る」ということにも
  繋がるんだろうなぁ、と感じさせられた良い勉強会でした。




2006/06/23



 ブラジル強い!


  ブラジル戦は完敗でしたね、残念です。
  やはり王者との力の差は歴然で、両者にはまだかなりの距離があるように
  (素人目には)見えましたが、戦っている選手たちはどう感じたのでしょうか?


  これまた「素人目」ですが、日本代表のプレーには、どこか「自信のなさ」も
  見えたように思います(特に後半)。
  日本のサッカーは、実力が拮抗または上の相手との試合では、
  リードしてからの方が動きが硬くなり、簡単に失点し、あっさりと逆転
  されてしまうことが多いように思います。
  今日も先制点を挙げるまでの動きは良かったように見えたのですが、
  同点にされてからはブラジルの良い所ばかりが目立つ試合になっていました。
  日本代表は、「引き分け」の試合が一番面白く感じます。


  しかしたまにはこういった試合を経験しないと、本当の実力は把握できません。
  最近私も多くの方(他の治療家、または他業種)との交流が増えたのですが、
  そのたびに、その実力の違いに圧倒されっぱなしです(^^;。
  もちろんこれまでも自分を過信していたわけではありませんが、
  実際にお会いして(またはメールで)話をすると、知識の幅や深さだけではなく、
  物事に対する真摯な姿勢にも自分自身との差を感じ、
  すっかり自信喪失してしまいます。
  しかし同時に、そういった経験がなければ、我々のような業種は特に
  「井の中の蛙」になりやすいので、時には「負け」も必要です。
  当然それが「奮起」に繋がらなければ、「ただの負け」に終わってしまいます。


  日本代表選手と、これから代表を目指す少年達の、今後の奮起に期待します。




2006/06/20



 反省・・・?


  昨日の講義は良くなかった。
  あれではイカン。
  あんな講義をしてはダメずら。
  わたくし、昨夜は深く反省いたしました。


  たまにはそんなこともありますが、どうも「末梢神経関連」になると、
  波に乗れないことが多いように思います。
  テキストにも問題があり、それ以前に私自身が不勉強であると自覚しつつも、
  それを改善しないところに原因があることは分かっているのですが・・・。
  まぁ昨日の場合は末梢神経とは無関係で、それよりも、
  私自身の「説明下手」が学生を混乱させてしまった最大の要因です。
  特に昨日の内容は、私自身が重要なポイントであると位置づけていて、
  何としても理解して欲しい部分なので気合を入れていたのですが、
  そんな意気込みに反して、うまく伝えることが出来なかったので
  余計に落ち込みました。


  しかし、収穫もありました。
  一番の収穫は、学生が「疑問」をストレートにぶつけてきたことです。
  「分からないこと」や「おかしいと思うこと」はどんどん主張すべきで、
  遠慮する必要など全くありません。
  そこから議論に発展すれば、学生だけでなく講師である私自身にとっても
  有意義な授業になるはずです。


  以前から、学生同士が積極的に議論しあえるようなテーマを作り、
  侃々諤々の言い合いになるような授業をしてみたいと考えていて、
  何度か試みてみたのですが、みんな大人しくて余りうまくいったためしが
  ありませんでした。
  そういった意味では、昨日の講義も悪くなかったのかもしれません。
  ただし、結局お互いに理解に至らず時間が来てしまったのは、
  私の責任が大きいと考えています。
  やはりあれくらいは納得させられるだけの根拠を示さなければ、
  講師失格です。


  それでも、私自身は、昨日の講義で貴重な「気付き」がありました。
  来週は、「う〜ん、なるほど」と唸るような講義になるはずです。
  ポイントは「回旋」と「視点」にありそうです。
  学生諸君、お楽しみに!




