※この作品は、当サイトで公開中の別作品『金の光月の旅人』の姉妹編です。同じ世界の別の場所、別の時代、別の子供たちのお話です。 ※ストーリー的には独立しているので、『金の光月の旅人』未読でも読めます。 両方読んでくださる場合、どちらを先に読んでも構いません。 ※前作同様、当サイト掲載作品『イルファーラン物語』と背景世界を共有しています |
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夜の海に、上弦の月が光の道を作っています。半月だから、満月の時ほど明るくはないけれど、海が鏡のように凪いでいるので、光の道は、まるでその上を誰かが歩いてやってきそうなほどにくっきりと見えました。冬も近いこの時期に、海がこんなに凪いでいることは、このあたりでは、とてもめずらしいことでした。
――この道を歩いて、海の向こうの精霊の島から、死んだ父さんや母さんが歩いてきてはくれないだろうか。ぼくたちを迎えに来てはくれないだろうか。こちらへおいでと、海の上から手をさしのべて――
ひとけのない小さな入江で、幼い妹と寄り添って岩の上に座り、トーシャはぼんやりと考えました。
――ぼくは母さんと手をつなぎ、父さんはあの強い腕で歩き疲れた小さなミヤを抱き上げて、みんな一緒に精霊の島に歩いて行って、そこでいつまでも、みんなで幸せに暮らすんだ。死者たちの住まう永遠の楽園、精霊の島で。そこにはいつも花が咲き、甘い果実が実り、浜は魚で溢れているという。そこでは誰も、こんなふうに飢えることも、寒さに凍えることもない――
水際で砕ける月影に、トーシャは、精霊の島に押し寄せる銀の魚の大群の、きらめく鱗を夢見ました。
本当なら、冬の初めの今ごろは、トーシャたちの村も、フリカ魚の水揚げで賑わっているはずなのでした。
今年十歳のトーシャは、自分が小さかった頃のフリカの季節の浜の賑いを覚えています。けれど、五歳の妹のミヤは、その頃はまだほんの赤ん坊だったので、フリカの季節の賑いを、全く覚えていないのです。最後にフリカの群れが来たのは、もう四年も前のことですから。
今年も、去年も、一昨年も、沖の漁場にフリカの群れは来ませんでした。フリカの水揚げ量にはもとより当たり年と外れ年がありますが、三年も続けて群れがまったく来ないなど、そんなことは生まれてこの方なかったと、村の年寄りたちも口々に言っていました。
しかも、今年は、初冬のフリカだけでなく、初夏のヌーア魚も、去年まではちゃんと獲れていた秋のズッカ魚さえも、あまり獲れなかったのです。
――海はこんなに静かで、月はこんなに綺麗なのに、なぜ、海に魚がいないのだろう。西の涯にいます〈風の王〉サワートヤルは、なぜ、その忠実な民であるぼくたち〈風使い〉のもとに、いつものように魚を送ってくれないのだろう。祈りが足りなかったのだろうか。みんな、いつも以上に必死で祈ったはずなのに、いったい何が足りなかったのだろうか。お祭りの日に海に投げ込む奉納の花輪の数が? 波間に浮かべる蝋燭の数が? 祭壇に捧げた穀物や果物が? ……今年は、あれで精一杯だったのに。村中のどこを探しても、捧げられるものはあれしかなかったのに。それとも、誰か、何かサワートヤルの怒りを買うようなことをしたのだろうか。だからぼくたちは、もう、ぼくたちの王に見捨てられたのだろうか。もう、彼の民ではないのだろうか――
思いに沈むトーシャの耳に、静かに打ち寄せる波の音だけが繰り返し響きます。
寄せては引いてゆく夜の波は、引き際に、海中に立つ巨人の胸像の形をしたワジャル岩の周りで密やかに沸き立ち、白い泡が儚く渦を巻いては、暗い海に溶けてゆきます。
こんな、月だけが白く冴えわたる夜の海辺にいると、まるで自分たち以外のすべてが死に絶えているような気がしてくるのでした。まるで、人間がみんな滅びてしまった後のような……。
