最悪の人質事件――ロシア学校占拠事件                        岡森利幸   2004.12.23

 

8月24日、ロシア旅客機2機が爆発によって墜落し、乗員乗客90人が死亡。

8月31日、モスクワ地下鉄駅前で自爆テロが発生し、通行人10人死亡、51人が負傷。

今年(2004年)ロシアで、それらはまるで大地震の前の予兆であるかのように発生した事件だった。そして9月1日、ロシア南部に激震が走って最悪の人質事件に発展した。そのロシアの北オセチア共和国*1で起きた学校占拠事件に関して概要を記述し、事件を振り返ってみよう。

事件は、9月1日9時、北オセチアのベスラン町の小学校の始業式(欧米では、9月が学年の始め)の最中に起きた。生徒たちやその家族たちが集まっていたとき、武装グループが正門からトラックや車で校庭に乗り入れ、武器を用いて狩り立てるようにして、裏門から逃げた一部の上級生を除く生徒たち、家族たち、教職員たち約1200人を学校の体育館や食堂に押し込めて人質とし、たてこもった。その後、治安部隊が取り囲む中で、緊張状態が続いた。交渉が進まないので、武装グループが態度を硬化させた。武装グループが食料・水などの補給を拒否したことにより、人質たちは、飲まず食わずの寿司詰め状態で空調の効かない屋内に閉じ込められていた。解決のめどが立たないまま、9月3日午後1時15分、体育館天井付近の2度の爆発のあと、銃撃戦が始まり、午後2時ロシアの治安部隊が突入した。人質が解放され始めたのは、占拠開始から52時間経過してのことだった。3時半に武装グループの一部が人質を連れて逃走し、近くの民家に立てこもったが、夜の10時15分にすべての戦闘が終結した。爆発物による破壊(体育館の屋根が崩れ落ちた)と火災によって、あるいは逃げようとして武装グループに後ろから撃たれ、または激しい銃撃戦に巻き込まれて、人質の中に多くの死傷者が出た。10月初旬のロシア政府の発表によると、確認された人質の死者は331人(うち172人は子供)。10月1日時点で227人が入院中。その他、ロシア軍の特殊部隊の11人が死亡し、20人以上が負傷した。

ロシア政府にテロリストと名指しされた武装グループは、別事件で逮捕された仲間たちの開放を要求していたというが、真の目的は何であったのか。彼らはどんな組織の属している者たちだろうか。

ロシア政府が、これまでチェチェンの武力展開は国際テロリズムに対しての、アメリカが後押ししている戦争の一環であるとたびたび声明を出しているように、この武装グループもアラブ系の『国際的』テロ組織の者たちだと示唆したが、住民の中には、アラブ系の容貌をしたものはいなかったと証言する者がいた。ロシアのメディアの一部は、チェチェン人が主体のグループだと報じていた。9月17日にインターネットで、チェチェン独立派の指導者シャミル・バサエフが臆面もなく犯行声明を出した。このロシア学校占拠を「ノルド・ウエスト作戦」と称したという。しかし、チェチェンで何が行われたにしても(長年にわたるチェチェン紛争で数十万人が死亡し、特に1999年の大規模な軍事行動により首都グロズヌイがほとんど廃墟になったと言われている。この紛争による死傷者数や損害の総計は、ほとんど把握できていない)、こんな犯行を正当化できるわけはないし、それが人道上最悪の手段であったことは確かだ。占拠していた武装グループの中で対立が起きたという。余りの酷さにリーダーにたてついた2人の女が別室で爆死させられ、もう一人の男も銃殺された。事件後、プーチン大統領に「その残酷さでは前例がないテロ犯罪だ」と非難されたのは、当然だろう。ロシアのテロ撲滅の方針には、アメリカも賛同した。人質事件では、その場しのぎに金で解決することが得意な日本政府も、9月3日に今回のロシア政府が採った対応に賛意を表した。

 

以下の内容は、新聞記事の概要を日付順に構成した。文頭に、記事が載った新聞の発行日と新聞の略号を記す。

引用紙の凡例 毎―毎日新聞(夕刊と記してないのは朝刊)

