1.不思議な旅人

(2)


 それは、本当に、見たこともないような不思議な人でした。
 茶色のくせ毛に、明るい茶色の目。長い睫毛。どこか少女めいて見えるほど繊細に整った顔立ち。長い手足に細い腰。
 そして何よりも、何とも言えない風変わりな服装――。

 その服ときたら、目を見張るように華やかな、色彩の洪水でした。
 まるでこの晩秋の枯れ野に旅芸人一座の天幕が忽然と現れて色とりどりの旗や幟をはためかせはじめたかのような極彩色の布地の競演に、子供たちは目を奪われて、あんぐりと口を開けました。
 頭には、大きな赤い羽根のついた緑の帽子。
 片方の肩にはね上げた長い旅行用マントは目を射るような真っ赤で、その下には、やはり真っ赤な、金糸銀糸を縫い取った上に何やら襞飾りまであしらった古風で珍妙な胴着。
 腰には鮮やかな黄色の飾り帯を巻いて、身体の横で気障に結んだ残りの布をこれみよがしに長く垂らしてひらひらさせ、袖無しの胴着の下のシャツは明るい空色。
 これだけでも十分変だけれど、もっと変なのはズボンです。
 胴着の裾からにょっきり伸びた二本の長い脚を包む細身のズボンは、なんと紫と橙色のまだら模様、しかも片脚は膝上までの半ズボンで、もう片脚は長ズボン、そして、半ズボンのほうの脚には真っ赤な長靴下を履いているのに、長ズボンの裾からちらっと覗くもう片方の靴下は、なぜか緑色です。
 靴だけがごく普通の実用的な旅行靴なのが、かえって奇異に見えるほど――、ありていにいって、かなりキテレツな、へんてこな、少しばかり滑稽な、妙に古風なようでも新奇なようでもある頓狂な衣装です。
 しかも、この人は、見たこともないほどやたらと背が高いので、なんだか人間ではなくカカシか何かのようで、よけい奇妙に見えるのでした。

 チェナがこれまで見た中で、一番これに近い姿といえば、そう、曲芸団の道化師です。
 他の子供たちも、そう思ったようでした。
 でも、旅芝居の一座も曲芸団の一行も、どこにも来た様子はありません。

 そして、そんな珍妙な、道化た服を着てはいても、その人は、とても美しいのでした。
 細い鼻梁がすっと通った繊細な細面といい、睫毛の長い涼やかな目元といい、男の人でこんなふうに綺麗な人なんて、村では見たことがありません。
 だいたい、お話の中以外で男の人が綺麗だったりすることがあるなんて、チェナは想像したこともありませんでした。

 あんまり綺麗で、しかも、あんまり突飛な衣装を着ているので、チェナには、この人が、とても普通の人とは思えませんでした。
 その人の鼻の上に、いたずらっ子めいたそばかすがなければ、もうちょっとで、物語の中の放浪の貴人か、でなければ、偽りの美貌で人をたぶらかす魔物の化身が目の前に現れたかと思うところでした。
 けれどその人には、たしかに、チェナと同じそばかすがあって、口をいっぱいに横に広げてにっと笑うと、なんとも愛敬があって、人好きがして、人なつっこく親しげなのでした。

 意地悪をしている現場に突然大人が現れてぎょっとしたリドも、相手が村の大人ではないことと、その優男ぶりや気安い笑顔に勇気を得て、口答えしました。
「ズルなんかしてないよ!」

 けれど男の人は、親しげに笑いながらも、きっぱりと言いました。
「私は君が隣の子にこっそり骨を回すのを見たよ。大勢でひとりの子をいじめるなんて、そんなこと、しちゃいけない」

 言葉に詰まったリドは、むきになって、よけいなことを叫びました。
「チェナはいいんだよ! チェナは、馬鹿で、うすのろなんだから」

 チェナは心の中でリドを呪いました。
 あたしが馬鹿だってことものろまだってこともまだ全然知らないこの人に、あんなこと言わなくてもいいのに。
 こんなふうに妹をおぶって小さな子供たちに混じって遊んでいて、しかもいじめられてるってだけでも恥ずかしいし、美人じゃないのは見ればすぐわかっちゃうのに、その上、見ただけじゃわからないそんなことまで知られるなんて……。