トーシャがこの〈送りの浜〉で母を見送ったのも、こんな美しい月の夜でした。
北の海辺でささやかに漁を営む〈風使い〉たちは、地上に墓を持ちません。
彼らは、仲間の亡骸を、花で飾った仮拵えの小舟に乗せて、彼らの葬送の場である、ここ〈送りの浜〉から、哀悼の調べと共に海に送り出すのです。
トーシャの母も、二年前、そうやって夜の海へと旅立ってゆきました。
母は、農村から嫁いで来た女でした。どのようないきさつでか、たまたま知り合った〈風使い〉の男と恋に落ち、家族の強い反対を押し切って、家出同然に嫁いで来たのです。そして、若くして寡婦となった後も実家に戻ることなくこの村に留まり、慣れない浜仕事に無理して明け暮れたあげく身体を壊して、ほどなく夫の後を追うように死にました。
農村の人々は〈風使い〉を忌んでいるから、〈風使い〉に嫁いだ母は家族と縁を切られており、もし戻りたいと思っても、戻る家も無かったのでしょう。
それでも母は一族の寡婦として村じゅうの扶け合いの輪の中で生かされていたのですから、トーシャたち母子の暮らし向きだけがよその家より特別苦しかったわけではないのです。厳しい北の海に生きる〈風使い〉たちの結束は固く、村には、身内の寡婦や孤児を飢えさせて自分だけ贅沢をしているような人間は、一人もいません。ただ、フリカが獲れなくなって以来、村じゅうのみなが同じように飢え、凍えていたというだけで。
やつれ果て、痩せこけた母の亡骸の、頬は厳しい海風にさらされて老婆のように皺深く、かさかさに乾いていたけれど、小舟いっぱいの野の花に埋もれ、月の光を浴びたその姿は、透き通るように美しく見えました。
その頃、すでに食料の蓄えはほとんど尽きていたので、精霊の島に着くまでの〈渡海《わた》りの御饌《みけ》〉として小舟に積み込むことができたのは、わずかばかりのひねこびた小芋の黴の生えかけた切れ端だの、からからにひからびた干し魚の小片、それに、湿気った麦粉を水で練って茹でた小さな団子だけでした。けれど野の花だけは、その年も変わらず咲いていて、母の亡骸が埋もれるほどに、ふんだんに飾ることができたのです。
それからふたりは、父の親族の家に引き取られました。継父母の家は子沢山で、その頃には村の他の家もすべてそうだったとおりに貧しかったけれど、彼らはふたりを当然のこととして受け入れ、自分たちの実の子と同じように扱ってくれました。
この村では、継子はありふれています。海で死ぬ男がとても多いから、ふた親を亡くした子供が親族に引き取られることも、寡婦となった母親が子連れで再婚したり親族の元に身を寄せることも、当たり前のことなのです。自分の子だって、いつ誰かの継子になるかわかりません。血縁の孤児の面倒を見るのは、〈風使い〉たちにとって、当然のことなのでした。
けれどその後も不漁が続き、養父母の家でも食料が底をつきました。子供たちも毎日総出で日がな一日岩場を漁って、普段なら食べない硬い海藻やたいして腹の足しにもならない泥の味のする小さな貝を集めたり、近隣の山野の木の実や野草をあらかた採り尽くしたりもしましたが、冬になれば、山野は雪に覆われます。採ったものはその日に食べるだけで精一杯だったから、冬に向けての蓄えもありません。冬場は海が荒れ、漁に出られる日が少ないし、そもそも、このあたりでは、フリカの季節を過ぎたら、獲れる魚はわずかです。
そうして、しばらく前のある夜ふけ、たまたま小用に立ったトーシャは、継父母が疲れはてた小声で相談しているのを聞いたのでした。
一番上の娘をイリューニンの娼館へやろうか。ここにいて厳しい冬に飢え凍えて死ぬよりも、少なくとも物が食べられ服が着られる場所にやるほうが本人のためでもあるだろう、と。
幼いトーシャも、娼館がどういうところか、薄々は知っていました。
