BR137‐袖擦り合った人々-舌禍3



 

ベルサイユでの叙勲式の後、恒例となっていた記者会見が行われた。会場には「ル・モンド」や「タイムズ」等の高級紙から、「パリ・カナイユ」「1ペニーイラストレイテッド」等の大衆紙に至る多数の記者が詰め掛け、上気している大佐に矢継ぎ早に質問を浴びせる。「輸送担当から見た今後の戦局は?」「我が軍にあって敵軍に無いものは?」「産業界の戦争への協力と社会主義の浸透について何かお考えを」「好きな食べ物は何ですか?」
こうした質問に大佐は職分を越えない範囲で率直に語り、その態度は多くの記者を感銘させた。

質問時間の最後に「パリ・カナイユ」の記者が質問した。
「ルボー大佐、大佐の部隊では中国人が作った機関車を使っていると聞いていますが、本当ですか?」
「我が部隊では東洋からやってきた機関車を使っています。しかしそれは中国製ではなく、日本のメーカーの手によるものです」
「栄えある仏陸軍の輸送隊が日本の汽車ですか。随分使いにくそうですが?」
「…私達は勝つためにあらゆる手段を駆使しています。何国の製品であろうとそれが有用であれば使います。増して日本の機関車は優秀です」
この後彼はこう発言した。
「私は騎兵科の出身ですから馬の事なら多少知っている積もりです。戦場にあっては良く訓練され手入れされた軍馬よりも、そう、例えば駄馬やロバの方が役に立つ場面もあります。我が隊の機関車もロバに似て鈍重に見えますが、反面ロバのように忍耐強くもあります」

この発言を面白がった「パリ・カナイユ」紙は翌日の紙面に、
「受勲の輸送隊長、ロバで仏軍を救う!」
とタイトルを打ち、似顔絵のルボー大佐がロバに跨って「アルプス越のナポレオン」よろしく額縁に収まっているイラストが掲載された。
元々大衆紙は、状況の見えていない大衆が得意客であるので、事実を冷静に伝えるよりも寧ろ歪曲化し戯画化する事で売上を伸ばす傾向がある。そう言うマスコミの約束事を知っているルボー大佐や軍首脳部は、この失礼な紙面を見ても「貴族的な態度で」苦笑し無視する事にした。それで市民が楽しめれば良いではないか、と言う事である。
所が話しはこれで終わらなかった。この紙面を見た他の大衆紙が、その翌々日の紙面にこうやったのである。
「某大佐、日本の機関車はロバ並」
「―我等の観測によれば、先日受勲した英雄、輸送隊の某大佐はこのように発言した」
「―私は騎兵科の出身であるから、良く手入れされた軍馬が傷つく姿は、例え戦場であっても見るに忍びない。だがロバは別だ」

無論デマゴーグに過ぎないが、このいい加減な記事は意外にも反響を呼んだ。最初は市民の間で、やがて兵士の間で、更には英国派遣軍の兵にも回し読みされ、様々な感想を与えるに至った。

既に3月初旬、ロシアでは革命が発生し、皇帝ニコライⅡ世は退位を余儀なくされていた。その間にもロンドンやパリの大衆紙は一連の「ルボー発言」を面白おかしく記事にし、座視出来なくなった連合軍司令部は「市民に向けて」釈明、裏側では一部の大衆紙責任者を「利敵行為」で逮捕投獄し、発禁処分を与えて落着とした。その動きの中で、ルボー大佐は黙々と業務をこなしていたのである。



一旦終息した「ルボー発言」騒ぎが下火になった頃、全く予想もしなかった場所でこの噂話が再燃して連合軍司令部を慌てさせたのは、1917年3月中旬の事である。

日本であった。

既にアメリカ西海岸における移民規制で「人種差別」に関してナイーブになっていた当時の日本人は、海外電の伝える「ルボー発言」にいきり立った。民衆はもとより、産業界や財界が激しく反発したのである。

「―事の真偽はともかくも、斯様な発言を野放しにしておく事は、偏に連合国、就中仏国首脳部に東洋人蔑視の発想が未だ根付いている証左である」

「―広く吾人は彼の国において速やかに責任の所在を明確にする事を強く希求するものである」

「―レイモン・ポアンカレ大統領の釈明と、問題の根源である某大佐の罷免が為さざれば、我国は将来的に連合に仇する結果となるかも知れぬ」

いずれも当時の新聞社説である。注目すべきはどの新聞も、現地特派員や商社駐在員等への取材すらせず、不確かな噂ばかりで騒ぎ立てている点である。
当時東京で「可笑新聞」を主宰していた宮武骸骨は、

「―カネに目が眩んで欧州へ機械売り飛ばす馬鹿。舌禍問題引き起こして今更慌てている馬鹿。半月も前の黄新聞のモッソウ記事見て馬鹿にされたと騒ぐ馬鹿。何とこの世は馬鹿で溢れとるわい」

と書き飛ばしたが、実に彼の目は曇っていなかったと見るべきであろう。



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