1.暇人

 退屈で退屈で、どうしようもない。
 そんな日々を、いったい俺はどれだけ繰り返してきただろう。
 何か面白いことはねえかなと空想しつつ、人の来ない場所でだらだらと過ごしている。



 その気になりゃ、真面目に勉強したり部活行ったりで面白くやれるかもしれないが、どうもそっち方面は気が乗らなかった。そんな人間は学校の中探せば大勢いるだろう。俺が今更真面目になってみたところで、結局そいつらの模倣にしかならない。



 出遅れた、のかもしれない。



 結局俺は今、勉強するでもなく部活行くでもなく、学校の中でも出来るだけ人が来なさそうな場所を探して、そこで煙草を吸っては白い煙を漂わせている。そんなことをしていると、余計に自分がはみ出し者って感じがしてくだらなく思えてくるが、かといって方向転換する気もない。こんなことを思って憂鬱になりながらも、今日も明日も明後日も、学校にいる限りはこうしてダラダラと過ごすんだろう。それが俺の基本的な日々の過ごし方だ――が、基本的なというだけで、たまに例外はあったりする。
 その例外が起こると、ほんの数日間は動きのある日々を体験することになる。



 いきなりだが、今日も明日も明後日もダラダラ、というのは無さそうだ。



「あ、いたいた。明原さん?」
 突然声がかかる。しかも無遠慮。こっちはあんまり騒ぎ立ててほしくねーのに、ちっとも考えやしねえ。
「……誰だよ、お前」
「いや、噂聞いたモンです。ムカつく奴を始末してくれるって」
 返事に苦笑い。確かに、たまの暇つぶしにそういうことをやってはいるから、噂は立つだろう。もちろん教師連中の耳に入ったらヤバイことではあるが。
「お前、そういう奴いんの?」
「へぇ。1年2組の咲良漂ってやつです。そいつが腹立ってしょうがないんで、報復頼みたいス」
「……自分でやんねぇのか?」
「悔しいけど出来ないからこうして頼みに来てるんス。お願いしますよォ」
「ふうん……頼みに来たといい、噂といい。お前、どこで俺のこと聞いた?」
「噂は噂ですよ。ただ、明原さん、あんた2年のどこのクラスかわかんないし、具体的に知ってる人もなかなかいねーし、捜しましたよ?」
「……暇人だね、お前」
「で、どーなんですか? 引き受けてくれます? でないと俺の苦労が無駄になっちまいます。お願いしますよ」
 俺の苦労が無駄になる、の部分をわざわざ強調して言いやがる。暗に苦労したんだから引き受けろ、と命令してやがるみたいだ。どうやらこいつ、相当の自己中だ――俺も人のこと言えたもんじゃないだろうけど。



「……お前、名前は?」
「え、それ言わなきゃいけないんスか? 足がついたらまずくありません?」
「お前はそうかもしれんが、こっちはお前のかわりにそいつの相手するんだ。リスク的に割に合わねーだろ?」



「……んなこと言っていーんスか? 煙草、校則違反スよ?」



 思わず笑い声を漏らしちまう。こいつ、初対面で頼み込みに来て、その相手を脅しまでするか。とことん、自分だけ優位に立とうとする奴だ――だが、煙草がどうだと言われても、大した弱みにはならない。
「別に、停学だろーが退学だろーが、今更こだわんねェよ。ただ、そうなった場合は個人的に報復するだけでな? それもまた、いい憂さ晴らしだ」
 煙草のことは確かにバレないに越したことはないが、バレたときのリスクだって考えてないわけじゃない。今更学校通おうが辞めようが、日々の空虚さが変わることはないだろう。
 それは置いといて、俺が返した言葉にさすがにひるんだのか、そいつは肩を落としてから、藤浦直樹と名乗った。表情は忌々しそうだったが、とりあえず気にしないでおく。
「ああ、それとだ。他に情報はないのか? 誰と一緒につるんでるとか。できればそいつの名前も教えといてもらえると、捜しやすい」
 そう話を向けると、藤浦は舌打ちを1つ響かせた。それ以降は大人しくこっちの質問に答えた。その中でもう1人、1年5組の宮月草那という名前も出てきたので、記憶にとどめておく。
 ともかくそんなわけで、今日からしばらくは2人の人間をいろいろ調べることになった。果たしてこれは、退屈を紛らわしてくれるもんなのか、どうか。











 ******











 彼と初めて会った頃は、よく雨が降っていた。
 その頃はいろいろあったけれど、今はこうして一緒にいる。2週間くらい経ったけれど、彼の傍にいることは、それだけでいつも心地いい。
 そして今は、その頃ほどは雨も降らなくなって。だから、学校の屋上で彼と一緒にぼうっとしていることが多くなった。