村の外に働きに出た子供たちも夏至や新年のお祭りには里帰りしてくるけれど、娼館に売られた娘だけは、決して帰って来ることがないということも。
優しい義姉が隣家の少年とほのかに想い合っていることを、トーシャは知っていました。もし彼女が娼館に行ったら、そんなふたりは、もう会えなくなるのです。
もしかしたら、自分たちが家を出ていけばそうならなくてもすむのではないかと、トーシャは考えたのでした。
せめて自分たち二人分の口が減れば、と。
本来、この家は、もう二人分、食べる口が少なかったのだから――と。
幼い無分別で、次の夜、トーシャは、妹を連れて養家を出ました。
何も持たず、誰にも告げず、夜明け前の闇に紛れて。
家を抜け出す時、寝ている継父母に小声でこれまでの礼と別れを告げました。継父母は、もしかすると彼らが出ていこうとしていることに気付いていたのかも知れませんが、頭から掛布を被ったまま、動きませんでした。薄い掛布の下で継母が泣いているような気もしましたが、引き止められることはありませんでした。
眠たがる妹を背に負って、トーシャは歩き出しました。
どこへゆくあてもなかったけれど、どこかで、妹とふたりだけで生きようと思っていたのです。
どこか農村へ行って、畑仕事でも手伝わせてもらえないだろうか。納屋になりとも寝泊まりさせてもらえないだろうか――そんなあてもない算段とともに、もしかしたら農村で母の縁者に会えて迎え入れてもらえるかもしれないという淡い期待もありました。
母は故郷の話を一切しなかったので、母がどこの村の出身かも知りませんでしたが、いずれにせよ近隣のどこかには違いないので、訪ねた村が偶然母の故郷であることは、十分にありえるはずです。
母が生家と縁を切られていることも、自分たちが生まれたことや父が死んだことはもちろん母自身の死さえ生家には伝えられていないだろうことも、農村も今年は不作で余裕がないことも、全部知ってはいましたが、一族の結束固い〈風使い〉の子供であるトーシャには、肉親の絆が無視されることがあろうなどとは、想像できなかったのでした。
そして、もし農村に仕事がなければ、どこか町へ行こうとも考えていました。
町へ行けば、きっとなんとかなるだろう。まずは、自分が知っている唯一の町、一番近いイリューニンへ。それでもだめなら、どこか、もっと南へ。冬でもほとんど雪が積もらないという実り豊かな南部、たとえば、首都イルベッザへ。夜中でも灯火の絶えることのない、想像もつかないほど大勢の人が住んでいる、とてつもなく大きく賑やかな都だというから、子供二人くらい、紛れ込む場所はきっとあるだろう――
そんな、自分でも甘いと分かっている見通しで歩き始めてはみたものの、近隣の農村でふたりを雇ってくれる家など、もちろんありませんでした。すでに収穫を終えて冬に向かう今、人手の必要な農繁期は過ぎていたし、農家はたいてい子沢山で、十歳の子供にできる仕事なら自分の子供にさせるまでです。しかも、今年は不作で、よその子供にまで食べさせる余分な食料など、どこの家にもありません。それで、たいていは剣もほろろに追い払われました。ときには魚臭いと嫌がられもしました。家族に内緒でドアの陰で少しだけパンの欠片をくれた若いお嫁さんや、ひとときでも寒風の凌げる部屋に入れ、自分たちの貧しい食事である薄いスープを分け与えてくれた老夫婦もいたけれど、母の故郷であるはずの農村に、ふたりの居場所はありませんでした。
家から家へ訪ね回るうちに見知らぬ村で夜を迎え、途方にくれたふたりは、村はずれの家の納屋に忍び込み、そこで寝ていた大きな犬に寄り添って一夜を明かし、夜明けと共に起きだしてきた主人の怒鳴り声に追い散らされて村を出ました。
