去年、小野田一文字沖波止は絶好調であった。
私みたいな初心者でも、2桁安打を達成できるくらい調子が良かった。
永田名人は去年、ほとんどここでボーズは無かった。

だが彼は今年、ここでチヌを見ていない・・・
他の常連さんに話を聞いても、過去で一番食いが悪いとの事。

しかし、来る度に確実に複数枚釣って帰られる人がおられることもまた事実。
他が釣れていない状況でも、必ず何枚も釣って帰られる常連さん。
この方には何かが見えているはず。
私には見えない何かが・・・。    それは一体・・・


釣り人は、誰にも自分のお気に入りの釣り場や、釣り座があるはずである。
過去に爆釣した場所であったり、記憶に残る大物を仕留めた場所であったり。

私は今年、ここ小野田一文字沖波止にて、ずっと気になっていた場所があった。
昨年、初の二桁安打を達成した、北側の釣り座。
今年は北側より南側の方が調子が良いとのことで、北側は敬遠してた。
だが、本当にそうなのか?
今シーズンが終わるまでに一度、自分の目で確かめたかった。


昨日野波瀬で釣りをした他のメンバーはお休みで、本日は私一人。
今日は釣り人も多く、2番船で一文字へあがる。
幸いにも北側の気になっていたポイントは空いており、そこに入る。
船長からは、北側よりも南側の方が調子が良いよ!とアドバイスを受けた。

「ええ、でもいいんです。自分は今日ここで、確かめたいことがあるんです。」


午前5時30分、実釣開始!

ここの釣り方、一般的にはケーソンの際へ仕掛けを落とし、横に流れる潮に
乗せて撒き餌を効かせる。
イメージ的には、ケーソンの中にいるチヌを外に引っ張り出し挿し餌を食わせる。
もしくは、ケーソンの際へ仕掛けを落とし込み、チヌに食わせる落とし込み。
どちらにしても際狙い。
敢えて沖を狙っている人は、いない・・・。
いや、ひょっとするとおられるかもしれない。だが、少なくとも私は見たことが
無い。

沖は釣れない? いやいや、そんなはずはない。
ケーソンの中のチヌを、沖まで引っ張り出すことができれば・・・。


最近私のハマっている釣り、団子の中に挿し餌をくるんで餌取りから挿し餌を
守る、紀州釣り。
団子の配合は色々と研究を重ね、集魚効果には自信がある。

敢えて誰も狙わない沖を狙って、爆釣させてみたい!
ここでの際という常識を破り、自分自身の思いに賭けてみたい。

実は昨年、一度沖狙いの紀州釣りに挑戦したことがあるのだが、その時は
全然ダメだった。
それ以来、沖は釣れないという先入観に取りつかれたのだが、あの頃は
まだまだ未熟であった。

今は、だいぶ成長してるはず!


とりあえず前回一度浮きダゴをやってみたんだけど、最初は際狙い、
後に沖狙いと中途半端なことをやってしまったため、ボーズ。
その教訓を生かし今日は、ただ一筋に沖狙いでいきたいと思う。

この一週間、みっちり今日のシュミレートをしてきた。
団子の配合もばっちりで、釣れないはずはないんだけど・・・。


開始から1時間後の午前6時半、際狙いの隣の釣り座で竿が曲がった。


心が・・・  揺れた・・・。

自信があったはずの団子を握りながら考える。

「やっぱ・・・、 際狙いなのか?」



手にした団子を、固く締め込み、その固い固い団子をじっと見つめながら思う。

「みんなは確かに足元を狙う。
 ケーソンに沿って撒き餌を効かせ、ケーソンの際を流して釣る。
 沖狙い?   見たこと無い・・・。
 沖には、チヌがいない?
 いやいや・・・   

 俺の団子なら、例えそこにチヌが居なくても、寄せることができるんじゃ
 なかったのか?   
 沖であろうがなんだろうが、寄せることが出来るはずじゃ?」

これまで散々考えて辿り着いた、オリジナル配合の団子。
野波瀬の師匠をはじめ、いろんな人から教えを請い、本やテレビ、インターネット
等でも釣りを学び、また、色々な釣り場に通って色々な事を経験してきた上で、
敢えて沖に賭けたのでは?

自信、あったはずじゃなかったっけ?


お前の培ってきた思いは、たかだか1時間、他の釣り人のたった1枚の釣果で
揺らぐような、浅はかなものなのかい?

自分を信じられない釣り?

そんな釣りならやめちまえ!