産―産経新聞

T―The Japan Times

Y―The Daily Yomiuri

《9月2日【毎】、武装グループのメッセージによると、彼らはチェチェン独立派を名乗り、イングーシ共和国(北オセチアとチェチェンの間に位置する)で今年の6月に検挙されたチェチェン独立派メンバーら30人の解放と、現在約7万人規模とされるチェチェン駐留のロシア軍撤退を求めているという。

ロシアのイワノフ国防相は、9月1日「テロ組織によるロシアへの宣戦布告だ」と語った》

《9月2日【毎−夕刊】、ロシア側は2日未明、武装集団の要求に応じてモスクワの小児科医、レオニード・ローシャリ氏を仲介者に立て、武装集団と電話による交渉を開始した。しかし進展はなく、学校を包囲する治安部隊と武装集団とのにらみ合いが続いている。

一方、米紙ニューヨーク・タイムズは1日、武装グループの一人が、電話でその組織名を「リヤドゥス・サラヒン第2」と名乗った、と報じた。「リヤドゥス・サラヒン」は、チェチェン独立派武装勢力の最も強硬派として知られ、02年10月のモスクワの劇場占拠事件にもその組織の一員が加わっていた。アメリカ政府が03年にテロ組織に指定している》

《9月3日【Y】、プーチン大統領は、クレムリンからテレビ放送で、人質の安全が大事であることを表明した。「われわれの主要な任務は、人質になった人々の健康と生命を救うことだ。この任務を遂行することに全力が注がれるだろう」》

《9月3日【毎】、北オセチアのズガエフ報道官は2日、「当局は武装集団と携帯電話で連絡を取っているが、具体的な条件を巡る話には至っていない」と語った》

《9月4日【毎】、ロシア治安部隊が突入。3日の午後1時過ぎ、数回の爆発音の後、武装集団と治安部隊との間で激しい銃撃戦になった。武装集団の一部は人質を連れて逃走、学校の地下施設に3人が人質とともに立てこもっているという。学校では夜も散発的に銃撃戦が続いている。

校舎に響く銃声、悲鳴。裸で逃げまどう子供。背後から銃弾の雨。流血の悪夢、家族放心。体育館は遺体の山》

《9月4日【Y】、プーチン大統領は、「過酷な事態を終結させるためと子供たちの命を救うため、可能なことはすべてやった」と言った》

《9月4日【毎−夕刊】、並ぶ遺体、家族絶句。人質1200人の8割が死傷。プーチン大統領は、「あらゆる選択肢を検討したが、実力行使は計画していなかった。予期せぬ展開となった」と語った。

ロシア当局者は3日夜、「アラブ世界から来た雇われ兵が武装集団に含まれていた」と語るなど、今回の事件の背景にイスラム原理主義組織の関与を示唆する発言をした。またロシア・メディアは、国際テロ組織アルカイダが今回の事件に資金援助していると報じた。しかし、武装集団の中にアラビア語を話していたメンバーがいたという情報は今のところなく、「アラブの雇われ兵」との指摘の根拠は不明だ。

ロシア当局のアルカイダ関与を示唆する発言は、武装集団と治安部隊の激しい交戦の最中に行われた。異例の迅速な発表は国際テロ組織の関与を打ち出すことで多数の犠牲者を出した突入行動に対する国内外の非難をかわす狙いがあると見られる。

危機管理に詳しい佐々淳行さんは、「交渉で人質の数を減らしていくことと宗教人を仲介に使うことが常道だ。赤十字を使って交渉に当たるとか、犠牲者を減らす方法はあったはず」と語る。

軍事評論家の上浦元彰さんは、「人質の数が当初の発表より大幅に多かった点について、自らの指導力に疑問符がつく情報はできるだけ出さないというプーチン大統領の体質がうかがわれる。突入直後、現場所空をロシア軍のヘリが飛んでいたのは、逃亡する武装メンバーを監視するためであろう」と指摘する》

《9月5日【毎】、1時3分に体育館で爆発が起き、屋根の一部が人質の頭の上に降ってきた。200〜300人ほどが別々の方向に逃げ出した。その直後の爆発で体育館の屋根が崩れ落ち、床は火の海になった。