2006/06/17



 「気」


  マニュアル・メディスン研究会の大場 弘DCとのメールのやり取りを通じて、
  最近「気」に少し興味を持つようになりました。
  そのやり取りは「気」に関する話題から始まったわけではなくて、
  元々は、声楽家の和田みのり先生からのご質問に関するもので、
  どちらかと言うと(私にとっては)構造的な内容だったはずなのですが、
  いつの間にか自然と「気の話」へ移行していました。


  実は、これまで私は「気」には全くの無関心で、時々患者さんから聞かれる
  「先生は気功を使うんですか?」という質問にも、「いいえ、私は『気』
  というものは全く分かりません」などと、どこかで「気」とは一線を引きたいとか、
  それ以上の「気」に関する話題をさえぎろうとするような態度をとる事が多く、
  「気功」だと思われること自体に少し抵抗があったようにも思います。
  確かに「気」というものは実在し、私の施術とも無関係ではないのだろうな、
  という、漠然とした意識を持っていたこともまた事実ですが、
  それでも、私の中では「気功とは違う」という頑固な「こだわり」がありました。
  (実際、私自身は「気功」というものを学んだことは一切ありません)


  私の施術を受ける患者さんの印象としては、バキバキするわけでも、
  ギュウギュウ押すわけでもなく、どちらかと言うと「ほとんど動かない」ので、
  「気功」のように見えてしまうのかもしれません。
  以前、ちょっと重症な方が紹介で来られた際に、患者さんと付き添いのご主人、
  紹介してくれた元患者さんの3人で来られ、その患者さんの施術中に、
  元患者さんがそのご主人に対して、「今、先生が『気』を入れてるのよ」
  なんて説明する声が聞こえてきて、なんだか「ガクッ」としたことがあります。
  実際にテクニックの中には、見ただけでは「気功」とほとんど見分けの
  付かないものもいくつかありますが、理論上は全くの別物です。
  しかし、それらを「ぜんぜん別物です!」なんて必死で否定することも、
  それ程意味あることではないのかな、と最近は思っています。


  それはそうと、今まで私が思い描いていた「気功」とは、術者のほうから
  相手に向けて「気を出す」とか「気を送る」といった印象のもので、
  それが私の行っている施術との大きな相違点でもあると認識していました。
  「気」というのは、相手に対して「一方的に送りつけるもの」で、
  テレビなどでよく見かける「相手を押し倒してしまうような力」
  といった印象が強かったわけです。
  しかし、私自身は手から何かを出しているつもりなど全くありませんし、
  「出て欲しい」とも全然思っていないので、それが、「気功ですか?」
  と言われる事に対する抵抗になっていたのだと思います。
  (「気」に「暴漢」や「猛獣」を跳ね飛ばす程の力があるのなら、
   もちろん欲しいのですが・・・)


  ところが、最近のメールのやり取りから「気」に対する印象が変わってきて、
  「気を出す」といった感覚とは逆に、「気を引く」という感覚があり、
  そちらが実は重要なのではないかと感じるようになってきました。
  先日、学校の空き時間に、「解剖学の土井」先生と「遠隔治療」的なことをして
  遊んでいたときにも感じたのですが、患者に接触しないで治療する場合には、
  完全に「引く力」のみが必要で、その時にはやはり、
  術者側から何かを「送る」といった事は、一切要求されないように思えました。
  もちろんお互いに「気」などとは無関係にそれを行っていたのですが、
  ここに何らかの「気」の関与があるのなら、やはり「気を送る」というよりも、
  「気を引く」という感覚が重要になるように思えます。
  読んでいても、分からない方にはさっぱり分からないのでしょうけど・・・。


  普段何気なく使う「気」という言葉ですが、実に奥が深そうです。
  まだまったくの「ど素人」状態ですが、少し「気」を勉強してみようかな、
  と思っています。
  出来れば人間的にも「気が強い人」ではなく「気を引く人」になりたいものです。




2006/06/14



 一日遅れですが


  本当は昨日書きたかったのですが、何故か(?)忙しくて書けなかったので、
  一日遅れになってしまいました。


  一昨日の日本×オーストラリア戦は、本当に残念な結果でした。
  とは言っても、予選は後2戦残っていますし、
  現在の日本サッカー界の「ベストメンバー」が戦っているわけですから、
  我々としては、今後も精一杯応援を続けるしかありません。
  もちろん結果も大事ですが、それよりも彼らには、「悔いのない戦い」を
  してもらいたいものです。


  何事においても、「悔いを残す」のは嫌なものです。
  その為には、月並みですが「全力を尽くす」とか「妥協をしない」ということが
  必要です。
  結果はどうあれ、終わった後で「悔いを残す」のか、自分自身に対して
  「胸を張れる」のかは、全てそこにかかっています。
  つまり、結局は「自分との戦い」ということになりそうです。
  しかし、私の場合、コイツがなかなか手強い。
  もしかしたら、ブラジル以上かも知れません(笑)。
  今日も「自分」に負けないように頑張らなくては!