「お、俺は・・・    俺は、負け犬なんかじゃね〜!!」

視線を海へと戻し、手にした団子を力一杯投げる。


私の夢を乗せた団子は、大空に向かって美しい放物線を描きながら
飛んで行き、キラキラと光るまばゆい水しぶきを上げて着水した。


今、迷いの全てが吹っ切れた。



午前8時30分、とりあえず邪念を払拭した私ではあったが、開始からすでに
3時間が経過した現在も、相変わらず状況は変わっていない。
チヌの生命反応が伝わってこない。
丁度船長が様子を見に来られたので、際狙いの他の釣り座の状況も
聞いてみた。
状況はどこも同じようなもので、あまり芳しくないとのこと。

それを聞いて、少しだけほっとした自分がいた。

しかし、釣れていない同志を見つけ、自分が釣れていないことに対しての
言い訳を見つけたところで、状況は打破できない。


ここで一息入れ、自分が置かれている状況を客観的に分析してみる。
行き詰まった時、別の視点から見つめ直すことで見えてくるものもある。


「釣り開始からすでに3時間が経過した。
 私が考えるに、団子が効いてチヌが寄ってくるまでに要する時間は
 大体2時間。 すでに3時間が経過している。
 チヌが食って来ないのは、ここにチヌがいないか、もしくはいても食って
 こないかのどちらか。

 寄っていない?
 いやいや、そんなはずはない。
 配合に配合を重ねた私の団子、集魚には自信がある。
 彼らは間違いなく寄ってきているはず。
 では、何故・・・」


チヌは、大胆かつ繊細な魚である。
団子や濁りに積極的に飛び込んでくる好奇心旺盛な魚である反面、
少しでも餌に違和感があると食わないし、仮に食わせてもそこに
なんらかの抵抗があると吐き出してしまう。

私は、過去の自分の引き出しから、
「チヌは仕掛けを見ている。 チヌはハリスの角度を見ている。」 との、
師匠の言葉を思い出した。

丁度、今は潮の流れもほとんどなく、軽い仕掛けでもイケるはず。

今までの仕掛けを、全て交換した。針やハリスも、小さい物に変えた。
浮きも、最近たまたま購入した、普段では絶対使わない小さなものに変え、
浮力を最大限殺した。


基本的に私は、棒浮きの重仕掛けで釣る事が多い。
玉浮きの軽仕掛けが有利なことはわかってるし、0号から1.5号まで、
一通り持っている。

だが、私は棒浮きのシモリが好き。
ゆらゆらと海面を漂いながら、ストンと落ちていくような棒浮きのアタリが好き。
仕掛けが少々重くなっても、棒浮きでアタリを出したい。
これはもう、こだわりというか一種の病気みたいなもの。棒浮きフェチ。

以前読んだ本の中に、軽仕掛けが有利なのは確かであるが、初心者のうちは
棚を確実にキープできる重仕掛けの方が釣れると書いてあった。
ひたすらにその基本を守りながら、そこそこチヌも釣ってきた。

だが、今日はそれでは釣れない。
今日のこの時間まで、仮にそれまでの仕掛けで1枚でもチヌを釣っていれば、
仕掛けの変更はしなかったはずである。
また、少しでも潮が動いていれば、軽い仕掛けには挑戦していなかったはず。

「仕掛け変えたら変化ある?」くらいの軽いノリで交換した仕掛けに、
大した根拠はなかった。

だが・・・

なんということであろうか。
仕掛けを変えた次の瞬間、海の中の状況が手に取るように見えて
きたのである。

餌取りが餌をかすめ取っていく様。
針が素針となり、底にモタれている状況。

浮きを通して、海の中の状況が伝わってくる。
海の中が見えるのである。

仕掛けを変え、浮きの浮力を十分に殺すことでこんなにも違う物?
眼から鱗とは、まさにこのこと。

程なくして、今までどうやっても出なかったチヌのアタリが浮きに出て、
立て続けに2枚!


底をイメージしての釣り。
チヌは仕掛けを見ているということ。
ハリスの角度。
挿し餌の先行。

今まで、頭の中で複雑に絡み合っていた全ての疑問が、スルスルと紐解けた
瞬間だった。


平成19年10月7日午前9時、私は、シーの中をスルーすることができる、
ゴールデンアイを手に入れた。


この時丁度、今日の私の釣果を気にした会長から電話がかかってきた。

会長「タコ、釣れた?」

私「今、2枚。他は厳しい状況やけど、俺はまだまだ釣れそうな気がする・・・。
  たいじ、やべーわ。 
  俺、今世紀最大の発見をしたかも。
  浮きを通して、海の中が見えるようになってもーた・・・。
  今のこの瞬間、飛躍的に釣りが上手くなってしもーたわ・・・。」