 馬鹿だ馬鹿だと言われ続けているけれど、チェナは、自分は本当はそんなに頭が悪い訳ではないと思っています。一番仲良しの友達だったエルミンカ ――チェナより一年早く卒業して、遠い町に働きに行ってしまいましたが―― も、いつも、そう言ってくれていました。
 言いつけられたことをすぐ忘れるのはいつも他のことを考えているからで、ものを覚える頭がないわけじゃないのです。勉強だって、ちゃんと先生の話を聞いていればわかったのかもしれないけれど、いくら聞いていようと思っても、つい窓の外に目が向いて、そうすると、そのままいつのまにかぼんやりと何か考えてしまうので ――そんな時、自分が何を考えていたのかを後で思い出そうとしても、たいていひとつも思い出せないのですが――、それでわからなくなってしまっただけです。
 のろまで不器用なのは本当だけど、ひとつの仕事に時間をかけてがんばれば、本当は、たいていのことは、ちゃんとできるはずなのです。
 でも、仕事がいつもひとつならいいけれど、何かやっている途中に他の仕事が出てくると、チェナはもう、だめなのです。混乱してあれもこれもやろうとしたあげく、どれも中途半端にしてしまうか、でなければ、どうしていいいかわからなくなって、ぼんやり立ちすくんでしまいます。そうやって、もたもた、うろうろしているうちに、いつのまにか人の邪魔になり、迷惑をかけ、結局、役立たずといわれるのです。
 その上、チェナは、どうやら、なまけ者なのです。別になまけようと思うわけでなくても、いつのまにかぼんやりしてしまうのです。
 しかも、要領が悪くて、他の子のように大人の見ていないところでだけ上手くさぼるということができないので、実際以上にずっとさぼっていたように見られやすいのですが、でも、すぐさぼるのは本当のことだし、働くよりもただぼんやりと空想にふけっているのが好きなのも本当だから、なまけ者と言われても、文句は言えません。

 自分が、そんな冴えない、とりえのない娘だということを、この、不思議で美しい特別な人に、チェナは知られたくありませんでした。

 けれど、その人は、リドの言葉を聞いて、チェナに軽蔑の目を向けたりはしませんでした。
 なんだ、そんな娘ならいじめられてても放っておこう、などと思った様子は、全くありませんでした。
 男の人は、急に厳しい顔をつくり、腰に手を当てて、リドをじろりと見下ろしました。
「ほーお、じゃあ、私は、君がまだおねしょをしてるねしょんべんたれだからって、君のことをいじめてもいいのかな?」
「ぼっ、ぼくが今朝おねしょをしたの、なんで知ってるのさ!」
 リドが真っ赤になって叫ぶと、その人は、しかめつらを崩して笑いだしました。
「あはは、なんだ、ほんとにねしょんべんたれか。ただ、あてずっぽうで言ってみただけなんだが。まあ、気にするなよ、おねしょはそのうち必ず直るからさ。君はまだ小さいんだから、しょうがないさ」
「ぼくは小さくなんかないよ! もう七つなんだ。生まれるのが、あと、たった十日早ければ、本当はもう、今ごろ学校に行ってるとこだったんだよ!」と、リドは真っ赤になったまま男の人を睨みましたが、突然現れたその人が、あんまり不思議で、風変わりで、謎めいているので、それが気になって、もう怒っているどころではなくなり、
「……おじさん、誰?」と、つい尋ねてしまいました。
 男の人は、少し考えて答えました。
「名前は、いくつもある。ここでは、そうだな、エルドローイがいいだろう」

 エルドローイ!
 チェナはうっとりしました。
 なんてきれいな、格調高い、立派な名前でしょう。
 聞いたことのない名前だけれど、ありえないような変な名前というわけでもなく、村ではちょっと誰もつけないようなしゃれた名前だというだけで、格式ある家柄の立派な人たちや、上品で教養ある都会の知識人たちならば、きっと、こんな、古風で典雅な美しい名前を持っていたりするのでしょう。もしかすると、チェナも、旅の語り部の語るいにしえの英雄たちの物語の中で、そんな名前を聞いたことがあったかもしれません。