そんな日を何日も繰り返し、あげくにたどり着いたイリューニンで、ふたりはただ、人ごみに圧倒されて道端に立ちすくむことしかできませんでした。空腹にふらつく足でまごまごと往来を横切ろうとして馬車に轢かれかけ、慈悲を求めて見知らぬ家の戸口を叩こうとして犬に吠えかかられ、やむにやまれず屋台の食べ物を盗もうとして怒鳴られ、しかたなく物乞いをしようと路傍に座り込んでみたら、あっという間に寄ってきた襤褸を着た少年たちの一団にすごまれ、小突かれて、たちまち追い出されました。
自分たちより幾つも年上ではないだろう少年たちの、村では見たことのないような荒んだ眼差しが、罵倒の言葉よりも振り上げられた拳よりも怖くて、トーシャは抵抗することも声を上げることもできずに、腕の中にミヤを庇って、ただ逃げ出したのでした。
途方に暮れて、行く宛もなくとぼとぼと通りかかった魚市場の前で、魚の臭いに、村が思い出されました。
もはや、さらに南に向かう気力も尽きていました。
ふたりは、苦労してやってきた道を、足を引きずって引き返し、ぼろぼろになって村に帰りつきました。
けれど、いまさら養家には戻れません。
行き場のないふたりは、夜陰に紛れて人目を避け、村人だけが知っている隘路を抜けて、崖に隠されたこの入江に身を隠したのです。
何かあてがあったわけではありませんでした。他に行くところがなかっただけです。他の人に見つからずにとりあえず隠れていられる場所の心当たりが、ここしかなかったのです。もちろん隠れていてどうなるものでもなかったし、寒風吹きすさぶ浜辺は、いつまでもいられるような場所ではありません。けれど、ろくにものも食べずに長い距離を歩き通した子供たちは、ここまでたどり着いた時には、もう、まともに歩くこともできなくなっていました。ことに、痩せこけた幼いミヤは、もう立っていることさえやっとで、ぐずる気力もなく、虚ろな瞳でふらついていました。そんなミヤを、どこかで休ませてやりたかったのです。たとえどんなに寒い場所ででも、腰を下ろさせてやりたかったのです。
それに、ここに来れば、父母の面影に、わずかでも触れられるような気がしたのでした。
地上に墓を作らない〈風使い〉たちは、死者を偲ぶ時には、この〈送りの浜〉へやってきます。果てしない蒼海が彼らの墓所であり、砕ける波が墓標なのです。死者への手向け花も、この浜辺から海に投げ込まれます。そんな記憶がトーシャをこの場所に導いて、それからふたりは手近な岩に座り込み、わずかばかりのぼろ布をかき集めて身を寄せ合い、そのままぼんやりと沖を見ていました。
かじかんだ指先を互いの手で温め合えば、妹の手がひどく乾いて荒れているのが哀れで、トーシャは悲しくなりました。
そして、ふと、かつて一緒に遊んだことがある町の少女の柔らかな白い手を思い出しました。
あれはまだ毎年フリカが捕れていた頃、トーシャが今のミヤくらいだった頃のことです。
村から少し離れたところに、都会の金持ちたちが別荘を構える保養地があって、貝を採っているうちに浜伝いに遠出しすぎたトーシャは、いつのまにかどこかの屋敷に面した浜に紛れ込み、波打ち際で貝殻を拾っていたその家の子と友だちになったのでした。トーシャと同じ年頃の、見たこともないような綺麗な服を着た、夢のように可愛い少女でした。身体が弱いので、夏の間、蒸し暑いイルベッザの淀んだ空気を避けて、この海辺の別荘に、乳母を伴って療養に来たということでした。
トーシャはそれから数日、その浜に通って、ふたりは連れ立って貝殻を拾ったり、砂浜に棒切れで絵を描いたりして一緒に遊びましたが、やがてそれが少女の乳母の知るところとなり、遊ぶことを禁じられました。
それは、ただ、トーシャが貧しい子供だったからだけではありません。トーシャが〈風使い〉の子供だったからです。
少女の乳母は、少女に『〈風使い〉は賎しい民だから口をきいてはいけない』と言い渡したのだそうです。
〈風使い〉が外の人々からときに蔑まれ、排斥されることは、子供のトーシャでも知っていました。