会長「はあっ? 何をおバカな事を。
    そんな訳なかろーがや。偶然っちゃ。」

私「いやいや、認めたくないのはわかる。でも、本当なんだよ。
  それを証拠に、あと何枚か釣ってみせるわ。

  人が折角世紀の大発見をしたってのにその内容に聞く耳すら
  持たなかったら、あんたの成長はそこで止まってしまうよ!」

会長「はいはい、わかったわかった。せいぜい頑張ってくれたもえ。」   ぷちっ


でも、にわかに会長が、この話を信じてくれないのもわかる。
昨日まで、いや、つい先程自分が体験するまでは、同じ話を人からされても、
きっと信じなかったであろう。

とりあえず、会長には大きな事を言ってしまった。
それを私が立証するためには、少なくともあと2枚のチヌを釣らなければ
ならない。

1枚は会長が言うように偶然であったとしても、今日のこの厳しい状況の中で、
偶然では2枚も釣れないはずと考えた。

1枚を釣った後、そこからチヌの気配が消えた。

相変わらず餌取りは活発に動いており、挿し餌はすぐに針から無くなる。
だが、そのことが浮きを通して伝わってくるので、無駄に素針を流すことは
なくなった。手返しは早い。

釣れていないときでも、とにかく手返しよく打ち返していれば、海の状況は
変わってくるもの。
今初めて知ったことだけど・・・。

程なくして違和感。


ここからが、ゴールデンアイの信じられないエピソード。

チヌが寄ってきたなとは感じたが、食い込まない。  でも、針は素針。

前アタリっぽく浮きが沈んだ後、もう一度浮きに変化があるが食い込まない。
前アタリで合わせても、次のアタリで合わせても乗らない。 

ではどうするか。

とりあえず、前当たりっぽく浮きが沈んだところでわざと合わせを入れずに、
仕掛けを回収してみた。
オキアミは、頭だけ取られている。

さらにその次、もう一度それを繰り返してみると同じく頭だけ取られている。

私の予想、一度目のアタリでチヌがオキアミの頭だけをかじった後、
二度目のアタリで餌取りが胴の部分を盗っている?


私の取った行動、2匹のオキアミの胴をはさみで切り、頭を目立たせるように
2匹掛け。

すると一発で食い込み、本日最大の35cm。  単純明快、気分爽快!

いや、ただの偶然かもしれない。  偶然かもしれないけど、実話である。
とりあえずこれにて、会長に私の理論の裏付けができるノルマを達成した。

納竿まで更に2枚追加し、結局仕掛けを変えた9時から12時過ぎまでで、
6枚ものチヌを釣ることができた。
思い入れのある釣り座での、未知なる可能性への挑戦!
予想をはるかに超える好結果を出すことができた。

そのことを会長に報告した後の彼の第1声、

「ええっと・・・、 その浮きはどこで買えるんですかいの?」

彼もまた単純である。
ただ、柔軟に私の良い所を取り入れようとする姿勢は立派。

私が、彼から学ばせてもらうことも多い。ギブアンドテイク。
そして、切磋琢磨。

彼は、私の使っている浮きによく似た浮きを、私の情報を基に購入した。

私と同じ浮きを買わないあたりが、彼の憎いところ。

仕掛けは千差万別。使い方、使い勝手も人それぞれ。
自分に合った仕掛けは、人によって違うのである。
私の使っている仕掛けを会長が使ったところで同じ結果が出るとは限らないし、
私は玉浮きは使いこなせない。
自分が使いこなせる仕掛け、自分に一番あった仕掛けを釣具屋で探すのも
また、釣りの楽しみ。
考えることは、寝ても覚めても釣りのこと。


自分に合った仕掛けを見つけ、底の状態が見えてくると、チヌのタナも
見えてくる。
刻一刻と変わっている潮の状況に、3投に1回はタナの微調整。
自分の仕掛けを使いこなせているからこそ、出来る芸当。



今日は、革新的な一日だった。
たまたま8時半までに一枚も釣れておらず、たまたま潮の流れも緩かった。
適当に仕掛けを変えたら、とんでもないものを見つけることが出来た。

だがこれが、速い潮に通じるかどうかはわからない。
ただ、底をイメージして、仕掛けをイメージして釣るという基本は変わらないと
思う。
基本が出来ていれば、応用も効くはずと楽観的に考える。これからが楽しみ。


帰り際、スカリを上げ、私の賭けに答えを出してくれたチヌ達に敬意を表して、

「ありがとう・・・」


針を飲んでしまったチヌと、弱ったチヌを絞めて、あとはリリース。
必要以上の乱獲はしない。
持って帰っても全部は食べきれないし、
無駄に死なせてしまったらかわいそうだし。



元気に海に帰っていくチヌ達を暖かく見送りながらつぶやく。

「チヌ達よ。どうか約束して欲しい。
 またいつか、きっとまたいつか
 一回り大きくなって、一回り大きくなった私を楽しませてくれるという事を・・・」



釣りとは、本当におもしろい。





私の賭けに答えを出してくれた
チヌ達。

素直にありがとう。





10月7日  ひとつの賭け! 〜そして〜