顧問看護師 久保 ゆかり
自分が必要とされていること、これに自信を持てないで、もがいている人の話をよく耳にする。「尽くすという形でしか相手との関係を維持できない人ほど、人から尽くされたいと激しく欲しているのである。これほど尽くされたいと望んでいる人はいない」 加藤諦三著書に記されている。多くの人は自分を必要とされていることを確認しようとしているのではないだろうか。与えることはあっても、与えてもらえない環境にある人は他人にとても優しい人が多いと感じる。人の介護に携わる人達は心を休める事をしているのだろうか、疲れきった自分に栄養を与えようとするのだろうか、人に尽くしていることで、自分の価値を見出そうとしているのではないだろうか、とよく考える。
何をしていなくとも、そのひとは大切な・大切な存在であることに気づいてほしい。私の仕事の同僚が病気で動けない自分を悔いているメールを送ってくる。自分は価値がないとも。とんでもない。動けない事と役に立たないことをいっしょくたんにしてもらっては困る。動けないのは仕方が無い。そんなことは人の価値とはまったく無関係だと思う。人として、どれだけ愛おしいか計り知れない。彼女が生きる努力をしているから、自分も泣き言を言えないと渇を入れられる。いてくれるだけでいいと思う。仕事柄、病んだ人と接することが多く、胸が痛くて仕方がないとき、人の屈託の無い笑顔に救われる。それがまったく赤の他人であってもだ。もし、その笑顔を見なかったら、私はもっと沈んでいたかもしれない。こうしてみると、何かをしてもらうとか、してもらわないとかそんなことではなく、人は人に支えられている。
先日、「ぬくもり会員交流会」に出席させてもらった。いろんな手作りの食べ物や飲み物、そのテーブルを囲む会員の人、活動しているヘルパーさん達が、素敵な笑顔を見せてくれていた。この輪の中の人達もこの笑顔の下には、いろんな思いを秘めているのだろうに。人を愛し、人から愛されることは漫画のようなわけにはいかない。時に傷つき、憎んだり、自分は一人ぼっちだと膝を抱えることもあるだろう。 「人に好かれるということは、何もしてあげなくても、相手はこの私に満足し、好きでいてくれるということ」いろんな環境の中で生きてきた人たちそれぞれが自分という人間なりを認め、愛される価値があることを意識してほしい。
人のお世話を頑張っている人は時にして、心が空虚になることがあるだろう。そういう時は、心に栄養をあげよう。自分を労わり、ご褒美をあげたら、また素敵な笑顔に戻るから。私の職場では患者さんが建前ではなく、本音でぶつかってくるから、わかりやすくていい。「私を大切にしろよー」と大声を張り上げている姿は本来の人の心の中だと思っている。皆そう思っているのだ、と。