「ねえ、おじさん、道化師?」
 ちびのマイカが、期待を込めて、急き込むように尋ねました。

 小さな子たちは、こうして何のためらいもなく『おじさん』と呼ぶけれど、その人は、チェナから見れば、おじさんというほどの齢ではないように思われました。
 たしかに見ようによってはずいぶん齢をとっているようにも見えて、年齢はよくわからないのだけれど、一方で、ずいぶん若くも見え、もしかするとまだ二十歳《はたち》くらいかもしれないという感じさえして、チェナはこの人を『おじさん』と呼ぶ気には、とうていなれません。
 かといって、『お兄さん』というのも気安過ぎてどこかそぐわない気がするし、名前を呼ぶのも、なぜかなんとなく憚られる気がして、チェナは、ただ黙っていることしかできませんでした。

 小さなマイカの質問に、男の人が、からかうように片方の眉を上げ、
「さあ、どうかな」と答えると、子供たちは、いっせいに声を張り上げました。
「道化師に決まってるよ、だって、道化の服を着てるんだもの!」
「そのヘンテコな服は、絶対、道化の服だよね!」

 男の人は、笑って言いました。
「君たちが言っているのは、私が何なのか、じゃなくて、私の服が何の服かということじゃないか。道化の服を着ているからといって、私が道化とは限らないよ」

 子供たちは、言われたことの意味がわからなくて、きょとんとしました。
 が、どうやらこの人は自分は道化ではないと言っているらしいと判断したやせっぽちのシーリンが――この子は、たった六歳なりになかなか考え深い、落ち着いた性質の少女でした――、みんなを代表して尋ねました。
「じゃあ、なんで、そんな服を着ているの?」

 男の人は、何でもないことのように答えました。
「着たいからさ。私はこの服が好きだから、これを着ているんだよ」

 着たいから、その服を着る! 自分の好きな服を着る!
 それは、子供たちにとって、想像したこともないような目新しい考え方でした。
 子供たちはびっくりして、いっせいに、自分が着ている、色あせて継ぎの当たった、茶色や灰色などのくすんだ色合いの服を見下ろしました。
 もちろん、みんな、別にその服が好きだから着ているわけではないのでした。
 だからといって、特に嫌いだというわけでもありません。村では大人も子供もみんな、いつもこういう服を着ているのが当たり前だから、小さな子供たちは、自分がその服を好きかどうかなんて、考えてみることも出来なかったのです。

 とはいえ、それは小さな子供たちのことで、チェナのように少し大きくなりかけた、それも女の子ともなれば、きれいな服に憧れたことがないわけではありません。
 たとえば、前に村に来た旅芸人一座の小さな舞姫が着ていた白いひらひらのドレスに、村中の女の子がそろって憧れたことがあります。でも、自分が本当にそれを着ることができるとは、誰も思いませんでした。だって、その子は旅芸人の娘で踊り子だけれど、自分たちは、そうではないのですから。

 そういえば、あたしたちはなぜみんなこういう服を着ているんだろう、と、チェナは考えました。
 別に、貧乏だからこれしか着られないというわけでもありません。
 たとえば、リドの家は大きな農場なので他の子供たちの家より裕福でしたが、でも、リドは、ただ他の子の服のように擦り切れたり色あせたり継ぎが当ったりしていなくて、たぶんちょっと上等の布で出来ているというだけの、やっぱり同じような、茶色っぽい普通の服を着ています。
 そういう普通の服の他に、もう少しきれいなよそ行きの服を持っている子もいるけれど、色鮮やかな晴れ着はお祭りの日や町へ行く日に着るもので、普段の日に着るものではないのです。

 そう、きっと、村では誰もが普段はこういうものを着るのがあたりまえだから――、ただ、それだけなのです。
 だったら、チェナだって本当は、着ようと思えば、これとは全然違う服を着ることもできるのでしょうか? ……チェナには想像もつきませんでした。

 チェナがぼんやりとそんなことを考えている間に、賢いシーリンは、男の人に言われたことをよく考えて、自分なりに解釈し、服ではなくそれを着ている人そのものを上から下までじろじろと眺め回してしっかり観察してから、慎重に口を開きました。
「それじゃ、おじさん、軽業師?」
 たしかに、その、俊敏そうに引き締まった細身の身体つきは、道化師というよりは軽業師のようでもありました。
 他の子供たちも負けじと、口々に騒ぎ出しました。
「違うよね、お芝居をする人だよ」
「歌うたいでしょ!?」
「奇術師だよね!」
「きっと、楽士だよ!」

