ロシア式の報道規制                                             岡森利幸   2006.11.3

                                                                                                                       R2-2007.1.16

以下は、新聞記事の引用・要約。

The Wall Street Journal  (Oct. 9)

プーチン・ロシア大統領の手厳しい批判者だった女性記者が、アパートで射殺された(*1)。チェチェンでの人権侵害の記事で有名だったアンナ・ポリトコフスカヤ氏だ。そのチェチェンの紛争に関しては、統制の度を高められている政府系ロシア・メディアではほとんど触れられていない。彼女は、市民に対する拷問や拉致に関して、政府が後ろ盾になっているチェチェン首相のラムザン・カディロフ氏を非難していた。彼女の属するノーバヤ・ガゼータ紙は彼女のチェチェン取材報告を掲載する予定でいたが、彼女の死によって、もう報告はできなくなった。

ポリトコフスカヤ氏は、元KGB職員のプーチンが大統領になってから(*2)、殺害された13人目のジャーナリストになる。その多くは、米国記者のポール・クレブニコフ氏の殺害事件のように、未解決のままだ。

毎日新聞夕刊2006/10/11まちくに世界面

反プーチン派として世界に知られていたロシア人記者、アンナ・ポリトコフスカヤ氏が殺害された事件について、ロシアのプーチン大統領は10日、訪問先のドイツで、「(事件は)下劣きわまる犯罪だ」と非難しながらも、「彼女のロシア政治に対する影響力はまったく取るに足らなかった。殺害事件自体の方が彼女の記事よりロシアへの影響が大きい」と述べた。

この国では、言論弾圧の手段として、記者の殺害が行なわれている、と解釈できるだろう。

ロシア連邦政府にとって、チェチェンの問題は内外に知られたくない題材であって、その対応策や反人道的な行為に関して批判を浴びることは非常に不快なものであるらしい。実態を伝えようとする、あるいは批判する記事を書く記者の口封じをする(始末する)ためには、射殺が一番手っ取り早いことなのかもしれない。権力を利用して組織的に実行すれば、それは容易に可能なのだ。

そういった事件が起こる毎に、大統領や政府は、「あらゆる手段を尽くす」などといって事件を解明しようと表明する、あるいはその姿勢だけを見せるだけで、ほとんど何もしていない。何人か容疑者を捕まえたという事実もあるようだが、その動機や背後関係を追及しようとしていない。それでは、政府関与の疑いが深まるだけだ。

こういった事件で、連邦政府の長であるプーチン大統領に欧米のメディアがコメントを求めるのは、『理にかなったこと』だろう。彼らも、この事件はロシア政府の上層部からの指令で実行された可能性が大きいと見ているからだ。それに対するコメントとして、「下劣きわまる犯罪だ」とプーチン大統領が答えたが、私は、実行犯よりもそれを指示した人間の方がずっと責任が重いと考える。さらに下劣きわまる人間だろう。

「まったく取るに足らなかった」ならば、射殺する必要性はなかったことになる。かれは自分の言動の矛盾に気がつかないのだろうか。

米国ライス国務長官が、北朝鮮核開発に関連して日本・韓国・中国に続いて10月21日にロシアを訪問したとき、空港で飛行機のタラップを降りた直後から、まったく足取りがつかめなくなるほど、内外のメディアに対して強い報道規制が敷かれた。それはライス長官のスケジュールの中にアンナ・ポリトコフスカヤ氏の遺族や関係者たちとの会合(*3)があったから、ロシア当局が手を回したのだと考えられるという。私もそう思う。

 

アンナ・ポリトコフスカヤ氏の名前は、どこかで聞いたことのあるような名前だと感じて、私の旧作を調べてみたら、やはりその中にもあった。個人的にも、ショックを感じている。

それは2004年9月1日に起きた「北オセチアの学校占拠事件」のことを書いた一文だ。その事件はチェチェンに関係する。参考に下段にリンクを張っておく。

彼女は以前から当局にマークされていたジャーナリストで、彼女自身、身の危険を感じていたはずだが、それでも報道の現場に身を置き続けたことに、私は彼女の「ジャーナリスト魂」の気高さと無念さを感じる。

 

 

*1. 2006年10月7日、モスクワ市内の自宅アパートのエレベーター。

*2. KGBとは、旧ソ連の国家保安委員会。アメリカのCIAに相当する秘密警察。プーチン氏は1975年よりKGBに勤務した。その後、地方や中央の行政官を経て、1998年にはKGBの後身である連邦保安庁(FSB)の長官にも就任した。1999年10月に引退したエリツィン氏の後を受けて大統領代行になり、2000年3月に大統領に選任された。

*3. 国営ロシア通信が、ライス国務長官の滞在先のホテルで、長官が遺児と編集長に哀悼の意を表したと伝えた。それ以上の内容については明らかにされていない。

 

その後に起きた事件の新聞記事を以下に追加する。

毎日新聞夕刊2006/11/20まちくに世界面

ロンドン警視庁は、ロシアのプーチン大統領を批判して英国に亡命していた連邦保安庁(FSB)の元中佐アレクサンドル・リトビエンコ氏(43)が毒殺未遂にあった疑いを強め、捜査に着手した。

11月1日にロンドン市内のレストランで、ロシア当局のチェチェン住民弾圧を告発してきた著名な女性記者アンナ・ポリトコフスカヤさん殺害に関与した人物名が記されたリストを情報屋から得た直後、体調を崩し入院した。劇物のタリウムが使用されたとみられ、現在も重体という。

英メディアによると、元中佐は「リストには(ポリトコフスカヤさんの)殺害に関ったと見られるFSB関係者が含まれている」と話していたという。

2004年9月1日に、ポリトコフスカヤさん自身が北オセチアの学校占拠事件の取材に向かう途中の飛行機の中で毒物被害にあったときの状況とそっくりではないか! (参照、末尾の「ロシア学校占拠事件」)

その後、リトビエンコ氏は11月23日に死亡。死因は、タリウムによる中毒でなく、非常に希少な放射性物質で検出が難しいポロニウムによる被ばくと判明した。ポロニウムは、ロシアの核関連施設で製造され、権力者の指示によってイギリスに持ち込まれた可能性が高い。

イギリスでは、リトビエンコ氏の支持者たちがプーチン氏を名指しで非難する声明を出し始めたが、プーチン氏は関りを否定した。ロンドン警視庁は、ロシア側に、リトビエンコ氏が倒れる直前に会ったとされる元FSB職員アンドレイ・ルゴボイ氏らの事情聴取を求めた。

毎日新聞朝刊2006/11/25一面・余禄

プーチン氏はこの夏、情報機関に「テロリスト殺害」を指示できる大統領権限を手に入れている。(今年7月の「反テロ修正法」)

毎日新聞夕刊2006/11/29

露元副首相ガイダル氏入院。プーチン大統領に批判的な姿勢をとっていた。訪問先のアイルランドで24日、朝食後原因不明の吐き気と発熱に襲われ、(現在)モスクワの病院に入院している。

毎日新聞夕刊2006/12/5

ガイダル氏が4日に退院した。急病の原因は特定されていない。体内から放射性物質は検出されなかったという。

ガイダル氏は、近著の宣伝のためにアイルランド・ダブリンでの会合に出席中、嘔吐し、意識を失った。26日にモスクワの病院に移送され、治療を受けていた。

プーチン氏にとって「テロリスト」とは、[彼を批判する人]のことらしい。

 

 

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