BR137‐袖擦り合った人々-舌禍5



 

日本では、新聞が「ポーツマス条約で日本に無賠償講和を持ちかけたのは、時の仏大統領である」とすっぱ抜き、世論は一挙に沸騰した。
「ルボー大佐を罷免せよ」と言う論調は、恰も苦しい生活の捌け口はそこにしかないと言うかの如く、日本人の口々に上った。勿論仏側は譲らない。仏の新聞紙上では事ある毎に、あれは悪質な噂であり、当の大佐自身は人種差別主義者などではない、と幾度も載せて反撃した。

仏側、特に財界では、ポーツマス云々については公然の秘密に過ぎなかった。元々日本以上に財政が苦しかったロシアが賠償金の支払いを拒否した時点で、パリ証券取引所仲買委員長のヴェルヌイユが日本の財務担当、高橋是清に対して「無賠償の講和」を説き、その代り富裕なパリの金融市場を開放する事で外債の借り換えをする方が、将来的に日本の為になると説き、結果として二億九千万金フランの公債が日本に宛てて発行された件である。尤もこの一件は秘密事項である為に表には出なかったが、「結果的に日本を救ったのはパリの金融市場とデルカッセやルーヴィエ等の先見の明ではないか」と言う思いが仏側にはあった。

仏政府はうんざりしていた。ポアンカレが釈明した事で日本は了解したとばかり思っていたら、騒ぎは静まるどころか一層広がっている。軍上層部もルボー大佐については沈黙を守っていた。これ以上同盟国の世論に付き合う義理はないし、重要事は目の前の戦争である。



1917年4月中旬。

憂慮されていた日本の騒擾は尚収まりを見せないながらも、間も無く来援する米軍をあてに出来るようになって一安心していた連合軍司令部は、一通の電文に触れるや俄に色を失った。
それはメキシコのドイツ大使館に潜入したスパイからの至急報で、内容は驚愕すべきものであった。

「確度AA。ドイツ帝国は本年夏を目途にメキシコと同盟を締結し、アメリカの参戦を側面から牽制する見込み也」

それに継ぐ第二報は、連合軍首脳の最も恐れていた内容であった。それが実現すれば、彼等にとっての悪夢以外の何物でもないと言って良かった。

「確度A。その際、メキシコを仲介として日本帝国と単独講和を締結し、更にソビエト・ロシアを含めた四カ国同盟を視野に入れる事確実也。日本離反の後、山東半島、膠州湾の返還と引き換えに、インドシナ、華南、華中の英仏諸権益を見返りとして与えるとカイゼル確言せる由。本件については既に駐墨ドイツ大使が水面下で日本政府に打診を行っている模様」

日本大使が面会を申し込んでいると言う。ポアンカレは後に「自分でも判る程の不出来な愛想笑い」で大使を迎えた。
「大統領閣下、我国の大衆の意見は一致しており、政府枢要が如何に説いたとしても最早聞く耳を持ちません。即ち、ルボー大佐の罷免の事です」
ポアンカレはその人生で最も黒に近い憤りを覚えた、と言う。

仏政府は苦渋の決断をした。米軍の第一派がフランス戦線の各地に到着し始めた1917年4月30日、彼等は彼等自身の手で「第二のドレフュス」を創作してしまった。残念な事に1917年のフランスには、エミール・ゾラは居なかった。「不用意発言」「利敵行為」の咎でルボーは予備役に編入され1914年の時と同じく一切弁解をしないまま、彼は故郷の屋敷へと帰って行った。



所で、最終的にルボーを追いやった「日独墨露4国同盟」の計画は事実であったのだろうか? 戦後ヒンデンブルグが言明した所では、これはルーデンドルフとカイゼルが共謀してでっち上げた巧妙な神経戦であったのだそうで、当然日本はそのような謀略があった事など知らず、過剰反応を示していたと言うのが実態のようである。但しその本来の目的である「連合国間に離反を産み出す」目的は達せず、成果としては「優秀な仏士官一名の罷免」だけに留まった事を、戦後オランダに亡命したカイゼルが聞いたら、地団駄踏んで悔しがったであろう。

最後に、1967年、ドイツ連邦鉄道に対して、レナ―ル・マチウス・ド・ルボーなる人物から、廃車される「BR137」を一輌買い取りたいと言う申し出があった事を述べて本稿を終える。



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