室本こうじの歴史
讃岐の雨霧城主 香川之景氏からの書状
室町時代後期 香川之景氏が西讃の地を支配しており室本麹の専売権が認められ、保護を受けていました。「讃岐国室本地下人等申 麹商売事先規之重書等並元景御折紙 明鏡上者 以其筋目 不可有別儀 若又有子細者 可註申者也 仍状如件 永禄元年(一五五八年)六月二日 之景花押 王子大明神別当 多宝坊(蓮光院) 」(室本麹組合蔵)
室本こうじ 糀札(鑑札)
各店が所有し、行商時は持ち歩いていたとされるもので許可証のようなもの。米事情により運搬中止の御触れが出ても、この糀札を持参すれば自由に糀の運搬が出来る特典が与えられていたそうです。(室本麹組合蔵)
御門弓 なぬかびさん
麹の神様を祀っている皇太子(おうたいし)神社で行われる弓の神事。氏子の中で昔、漂着した神様の右側を担いだ者と左側を担いだ者の子孫が、左右の講に分かれて毎年1月7日午前5時から行われています。氏子には其々屋号を持っており若松屋、林屋、山口屋、蛭子屋、蔦屋、入松屋、八百屋の七軒が起源と言われています。
(観音寺市の無形民俗文化財に指定)