ホームゲレンデとなる
琵琶湖バレーにおいて、初めての研究会が実施された。
このスキー場は土曜日がオールナイト営業で、日曜日の登降ゴンドラは朝5時から動き出す。よって日曜日の朝6時頃から5時間滑れば、(人が混んでくる)昼までにスキーを終えて帰ることができる便利なスキー場である。テレマークは疲れるので、5時間以上は滑れない。年のせいじゃろか?
このころからようやくエヴィンのテレマーク姿勢が決まり出す。
「春の雪山が俺たちを呼ぶぜ〜」
H12.3.22、24〜26 第6回研究会「偵察、強風、そしてリベンジ」
22日:狂ってる2人
「22日は昼からフリーなんで第6回研究会の事前偵察に行きまひょ」いつものように1号がニコニコしながら2号にささやいた事により、怒濤の第6回研究会は始まった・・・。
「スキー(テレも)はまず最初の1時間はボーゲンをみっちりやって、滑る感覚を確立してから、パラレルとからやらんと、キッチリ滑れないんスよ!」という1号は、琵琶湖バレーに到着したのが14:00頃で、17:00まで3時間しか滑れないことが分かると、いきなりパラレルターンで滑り出した・・・(@@)。「言ってることとやってることが全然違うやん」
往復5時間以上かけて琵琶湖バレーに行って、3時間滑る2人は狂っているとしか言いようがない。
24日:嵐の琵琶湖バレー
テレ研フルメンバーと新人セッチャン(仮称:のちに3號バンビーと改名)が勢揃いした琵琶湖バレーは、猛吹雪でリフトは止まり、雪煙で周りも見えなくなっていった・・・。「神田を呼べー」(映画「八甲田山 死の彷徨」より)
結局セッチャンのスキー指導を山頂駅周辺で少しやった後、強風で止まっていたゴンドラが動き出したので下山して帰ることにした。なんか疲れたー。
25日:リベンジその1
この日エヴィン(2号)は琵琶湖バレーから権現山へ行こうとシール持参で琵琶湖バレーに降り立った。「昨日のリベンジじゃー」
そしてゴンドラ山頂駅に降り立つと猛吹雪だった・・・。「神田を呼べー!」 とりあえずリフトも止まっているのでシールを付けて蓬莱山へ登ってみる。「真っ白でなんも見えましぇん」
リフトが何とか動き出したので、ゲレンデで練習することにしました。「う〜ん、スケート靴が必要だ!」ガチガチのアイスバーンなんです。おまけに強風のため、リフトに乗っている時にいきなり停止、吹き飛ばされそうな風に震えながら動き出すのを10分ぐらい(に感じられた)待つ羽目に・・・。「おらもう帰えるだ!」
リフトも全部停止したので、ゴンドラに乗って降りていると、これまた強風で2回も停止する。やっと駐車場に降り立つとゴンドラは完全にその活動を停止したのでした。(故障した訳ではありません。強風で運行中止になった)「山頂に残っている人よ!早く風がやむといいネ!アーメンそーめんビワコバレー」(何のこっちゃ)
26日:リベンジその2
これでへこたれては八尾テレ研の名誉に関わる!26日早朝、1号と2号とセッチャンは再びバレーに挑戦することに。天気予報は雪(なんと河内も)三人の運命やいかに・・・?
(注:ここまで前日の25日に作成)
26日:リベンジその2はどうなった?
「今日も風は強いみたいだね・・・。ほら、あの雲なんかスペースシャトルより早く流れていくよ・・・。」昨日停止したリフトでさんざん凍えまくったエヴィンはものすごい弱気である。「リベンジなんてアホなこと考えんと、国境スキーじょーへ行きましょい。あそこは谷の中やから強風の影響はあまり受けないやろし、ゴンドラが止まって足止めなんてことも無いッスよ。距離はちょっと遠いけど・・・(往復で+100kmでした)」
気持ちはジョニーも同じだったらしく、軟弱テレマーカーとセッチャンは国境(くにざかい)スキー場へと旅だったのでした。
「ホントに今日は3月26日なんやろねー」・・・なんと湖北は大雪でした。エヴィンのタイプRは帰る頃には3センチ以上の積雪で真っ白に。着替えるときにも車中には容赦なく雪が降り積もっていったのでした。「あぁ〜」
しかーし、今年初めて本物の雪の上を滑ったんじゃないかという感覚を得たのです。そういえば近畿の新雪はこんな感じだったな〜。パウダーじゃないけど柔らかい(^^)。新雪(深雪)に入っても、テレマークターンだと曲がれる!やっぱテレマークっしょ!とはしゃいでいる内に、ジョニーもエヴィンも疲れ果てていくのでした。国境がもっと近ければ何回もこれるのになー。
そういえば、今回アルペンスキーで参加したセッタ君も、そこそこ滑れることが分かったので(彼はもともとスノーボーダー)今度はテレマークを履かせてみよう!今年は、シーズンの始まりが遅かった代わりに、いまだに雪が降っているので、まだまだ滑りに行けそうです。
H12.3.31 第6回研究会の補完「蓬莱山から小女郎峠へ」
第6回の研究会では結局、まともに琵琶湖バレーでは滑れず、琵琶湖バレー(蓬莱山)から権現山までのコース偵察も行けなかったので、エヴィン単独(好きだな〜)による偵察が行われた。
だいぶ雪が少なくなったとはいえ、蓬莱山から小女郎峠までは、テレマークスキーで滑っていくことができました。広々とした雪面が無いので、ターンはテレマークと言うより、アルペンターンを多用します(これは雪が締まっていたからかもしれません、でもテレマークスキーでもアルペンターンの練習は必要です)。小女郎池周辺は、まだ雪がたくさん残っており、クロスカントリーが楽しめました。やっぱり、誰も滑ったことのない雪面にスキーの跡をつけるのは気持ちいい!
