おあー、痛ェ。
まだ完全下校の放送は聞こえてこないが、空は紅色が深くなってきていた。学校の屋上からそんな空を真上に見上げて、俺は仰向けに寝転んでいた。
全身、ところどころがひりひりと痛む。頬も腫れてるみたいな感覚があるわ、口の中で血の味がするわ。ヤロウ、マジで容赦がなかった。
結論から言うと、俺は大敗を喫した。相手の本気の怒りに飲まれ、ボコボコにされた。
相手が本気だったから、そのうち四の五の考えていられなくなり、こっちも本気で相手をしたつもりだったが、かなわなかった。つうか、マジで細っこい体格してるくせに、こっちのガードを無理やりぶち破るほど、1発1発が重い。どこで身につけてきたんだあんなもん。
とにもかくにも、別に動けないほどではないんだが、全身が痛ェ。しかも勝ち負けはどうあれ思いっきりやらかした後だから、疲れてだるくてどうしようもねェ。
痛い以上に今、どうしようもなく暇な感じがした。これはあれか、祭りの後の寂しさってやつか。なぜかそんな言葉がふっと浮かんだ。
どれだけの時間が経過したのかわからないが、しばらく俺は仰向けのままほとんどその場から動かなかった。でもって何も言わなかった。響くのは運動部のかけ声だけ。それも何叫んでんだかさっぱり聞こえねェ形になっている。
だから、そこにドアの開閉音が混じるのは、唐突感が否めないわけで――誰かが来たらしく、そこで俺はようやく体を起こした。
「うわ……って、ちょっと、大丈夫!?」
慌てて駆け寄ってきたのは宮月だった。その後ろを見やると、咲良と目が合う――何か申し訳無いと言わんばかりの様子で、向こうから視線を逸らした。ふっかけたのはこっちからなんだから、何も咲良がそんな態度取る必要ねーんだがなぁ。
「大丈夫だってー。痛ェけど、自業自得だし」
言いながら、膝枕気味に抱き起こされる格好になり、表情が緩んだのが自分でもわかる。
「つうか、そっちは大丈夫だったのか? 事情言った? 言ってない?」
「言った。すっごい怒られたんだから」
見上げて問う俺に、宮月は苦笑を浮かべて答えた。笑い返す間もなく、宮月はぐるんと顔の向きを変えた。
「ちょっとー! いくらなんでもやりすぎじゃないのーこれ!!」
「だって、ドッキリなんて知らなかったんだっ……!!」
宮月が噛みついた。弾かれたように反論する咲良だが、語調はどこか弱い。
「あーこら、待て待て待て待て。お前らそんなことで喧嘩すんな」
「だって……あなたがこんなになってるなんて思わなかったもん」
なだめようとして口を挟むと、いっそ悲痛なくらいの声が返ってくる。さっきの苦笑気味の表情の時とは一転して、喧嘩腰になってテンションが上がったからそんな声が出てんだろうか。
一方の咲良はというと、そんな宮月の声を聞いてか、ひどくばつの悪そうな顔をしていた。あー、この喧嘩はあれだ、長続きさせると泥沼にはまっちまいそうだ。
「もういいじゃねえか。もともとの部外者は俺なんだ。それに、十分楽しませてもらったからよ。今のこれだって、お前さんに膝枕してもらえるんだったら、役得ってなもんだ」
えっ、と反射的な声が聞こえて、宮月は顔を赤くしていた――行く時はとことんまで行っちまうくせに、こういう場面でそんな反応をするのは男心としてはけっこうぐらりと来る。いやコレ俺だけか?
「ホントに俺に悪いとか思うんだったら、お前らちゃんと付き合えって。そのために俺ァ体張ったんだからさ」
実際のところ本当のことなんだが、口にしてみるとやけに可笑しくて、口の中の痛みも構わずにくっくっくっと笑いが漏れた。ああ、一番の馬鹿な奴って俺かも知んねェ。
俺の言葉に、咲良と宮月は顔を見合わせ、その次には顔を赤くして、睨みつけるようにこっちを見た。いや、本音言ったつもりなんだが、揃って睨まれると怖いし。しかし、一方で妙に可愛いやつらだなと思わなくもない。どっちも普段はわりとクールな印象あるくせに、色恋沙汰には弱いのか?