ロシア北オセチア共和国政府当局は、当初「人質は354人」と発表したが、実際は1000人以上の人質が体育館の中にいた。当局が意図的に過小報告していた。

ロシア当局が人質や武装グループの数を過小に発表したり、国営テレビが銃撃戦の模様を生放送しなかったりしたこと(娯楽番組の放映を続けていた)が内外で、「露骨な情報操作だ」との批判が起きている。メディア統制を進めるプーチン政権の体質といえそうだ。

ロシア最高検察のフリジンスキー次席検事は「322人の死者(うち子供が155人)」と発表。ロシア連邦保安局のアンドレーエフ・北オセチア事務所長は、武装集団のうち32人が銃撃戦で死亡、と伝えた》

《9月5日【Y】、プーチン大統領は、「テロリストの目的の一つは、民族紛争の種をまくことと北部カフカス地方(英語で、コーカサス地方)を爆破することだ」と言った》

《9月6日【毎】、北オセチア共和国の治安当局は5日、学校占拠事件の現場を公開した。記者が見た状況では、体育館は全焼し、壁は崩れ落ち、窓のあった八箇所が爆発で大きな穴となっていた。屋根が完全になくなっていた。(制圧直後に)この体育館を見た軍医は5日、記者に対し「死者は700人に上るだろう。体育館いっぱいに死体が折り重なっていた」と証言した。

パーベル・フェリゲンガウエル氏(ロシア、軍事アナリスト)のコメント、「治安部隊の突入は目も当てられぬ失敗だった。銃撃戦が12時間以上も続き、武装ヘリと戦車を投入し、人命無視の無差別攻撃の末の鎮圧だった。突入直前に計画があった証拠がある。02年のモスクワ劇場占拠事件で、『人質の殺害が始まった』との情報が流れ、特殊部隊が突入したが、後にそれがうそだったと判明した。」

廣瀬陽子氏のコメント、「ロシア政府が、武装勢力と交渉する気があったとは思えない。」

ロシア学校占拠事件の武装勢力は、カフカス地方を混乱させる狙いか。対立をあおり、民族紛争の火種をつくる意図か。

対テロ無策を露呈したロシア政府。プーチン大統領は、「防衛や安全に払うべき注意を欠いていた」とテロ対策の不備を認める。

9月5日のAFP通信によると、共和国の首都ウラジカフカスの遺体安置所職員は「ここには少なくとも394の遺体がある」と語っている。遺体安置所は他にも数箇所あるほか、入院後の死者も相次いでいる》

《9月6日【Y】、プーチン大統領は、テロリストによる全面戦争に対してのロシアの弱点を認めた。「しかし、それは、外国の敵がロシアを分裂させようとしたことによるソビエト連邦の崩壊と、堕落した官僚に原因がある。われわれには、さらに有効なセキュリティ・システムをつくることと、新しい脅威のレベルと大きさに対応する法律施行組織に実行を要求することの義務がある」と語った》

《9月6日【毎−夕刊】、ロシアの民族派政党「祖国」のロゴージン代表は5日夜、ラジオ「モスクワのこだま」に出演し、「事件に対し何もできなかった議会は責任を取って解散し、緊急選挙を行うべきだ」と語った。事件でのプーチン政権の無策に対して議会から始めて上った批判の声だ》

《9月7日【毎】、ロシアの有力紙「イズベスチア」の編集長、ラフ・シャキロフが辞表を提出。同国メディアは、シャキロフ氏が北オセチアの学校占拠事件で、政府に批判的な報道をしたため、経営者側から解雇されたと報じた。解雇は大統領府の指図があったとの情報もある。プーチン大統領は、これまで政権に批判的なテレビ局を標的として次々と大統領府の支配下においてきたが、新聞に対する干渉は比較的少なかった。だが、今回の事件では各誌とも、多大な犠牲が出たことについて一斉に批判的な報道をしていた。