40cmぐらいの積雪だと、スキーは快適に前進できるので、雪山にはテレマークスキーは必携だな〜と感じました。小女郎峠から権現山までは雪が少なく、前進は断念して、蓬莱山に向け帰ることにしましたが、やっぱり登りはきつい!カルフの10thマウンテンはステップ付ですが、シングルキャンバーなので、フィッシャーのマウンテンクラウンに比べると、後ろに滑りやすいです。やっぱり、登りは面倒でも、シールを付けるべきでしょう。
H12.4.13 臨時研究会「ありがとう!琵琶湖バレースキー場」
大阪では桜満開の4月13日(木)、休みをもらって朝寝をしていたエヴィンの元へ1本の電話がかかり「今日は天気もいいので、臨時研究会を実施する!」と教祖様のありがたいお言葉が受話器から流れてきました。
「ジョニー、何寝ぼけてんのや!今時、どこに雪がアるんや、もしかしてアストロでやるのん?」と聞き返すエヴィンに「昨晩、枕元にテレマーキアが降り立ち『琵琶湖バレーに雪あり、布教活動を行え』とお告げがあったんです」との返事、「バレーは9日で終わったはずじゃ?つきあいきれんわ」と電話を切ったエヴィンは、胸騒ぎを感じインターネットで積雪情報を見ると「琵琶湖バレー積雪40cm一部滑走可」の文字が(@@)!
「恐れ入りました、行きやしょう!」ということで、またまたとち狂った2人はバレーに降り立ったのでした。駐車場タダ、ゴンドラタダ、リフト券2000円ちょっと、お客10人ぐらい・・・「ほんまにバレー大丈夫か?」ということで、この状態でリフトを2本動かしている琵琶湖バレーに感謝感激です。来シーズンも絶対来るからね!
今日のエヴィンの装備は、拾ってきたアルペン板に3ピンのXCD(BD)バインディング、靴はクリスピのマウンテン(道具のページ参照)という挑戦的なものであったが、「
滑れるジャン!」ということで、ある程度技術をマスターすれば、道具は何でもOK、
プラスチックブーツはいらない!という結論に達したのでした。
重大な出来事!!そういえば、初めて20代ぐらいの女性テレマーカーを発見したのです。スキー場のスタッフの人みたいで、2本ほど滑って姿を消しましたが、テレマーカーは「
おぢさん」だけじゃない!と意を強くしました。肝心の1号2号の滑りはというと悪悪の雪質のため、黒い雪の上でブレーキがかかって、何回も転けましたが・・・。
テレマークはある程度上達しても転けるのが楽しいね。
そういえば
4月1日(土)も琵琶湖バレーで、第2回研究会のメンバーからジョニー、ハマチャン抜きのバンビー追加で楽しみましたが、このときはバンビーをフリ−ヒーラーに改宗する事が出来たので、まさに今シーズンのバレーはテレ研のホームゲレンデとして、なくてはならない存在でした。
H12.5.1〜2 第7回研究会「御嶽山」
テレ研初の合宿でバックカントリーでスキー登山だ〜\(^o^)/
でもいきなり御嶽山なんてだいじょうび?といいながらも、ついに念願のゲレンデ以外のスキーに行くことができました。テレ研本来の活動のため参加者はジョニーとエヴィンだけでしたが、天候には何とか恵まれ、山頂まで到達しテレマークの跡を残してくることができました。
1本の滑りのために半日かけて登山するという普通に考えたらなんて馬鹿なことなんだろうという行為も、実際やってみるとゲレンデでは味わえない楽しさと達成感を得られる事が分かりました。今後はいかに安全に(「確実に帰ってこれる」の意味)バックカントリースキーができるかが研究課題になるでしょう。
今回をもって今シーズン最後の雪上でのスキーとし、これからは登山等による体力錬成とスキーコースの事前偵察及び比叡山アストロ(オールシーズン)スキー場におけるテレマーク基礎の確立を主な活動内容としていきたいと思います。
御嶽山スキー登山の詳細については「えびちゃんの山行記録」をどうぞ!
活動記録メインへ 第2シーズンへ
1.テレ研とは 2.メンバー紹介 4.道具について 5.今後の予定