  さあ、それでは気持ちを切り替えて!


  頑張れニッポン !!


  ついでに、頑張れ「よしおかカイロプラクティック」 !?




2006/06/09



 走り方


  「日本山岳耐久レース(長谷川恒男カップ)」という大会をご存知でしょうか?
  日本でもトレイル・ランニングレース(山岳マラソン)はいくつも開催されている
  そうですが、これはその中でも最高峰の大会で、奥多摩全山(総距離71.5km・
  標高差1357m)を24時間以内に走破するという、超過酷なレースです。


  私は最近までその存在すら知らなかったのですが、その大会に参加している
  患者さんに内容を聞いたときには、その過酷さに一瞬耳を疑ってしまいました。
  先ず思ったのは「エッ、そんな大会に出る人がいるの?」という疑問でしたが、
  なんと2000人以上のエントリーがあるそうです。
  しかし、「完走率55%」という数字が、その過酷さを物語ります。
  その患者さん自身の成績は「20位台」と立派なものですが、本人曰く
  「まだ上に20人もいる」と、私には信じがたい言葉が飛び出しました。
  私なんて、たとえ緩やかな下り坂でも、70km歩く自信さえありません(^^;。


  私としては、起伏があり、路面も整備されていないような悪条件で、いったい
  どのような身体の使い方をして走っているのかということに関心があり、さらに、
  その中には、身体の自然な使い方のヒントがたくさん詰まっているはずだ、
  なんてところに興味をそそられるのです。
  そんなことを伺うと、走っている姿は、「野生的で、本能で走っているようです」
  なんて答えが返ってきました。
  う〜ん、ますます興味深い!


  身体の使い方なんて、頭で考えたり他人に押し付けられたりすると
  ぎこちなくなるばっかりで、かえって故障の原因になってしまうことがあります。
  治療する側は、ついつい自分の考えを患者さんに押し付けてしまいがちですが、
  それが本当に正しいことなのかどうか、少し考える必要があります。
  特に私はこれまで常識とされてきたようなことに対して否定的な面があるので、
  いろいろと意見することに躊躇もあります。
  「走り方」などその最たるもので、あまり余計なことは考えないほうが
  良いのではないかと思うことが多々あります。


  いずれにしても、私自身は治療に専念することが本分ですし、
  患者さんもそんなことは求めていないとは思います。
  経験がないことにあれこれ理屈を押し付けるのも無責任というもので、
  経験があることでも感覚までは伝えきれるものではありません。
  やはりそういったものは、息遣いまでも感じ取れる位の距離感で体感し、
  身体で盗むのが一番ではないかと思います。
  私は私で、そんな走り方を実際に見て、色々と勉強させてもらいたいものです。
  その中から掴んだものを、専門的な視点を通して咀嚼し、
  頭でっかちにならないような「ちょっとしたアドバイス」につなげられたらと
  思っています。


  それにしても、「走り方」にはそれぞれ個性があって、
  その姿はず〜っと見ていても飽きることがありません。
  「山岳耐久レース」なんて、私のようなものにとっては、
  間違いなく「最高の競技」と呼べるようなものに違いありません。
  もちろん「見るだけ」ですが(^^)。




2006/06/06



 死生観


  毎週月曜は講義のため東京へ行くのですが、電車内は「アエラ」(朝日新聞社)
  を読みながら過ごすのが習慣になっています。
  毎週興味深い記事が多いというのも購読理由の一つですが、全ての記事に
  目を通した頃に新宿に到着するので、分量的にもぴったりの雑誌なのです。


