祖母・傾山系の自然資料室です
つまり海水が太陽の熱エネルギーによって蒸発し、それが上空で冷やされて雲となって山に雨が降り、川となって再び海に注ぐ。このように太陽エネルギーを借りて水が巡回しているように循環が存在して自然と呼べるのであります。自然が豊富とは幾つもの循環が存在していることをいう。水の循環の他に炭素の循環、酸素の循環、窒素の循環があります。
原野に草が生え、次第に森となっていきますが数百年の時を経ると森は変化しなくなります。この時、森は極相林になったという。一般的に極相林を原生林とか天然林という。祖母・傾にはこのような原生林があります。そして高さによる気温や気象条件により植生の違い、垂直分布が存在する。祖母傾では
一般に気温は100m上がるごとに0.6度下がる。だから標高1600mから1700mでは海の近くからすると、ちょうど10度低い。この気温は北海道と同じとなる。したがって平地とは違った植生が見られる。
祖母傾における垂直分布 |
尾根筋:赤松帯
岩稜には乾燥して痩せた土地には赤松がある。オンツツジなどが見られる。山頂にはヒメコマツなど
1200m以上:ブナ帯
ブナ、アセビ、スズ竹
800mから1200mまで:栂帯
栂、モミ、犬ガヤ、ヒサカキ、スズ竹
800mまで:照葉樹林帯
シイ、カシ、ツバキ、イチイガシ、ウラジロガシ
例のスズ竹は標高1000mから現われます。
ここで注目したいのは栂というのは古い時代の針葉樹です。中生代に起源を発する松の原型となった古い時代の針葉樹で地史的に大きな意味を持つ。これは隣の九重山には存在せず、北にはない植生です。なぜそれを欠いているかというと、九州から四国、紀伊半島にかけて中央構造線という大きな断層帯があり、北の方は火山があって比較的新しい時代の地層となっているという九州のできかたに起因する。成長が遅く松が1mの樹径に達するのに100年程度で達するが栂は10倍かかる。年輪はびっしり詰まっており、いくとどない風雪に耐えて今日に至っている姿を見ると哲学する木に見える。
というのは今から2万年前のヴュルム氷期では現在よりおよそ4度低かったといわれる。その温度は今の標高では700mに当たるので祖母山麓の標高からすると、標高1000mに存在する栂を氷期に持ってくると山麓あたりとなる。そのため元々祖母山とともにあった樹木である。
いわゆるソハヤキ系植物と言われるユキノシタ科の一族一種の植物。渓谷の奥深くに植生する九州の谷屋あこがれの花。8月下旬に花を咲かせます。この花も四国と紀伊山地の一部しか見られない。
祖母山のことを別名ウバタケという。牧野富太郎博士によって発見されたセリ科の植物。祖母山の固有種。
絶滅したといわれるが1987年に野生と思われる熊が捕獲された。いまでも目撃情報が伝えられるがよほどのことがない限り熊と遭遇することはありません。傾山の東側から宇目町にかけての目撃情報が伝えられる。もし発見されれば大ニュースである。
特別天然記念物に指定され、日本に生息するうちで南限とされている。牛や山羊などの祖先にあたり、原始の姿をとどめており、生きる化石と称されています。栂林との結びつきが深く、地史的な意味を持っている。祖母傾地域も戦後の成長期に原生林の伐採が進んで昔ほど目撃されることはなくなりました。岩の上でこちらを観察しているのがよく目撃され、岩の急登部の弱点をよく知ってて沢登りの時に威力を発揮する。時々子供のカモシカが岩から転落したあとを見かける。
最近数が増えたと言われます。手入れされていない人工林のため餌が豊富になったのだろう。固体数の増加により杉、桧の植林地に被害を与え、駆除の対象になっています。
ネズミの先祖にあたる。地史的には第三紀中新世に栄えた生き残りである。その他特徴的な動物ではホシガラス、携帯電話のような鳴き声のコマドリがある。
昆虫類ではツノクロツヤムシが重要。倒木に穴を開けて、その中で一生を過ごす。本来は熱帯の昆虫であるが、温暖期に祖母傾に残ったものである。
地史から見ると祖母傾は基盤地層…先カンブリア期
古生層→見立礫岩→祖母火山岩→花崗岩貫入→阿蘇火山という変遷を経ています。古生代は複雑な過程を経ているが祖母傾がまだ海底だった頃、古生代から中生代にかけて秋吉造山活動と呼ばれる褶曲運動が起こり、祖母傾が海上に姿を現して、山地を形成したのであろう。
その後、造山活動は収まり、長い間平穏な時期がつづいた。山地は削り剥がれて準平原化した。やがてこの平原は沈降して海の底に没することになるが、ここで他のところから礫が運ばれて有名な見立礫岩を形成した。実はこの礫岩がどこから運ばれてきたか、いつ堆積したのか大きな謎になっている。
見立礫岩は祖母傾の生成の基板となるわけでいわゆるスタートに当たる。それがいつ頃堆積されたかはいろいろな学説に分かれているが、いま一番指示されているのが新第三紀中新世今から2330万年前から670万年前、だという。この後隆起して祖母傾の元となる火山活動が始まるわけだが、いつ頃からと言うとおよそ1300万年前から活動をはじめたといわれる。解説するとー
1,祖母山火山岩類前期火山活動開始 2,前期火山活動休止と陥没…傾山カルデラ、祖母山カルデラ形成 3,祖母山火山岩類後期火山活動開始…カルデラを埋め尽くす 4,再度両カルデラ陥没 5,大崩山貫入岩類の活動 6,浸食進み準平原化その後、隆起 7,阿蘇火砕流の後、現在の姿に
大崩山貫入岩類は花崗岩のことで尾平の壁コーチ岩で祖母傾では2番目に新しい。その周辺は熱変成を受けて鉱山の元となっている。浸食が進みほぼ現在の形に近くなると阿蘇火山の活動により火砕流が奥嶽川を埋めた後、一番新しい帯迫峡のような深い谷が生まれた。
傾山は前期火山活動で作られたので傾山の方が古い火山である。そして傾山カルデラは祖母火山活動の噴出物で埋められた。図解→祖母傾ができるまで
ざっと見てきたが祖母傾山系は火山であった。大きなカルデラがあったが今では痕跡も見られない。標高800m以下はマグマが固まった花崗岩、上部は祖母火山岩です。本谷山には見立礫岩が見られます。祖母・傾山系は過去海の中に没したことがあり、生成には複雑な過程をたどっています。また鉱山もあって尾平越え付近は地層が複雑に入り組んでいます。それだけに谷にもぐりこめば様々な風景が展開する。祖母・傾山の魅力は谷にあるといわれるゆえんであります。
Q,なぜカルデラ地形が見られないのは。
A,それは祖母火山噴出物が大量だったのでそれを埋め尽くしたと言われています。その後浸食が大きく進み、痕跡すら見受けられなくなりました。
Q,見立礫岩はどこから
A,一部には大陸からとも言われています。そのころ2200年前は大陸と陸続きで大陸の川がすぐそこまできていたというが、そこまではわかりません。ただ海であったことはまちがいないです。この時期から火山活動が盛んになり日本列島の基礎が築かれたといわれます。
Q,なぜ尾平側は急峻なのは。
A,カルデラ地形の形成だとか、尾平断層で深く解析された結果だというが不勉強でわかりません。