そうは思いつつも視線がやっぱり痛かったので、なんとか寝返りを打って宮月の膝の上から退いて、自分の視線を逸らす。2人に背を向けた格好になる。
「ま、俺のことはいーから。もう遅いし今日は帰れ帰れ」
半ば犬を追い払うような風にしっしっと手を振りながら、俺は言った。ズボンの右ポケットを探って、煙草とライターを取り出して、一服しようとした。
「って、お前何やってんだっ」
電光石火と言ってもいいくらいの速さで咲良が近づき、取り上げられた。
「えー、いーじゃねーかよ吸わせてくれよー」
「駄目に決まってんだろっ。高校生がこんなもん吸うなったらっ。怪我にだって響くかもしんないしっ!」
手厳しく注意してくる咲良だが、怪我のことを持ち出されると反論のしようがなかった。罪の意識でも抱いてるってとこだろうか――気にするこたあないのに、まったく、優しいやつめ。
1つ舌打ちをしてから俺は言った。
「わかったよ。お前に免じて今日はやめといてやる」
結局、取り出した煙草のパックとライターは、元のポケットに仕舞いこんだ。咲良、それに宮月も未だ不満そうな表情だったが、とりあえず煙草については何も言ってはこなかった――と思ったら。
「……漂くん、あたし、今日は彼と一緒にいるから」
いきなりそんな声が響いてきて、ぎょっとして宮月の顔を見た。こっちじゃなくて咲良のほうを向いてはいるが、その目は真剣だった。が、それでも言わずにはいられない。
「おいちょっと待て、それじゃ本末転倒じゃねーかよ!?」
「いいから。もう決めたんだから、何言っても無駄だからね」
きっぱりと返された。反論の余地無し。咲良はというと、しょうがないかと言わんばかりに、
「……先、帰るよ。……すいません、でした」
そう口にして、それきり咎めも追及もしてこなかった。しかも敬語で謝られた。喧嘩の時はもちろん、普段の会話でだってそんな丁寧な言葉は使いやしなかったのに。
「……しょうがねえな、ったく。じゃ、一日借りるぞー」
去っていく咲良の背中に、一言そう言った。返事もないまま、その背中は屋上から消えた。
「借りるって、レンタルビデオみたいに言わないでよ」
呆れた声で、宮月が代わりにツッコミを入れてくる。その表現に可笑しさを感じで俺は笑う。
「んなこと言ったってなあ。アダルトビデオ借りてきた気分だよ。もうやっちまってんじゃん、1回」
「もう……あなたって実際借りてきてそうだから怖いわ。……起きれる?」
また呆れたような風に息をつかれた後、気遣わしげな声で訊ねられる。
「んや、悪い。まだもーちょっと休みたい」
体は痛いが、動けないわけじゃない。それよりもむしろ、疲れのほうが大きい。それに、膝枕が気持ちよかったので、もう1回くらい体験したい。
休みたい、と言っただけなのに、宮月は再び傍に来て俺の頭をゆっくりと持ち上げ、膝枕の体勢を作ってくれた。
「……悪いねェ。畳じゃなくてこんな固い地面の上で」
そういう地面の上に正座させて膝枕をねだっているわけで、ちょっと悪いなーと思ったりした。 宮月は俺を見下ろして微笑んで、ゆっくりと俺の髪を撫でた――ちくしょう。
その瞬間の宮月がひどく綺麗に見えたと感じた直後、俺はなぜかちくしょうと思った。ほとんど反射的に浮かんだ「ちくしょう」だった。
時間にすれば1日の中のたった数時間だが、間近でこうやって接していると、それで相手の性質はある程度わかると思う。その上での結論みたいなことを言うと、宮月は綺麗なイイオンナ、だった。そんな女が本当に心から好いているのは、俺じゃなくて別の男。それが悔しいからちくしょうって思ったんだろうか――よくわからなかった。この理由は後付けでしかないから。「ちくしょう」自体はあくまでも反射的なものだったから。
膝枕に頭を乗せたまま、腕を伸ばす。そろっと宮月の頬に触れる。やわらかい感触があったその次に、伸ばした腕が向こうの両手で支えられる。
「どうするの?」
「んー。どうしたい?」
問いかけがぶつかった。借りたとは言ったが、向こうが嫌なら俺は束縛する気もない。ただ、実際には少なくとも嫌ということはないんだろう。でなきゃ訊いてくるものか。
「……好きにしていいよ。あなたに任せる。借りられちゃったし」
むしろ爽やかささえ感じられる笑顔で向こうは言う。好きにしていいよ、なんてドラマやアニメにゲームとか、とにかくフィクションでもなきゃ聞くことなんかねーだろと思ってたが、そうでもないらしい。
「それってよー、この後もう1回やっちまってもいいってこと?」
「……えっち」
そっけない言葉が返ってきたが、否定はされなかった。俺も苦笑した。
力を入れて体を起こして、宮月と向き合う。両手で相手の体を支えるように肩を抱く。俺の手に宮月の手が絡み、俺の両肩とつながる。そしてお互いに真正面から向き合う。
1回目とは雰囲気が違っていた。誰もいない屋上で2人、何かの儀式をするように、俺らは互いを求め合った。
やりながら、思う。
単純に、宮月のことが好きか嫌いかどうでもいいのかの3択を並べられると、俺の答えは好きということにになるんだろう。それも、恋愛感情に近い形で――魅了された、ってのはこういうことかもしれない。
宮月にはもう好きな相手がいるし、俺は無理やりどうにかしようとは思っていない。だからと言ってこの感情を捨て去ることは、出来そうになかった。
ただ、ずっと持ち続けるにしても、有りっ丈のそれを本人にぶつける機会は、今ぐらいしかないのだろう。
口で伝えたりはしない。そんなことをすれば向こうは戸惑うし、邪魔することになる。だから口の代わりに、ただひたすら行為で感情を弾けさせた。後で汚れてると言われようが、かまうものか。
それ以後、何も考えなかった。ただただ、感情の激しさに任せて動く。
喘ぎ声が響いて、俺の体に絡みつく宮月の両腕が、力を増す。
意外にもその力というのは強く、離すまいという必死さを感じる。もちろん、俺も離す気はない。
そうして俺らは、互いが疲れ果てるまで、求め合うことをやめなかった。