 体を動かしてるわけじゃない。何かお喋りをするわけでもない。
 ただ一緒に、寄り添いながらぼんやりとしているだけで、ふわふわするように気持ちいい。
 雨が降らないかわりに少しずつ暑くなってきてるけど、ただぼんやりしているだけならあまり気にはならない。



 漂くんは屋上の縁にもたれて、あたしは彼のお腹の上に頭を乗せて、体を出来る限りくっつけて、眠るように横になっていた。
 約束をしていたわけじゃないけれど、最近は放課後になるといつも2人そろって屋上にやってきて、こうしてぼんやりと過ごしている。
 誰かが見たら、だらだらしすぎてるんじゃないかと怒るかもしれない。
 でも、少なくともあたしには、これ以上気持ちよくて幸せなことなんて、考えられない。



 こういう時間を過ごせないのは、学校に行かない休みの日か、何かトラブルがあった時くらいだろうか。
 休みの日の場合は、漂くんはいないけれど母さんと一緒に過ごせる日だから、悪くない。
 でもトラブルの場合は素直に嫌だ。少しでも、彼と一緒にいたいのに。



 あたしの髪を、漂くんの指が優しくなぞる。くすぐったさのようなものがあるけど、それも気持ちいい。
 いつもそうだけど、1日の中では、こうしていられる時間にも終わりがくる。それはわかっているけれど、それでも、いつまでもこうしていたいな、とあたしは思ってしまう。
 時間が、すごくゆっくりと流れる。それでもなお、ずっとこのままでいられるくらいゆっくりだったらいいのにと思いながら、あたしは漂くんの上でまどろんでいた。











 ******











 咲良漂、宮月草那。この2人を捜すのに、それほど苦労はしなかった。
 まずは咲良のほうを当たってみようってんで、1年2組に話を聞きにいった。もう放課後なので掃除する人間しか教室には残っていなかったが、その掃除当番に話を聞いた限りでは、クラスでの評判は良くもないが悪くもないという感じらしい。
 ある奴の話では、無愛想で積極的なタイプじゃないが、話を振れば適当に調子を合わせてくれるし、困った時に何かを頼むと大抵何とかしてくれるという、話してみると意外といいやつ、ということらしい。
 一方、別のある奴の話では、授業ではあからさまにやる気がなく、先生の話なんて聞いていないんじゃないかと言わんばかりにも関わらず、中間テストではクラスで1位、学年ベスト10に入っていたという話も聞いた。この話をしたやつは、眼鏡をかけていていかにも真面目に勉強してますと全身で主張しているようなタイプで、だからこそやる気が無さそうに見えるらしい咲良を妬んでいるような口調だった。



 まとめてみると、随分優秀なやつということらしい。しかもこれに加えて、藤浦のヤツが叶わないと白旗を振る程度には喧嘩にも強いという。喧嘩は一応俺もああいう依頼を引き受けるくらいだから腕に自信はあるほうだが、それにしてもどんなバケモンだ一体。



 さらに聞いていくと、今の放課後はそのまま家には帰らず、ふらふらと屋上に出かけていくらしいという情報も得ることができた。
 だったらとりあえず屋上を目指せばいい。見つけるのがそう難しくない上、人となりまでも結構詳しく聞けてしまったのは、かなりラッキーなもんだと思う。



 とにもかくにも、クラスで聞いた結構な量の情報を引っさげつつ、屋上に直行する。出入り口のドアは窓付きで、前方だけなら開けなくても様子を把握できるようになっている――だからこそ、窓から覗いた時に映った構図に、俺は一瞬硬直した。






 ドアの真正面の屋上縁に、男が1人もたれかかっている。その男を枕にするみたいにして、女が1人横たわっている。しかも猫をなでるみたいにして、男は女をなでている。
 その構図がえらくベタ甘なものに見えたのは、俺の気のせいだろうか。向こうに気づかれたわけでもないのに、相手に顔を見られないようにドアの前でしゃがみこんだ。
 おそらくあの2人のうち男のほうが咲良で、女のほうが――全然情報知らんものの――宮月なのかもしれない。
 藤浦が名前出してきた時はただの女友達なのかと思ったが、ありゃあそんなもんじゃねえ。






 デキてやがる。







 何かムカつきが無いでもなかったし、藤浦的に考えればああいう構図は許せないもんがあったかもしれないが、とりあえずその場は放置しておくことにした。ムカつく以上に、邪魔していいもんでもない気がする――だから、どうにか他の機会を狙って接触するしかない。となるとやっぱり帰り道のルートを調べて、そこに現れるべきか。