それは、彼ら〈風使い〉が、女神エレオドリーナと男神タナートの間に生まれた赤子である〈風の王〉サワートヤルを主と崇めているからです。
〈生命の女王〉エレオドリーナと〈死者の王〉タナートは双子の兄妹なので、一般の神話では、サワートヤルは兄妹の近親相姦で生まれた許されざる罪の子であり、その罪を背負って不具の身に生まれたために、生まれてすぐに名前さえつけられぬまま篭に入れて西の海に流されたと言われて、表立ってはその存在さえあまり語られることがありません。語られる場合も、有象無象の精霊や土地神、部族神たちの一柱と見做されて、軽視されます。
『サワートヤル』というのは、〈風使い〉たちの古い言葉で、ただ『流されしもの』という意であり、名前ではありません。
彼らの神は、名を持たぬ神です。
だから〈風使い〉たちは、しばしば、『呪われた罪の子を崇める罪の民』などと忌まれるのです。
けれど、〈風使い〉たちは、『流されしもの』サワートヤルを、由緒正しい神々の嫡子であると信じています。
他の、森の王だの川の王だのは、その地の気が自然と凝っていつのまにか生まれた精霊たちの、その力がさらに寄り集まって形をとった単なる精霊の親玉だけれど、〈風の王〉は違うのだと。自然から勝手に生まれた精霊ではなく、正当な神々の息子、しかも、もっとも力ある、もっとも位の高い二柱の神々の間に生まれた、そのひとり子であるのだと。
――尊い神々の間に生まれたものが、その父母神がたまたま兄妹であったからといって、賎しいわけがない。穢れていたり呪われていたりするわけがない。そもそも、神々の間には、人間のような近親婚の禁忌など、ないのだ。なぜなら、神々に禁忌を科すものなど、存在しないのだから。人間に禁忌を課すのは神々である。その、至高の神々に、誰が禁忌を課すというのだろう。禁忌を課すものがいないのだから、禁忌はないのである。人間に課されるような禁忌など、神々には必要ないのだ。
神が罪を犯すことは、ありえない。どんなことであれ、神のすることが罪であるわけがない。神のすることは常に正しいのだから、神がそれをしたなら、それは、人にとってはともかく、神にとっては罪ではないことなのである。ただ、兄妹での婚姻はあまりに神聖で、神々のすることだから、人間はしてはいけないというだけなのだ。
それなのに神が罪を犯したなどと言う人々は、なんと冒涜的で不信心なのだろう。世の中には、『〈風使い〉は生命の女神エレオドリーナを信じずにその罪の子などを奉じるから不信心者だ』などというものがいるが、自分たち〈風使い〉は、サワートヤルを主と奉じているからといって、決して生命の女神を信じていないのではない。女神を蔑ろにしているわけではない。むしろ、外の人々より強く崇め、慕い、信じているはずだ。だからこそ、自分たちは、エレオドリーナが罪を犯したなどとは信じないのだ。エレオドリーナは全き慈愛の女神であり、常に正しく偉大であり、そんな女神のすることに、罪や間違いはありえないのだから――
これが、〈風使い〉たちの言い分です。
――サワートヤルは、体は不具であるが、その代償として、風に乗って自由に世界を翔けめぐる力を有し、神々から海を――太陽を映して青く輝く果てしない海原と、その下の光の届かぬ冥《くら》い世界のすべてをその領土として正式に封じられた、正当な海の主なのだ。その居所である西の涯の島は、決して流刑地などではなく、神と精霊たちの住まう神聖な永遠の理想郷なのだ。流刑地に押し込めるなら、風に乗ってどこへでも行ける力など、与えられるはずがない。そんな力があったら、流刑は意味をなさないのだから。だから、サワートヤルは、流刑にされたのではなく、祝福されて領地に赴いたのだ。
