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●源 頼光(みなもとのよりみつ) 源頼光は平安時代中期の武将。父は源満仲、母は嵯峨源氏の近江守・源俊の娘。父満仲の長男で清和源氏の三代目。父満仲が初めて武士団を形成した摂津国多田の地を相続したので、子孫は「摂津源氏」と呼ばれる。 四天王: 源頼光と共に活躍した以下の4人の家臣のこと。渡辺綱(わたなべのつな)・坂田金時(さかたのきんとき)・卜部季武(うらべのすえたけ)・碓井貞光(うすいのさだみつ)。大江山の酒呑童子を退治したことなどで知られている。 ●奥の方(おくのかた)源頼光の奥方として、音楽的色彩の配慮から設定しています。 ●さくら 奥の方の腰元として、奥方同様に音楽的色彩の配慮から設定しています。 ●藤原 保昌(ふじわら の やすまさ) 藤原 保昌(ふじわら の やすまさ)は、平安時代中期の貴族。右京大夫・藤原致忠の子。官位は正四位下・摂津守。中世文学で坂上田村麻呂・藤原利仁・源頼光とともに伝説的武人4人組の1人と紹介された 説話:10月朧月の夜に一人で笛を吹いて道を行く者があった。それを見つけた袴垂(はかまだれ)という盗賊の首領が衣装を奪おうとその者の後をつけたがどうにも恐ろしく、手を出すことができなかった。 その者こそが保昌で、保昌は逆に袴垂(はかまだれ)を自らの家に連れ込んで衣を与えたところ、袴垂は慌てて逃げ帰ったという。 ●渡辺 綱(わたなべのつな) ●渡辺 綱(わたなべのつな)は 平安時代中期の武将。天暦7年~万寿2年(953~1025)嵯峨源氏の源融の子孫で、通称は渡辺源次。正式な名は源綱(みなもとのつな)。頼光四天王の筆頭と言われ、武蔵国の住人で嵯峨源氏の源宛の子。摂津源氏の源満仲の娘婿である仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国西成郡渡辺に居住し、渡辺綱(わたなべのつな)と称し渡辺氏の祖となる。大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻り橋の上で羅生門の鬼の腕を源氏の名刀「髭切り太刀」で切り落した逸話で有名。 現代能歌劇「羅城門全幕楽譜こちら→Gendainoukageki-RAJYOUMON-pdf.pdf へのリンク 「羅城門」全幕台本こちら→Gendainoukagrki-RAJYOUMON-pdf.pdf へのリンク |
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