仕事の裁量と対価                                                                                   岡森利幸  2006.5.18

                                                                                                                       R2-2007.2.20

 

毎日新聞朝刊2006年4月13日

厚生労働省は、一定水準の年収があり、仕事の裁量幅も大きい「ホワイトカラー」について、残業代や休日手当ての支払い対象から除外する新たな労働時間法制の「視点」を労働政策審議会に提出した。来年の労働基準法改正のための審議がスタートした。

毎日新聞朝刊2006年12月14日

厚生労働省の旧労働省職員らの労組、全労働省労働組合は、自律的労働時間制度の導入に関して13日、第一線の労働基準監督官からの緊急アンケートをまとめた。結果は制度に反対が60%、賛成17.9%、どちらとも言えない21.8%だった。

東京都内で勤務する現職の監督官の一人は「残業代ばかりか命まで奪う、過労死促進法だ。しかも過労死でも労災認定を取ることすら難しくなる」と憤る。

それを「裁量勤務制」、あるいは「自律的労働時間制度」などという。メディアは盛んに「残業代ゼロ制」というみもふたもない言い方をしている。厚生労働省は「自己管理型労働制」という響きのよい名称を用いようとしている。制度の名称はともあれ、ミドルクラスのホワイトカラーの多くの人々を労働時間規制から除外しようとする。つまり、労働時間の規制を取り外し、従業員の各人に働きたいだけ働かせようとするものだ。しかも、一定以上の残業代は、企業は出さなくていいという制度だ。

会社が従業員に『仕事の裁量』という甘いえさを与えて、その時間に関して手当てを支払わないのは、実質的な給料カットである。労働条件がますます悪くなりそうだ。

会社で管理職といわれる人々は、今でも、残業代や休日手当ての支払い対象から除外されている。一般職から管理職に昇進したとたん、毎月の給料が減ってしまう現象がある。彼らは口をそろえてそれを嘆く。ただし、ボーナスなどを加えた年収やその他の優遇措置で、そこそこのレベルになるのが一般的だろう。

その適用対象が拡大されようとしている。会社がその除外規定を活用すれば、残業の多い従業員を仕事の内容はそのままで、残業代や休日手当ての支払わずに済ませることができる。会社にとってはそれが人件費削減の一策になる。しかし、働く者にとっては、残業代や休日手当てがなくなるのだから、明らかに収入は減る。今でも、残業の多い従業員を管理職に昇進させることで、人件費を低く抑える方策を採っている企業がある。例えば、2005年10月には群馬県で、ファーストフードの店長が、「実態は管理職でないのに管理職とされ、月70〜100時間の残業代が支払われていないのは労働基準法違反」として、会社を訴えたケースがある。

仕事を管理する上で、残業と休日出勤を把握することは必要だろう。それが管理されないと、働きすぎが数値に表われない恐れがある。過労は心身の健康を損なうものだ。残業と休日出勤の時間で健康管理するメリットが失われてしまう。従業員を働かせる立場の会社側には、従業員の働く時間を管理する責任があるはずだ。特に民間の会社では、仕事の量には波があり、忙しいときには残業や休日出勤が重なるものだ。仕事の量に対応してその時間が増えるのは当然のことだ。その対価としての手当てがカットされるのはおかしい。その手当てを会社が出し惜しみするのは、フェアなことではない。仕事が山積みされ、その『成果』だけが求められると、勤勉な従業員は経済的にも精神的にも追い詰められることになる。

仕事の裁量といっても、会社という組織の下で働くのだから、自分の気ままに働くわけにはいかない。すべて決められたスケジュールや課題(あるいはノルマ)に従って働いているのだから、よっぽどひまな会社や団体は別として、自分の仕事を自分の裁量で、つまりマイペースで仕事を進めるようなことは実質的にできない。企業では、常に効率を考えて配置転換を積極的に行い、人員削減を心がけているほどだから、個人の「裁量」などは限られた範囲でしかない。

会社での仕事は、すべて時間や日程に管理されているものだ。定められた時間や期日内に一定の仕事をかたづけなければならないことがほとんどだ。仕事を時間で管理すること(スケジュール)は、あらゆる人に必要なことだろう。仕事のために費やす時間に比例した報酬がなくては、ただ働きになってしまう。ボランティアなら別だが……。

基本給の高い従業員や職員においては、残業や休日出勤の時間当りの手当てが基本給に比例して高額になっていることも確かである。積年、労働組合がそんな時間外賃金の割り増しや手当ての高額化を要求してきた経緯がある。会社側が従業員に残業や休日出勤させると高くつく、ということで長時間残業が抑制されると考えたからだ。しかし、それはブルーカラーの人たちには有効だったかもしれないが、一般のホワイトカラーに対しては抑制効果が少なかった。生産拠点が海外に移るとともに、ホワイトカラーの比重が増したし、残業や休日出勤の時間外賃金が高くなれば、従業員はますます長時間の仕事をするようになる。収入が多くなるとなれば、労働者は無理してでも働く。中には、同僚に付き合って、深夜までずるずると残業する人も現れる。ホワイトカラーの人減らし(リストラ)が進む中では、人を増やすより現状の人員で残業させた方かいいということで、会社側は従業員の長時間残業に、法定の範囲内であれば、比較的寛容である。しかし、長時間仕事をすれば、能率も落ち、いいアイデアも浮かんでこなくなり、ミスも多くなるものだから、残業への過大な割り増し賃金や手当てには、疑問符が付く。それが、経営側がホワイトカラーに残業時間の賃金を支払いたくない大きな要因になっている。

「自律的労働時間制度」を導入するよりも、ホワイトカラーの仕事のしすぎを防ぐために残業時間(実労時間)の管理とともに、それに比例した対価としての賃金が支払われるべきだ。働く側にとって、[タダ働き]させられるのは『たまらない』(お金も貯まらない)ことだ。ただし、過大になりすぎたその割増率(現行25%)を縮小し、現状の残業代や休日出勤の手当てを減額する(時間内賃率に近づける)のが、労使双方ともに納得の行く妥当な線だろう。

 

 

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