ロシア学校占拠事件、死者335人、行方不明160人と現地の対策本部が6日に発表した。

遺族ら2000人抗議集会。「権力腐敗がテロリズムの根源」と主張。オセチア住民はロシア政府への不信を募らせている。

武装グループの一人として逮捕、拘束されている男が供述した。男は、チェチェン独立穏健派マスハドフ氏と強行派バサエフ総司令官の双方から実行の命令を受けていたと語った。男の供述内容は、マスハドフ・バサエフの両派を「テロリスト」と見ているプーチン政権の主張に合致する内容だが、マスハドフ派はバサエフ派とは長年対立しており、男の供述は「不自然」との見方も出ている》

《9月8日【毎】、プーチン大統領は、英ガーディアン氏など外国メディアと会見し、「道徳上、誰も子供を殺す連中と話をしろとは言えない」と語り、交渉のない武力解決を正当化した。

かつてロシア政府によるチェチェン住民弾圧を厳しく批判していた米国は同時多発テロを受けてこの姿勢を一変させた。いまやプーチン政権支持に何の迷いも感じさせない。救出作戦の不手際に対する批判さえ、ブッシュ政権からは出てこない》

《9月8日【毎−夕刊】、ロシア外務省は七日、米英に政治亡命中のチェチェン独立派穏健勢力マスハドフ派幹部二人の身柄の引渡しを求めた。犯人グループの男が「マスハドフ氏と独立強行派武装勢力バサエフ氏の両氏から指令を受けて実行した」と供述したことによる》

《9月9日【毎】、ロシア最高検は、穏健派指導者マスハドフ氏とバサエフ総司令官との居場所情報の提供者に最高3億ルーブル(約11億円)の懸賞金を出すと発表した》

《9月10日【毎】、ロシア学校占拠事件、3歳女児の遺体をがれきの下敷きに、父親が食堂で発見。当局はすでに不明者の捜索作業を終了していた。

北オセチア政府は、事件で犠牲者の出た家庭に葬儀用・見舞金として10万ルーブル(約37万円)を支給すると発表した。だが、住民によると、実際には2万5000ルーブルしか支払われておらず、「政府が横取りしている」と不信感を増している》

《9月11日【毎】、ロシア当局は、なりふり構わず情報統制し、「記者の茶に毒」の疑惑もある。「ノーバヤ・ガゼータ」紙のロシア人記者――チェチェン紛争に批判的な著名女性アンナ・ポリトコフスカヤ氏は、9月1日事件現場に入ろうと、モスクワから南部ロストフまでの飛行機の中で、茶を飲んだ10分後に気を失った。3人の男に飛行機の中までつけられていたという。病院の医師は「上からの命令で検査記録を破棄した」と証言した。

グルジアの民放テレビ「ルスタビ2」の女性記者ナナ・レジャワ氏と同僚のカメラマンが3日、治安部隊突入直後に当局に取材許可を受けていなかったことで逮捕された。*2》

《9月18日【産】、17日にチェチェン独立派ウェブサイトに寄せられた犯行声明によると、この占拠事件での参加者は、チェチェン人14(うち女性2)、イングーシ人9、ロシア人3、アラブ人2人(アラブ人の参加理由の説明はなし)ら計33人。「チェチェン紛争で25万人のチェチェン人が殺された」ことがその動機のひとつであるという。

プーチン政権での新体制導入の真の目的が反テロ戦争にあるのでなく、社会保障の特恵をなくすなど国民に不人気な改革を今後行うのに最適な体制を創設することにあるとの見方が有力だ。事件の真相は明らかにされない恐れが強まっている》

《9月18日【毎】、9月17日にインターネットで、チェチェン独立派の指導者シャミル・バサエフが犯行声明を出した。8月24日の2機の旅客機墜落事件と、8月31日のモスクワ地下鉄駅自爆テロ事件も含めて指示したことを明らかにした。国際テロ組織アルカイダのビンラディン氏については「面識はなく、資金も受けていない」と関連を否定している》

《10月13日【J】、ロシア政府は、テロリズムとの戦いに1570億ルーブル(約5800億万円)を特別に支出することを決めた》

 

[私のコメント]

