そうそう、どうせたいした用事じゃないと思って後回しにしていた父からのエアメールには、実は、思いがけなく重大なことが書いてありました。 たいしたことじゃないどころか、むしろ、わたしにとっては驚天動地な大ニュースでした。 父が、再婚することになったのだそうです。 お相手は、あちらで知り合った、フランス系カナダ人の、年上の女性だそうです。若いころに夫を亡くし、それからずっと一人で生きてきた方なのだそうで……。 六十過ぎた父が! 年上の未亡人と! しかも青い目の! いろいろと予想外すぎて、あまりの衝撃に、どこから驚いていいのかわかりません……。 封筒の裏の住所は、その女性の家で、すでに一緒に住んでいるのだそうです。 最初は、永住権を得るための偽装結婚とか、偽装ではないまでも打算的な結婚なのでは、とも思いましたが、どうやらそうではなく、父は、本当に、友人を介して知り合ったその人と、たちまち熱烈な恋に落ちたらしいのです。 後日、SNSの限定公開記事でその人の写真を見せてもらいましたが、たしかに、父が恋に落ちるのもうなずける、美貌の老婦人でした。美しく整えられた豊かな銀髪に碧眼、皺深くも凛とした面差しの、品のある方で、その優雅な佇まいは、まるで往年の美人女優のようなオーラを放っているのです。たしかに、これなら、恋に落ちますね……。父は意外と面食いだったのでしょうか? でも、きっと、外見が美しいだけではなく、内面やら生き方やらが魅力的な方なのですよね。その内面の魅力が、その人の外面をも輝かせているのですよね、きっと。そうでなければ、父が惹かれることはなかったはずと信じます。若い人ならともかく、あの年の人たち同士が、いまさら見た目だけで恋をするとは思えませんから。 父の再婚相手といっても、すでに独立しているわたしにとっては、『わたしの新しい母』ではなく、単に『身内の結婚によって新しく親戚になった人』くらいにしか思えないのですが、父も別にそれでいいようです。けれど、こんな素敵な外国の老婦人がわたしの身内になったなんて、なんだか心楽しく、嬉しい気がします。 そういえば、婚姻関係によって身内になった母親くらいの年頃の女性っていえば、『お姑さん』ですよね。『新しい、もう一人のお母さん』という意味でも、わたしにとってはお姑さん的な存在かもしれません。亡き母の代わりになる人と思うことはできないけれど、お姑さんのようなものとしてなら、仲良くなりたい気がします。わたしは結婚をする予定がないので、こんな事情で思いがけずお姑さん的な人を得ることになったのは、幸運なめぐり合わせかもしれません。カナダは遠いけれど、きっとこれから、お会いする機会もありますよね。父も、そのうち一度は会って挨拶して欲しいと言っていますし、わたしも、お会いして、父をよろしくと言いたいです。お料理が好きな方だそうなので、できればあちらの郷土料理を習ったりしてみたいな、なんて夢も膨らみます。習慣の違いで戸惑うことも多いでしょうが、女同士、一緒に台所に立って、おしゃべりしながら……。 まあ、たいへん、わたし、がんばって英会話を勉強しなくては……! 亡き母も、父の再婚に、別に、今さら文句もないでしょう。考えてみれば、母が亡くなって、すでに四半世紀がたったのです。時間の問題ではないのかもしれませんが、おぼろげに記憶に残る、あの、野の花のような母が、お墓の中でこの結婚に異議を唱えるだろうという気は、まったくしません。母は優しい人でしたもの、父の幸せを望まないはずがありません。 父は、母のことも今でも愛しているのだと、わたしは信じています。父はずっと、日本に帰ってくるたびに母のお墓に参って、母が好きだったという花やお菓子を供えていました。四半世紀、そうして母を偲んできた父が、新しく恋をしたから、再婚をしたからといって、急に母を忘れるなんてことがあるとは思えません。 父にとって、きっと、想い出の中で微笑んでいる少女のような年若い妻と、今隣にいる銀髪の老婦人は、互いに取って代わることなどありえない、全く別の、それぞれに大切な存在なのだと思います。 ……そうか。これが、反田さんがおっしゃっていた、『カテゴリーが違う』ということなのかもしれませんね。父の中で、母の想い出と新しい恋はカテゴリーが違って、競合しないのです、きっと。 あ! 反田さんが『そのうちわかる』って言ってたけど、それって本当だったんですね! わたし、今、わかりました! さすが、反田さんの言うことに間違いはありません。反田さんはわたしより三つしか年上じゃないんですけど、なんだか人生の大先輩のような気がします。 というか、以前から薄々思ってはいたことですが、やっぱり、わたしがいろいろと未熟すぎるのですね……。 自分一人の狭い世界に閉じこもっているとあんまり気づかないことですが、最近、反田さんに引っ張り回されてあちこち出歩いたり、いろんな人と会ったりする中で、自分にいろいろと経験値が足りないことを実感する機会が、多々ありました。 あ、スノーウィは元気です。