1.不思議な旅人
(1)
その不思議な旅人が村にやってきたのは、秋も終わりに近い<
その時、チェナは、村はずれの牧草地で、幼い妹を背に負って、小さな子供たちと一緒に<十三人目のお妃>ごっこをしていました。
カザベルの 人食い王様ラドジール
殺したお妃 十二人
みんなまとめて 腹の中
十三人目は 檻の中
早く逃げなきゃ 鬼が来る
牢屋の鍵は 白い骨
骨を持ってる人 だあれ
単調なわらべ歌のリズムに合わせて、一本の、白く乾いた小さな骨が、輪になって立ち並ぶ子供たちの手から手ヘと回されていました。
輪になって歌っているのは、みんな、まだ学校に上がる前の小さい子ばかりです。
一年を十三に分けたうちの第十二番目の<金の光月>は、村の学齢前の子供たちにとっては、少々退屈な季節でした。
楽しい収穫祭はとうに終わり、冬至の火祭りまではまだ間があり、初級学校の農繁期休みは終わって年上の子供たちは学校に戻ってしまったし、大人たちは冬支度に忙しくて構ってくれず、小さな子供たちは居場所もなく忘れ去られて、自分たちで固まって暇をつぶすしかない、そんな季節――まるで、今なら子供たちが村からいっせいにいなくなってもしばらくは誰も気づかないのではないかとでもいうような――、そして、遊んでいる最中にうっかりそんなことを考えた子供がふいに日差しが陰ったようなうそ寒さを背中に感じて降り注ぐ光の中でひととき茫然と立ちすくんでしまったりするような――、そういう、どこか寂しい、中途半端な季節なのです。
そんな<金の光月>の、その名の通り金色に輝く午後の陽光を浴びて、子供たちは順繰りに、隣の子供に骨を手渡してゆきます。
その、子供たちの輪の真ん中に、チェナは、もう長いこと、目を瞑ってしゃがみこんでいました。
チェナは、一心に心を研ぎ澄まして、次々に手渡されてゆく骨の気配を探りました。
そうすると、チェナには、目を瞑っていても、骨の在りかがうっすらとわかることがあります。
もとは誰かの家の夕食のスープの中から拾い出されたはずの小さな鶏の骨は、何度もこの遊びに使われ続けるうちに、繰り返し触れ続けた子供たちの幼い掌の温もりと幾日分もの午後の陽光を吸い込んでいて、チェナはその、骨に染みついた温もりの記憶を、闇の中でぼうっと光を放つ蛍光石のような幽かな光の気配として、漠然と感じ取ることができるのでした。
チェナは、<十三番目のお妃>役に、ずいぶん慣れているのです。
唄が終わると同時に、子供たちの手が止まり、骨の気配も、チェナの真後ろで止まりました。
その方角に誰が立っていたかは、覚えています。
チェナは、ルールに従って、目を瞑ったまま、骨を持っている男の子の名前を言い当てました。
「リド!」
そのとたん、背後で、ほんのちょっと空気が動いて、骨が、隣の子にこっそり手渡されたのがわかりました。
「外れ!」
勝ち誇った嬉しそうな声に目を開けると、思ったとおり、金色巻き毛のリドが、空っぽの両手を開いて見せながら、いじわるく笑っていました。
もう、これで何回目でしょうか。チェナが骨の在りかを当てるたびに、いじめっ子のリドは、こっそり合図をして、名前を呼ばれた子が持っている骨を素早く隣の子に渡させるのです。
これはリドのいつもの手口で、チェナがどういうわけか他の子よりもよく骨の在りかを当てるということにリドが感づいて以来、この幼稚ないじわるはますます頻繁に、しつこく繰り返されるようになりました。
リドがもう少し年長だったら、チェナが骨の在りかを当てる確率が妙に高いこと自体をもっと問題にしたのでしょうが、リドはまだ、たったの七歳で、チェナのこの特技を、チェナ自身がそれほど特別なものだと知らずにいるのと同様に、ただ、この遊びが得意なんだというふうにしか受け止めていませんでした。
たぶんリドは、いつも自分が馬鹿にしている『うすのろ』のチェナが、たとえこんな単純な遊びででも、自分や他の子供たちにない特別な才能を見せたのが悔しいのでしょう。でも、だからといって、もうこの遊びをしないというのも負けを認めるようでよけいに悔しくて、それで、チェナの特技を逆手にとっていじわるの種にすることで自分の優位を確保しようと考えたのでしょう。