武装グループは、要求が受け入れられなければ、人質とともに全員死ぬ覚悟はできていたのだろう。それが本気であることを示さねばならなかった。そして、武装グループの目論見としては、「これだけの人質をとったのだから、これまでテロリストとは話し合いをしないと言っていたロシア政府も俺たちの言い分を少しは聞いてくれるだろう。まさか人質を多数犠牲にするような強攻策はとるまい」と考えたのだろう。しかし、ロシア政府は、武装グループの言い分など聞く耳をもたなかった。武力で大勢の市民を人質に取り、脅すような「犯罪者集団」の要求など受け入れる道理もなかった。卑劣なテロリストとしてたたきつぶす作戦をとってきた。彼らが何を要求しているかは、ロシア政府は聞くまでもなく、よくわかっていた。彼らはチェチェンの独立を目指す反政府ゲリラであって、捕らえられた仲間を釈放させることでその勢力を復活させようとするもの、あるいはロシア政府に揺さぶりをかけ、その独立運動を内外にアピールするものに違いなかった。武装グループの言い分をそのまま公表することは、できれば避けたかった。

ロシア政府は、強攻策を取るに当たって、多少の犠牲は覚悟していた。結果的に人質に犠牲が出ても、武装グループにその責任を転嫁すればよいことだった。強攻策を取る前に、人命を尊重することを内外の人々に言っておかなければならなかった。ある程度の人命が失われることを想定していたから……。

その準備をするために人質が体力的に耐えられるぎりぎりの時間を使って、治安部隊の突入を図った。治安部隊の中には、軍の特殊部隊が加わっていた。特殊部隊はこんな状況での作戦行動の訓練を何度も重ねてきたはずだ。特に、とっさの判断で人質と敵とを識別し、敵を倒すか、または身を挺して人質を救うような訓練をしてきた者たちだろう。人質の命を優先したはずだ。少なくとも、故意に人質に銃口を向けるようにことはしなかっただろう。人命を尊重したことに関しては、ロシア政府の言葉を半分信じたい。なお、02年のモスクワ劇場占拠事件では、ガスを劇場内に吹き込んで犯行グループを弱らせる手段を用いたが、それが人質700の中で129人を死亡させた主要な原因になった。そのガスは、おとなに対しては有効であっても、子供には致死量に達してしまうから、今回のケースには使えなかったようだ。

ロシア政府には、国内に民族問題をかかえていることを表に出したくないという意図がある。ロシア政府は、民族独立運動をテロリズムとすりかえることで、その武力制圧を正当化しようとしてきた。今回の事件も国際的なテロリストの仕業として、その脅威を訴えることで、その反政府グループを弾圧する口実とした。テロリズムの撲滅を大義名分として中央集権制を強めようとしている。

この事件で死亡した人数について、確認された死亡者331人以外にまだ不明者が約200人いると、事件後しばらく非公式に報じられていたが、その後の変動は公式に発表されていない。ロシア政府としては不明者の数を死亡者数に含めるわけにはいかないのであろう。

民族独立派、特にイスラム過激派がどんなに多くの人質をとっても、ロシア政府はそれに屈することなく強攻策をとるという固い意志を示したのだから、民族独立派が再びこのような人質事件を起こすことに躊躇せざるを得ないだろう。それを繰り返すならば、ロシア政府の強引なやり方に多少の批判が出ても、彼ら自身が世論の支持を得ることはできないだろう。テロリストのレッテルを張られるだけだ。自分たちの目的のために、手段を選ばずに、争いに無関係な、武器をもたない弱い人々をも巻き添えにするのは最低の人間のすることだ。そんな手段で自分らの主張を通そうとしても、ロシア政府だけでなく世界の人びとが認めるわけがない。爆死させられた2人の女性メンバーには、いささかの良心があったのだろう。

 

*1.ロシアの共和国はロシア連邦政府の支配下にあり、地方自治体のようなもの。北オセチアは南オセチアと国境を接しているが、南オセチアはグルジアに属しており、別々の国である。

*2.ロシアでは、外国人が取材のために入国する場合でも、取材用ビザを必要とする。

 

 

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