このあいだ、木原さんのおばあちゃんが約束通り届けてくれたパティスリー・キハラの犬用ケーキを、死ぬほど喜んで、あっという間にぺろりとたいらげました。犬の身体に悪いものは使っていないそうですし、あんなに喜ぶのなら、これからは、ときどき買ってあげようかしら。クリスマスだとか、スノーウィの誕生日――ということになっている、スノーウィがうちに貰われてきた日――とかの、特別な日に。 スノーウィといえば。 先日、反田さんがうちに『指輪物語』の次の巻を借りに来た時、犬小屋のそばで、カラカラに干からびたガマガエルのミイラを発見しました。 もしかして、スノーウィは、ジギタリスの花ではなく、ガマガエルを口に入れたのではないでしょうか。 ガマガエルには、毒があるのです。そして、スノーウィは、カエルでも虫でも、犬小屋の周りに動くものがいれば何にでもちょっかいを出します。一度など、モグラをくわえていて、悲鳴を上げてしまったことがあります。ネットで調べてみたら、犬のガマガエル中毒の症状は、このあいだのスノーウィの症状と、だいたい合っているような……。 本当はどっちのせいだったのか、今となってはわかりませんが、今回のことで調べてみたら、身近な植物などで犬に害のあるものって、ものすごく多いんですね。スズランやアセビ、夾竹桃などに毒があることは有名ですし、ネギやタマネギを犬や猫に食べさせてはいけないのも知っていましたが、ナスやトマトもあまり良くないそうですし、他にも思いがけないほど多くのありふれた身近な草花が、犬に中毒症状を引き起こすようです。 うちの庭をちょっと見回しただけでも、クリスマスローズにスイセン、藤、ツツジ、桔梗、シャクナゲ、紫陽花、ユリ、イヌサフランなど、犬に害があるという植物だらけなので、草取りや庭木の剪定の時に、うっかりそういう植物の葉っぱや花をスノーウィの近くにやらないように気をつけねばと思いました。 木原さんちのおじいさんは、無事手術を終えました。まだ入院中ですが、近いうちに退院できそうとのことです。 おばあさんからも正造さんからも簡単なものだと聞かされていたおじいさんの手術は、後で知ったところによると、実はそれなりにリスクのあるものだったらしいです。おじいさんも、口には出さなかったけれど万一の場合は死ぬことも覚悟していたらしい、と、反田さんが教えてくれました。だから入院前にずっと心残りになっていたことを実行したし、今まで秘密にしてきた想い出をわたしに話したらしいです。 「蕭子さんのことだから、木原たちが簡単な手術だっていうのを真に受けて、疑いもせずに信じてただろうけど」と、反田さんに言われましたが、実際、そうでした。その部分を疑うという発想自体、ありませんでした。なんで鈍感だったんでしょう。人に言われたことを何でもかんでも額面通り真に受けてしまうのが、わたしのダメなところなのです。反田さんは、そういう素直なところが良いのだとおっしゃってくれましたが、今思えば、入院するのが近所の杉本病院ではなく鶸岡の大きな総合病院だという時点で、察していてしかるべきでした。 でも、幸い、ご本人の基礎体力のおかげか、術後の経過も非常に良く、お医者さんにも、さすが戦中派の底力と感心されているそうで、リハビリも順調に進んでいるとか。 お見舞いに行こうかと思ったけれど、どうやら、おじいさんは、あまりわたしに会いたくなさそうだということでした。 わたしはあのおじいさんがけっこう好きなので、嫌われたかと思って悲しくなりかけましたが、別にそういうわけではなく、単にきまりが悪いらしいです。死を覚悟していたからこそ、ずっと隠してきた感傷的な思い出話をぶちまけた相手と、無事生還した今になってあらためて顔を合わせるのはなんとなくバツが悪くて、どんな顔をすればいいかわからない、ということのようです。本人がはっきりそういったわけではないでしょうが、わたしがお見舞いに行きたがっていることを伝えた時の反応から、ご家族がそう判断したらしいので、きっと、その通りなのでしょう。その気持ち、わたしもなんとなくわかる気がしますし。 でも、あらためて見舞いに来られて病室で差し向かいになるのはきまりが悪くても、正造さんのお嫁さんのところに遊びにきたわたしとたまたま玄関先とかで顔を合わせて挨拶を交わすのさえ嫌だとまでは、思われていませんよね、たぶん……。 そう、わたし、正造さんの奥さんの志帆子さんと、お友達になったのです。わたしより一つ年上の志帆子さんは、あの大きなクマさんの奥さんだと思うと微笑ましくて笑ってしまうような小さくて可愛らしい方で、わたしたち、なんだかやけに気が合ってしまったのです。今度、お宅におじゃまして、一緒にお茶しながら手芸をする約束になっています。志帆子さんは手芸が趣味で、お店に置いてあった例のテディ・ベアは、志帆子さんの作品だそうなのです。で、わたしも作ってみたいと言ったら、教えてあげるから一緒に作りましょうと言ってくれて。とっても楽しみです。 わたしだって、子供の頃や学生時代には、数は少ないながらも友達がいて、今もそのうち何人かとは細々と付き合いがありますが、大人になってから新しく友達ができたのって、もしかして――もしかしなくても、はじめてかもしれません。