だから、最近は、この遊びをするたびに、チェナはこうして、いじわるをされるのです。
それがわかっているから、チェナは、今日も、何をして遊ぶか決める時、この遊びをしようという意見に、もちろん反対しました。
でも、そういう時、チェナの意見は通ったためしがありません。
十四歳のチェナは、この中でひとりだけ飛び抜けて年上だけれど、みんなのリーダー格は七歳のリドで、チェナはお情けで仲間に入れてもらっているのです。
チェナは、この年の春に、一年遅れで初級学校を卒業しました。
一年遅れたのは、成績が悪くて、一度、落第したからです。一度しか落第していないのは、何度落第させても無駄だと思われたからです。
一度目の落第の後、『特別な計らい』として進級を許されたチェナは、もう、勉強についてこられなくても構われもせずに、授業中もずっとぼんやりと窓の外を眺めて空想にふけって過ごし、そのまま、いつのまにか卒業しました。
当然、学校は好きではなかったけれど、今思えば、それはそれで、幸せな時間でした。好きなだけぼうっとしていても、それなりに居場所があったのですから。
チェナが教室の窓の外にぼんやりと夢を描いているうちに、同じ年に学校に入った仲間たちは、一足先に卒業してゆきました。この春に一緒に卒業した年下の仲間たちも、今ではもう、みんなそれぞれに、上の学校に進むのでなければ近くの町に奉公に出たり、イニド湖畔の保養地に職を得たり、あるいは村で大人と混じっていっぱしに働いています。
それなのに、上の学校に進むほど成績が良くも勉強が好きでも家が裕福でもなく、かといって外に働きに出てうまくやれるとも思えない『能なし』のチェナだけが、学校を出て半年たった今も、気がつけば、未だにこうして、小さな妹をおぶって学齢前の子供たちと一緒に野っ原で遊んでいるのでした。
忙しい収穫の時期には、チェナも、村の仕事をいろいろと手伝わされたのですが、言われたことはすぐ忘れるし、不器用で、要領が悪く、何をやっても途中でぼんやりしたり、失敗をしてよけいな手間を増やしたり、かえって邪魔になったりするので、そのうちに、大人たちから、「チェナは何もしないでくれるのが一番役に立つ」と言われて作業場から追いやられ、せめて子守りでもしていてくれと、子供たちの群れに放り込まれることになったのです。
そうして紛れ込んだ子供たちの群れの中でさえ、チェナはやっぱりぼんやりしてばかりで、ちびすけたちから馬鹿にされ、年上にもかかわらず、みそっかす扱いなのでした。
「やあい、また外れだ! もう一回だけやるぞ、今度外れたら、もう、おしまいだぞ。チェナはずっと<十三人目のお妃>のまま、今晩、ラドジールに喰われちゃうんだ!」
リドのひきつった笑い声を聞きながら、チェナは再び目を閉じ、うつむいて、そっと溜め息をつきました。
子供たちの唄が、また始まりました。
チェナが骨の在りかを当てるから、リドは、しつこくいじわるをするのです。最初から当てなければ、あんなズルもできなくて、いじわるのしようがないはずです。
それはわかっているのに、チェナは毎回、本気で骨の在りかを探らずにいられません。
だって、目を閉じて単調な唄を聴いていると、本当に狂王ラドジールが背後に忍び寄ってくるような気がして、怖くなってしまうのです。そのままここにしゃがんでいると、だんだんラドジールが近づいて来る足音が聞こえるような気がするのです。
チェナは、ちびたちと違って、もう学校で歴史の勉強をしてきているので、ラドジールが本当は、ちびたちが思っているようなおとぎ話の魔物などではないことを、ちゃんと知っています。
チェナは学校で先生の話をほとんど聞いていなかったけれど、歴史の時間だけは、まるで語り部の物語を聞くようだったので、好きでした。年号を覚えることができないためにやっぱり落第点を取ってはいたけれど、歴史の時間に語られた昔の王様や英雄たちの興亡の物語は、ちゃんと心に残っています。
