BR137‐袖擦り合った人々-舌禍4



 

連合国政府はこの思いもよらなかった日本の反発に驚き、かつ慌てた。ロシアが脱落必定となり、アメリカが戦線に赴くまでにはまだ間があるこの時点で、日本は重要な「後方支援」国であった。それと同時に英仏露は、極東にある諸権益の一時的保護者としての役割を日本に対して持っていた。開戦当初、青島を攻略した日本に仏露が盛んにラブコールを送っていた時期がある。同盟を結んでいる英国はまだしも、フランスはインドシナ、ロシアは沿海州や外蒙古に散在する領地や権益を、あわよくば日本に護ってもらいたかった。その反面、ロクな守りを置いていないそれらの地域を日本が狙い始めたら大事だと言う事も与って、両国は頻りに同盟を持ちかけたのである。

その日本が吠えている。これは憂慮すべき問題と言って良かった。

この頃の日本は大戦景気で沸き返ってはいたが、貧富の差は益々激しくなり、諸物価は統制が取れず、庶民の生活苦は増すばかりであった。都市部では労働争議が頻発していた。民衆はちょっとした火がつけば忽ち暴発しそうな状況にあったのである。
東京の仏大使館には連日壮士に煽動された群集が押しかけ、それを制止した警察官との間で揉み合いになる事もしばしばであった。

連合国、殊にフランスは頭を抱えていた。彼等には何故日本がこれだけ反発するのか理解が出来なかった。反発する理由があるとすればそれは人種差別感であるが、当時のフランスが他国に比較して非常に人種差別が強かった訳ではない。その事は日本も知っている筈だ。
もしかしたら、これは余り考えたくない選択肢ではあるが、日本は本気で連合国を裏切り、東アジアを総ざらえしてしまう積もりなのではないか。そんな疑念すら一部では囁かれていた。そうなると日本を押さえ込む力は何処にも無い。

1917年4月。ポアンカレ大統領は日本人の要求を半ば飲み、パリの日本大使に事情の説明と事態の収拾を約束した。
しかし、当のルボー大佐に関しては、当人の真意から逸脱した大衆新聞の憶測記事が元凶であるので、報道側への処罰や規制は既に完了しているが、ルボー大佐は不問に付す事で了解頂きたいと説明し、日本大使もそれを了承した。

その大使からの電報が到着する前日、日本では



その5へ
目次へ