 男の人は、ただ笑っていましたが、チェナには、そのどれもが、その人に似つかわしく思えました。
 その、見たことのないほど美しい優しげな顔立ちや甘やかな眼差し、どこか芝居がかった、ちょっと気取った仕草は、娘たちやおかみさんたちをうっとりさせる旅芝居の二枚目役者にふさわしいし、やわらかでいてよく通る甘く明るい音楽的なテノールは歌うたいの声でしかありえないし、細くて長い器用そうな指は、奇術師のようでもあり、繊細な楽器を扱う楽士のようでもあって……。

「違うよ、楽士じゃないよ。だって、楽器を持ってないもの!」
 そう叫んだリドに、男の人は、いたずらっぽく笑いかけ、
「楽器なら、あるよ。ほら」と、からっぽの右手を肩のあたりでひらりと翻しました。
 すると、そのとたん、それまで何も持っていなかったはずのその手の中に、一本の小さな銀の横笛が現れていました。

 もしかすると、男の人は、後ろの背負い袋から、それを素早く取り出したのかもしれません。
 けれど、もしそうだとしても、それはあまりに素早くて、誰の目にも、まるで空中から笛を取り出したようにしか見えませんでした。

 子供たちは、いっせいにどよめきました。
「奇術だ! やっぱり、奇術師なんだ!」
 男の人は、子供たちの驚きぶりを満足そうに眺めわたすと、騒ぐ子供たちを、芝居がかった仕草で、軽く手で制しました。
 普段ならいったん騒ぎ出したら誰にも抑えられないわんぱくたちが、男の人のたった一度の制止の手振りで、水を打ったように静まりました。
 子供たちは、次なる奇術を期待して、目を皿のようにして男の人に注目したのです。

 が、次に男の人が始めたのは、奇術ではありませんでした。
 男の人はおもむろに姿勢を正して気取って帽子を取り、流れるような典雅な動作で、チェナがこれまで見たこともない宮廷風の大仰な礼をしてみせると、長い睫毛を静かに伏せて、笛を吹き始めたのです。
 静まり返った子供たちの上を流れたのは、それはもう、聞いたことのないほど美しい、憧れに胸が痛くなるような、なぜだか泣きたくなるような、不思議なせつない旋律でした。
 普段は絶対おとなしく音楽を聴いたりしない小さな子供たちでさえ、みじろぎもせずに、その音色に聴きほれました。リドなどは、びっくりして見開いたままの、そのまあるい青い目に、涙さえ浮かべているのでした。

 けれど、その曲は、すぐに終わってしまいました。
 我に返った子供たちが、もう一曲、もっと吹いてよ、と、口々にせがみだすと、男の人は、にっこり笑って、再び笛に口をつけました。
 次に始まったのは、打って変わった陽気な舞曲でした。
 賑やかな、華やかな、お祭りの楽しみそのものの愉快な旋律を聞いているうちに、子供たちはもう、うきうきして、じっとしていられなくなって、たちまちみんな、浮かれて飛びはね、男の人の周りをでたらめに跳ね回り、踊り回り出しました。
 しまいには、そんなことをするほど子供じゃないと思っていたチェナでさえ、おしっこで濡れた背中が気持ち悪いのも、おぶっている妹が重いのも忘れて、思わず一緒に駆け出してしまったのでした。
 
 最後までじっと立っていたチェナが踊りの輪に駆け込むのを見て、男の人は、笛を吹きながら目だけでチェナに――そう、確かに間違いなく、チェナに向かって――、笑いかけてくれました。

 ああ、この人は、道化で、役者で、軽業師で、楽士で奇術師で歌うたいで……、たった一人で、今まで見た中で一番大きな旅芸人の一座をすべて引き連れてきたかのよう!

 楽しい収穫祭はとうに過ぎ去り、冬至の火祭りまではまだ遠い、そんな退屈な季節の、唐突な祝祭の訪れに、子供たちは有頂天になって、不思議な旅人の笛の音に合わせて踊り続けました。


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