狂王とも食人王とも称されるラドジールは、本当は実在の昔の王様で、一介の商人の息子から一国の王にのし上がった乱世の雄であり、武勇の誉れ高い美貌の青年王だったのです。その、あまりの強さ、常軌を逸した神がかり的な勇猛さゆえに、敵陣では『彼には魔が憑いている』と囁かれ、空恐ろしいまでの美貌も戦場ではかえって不吉がられて非常に恐れられたと言い、短い在位の間に何人ものお妃に次々と先立たれたことや若くして非業の死を遂げたこともあって、死後、様々なおどろおどろしい伝説に彩られてしまったけれど、故国カザベルでは今も興国の英雄として慕われているということです。
戦乱の時代に、ある国の英雄が、強ければ強いほど敵軍からは憎まれ、恐れられ、魔物のように思われるのは当然でしょう。しかも、その国が、彼の死後、結局は敗れて滅ぼされ、勝者の言葉だけが大きな声で語り継がれたとなれば、敗けた国の王様の名が魔物の名として後世に伝わってしまうのも無理はありません。
どうやらそれが、今まで自分がラドジールという名を魔物の名と思ってきたことのからくりだったと気づいた時には、チェナは、何か少し目が覚めたような気がしました。
けれど、そうした史実を知った後でも、チェナの心の中には、幼い頃、寝床の中で母に聞かされたおとぎ話のラドジールが、まだ住んでいるのです。風に乗って夜空を駆け、寝ない子をさらって生き血をすする、黒い翼の夜の魔物の姿が。
こうして、光の中で目を閉じていると、目の裏がなんだかよけいに暗くなってきて、自分ひとりだけ、夜の闇の中にいるような気がしてくるのです。
その闇の中、血に飢えた魔物が、遠くから、ゆっくりと忍び寄っている。もうすぐ、近くまで来てしまうかもしれない。あたしを、みつけてしまうかもしれない……。そして……。
それから、チェナは、ふと、思います。
そう、ほんとうに、あたしなんか、ラドジールにさらわれて、いなくなったっていいのかもしれない……。
頭も良くないし、動作も鈍く、いつもぼうっとしてばかりいて、まるっきり役立たず。顔もそばかすだらけの平たい丸顔で、少しも美人じゃないし、体つきもぽってりして、見るからにのろまそう。友達より早く膨らみ出した胸だって、他の、もっとほっそりしたきれいな女の子なら魅力的に見えたかもしれないけど、全体にずんぐりしたチェナではよけい鈍重そうに不恰好に見えるだけで、じゃまにもなるし、疎ましい。これから自分が、ますます、どんどん醜くなってゆくような気がして、嫌になる。
美人でもなく、賢くもなく、何の役にも立たなくて、それでも天使のように心根が優しかったり清らかで正直だったり、人一倍がんばり屋だったりすればみんなに許してもらえるのかもしれないけれど、決してそんなことはなく、他のたいがいの子と同じように時にはいじわるになったり依怙地だったりすることもあるし、時々は嘘だってつくし、その上、人よりなまけ者であるらしい。
……いいところなんて、ひとつもない。
のろまなのは、不器用なのは、悪いことなんだろうか。
みんな、がんばればできるよとか、それでもできなかった時は、一生懸命やればそれでいいんだよとか言うけれど、人よりのろまに、不器用に生まれついた人は、いつも人よりがんばっていないといけないんだろうか。いつも一生懸命じゃないと、生きていてはいけないんだろうか。一生、休むことなくがんばりつづけていなければ、君はここにいてもいいんだよ、と、ただそのあたりまえの一言を、誰にも言ってはもらえないんだろうか――。
そんなことを考えると、骨の気配を追うことも、ラドジールのことも忘れて、涙が出そうになってくるのでした。
その時、背中に生温かいものが伝わってきました。
運の悪いことに、背中に紐でくくりつけられて寝ていたおしっこたれの小さな妹が、また、おねしょしたのです。
妹のリュリュは、もう二歳の誕生日をとうに過ぎたというのに、大きくなるのは身体ばかりでいまだにおむつが取れず、まだ歩くのも下手、言葉も遅く、甘えん坊で、ひっきりなしにおんぶをせがみ、その上、しょっちゅう、チェナの背中でおもらしをします。
妹がこんなふうだから、チェナは、就職も家の仕事もせずに子守りをしながら遊んでいられるのではありますが、時々、うんざりします。
といって、チェナは、この妹を、放り出すわけにはいきません。
チェナには、もう一人、生まれたばかりの妹がいるのです。
チェナは、何年か前に父を亡くしました。