  今回深く印象に残ったのは、鹿児島県の「与論島」に残る伝統的な儀式、
  「洗骨」に関する記事でした。
  この儀式は、年二回決められた日に、土葬されている親族の遺体を掘り起こし、
  洗い清めて再び埋め戻す、という、一種独特な信仰に基づく儀式です。
  記事によると、この洗骨を行う文化圏では、殺人などの重大な犯罪が少ない
  という研究報告もあるそうです。
  記事中、妹の頭蓋骨を磨くお婆さんの姿が写真で紹介されているのですが、
  やさしさと神聖さがにじみ出たすばらしい写真に、心を打たれます。
  しかし、最近島内に出来た「火葬場」の影響から土葬が激減し、
  このすばらしい文化も姿を消しつつあるそうです。


  我々がこうして生きていられるのは、「自然の恵み」があるからに他なりません。
  その自然は、あらゆる生命の「循環」によって成り立っています。
  ですが、現在は、どうも人間だけがその循環に関わっていないのではないかと、
  そんな気がしてしかたありません。
  死後、土葬されることで養分が土に返り、その養分によって生命が生まれ、
  それがめぐりめぐってまた人に返って来ると考えると、
  死生観もまた変わってくるようにも思えます。


  農作物の肥料にも化学肥料が多用され、かつてのように人糞などを用いる
  事はなくなっています。
  それも一つの循環だと思うのですが、これらの循環が途切れたことと、
  アレルギー疾患などの増加は、どこかで繋がっているのではないかと
  思うことがあります。
  (根拠もなくこんなことを言うと、笑われてしまうかもしれませんが・・・)


  でも、そう考えることで「命のつながり」を実感し、「自然=生命」という意識を、
  もっと強く自覚できるのではないかと思います。
  「自然治癒力」って、本来そんな意味も含んでいるのではないでしょうか・・・。




2006/06/02



 サッカー選手の腰痛


  早いもので、もう6月です。
  月日が経つのはあっという間で・・・って、これは先日書いたばかりでした。。。


  相変わらず良い天気は長続きしませんが、巷ではスポーツシーズン
  真っ盛りで、各地で様々な競技大会が開催されています。
  サッカーのワールドカップもまもなく開催され、楽しみにしている方も
  多いのではないかと思います(私も楽しみです)。


  山梨はサッカーがわりと盛んなところなのですが、特に私の住む町は、
  「中田英寿選手」の母校、古豪「韮崎高校」の学区に当たるので、
  以前からサッカーファンの多い町でした。
  まぁ、それはどうでもいいとして、サッカーが盛んということは、
  サッカー選手も多いということで、当院にもたびたびサッカー選手が
  治療にやってきます。
  先日も、韮高のサッカー部員が「腰痛」で来院しました。


  サッカー選手は下肢の筋力が発達しているので、その強すぎる筋力ゆえに
  骨盤に歪みが生じるのではないか、なんて思っていたのですが、
  どうもそれは一次的な原因ではなく、それ以前に、
  蹴る動作そのものにも原因がありそうだと、最近気付きました。


  強いボールを蹴ろうとすればするほど、軸足には大きな負荷が加わります。
  その際、軸足側の仙腸関節には特定の動きが見られるのですが、
  その動きの繰り返しによって、骨盤の歪みが形成されてしまうようです。
  ロングキックを蹴ることが多いポジションの選手や、強いシュートを打つ
  選手ほど、腰痛のリスクが高い、と言えるのかもしれません。
  というよりも、ほとんどの選手にそのリスクはありそうです。


  スポーツに本気で取り組んでいる選手は、肉体的な限界すれすれのところで
  自分の能力の限界を高めようと努力していることが多いので、
  いつも故障と背中合わせ、といった状態にあります。
  また、そういった状況に自分自身を追い込まなければ、
  自己の限界を超えることなど出来ないでしょう。
  そして、そんな選手の姿勢が、見るものを感動させるのだと思います。


  しかし、ただ闇雲に追い込むだけで、その後のケアを怠っていては、
  故障するためにつらい練習に耐えてきた、といった結果に繋がりかねません。
  人一倍努力することを目的に練習しているわけではなく、競技を続け、
  自己実現に繋げるための練習でなければ、本末転倒です。
  その為にも、健康管理にはしっかりと気を配って欲しいものです。
  一スポーツファンとして・・・。



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