そもそも、彼を産んだエレオドリーナ女神は、凡そあらゆる誕生を祝福すべき出産の女神である。すべての生命の偉大なる母である。すべての命を自分の赤子として慈しむ、愛の女神である。とりわけ、小さいもの、弱いもの、虐げられたものをこそひときわ愛するはずの聖母である。そんな女神が、自らの腹を痛めた我が子を、愛さないわけがあるだろうか。慈しみ、祝福しないわけがあるだろうか。
ましてや不具の子である。他のものより不自由に生まれついた我が子を、女神が、より一層、慈しまないはずがない。その子にどこかが欠けていれば欠けているものの分だけ、よりたくさんの愛を注ぐのが、母なるエレオドリーナであるはずだ。
だから、女神が我が子の不具を厭って海に捨てたりなど、するはずがないのだ。そんな話を信じて喧伝するなど、女神に対する冒涜である。女神は、不具の息子を、ひときわ深く愛したはずなのだ。きっと、特別に慈しんだはずなのだ。だからこそ、わたつみという、この世で一番美しく豊かな広大無辺の領土を、幼い我が子に与えたのだ。
海を知らずに生きている人々は、海を、ただ、世界の涯て、この世の周縁の寂しく危険な辺境としか思っていないが、我ら〈風使い〉は知っている――海が地上のどこよりも広く豊かな恵みの領土であることを。そんな豊かな領土を、女神はその愛し子に与えたのだ。それが愛の贈り物でなくて何だろう。
そして、父神タナートもまた、この息子を愛したはずだ。
女神エレオドリーナと男神タナートは、後には仲違いして相争うようなるが、この時には、契りあって子を設けたのだから、きっと愛しあっていたのだ。タナートが妹であるエレオドリーナに一方的に邪恋して追い回していたとする神話もあるが、そうだとしても、少なくとも男神は女神を恋い慕っていたはずだ。ならば赤子の誕生を嘉し、幼い息子を愛おしんだはずだ――
そんなふうに、〈風使い〉たちは信じているのでした。
〈風使い〉だけに伝わる神話では、〈死者の王〉男神タナートは、幼い息子の旅立ちに際して、精巧で美しい、からくり仕掛けの小鳥を贈ったと言われています。無数の小さな宝石で飾られた金銀細工の小鳥は、繊細なその翼を楽しげに羽ばたかせながら、世にも美しい声でやさしく子守歌を歌って赤子をあやし、眠らせたといいます。
父神は、我が子を愛していたから、そんな美しく愛らしい贈り物をしたのでしょう。
そして女神エレオドリーナは、もちろん、男神とのいきさつがどうであれ、生まれた赤子は愛したはずなのです。エレオドリーナは、すべての命を無条件で愛し祝福する生命の女神であり、出産と赤子の守り神であり、あまねくすべての命の聖なる母なのですから。
――そもそも、たとえどのようないきさつによって産まれたものであろうと、誕生した命は、みな祝福されてしかるべきなのだ。いかなる不義不倫の果てに孕まれた罪の子であろうと、それは父母の不義、父母の罪であって、生まれた子の罪ではない。だから、おさな子を乗せて海に流した篭は、きっと、流刑の船ではなく、母の腕《かいな》のような、やさしい愛の揺りかごであったのだ。清らかな花々で飾られ、聖母の愛に包まれた、美しい、愛らしい、小さな揺りかご。そういう、心づくしの、愛のこもった可愛い小さな船で、女神は我が子を、その領土へと、幸せを祈って旅立たせたのだ。
ちょうど我々〈風使い〉が、小さな子供が死んだ時、ちっぽけな死出の小舟を可愛らしく飾り付け、玩具や菓子を積むように、サワートヤルの小舟は、きっと、おさな子の心を慰めるべく美しく飾られて、甘い果実や菓子を溢れんばかりに積みこんでいただろう。おさな子はその愛らしい揺りかごの中に、暖かく柔らかな産着で包まれて注意深く横たえられ、額に祝福の口づけを受けて、やさしい母の手で、広い海原に、そっと送り出されたのだろう。美しい白い小舟の舳には、父神からの愛の贈り物である宝石づくめの銀の小鳥が止まって、水先案内を務めるともに、美しい子守歌を歌っていただろう。きっと女神は、付き添いの、やさしい風の精霊たちに、この子をよく守って西の島まで無事に運んでやっておくれと、心を込めて命じただろう。たどり着くべき新しい天地での我が子の幸せを、強く、強く、祈っただろう――