その後、再婚した母は、歳の離れた異父妹を二人産んだのですが、しばらく前に下の妹を産んでから、ずっと体調が優れず、その上、この、下の妹というのが実に夜泣きのひどい赤ん坊で、寝不足に悩む母は、せめて日中になんとか少しでも横になりたいと言うのです。
そんなわけで、まだまだ手のかかる上の妹は、こうしてチェナが外に連れ出して面倒を見ておくことになったのでした。
「待って、リド。リュリュが、おもらしした。おむつ換えるから、ちょっと待ってて」
あたりまえのように申し出るつもりだったのに、なぜだか哀願の口調になってしまう自分が情けなくて、チェナは、言ったとたんに、もう涙が出そうになりました。
それを見たリドは、残酷そうに瞳を輝かせて叫びました。
「だめだ! チェナは今、檻の中にいるんだから、出られないんだ。目を開けたから、もう一度、最初からだよ!」
そして、唄を、また最初から歌いはじめました。
他の子供たちも、リドの顔色をうかがいながら、追随して歌い出しました。
他の子供たちは、大半がまだ幼くて、リドがやっていることの意味もよくわからないまま、ただ、何でもかんでもリドに言われたとおり、まねをしているだけなのです。
チェナは、しかたなく、そのまま目を閉じてしゃがんでいましたが、背中では目を覚ましたリュリュが泣き出し、濡れたおむつから、チェナの服の背中に、おしっこがじんわりと染みてきました。
早くなんとかしたくて、チェナは必死で、骨の在りかを当てました。骨は今度もまた、リドの手の中にあったのでした。
ところが、まだ心が幼くて自分がどんなにチェナを困らせているかよくわかっていないリドは、まだチェナをいじめる気で、今度もこっそり骨を隣の子に渡して、いじわるく笑って、騒ぐのです。
「外れだ、外れだ! ラドジールが来るぞ! チェナをさらいに来るぞ! チェナはラドジールに喰われるぞ!」
小さな子供たちも、わけもわからず口まねをして、チェナを囃し立てました。
チェナは、途方に暮れて、子供たちを見上げました。
こうして、子供たちの輪の真ん中にしゃがみこんでいると、ぐるりと立ち並ぶ子供たちが、まるで牢獄の鉄格子のように見えて来るのでした。
(あたしは永遠に檻から出られず、ここに閉じ込められて、そのうち、しゃがんだまま、骨になってしまうんだ。背中におしっこが染み込んで、おしっこ臭い骨になるかもしれない……)
そんな空想をすると、ますます自分がかわいそうになってきて、膝に顔をうずめてぎゅっと目を閉じると、閉じた目の端に、涙が一粒、滲んできました。
そうして、ふと、思いました。
魔物に喰われるのは、痛いんだろうか。苦しいんだろうか。
それはもちろん、痛いだろう、苦しいだろう。
でも、自分がなぜ、何のためにここにいるのかもわからずに、こうして意味もなくただ生きているのと、どっちが辛いだろうか――。
こんなふうに、どこへも行けずに、ここにこうしてうずくまっているなら、いっそ、ひと思いに、魔物にさらってもらったほうがましかもしれない。そうすれば、少なくとも、ここからは逃げ出せる――。
そうだ、もしかすると、魔物は、思いがけずやさしいのかもしれない。最初の素早い一咬みで獲物を眠らせ、苦しませることなく喰らいつくすという、ヴェズワルの毒蜘蛛のように。獲物の耳元で死を囁く魔物の声は、もしかするとお砂糖のように甘く、魔物の最初の慈悲深い一咬みは子猫を咥える母猫のように注意深くやさしくて、あたしは痛みを感じる暇もなく安らかな眠りに落ち、そのまま、すっと、この世から消えて、どこにもいなくなれるのかもしれない……。
チェナは、ぼんやりと、魔物の甘い牙を夢見ました。自分が、本当にそれを待っているような気がしました。
その時。
「こらこら、ぼうや、ズルはいけないよ」
突然頭の上に降って来た、よく通る明るいテノールの声に、リドが飛び上がって振り向きました。
チェナも、背中で泣いていた妹も、他の子供たちも、ぎょっとして、いっせいに声のする方を見ました。
すると、いつの間に現れたのか、リドのま後ろに、ひょろりと背の高い、とても奇妙な服を着た若い男の人が立っているのでした。
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