あ、反田さんと光也君を数に入れても良ければ、三人目ですね。 ――わたし、反田さんのこと、お友達とお呼びしてもいいのかしら。 わたしたちの関係って、もう、ただのご近所さんの域を超えてますよね? わたしと反田さんのお付き合いって、通り一遍のご近所付き合いとしては、ちょっと親しすぎますよね? わたしたち、もう、『お友達』でいいんですよね? あらためてそんなことを反田さんに確認するのも照れくさいし、もし違うと言われたらショックなので、本人には聞けませんが……。 でも、もし尋ねたら、反田さんは、『違う』とはおっしゃらない気がします。優しい方だから、そんなこと言ったらわたしが傷つくと思うだろうし。 そんなわけで、言っても否定はされないだろうというのを良いことに、わたしは、反田さんのお友達にしてもらったつもりになってしまうことに決めました。 大学を出てからかれこれ十年、もう新しくできていなかった友達が、急に三人もできたのも、反田さんのおかげですね。 わたし、小さいころからここに住んでいるけれど、あまり出歩かないたちなので、家と職場の往復と、いつも行く決まりきった何軒かのお店しか知らない生活を送ってきました。だから反田さんが熟知していた琴里ちゃんの家の周囲の地理も全く知らなかったし、知り合いも、祖母の知り合いだった年配の方がほとんどで、わたしが自分で作った知り合いというのは、考えてみれば、あまりいませんでした。でも、反田さんと知り合ってからのほんの数ヶ月で、わたしは、子供の頃から長年ここに住んでいながら一度も行ったことがなかったお店に行き、一度も通ったことのない道をあちこち歩き、お年寄りから小学生まで、幅広い年代の人たちと知り合いました。 ……そんなことを考えていたら、ふと、思い出したことがあります。 子供の頃の、あの『底なし森』探検の話には、まだ続きがあったのでした。 『底なし森』を抜けた先には知らない公園があって、小さな、ありふれた児童公園だったけれど、わたしはそこで、同じ年頃の、知らない女の子と出会ったのです。そしてわたしは、新しい友達に手を引かれて、知らない町へと駆け出しました。 わたしの想像の中で果てがなかった『底なし森』は、あの日、狭くなってしまったけれど、森を抜けた先、新しい友達と遊びまわった新しい町は、『底なし森』より広かったのです。 反田さんは、わたしにとって、名前も忘れてしまったあの時の女の子みたい。 自分の町を得意気に案内して、わたしを自分のお友達と次々引きあわせてくれた、元気いっぱいのあの子。あの子の名前は忘れてしまったけれど、日暮れまでみんなで一緒に遊んだあの日の楽しさは、今でも憶えています。 まるであの日のように、わたしは反田さんに手を引かれて知らない路地を駆け抜け、反田さんの紹介で新しい人たちと知り合いました。反田さんのおかげで、わたしの世界は、少し広くなりました。 反田さんは、おっちょこちょいで勇み足で、ありあまりすぎた善意がときに空回りしたり、溢れすぎた行動力が見当違いの方向に発揮されたりして、わたしの静かな暮らしをひっかきまわし、わたしをさんざん振り回すけれど、反田さんに振り回され、町中をひっぱりまわされながら、わたしはどんどん新しい世界を見つけていくような気がします。 あ、わたしのほうだけじゃなく、反田さんも、わたしと出会って、一つ、新しい世界を知ったんですよ。 わたし、反田さんを、鶸岡のお話勉強会にお誘いしたのです。反田さんは、最初、思った通り鶸岡の図書館の場所がわからないということで、ちょっと躊躇したようですが、わたしが一緒に行くと言ったら、大喜びで、一も二もなく飛びついてくれました。特に、近くのパンケーキの美味しい喫茶店の話をしたら、ものすごい勢いで食いついてくれて。 やっぱり、反田さん、美味しいパンケーキのお店に興味あったんですね! そんなわけで、最初はパンケーキに釣られて参加したような反田さんでしたが、いざ勉強を初めてみると、思った通り、すごく筋が良いんです。講師の先生も、すごく褒めてくださって。反田さん、とても活き活きとして楽しそうでした。そして、気さくな性格のおかげで、他の参加者の方にも、たちまち大人気です。 反田さん以外は女性ばかりの勉強会で、鶸岡の図書館の方やお話ボランティアのおばさま方に、反田さんがあんまり大人気なので、連れて行ったわたしも鼻が高いけど、なんだか、ちょっぴりヤキモチ焼きたくなってしまうくらいです。 「みなさんも反田さんとお話してもいいけど、反田さんはわたしが連れてきたんですからね、もともとわたしのお友達なんですからね!」って、言いたい気持ちです。 そう、反田さんは、わたしの大切なお友達――。心の中で、こっそり呟いたら、ちょっと照れくさく、とっても嬉しくなりました。 ――第二話『ジギタリス殺犬未遂事件』終わり―― |
このページのアイコン、バナー台はYou's Web Graphicsさんのフリー素材です。
この作品の著作権は冬木洋子(メールはこちらから)に帰属しています。