〈風使い〉たちはそのように信じて、その美しい場面を、古来より繰り返し炉辺に語りつぎ、歌に歌ってきました。舳先に銀の小鳥を止まらせた美しい白い小舟の絵が数限りなく描かれて家々の祭壇を飾るその下で、月明かりに照らされて波間を漂う夢の揺りかごを歌ったやさしい子守歌が、親から子へと口伝えられてきました。
それらの歌は、本当は、昔、今よりもっと不漁が続いた苦難の時代に、間引いた赤ん坊を海に流した悲しい思い出を歌ったものだったといいます。我が子を海に捨てねばならなかった母親たちの心を宥める歌であったのでしょう。
〈風使い〉たちに伝わる古い子守唄が、幸せの島を目指す祝福されたおさな子を歌ったやさしい歌のはずなのに、どこか悲しい旋律なのは、たぶん、そんなわけです。旋律は悲しいけれど、言葉として歌われるのは、あくまでも、愛されて旅立つ穢れなき神の子の希望に満ちた旅路であるのは、母たちのせめてもの祈りなのです。
今でも、〈風使い〉の村では、死んで生まれた、あるいは生まれてすぐに死んだ赤子、わけても不具の子は、幼いサワートヤルの物語を再現するものと尊ばれて特別ていねいに海に送られ、嘆きに沈むその母は、神の子の地上の母の役割を果たしたもの、女神エレオドリーナの代理を務めたものと称えられ、その子を海に送り出したことを誇りにしろと慰められます。サワートヤルは、その赤子を送られたことを嘉したまい、その子を送り出した村に、より多くの魚の群れを、より一層の恵みを送ってくれるのだから、と。
そういう赤子たちは、サワートヤルに特別に愛されて、風に乗る小さな翼をその背に授かり、精霊の島で、永遠のおさな子としてサワートヤルのもっともそば近くに侍る権利を得、世界の終わる時まで何一つ悲しみを知らずに楽しく歌って暮らすのだと言われています。おさな子たちの穢れない歌声は母を知らぬサワートヤルの孤独を癒やし、時に嘆きに荒れる海を鎮めるのだと言います。
その言葉で、傷心の母たちは、ささやかなりとも慰められるのでした。
そうして、女たちは、〈おさな子〉サワートヤルの旅立ちの子守唄を、きっとこれからも歌い継いでゆくのです。
〈風使い〉たちは、そんなふうに、サワートヤルを海の支配者、精霊の島の主、風の精霊たちの王にして自分たち〈風使い〉の守護者であるものとして、変わらぬ信仰を捧げてきたのでした。
彼らは、サワートヤル配下の風の精霊と契約を結び、その守護を得ることで、精霊の助けを借りて自分の船の帆のまわりの風を操る力を与えられると信じています。
〈風使い〉の少年たちは、十五になると、それぞれ『自分の』精霊を持ち、船に乗ることを許されます。
精霊は、普段は目に見えないけれど、小さな清らかな、半ば透きとおった乙女の姿をしているのだと言われています。運の良い男や、自分の精霊に特別愛された男は、ときに精霊の姿を夢で見ることができると言われていて、実際、自分の精霊が夜の眠りの中に立ち現れた、あるいは祭りの熱狂の中で火影にその面影を幻視したと目を輝かせて語る男――たいていは精霊と契約を結んで間もない青年たち――も、しばしばいます。
だから、〈風使い〉たちは、自分たちは〈風の王〉の嘉したもう民であり精霊に特別に選ばれた一族であるとして誇りを持っているのです。
その誇り高さは時に閉鎖性と結びつきもしますが、たとえ外のものから蔑まれようとも、彼らの誇りが揺らぐことはありません。
たとえその頃のトーシャのような、幼い少年であっても。
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