 めんどくせえと思ったものの、結局それ以上に、俺にはあの雰囲気を邪魔する度胸はない。だから別の機会を利用するしかない。



 ああ、マジめんどくせえ。声を出さず唇だけで呟いて、屋上のドアを開けることなく俺はその場を後にしたのだった。











 ******











 屋上で、2人でぼんやりと過ごした後。途中まで一緒に下校することも、最近の日課になっていた。毎日、晴天で屋上が使える日なんかは、他に何をするでもなく毎日のようにそうしていて、それで結構気持ちよかったりなんかする。
 この日も屋上でぼんやりとしているうちに日が傾いてきて、そろそろ帰ろうか、そうだねーの流れで、当たり前のように一緒に下校路を歩いている。その間、他愛ない話もいくつかする。お互いの近況とか、浩都の様子とか。たまに彼女は浩都の顔見たさに、自分の家に帰らないで僕の家についてくることがある。一度顔を合わせるとただお喋りするだけで終わらず、じゃれ合いから挙げ句の果てには狭い家の中で鬼ごっこ。2人そろうと3倍も4倍も、どころか10倍もやかましい――けれど、それは嫌いじゃない。
 けれど、今日はそういうことはないらしい。自分の住むマンションが近づいてきて、僕がそちらに足を向けると、彼女は別の方向に向かった。今日はそのまま帰るらしい。



「じゃ、漂くん、また明日ねー」
「お疲れ様」



 軽く声を交わして、僕はその場で宮月を見送っていた。
 やがて彼女の姿がほとんど小さくて見えなくなったところで、マンションの中に入ろうと体の向きを変えかけた時。






「仲良しこよしのよろしいことだねェ」






 後ろから、いきなりそんな声。はっとして振り返ると、男が1人、ニヤニヤした顔をしながらこっちを見ていた。



「……誰だ、あんた」



「んー、ある奴からお前をボコってくれって頼まれたもんでねェ」



 へらへらした調子で、付き合いきれないようなことをさらっと言う。
 ばかばかしいと思ってマンション側に振り返りかけると、そいつはそれを止めようとしてか、殴りかかってくる。
 その行為は予想されたことだったので、避けるのは難しくない。そのまま距離を取り、そいつと向かい合う。
「敵にそう簡単に背中向けてくれんなよ? 悪いがこっちは本気だ」
 言葉とは裏腹に、その口調はやけに軽い。 余裕だとでも言うのか、それともやる気がないのか。どちらかであることは間違いないと感じさせられるような雰囲気を、その男はまとっていた。
「……こんなとこでやりあう気ないんだよ。せっかく家近いのに」
 ともかく、調子が軽すぎる。そんなやつを今相手にしていたくはない。さっさと帰って、浩都の相手をしてやりたいところなのに。
「……じゃああれか。ここじゃ何だから別のところ行こうかって提案も、無理か?」
「無理」
 即答した。相手もそうくるとわかっていたようで、苦笑を浮かべた。



「わかったよ。じゃあ、今日はやめとこう。明日、学校で殴りこみかけっから、覚悟しとけ?」



「学校?」
 そんな単語が出てきてから初めてこいつ何者だと思って、そこでようやくそいつが自分と同じ学校の人間だと気づく。そいつは僕と同じ制服を着ていたから。
「そーだよ。今まで後つけさせてもらったんだ。ったく、バカップルめ」
「……何それ」
「こっちの話だ。明日、お前、出来るだけ1人でいろ。彼女がいるようだが、一緒にいられるとやりづらくてかなわねーんだよ」
 後をつけていた、と言うんだからそれくらいは知っていることなのだろうか。彼女呼ばわりと言われても、そんなつもりはないけれど。ただ仲が良くて、何らかの特別なつながりがある程度でしかない。今のところの僕の認識は、だけど。



「……どうしてそんなこと言われなきゃなんないのさ。僕には関係ない」






「あー、まあ確かにそうだな……すまん。頼まれはしたが、個人的興味ってやつもある」






 いきなり謝られたりして、戸惑う。どう対応したらいいのかと思う――一貫して無視、というのが一番いいのかもしれないけれど。第一印象は悪かったけれど、それと今とでは落差があるように思える。どうしたらいいんだろう、と考えてしまう。



「……あんた、誰。同じ学校だって言うんなら、こっちから行くから。クラスと名前、教えて」



 結局、僕がそう言って折れた。最初に言われた用件はろくでもないものだったんだけど、向こうの態度を見ていると、どうにも無視できなくて。



「あー、悪ィな、わざわざ。2年1組、明原聖人(あけはら まさと)だ。時間出来たら声かけろ。じゃ、今日のところはこの辺にすっか」



 こちらの言い分が通ったと言うべきなのか、そいつはあっさりと名乗った上にあっさりと引き下がった。しかも、



「んじゃ、また明日学校でなー」



 今日が初対面だというのに、まるで友達に気軽に接するみたいにしてそう言って、何やら可笑しげに笑いながら目の前から歩き去っていった。残された僕は、しばらくその場に呆然と突っ立っていた。






 ほどんど思考停滞状態に陥っている中で、1つだけ、確信に近い思いがあった。






 変な奴だ。あいつはとびきり変な奴だ。それだけが、頭の中をぐるぐると回っていた。













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